第8話

「デュオさんっ!?」




ガバッと私はベッドから身を乗り出した。何があったか分からないが、急に霧が薄くなると同時に、デュオさんの焦る気持ちが伝わってきたのだ。慌てて手を伸ばそうとしたのだが・・・




「デュオさーん・・・・・・え?」




そこは見慣れたいつもの部屋だった。いつの間にか、窓から朝日が射し込んでいた。埃は相変わらず積もっているが、湯気ほどの霧もなく、部屋の中をはっきり見ることができた。そして、もちろん・・・




「デュオ、さん?」




もちろん、デュオさんもいなかった。影も形も見当たらない。




「え、あ・・・そん、な・・・・」




 私が動けないでいると・・




(はぁ、朝からこんなところに来ることになるなんて・・・・)


「え?」


(これが終わったら、また厨房に行かなきゃ・・・その前に着替えね・・)


「え、「声」?」




また、あの「声」が頭の中に響いてきた。デュオさんとは違い、ノイズもなくはっきり聞こえた。


さっきまであったあの不思議な霧がなくなったからだろうか。いや、ここでも念じてみよう・・・消えろ消えろ消えろ・・・・




(もうすぐ着くけど、お姫様は起きてるかしら?)


(うーん、ここに来るときのためにお古をだそうかな?)




私の願いもむなしく、「声」は鮮明に聞こえてきた。




「だめ・・・なの・・・」




 耳も塞いでみるが、それでも無駄だった。


・・・・まあ、これはデュオさんと話している間でも予想できていたことでもある。昨日チカラがコントロールできていたのはあの霧が原因だという予想が正しいことが図らずも分かってしまった。


 だが、今はそんなことはどうでもいい。・・・・私は自分の頬を思いっきり抓った。




「痛っ!!」




 激痛が走ったが、目の前の光景は変わらない。今のこの状況は夢ではない。




「そんな・・・・デュオさん」




 今、この部屋にデュオさんがいない。そのことがハンマーのように私の心を殴りつけた。




「・・・・デュオさん・・・!!」




 目に涙がどんどん溜まっていくのがわかった。




「デュオ・・・うわ~~ん!!」




 私は泣いた。


 私は、私を10年も苦しめてきたチカラのことよりも、デュオさんがいなくなってしまったことにショックを受けていたのだ。


 私はそれからしばらく泣き続けた。泣き続けて、泣き続けて、涙が枯れるくらいまで。




 






「あれ・・・」




 気が付くと、私はベッドの上で寝っ転がっていた。どうやら泣きつかれてしまってそのまま二度寝したみたいだ。




「・・・・お腹すいた」




 ベッドから起き上がり、恐る恐る扉を開けると、朝食がのったワゴンが置いてあった。メイドたちは扉の前にワゴンを置いて帰ったのだろう。昼食ではなさそうなので多分寝ていたのは1,2時間ほどだろうか。




「・・・・・」




 私は無言でワゴンを引っ張って部屋の中に入れると扉を閉めた。




「いただきます・・・」




 そして、いつものように一人で食べる。




「・・・・・」




 ただ黙々と食器を動かすことしかしないので、すぐに食べ終わった。最も、味も見た目も一級品だが、砂を食べているような気しかしなかったが。




「昨日のは・・・夢、だったのかな・・・」




 食器を片付けてワゴンに乗せ、私はそのままベッドにあおむけで倒れこむ。


 お腹も膨れて、少し落ち着いた。だから、昨日のことに思いをはせてみる。




「夢、夢」




口の中でつぶやく。昨日の夢のような時間のことを。


でも、いつものように思考が深くなっていかない。考え込もうとしてもうまく考えられない。思考にノイズがかかる。まるで昨日デュオさんの心を読もうとした時のように。




「夢、夢、夢」




 いや、分かっているのだ。




「夢、夢、夢、夢」




 思考がまとまらないのは考え込みたくないから。認めたくないから。




「夢、夢、夢、夢、夢」




 私のチカラが消えたのも、デュオさんに会ったのも、楽しくお話しできたのも、全部。


 だが、私という人間は結局変わらずに答えを出してしまう。そう、すべては・・・




「夢、だったの?」




 全部、全部全部、私の頭の中の妄想にすぎなかったということを。




「・・・・・・」




 私の独り言に答える者は誰もいない。


 当然だ。私は今一人なんだから。


 この身に宿る忌まわしいチカラのせいで人が寄り付かなくなったから。このチカラのことを知っても楽しくお話しできた人なんて、存在しないから。




「ア、アハハ・・・」




 思わず笑いがこみ上げてくる。私の顔に嘲笑が、自嘲する表情が生まれた。


 そうか、そうだよ、そうだったんだ。


 そうだ。考えてみれば当たり前のことじゃないか。生まれてから18年間ずっと私を苦しめ続けたチカラが、どうにかなるなんて、都合のいい夢に決まっているじゃないか。ましてや誰かと、デュオさんと、優しい人とお話しできるなんて、どんな思い上がりだ。




