百合の花が咲く頃に・後

 あの日、私が彼女から渡されたもの。

 それは冷たい輝きを放つ小刀。およそ彼女の雰囲気からは似つかわしくない、鋭く研がれていそうな刃物だった。

 

「なに、これ?」

 

 当然、私の口から出る言葉はそういうもので。

 彼女は私に向かってこう言い放った。


「これで私を殺してほしいの」

「えっ……」


 絶句した。

 私たちは幸せだったはずなのに。たとえ距離が離れるとしても、その絆はきっと維持できる、かもしれないと思っていた矢先に。

 どうして何故と頭の中にそればっかりがぐるぐると回っている最中、彼女は言う。


「アメリカ、本当は行きたくないのよね」

「どうして?」


 それきり、彼女は押し黙ってしまった。

 言えない、言いたくない理由でもあるのだろうか?

 私にはわからない。

 片手に冷たい刃物を持ったまま、私は立ち尽くしてしまった。


「ねえ、それで私を刺してよ」


 夕陽で作られた影で、顔はよく見えなかった。でもその声色だけでわかる。


「できるわけないでしょ!」


 反射的に私は小刀を投げすてた。小刀がフローリングを転がる音が、妙に大きく鳴り響いたような気がする。


「私たちはまだこれからじゃないの? どうしてそんなに死に急ぎたいのよ」

「……そうね。これからだったわよね。もっと二人の絆を確かめる期間だったはずなのに、血迷った事を言っちゃったわ。ごめんなさい。埋め合わせと言ってはなんだけど、明日山に行きましょう。私の好きな場所があるの。最後に貴方に紹介したくて」

「や、山? 行くのはいいけど、私山歩きの為の靴とか服とかなんて持ってないよ」

「私が用立ててあげるから、ね? これくらい我が儘言わせてよ。じゃあ、さっそく服を買いに行きましょう」

「あ、う、うん」


 腕をひかれてそのまま街へ出かけて、服と靴を買いそろえて。

 翌日、私と彼女は山に登った。と言っても頂上へは行かない。

 途中で山道から獣道へそれて、こんなところに何があるんだって訝しんだ辺りで私たちは百合の群生地に出会った。

 

「ね? いい場所でしょ?」

「うん……確かに、これはすっごい」


 ヤマユリがなぜここだけに群れて育っているのかはわからないけど、壮観だった。

 百合の花はそれ単体でも綺麗だけど、これだけ並んでいるというのは今まで見たことも無かった。


「貴方には最後にこれを見せたかったの」

「そうだったの……」


 最後に? 嫌な単語が出て来た。

 ヤマユリの花から瞬間的に百合子に振り向くと、彼女は小刀をいつの間にか手に取っていた。

 私が止める間も無く、彼女は首に小刀の刃を突き入れる。

 鮮血が首から脈と連動しほとばしる様なんて、視たくなかったというのに。

 百合の花の中に倒れ込む彼女。すでに目が虚ろになっている。


「百合子! どうして!」

「……ごめんね。沙也加。私はこれ以上生きたくなかったの」

「残される私の事をどうして考えてくれなかったの!?」

「ごめん、なさい。貴方は多分、私が居なくても大丈夫だと思うから……」

「そんなわけないでしょ! 勝手に独りにしないでよ、馬鹿!」

「……私の体は、ここに埋めてね……」


 それっきり、彼女は動かなくなった。

 人間はあっけなく死んでしまう。そんなことを今、私は知りたくなかった。

 彼女が携帯用のスコップを持っていたのはそういう事だったのかと、今更私は気づいてしまった。遺言の通りに、私は穴を掘り始める。

 でも女の子の力じゃ土を深くなんて掘れやしないし、体に土をかけるような感じになってしまった。翌日また来て、私は一日を掛けてなんとか野犬なんかにも掘り返されないような深さの穴は掘れた。疲れたし二度とやりたくはない。

 彼女が居なくなってからというもの、毎日捜索は行われたがあの場所はそうそう見つかる事はないと思う。

 もちろん私にも捜索の手は及んだけど、何も語らない事でやり過ごした。

 彼女の遺体は今の今まで見つかった事はない。知っているのは私とヤマユリ達だけ。体も多分、風化してヤマユリたちの栄養となっているんじゃないだろうか。

 今でも鮮明にあの時の光景は夢に思い出してしまう。

 首に突き立てた刃物の感触を、触ってもいないのに自分も突き立てられたような思いがして飛び起きる事が多々ある。

 血が滴ったヤマユリの花は、美しく禍々しく彩られていた。


 

 冷めたオーブントースターの中から、微かにゆり根の焼けた匂いがする。

 私がこうやってヤマユリの球根を食べるのは、ユリと一緒になった彼女を感じ取れるような気がするから。忘れたくないって言うのもあるけども、逆にずっと忘れられない。

 それはまるで呪いのように、私の心に刻み込まれてしまったから。

 彼女と別れて以後、私は固定のパートナーを作った事が無い。


 蝉の声は止み、外は夕立の激しい雨が窓を叩きつけ始めていた。

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