百合の花が咲く頃に・中

 あの時から10年が過ぎた。

 私は未だに日本に居る。あれだけ悲しんでおきながら結局アメリカに行くことも無かった。英語も未だに喋る事は出来ない。

 百合の咲く頃に会いましょうと言って、後から調べてみたら種類によってはちょっと時期が前後する事も知った。でも大体の種類では夏に花を咲かせるみたい。

 私は山に登っていた。

 いわゆる山ガールというわけでもなく、ただ散歩の延長線上としての山登り。

 もちろん装備はそれなりにちゃんと山用にブーツとかリュックとかは揃えたりはするけど、高い山なんて登るつもりはさらさらない。

 

 夏。蝉の鳴き声が時雨のように降り注いでいる。

 私はいつものように私の住んでいる街の、近所の山へ登っていた。

 なだらかで舗装もされている山道は初心者向けと言われ、私以外にも歩いている人々は見ることが多い。山登りを趣味としたおじいちゃん、おばあちゃん以外にも家族で登っている人など微笑ましい光景が見れる。

 私もそれに倣って、山道を歩いていく。

 なだらかとはいえ斜面は斜面。登っていくとやっぱり息は上がるし、汗も多少は噴き出てくる。

 山の中腹まで登ったところで、休憩所らしきちょっとした広い空間に出る。簡素なベンチと滑落防止の柵に囲まれた場所。

 低い山とはいえ、やっぱり登っていけば多少は見晴らしが良い。

 ちょっとだけ休憩。私はベンチに座る。

 まだ早朝と言ってもいい時間帯だから、そこまで暑くはないけどもたもたしていると強い日差しが差してくる。水を飲んでさっと立ち上がり、私は歩き出した。


 ただし、整備された山道からはそれて、獣道の中へと。


 草の中をかきわけて歩いていくのは、整備された道を歩くのとはわけが違う。

 体力の消耗も激しい。でも私がわざわざこの中を歩いていくのには理由がある。

 獣道とはいえ、私にしかわからない目印をつけているから迷う事は無い。

 やがてかき分けた先に、ぽっかりと開けたちょっとした崖みたいな場所に出た。

 そこだけ生い茂る草も無く、木々も高く成長したものばかりで見晴らしもいい。

 青々とした空に、入道雲がぐんと伸びている。遠くには街並みが見える。

 

 そしてここは、ヤマユリの群生地でもあった。

 

 私はヤマユリの根っこを掘りだして球根を幾らか拝借する。

 ゆり根は食べられるという事を知って、私は毎年ゆり根が成熟する頃に山に登ってはこうやって採集している。

 

「今年も来たよ。貰っていくね」


 ヤマユリの球根は、今年は少し小ぶりだった。でもちょっと晩酌のついでに食べるくらいなら問題ない。

 私は自分が踏み均していった獣道を戻り、元の山道へと合流する。

 頂上までには行かないでそのまま下っていく。獣道から目的の場所へ行くまでには体力を使うし、そろそろ太陽の日差しがきつくなってくる頃合いだ。

 蝉の鳴き声はより大きくなっていき、合唱はさながら騒音に例えられるくらいにはうるさい。今年の蝉はだいぶ多いようだ。

 山を下り、私は家に戻った。

 一人暮らしの安アパートに今は住んでいる。資格を得てあえて派遣で全国あらゆる場所で暮らす生活も悪くはない。持っている資格のおかげで賃金も高いし、嫌な職場だったらすぐに辞める事も出来るし、全国を転々とするのも悪くはない。

 今は次の職場が決まるまでの空白期間で、数社との面接を行ったけどどの会社も印象は芳しくないもので、貯蓄もまだまだあるしでしばらくは無職を楽しむのも悪くはないかなと思っている所だった。日がな一日昼に起きてダラダラするという生活、背徳的な喜びがある。でもそのうち焦燥感が芽生えて背中から追い立てられるような感覚が来るのだろう。


「ただいまぁ。あーあっつい」


 誰も居ない、狭いアパートの一室。でも一人暮らしならこの程度でいい。

 家が広すぎると掃除にも手間がかかる。

 私は帰り際にスーパーに寄って、おつまみとお酒を買い込んできた。

 缶チューハイのフタをぱきゅっと開けて、グッと喉に流し込む。

 カッと喉が熱くなり、暑さでゆだってぐだった体がすこしほぐれて来た。

 蒸し暑くなってきた部屋の温度を下げるべく、リモコンに手を伸ばし電源をいれた。

 エアコンは冷房の空気を送風口から部屋に流し込んでくれる。でも冷え切るにはまだ時間が掛かりそう。

 買ってきたおつまみをテーブルに並べ、お酒も置いて私はゆり根の調理をする。

 土を払い、汚れを包丁で切り落とす。どうやって食べようか。

 

「……焼くか」


 アルミホイルでゆり根を包み、焼く事数分。

 少し焦げ目がついたけど、そこにバターと醤油を落とす事でじゃがバターのような料理が出来上がった。ホクホクして素朴な味わいでおいしい。

 そこにグッとチューハイを流し込めば、あとは何もいらない。

 蝉の鳴き声がいつのまにかヒグラシに変わっている。

 夕暮れの時間が訪れているのに気づかなかった。私の時間はあの時からずっと止まっているような気がしてならないというのに。

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