「アハハハハハハハハ!」




 まったく、そんなちょっといい夢をみたくらいで舞い上がるなんて、子供か私は。




「本当に・・・バカみたい」




 さっきまで泣き疲れるほど泣いたから、涙は出てこなかった。


 いや、自分の中で整理がついたのだ。




「そうだよね・・・あれは、夢だったんだから」




 自分がチカラを憎んでいること、だれかと楽しく話すことに飢えていること・・・・きっと自分の中でそれらが混ざった結果、あんな夢を見たのだろう。あれは自分を紛らわせるための都合のいい幻だったのだ。


 そうだと分かってしまえば、悲しみよりも馬鹿馬鹿しさが勝る。いい年してそんな夢を見るなんて、と。


 夢は現実ではないのだ。だから、夢だと分かれば自分の叶いもしない願望にすがることに意味なんてないという結論が出る。




「ふふ、本当に、楽しい夢だったな・・・」




 そう、あの夢は単なる楽しかった本の中身と同じなのだ。たまに思い出して、現実を紛らわせるネタにしかならない。




「本当に・・・」




 だから、私は夢のことを思い返す。頭の中にある、これまで読んだ物語のことを思い出すように。




「・・・・・」




 いきなり霧の中にいたと思ったら、知らない男の人がいて、私は忌まわしいチカラが消えている。


 私の悪い癖が出て、最初は怒られてしまった。




「あれは、怖かったな・・・」




人生で、あんなに激しく怒られたのは初めてだった。




「その後も・・・・」




 それから、どうにかこうにか落ち着いていざ話し合おうとしても、お互いに会話をしようにもどこかずれていて、関係のない寄り道ばかりだった。さらには私がアンデッドと勘違いされたり、夢の中の登場人物に命乞いしたりといろいろあった。




「相手の気持ちが分からないままお話するのって、難しいのね・・・」




 だが、楽しかった。私のチカラのことも、最後にはちゃんとわかってもらえた。


 もちろん、デュオさんが私に悪感情を抱いていなかったのもあるのだろうが、次に彼の口からどんな言葉が飛び出してくるのかワクワクした。心がわからないことも虫がいい話だけれど少し怖かったのだが、それすら楽しかった。




「デュオさん・・・・」




 突然変なことを考えて口に出す人だった。けれど、とても、とってもいい人、優しい人だったと思う。心が、感情が分からくても、言葉の端々から私への気遣いが感じられた。まあ、誤解も多かったけど、普通の人たちもあんな風に会話をしているんだろうか。




「そういえば・・・・」




 そういえば、夢が覚める前に私は「お願い」をした。せっかくチカラをどうにかできてから初めて話すいい人なのだから、ぜひどんな人かこの目で見ておきたかったのだ。あのときは楽しくて、つい物語に出てくるようなお転婆なお姫様のような態度をとってしまったが・・・私が姫らしい態度をとるのは何年ぶりだったか、もしかしたらこれも生まれて初めてだったかもしれない。


 それで結局、デュオさんの顔は目覚める直前にチラッとしか見えなかったけれど。




「カッコよかった・・・のかな?」




 茶色い髪に黒い瞳。顔だちは・・・・よく見えなかったけど、凛々しい顔をしていたように思う。多分カッコよかったと思うが、ひょっとしてこれが吊り橋効果というヤツなのだろうか?少し違うか。




「って、夢の中の人相手に何言ってんだろ・・・・」




 本当にこれじゃあ、頭のおかしい人だ。あんな夢まで見て誰かと話したいなんて、本当に心のどこかが病気なのだろうか。とりあえず、ワゴンを戻そう。昼食までにこのワゴンを出しておかなければメイドも面倒くさがるだろう。


 気を取り直すようにベッドから出て、ワゴンを部屋の外に出した。扉を閉めて、廊下からまた埃まみれの部屋の中に視点が変わる。




「埃・・・」




 夢の中で、デュオさんはずいぶん埃まみれの部屋だとか言っていた。もしかしたらあの夢は部屋を掃除しろというお告げだったのだろうか。私は埃の積もった床を見回した。




「・・・あれっ?」




 埃まみれの部屋の中央からやや右より、左隅にある私のベッドの対角線上。そこに一点だけポッカリと埃の積もっていない箇所があった。ちょうど、人が座り込んだ跡くらいの大きさだろうか。そしてその床の周りだけ、吹き散らかされたように他よりも厚く埃が積もっている。しかし、奇妙なことに足跡のようなものはない。




「・・もしかして」




 私はベッドの上に座ると、埃の積もっていない床を見た。




「・・・・そんな、やっぱり」




 その位置は、昨日の夢で「声」ではない声が聞こえてきたあたりだった。




「もしかして、夢じゃなかった?」




 いや、そんなハズはない・・・あれは私の都合のいい妄想のはず・・・・・




「・・・・・いや、ちょっと待って」




 思考が深くなる。今度はさっきのようなノイズは混ざらない。


 私は思考する。




「・・・・・・」




 そうだ、思い起こしてみれば、いくつか気になる点がある。まず、今朝のようにあの霧の中でも私は思いっきり頬をつねったが変化はなかった。それならば今現在とあのときは条件が一緒だ。それに、あの夢の中のデュオさんは謝罪だの疑問だのやけに現実的なことを言っていたように思う。夢の中なら何でもありなのかもしれないが、なぜあんな態度をとっていたのだろう。都合のいい妄想ならばもっと違う人物像になるのではないだろうか。そしてなにより、彼はフルネームでこう名乗ったのだ。




「デュアルディオ・フォン・シークラント・・・・」




 シークラント領の存在は知っていたが、私自身とくに何の思い出もない。行ったことなどもちろんないし、噂話でも聞いたことはない。ずいぶん昔にこの国の地図を見ていて偶然名前を覚えていたくらいだ。確かかなり辺境の方で、農業が主な産業だったような気がする。ともかく、そんな思い入れもない地方の領主の名前も顔も知らない親族が夢に出てくるなんてあるのだろうか?




「・・・調べてみようかしら」




 領地の名前が分っているのだ。書庫にはこの国の貴族の名簿の写しがあったはずだ。もしくはシークラント領についてもっと詳しく調べるのでもいい。




「うん、そう、そうだよ!!」




 あれが夢じゃなかったかもしれないと思うと、体の奥から元気が湧いて、居ても立っても居られない。私は再びベッドから起き上がった。




「よし!久しぶりに書庫に・・・へ、へ、・・くしゅん!」




 ベッドから勢いよく起き上がったことで埃が舞い上がったようだ。




「・・・・・・・・まずはこの部屋の掃除からね」




 今日は久しぶりに忙しくなりそうだ。










「あれは・・・・夢だったのか?」




 今僕がいる場所は間違いなく昨日泊まったあの宿の一室だ。間違っても霧の立ち込める埃まみれの物置ではない。




「そんなに疲れていたのかな」




 起き上がって、軽く体を伸ばしてみるが、3日間の旅の疲れは抜けているようだった。あまり眠った気はしないのだけれど。




「ちょっと残念だったかもなぁ」




 霧が晴れる直前に、ほんの一瞬だけシルフィさんの姿が見れたが、かなりかわいい女の子だった。少しぼさついた銀髪に抜けるように白い肌、緑色の瞳、整った顔立ち・・・僕は彼女の顔を思い出そうとして・・




「ん?」




 何だ?何かが引っかかった。・・・・前にどこかでシルフィさんみたいな人に会ったことがあるような・・




「あんな特徴的な人に会ったら忘れないと思うけどな・・・」




 シークラントのような田舎にあんな綺麗な人がいたらまず記憶に残るだろうが、生憎そんな美人にはお目にかかったことはないはずだ。僕の周りにいたかわいい子なんてたまにしか会ってなかったリズくらいで・・




「リズ、そうだ、リズと似てるのか? でも、全然特徴が違うしな・・・」




 シルフィさんは腰くらいまでの長い銀髪に緑の瞳、日の光を浴びてこなかったような白い肌をしているのに対し、リズは肩くらいまでの赤毛に青い瞳、ほどよく健康的に日焼けした薄橙色だ。だが、シルフィさんの顔を思い出そうとすると、どうにも僕にはこの二人が重なって見えた。二人とも容姿が整っている方だからだろうか。




「って、何考えてんだ僕」




 昨日の夜のようなことが現実に起こるはずがない。夢以外で、あんな空間の説明は難しいだろう。


まあ、あれが夢じゃなかったら不法侵入も夢ではなかったということになるのだが。




「っと。こうしちゃいられない。早く準備しなきゃ」




 王都に着いて早々変な夢を見たが、本来の目的を忘れてはいない。僕は騎士になりに来たのだ。試験まで残り6日である。早速今日から王都周辺を下見に行かなければいけない。


 僕は魔道具の鞄から皮鎧と布に包んだ剣、小盾を取り出すと、急いで部屋を出るのだった。








「まったく、礼儀正しい子かと思ったらなんだい。ほんとにまったく」




 その日の午後、部屋の掃除に来た宿の老婆は、ベッドの中に散らばっていた埃を見て泊まっていった客に悪態をつくのだった。第一印象が良かった相手でも、行い次第で簡単に台無しになるものである。

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