一途な愛惜

石燕 鴎

第1話

私は先輩のことが好きだった。私は親の転勤に伴い、転校を余儀なくされた。

そんなときに出会ったのが先輩であった。その日は雨であり、傘を持たずに登校してしまった自分を恨みながらにび空を眺めていた。そのとき、不意に声がかけられた。

「××駅まで行くなら一緒に帰りませんか」

彼女の声はそこはかとなくぎこちなかった。慥かに知らない人間に声をかけるのは勇気がいることであろう。私もどぎまぎしてしまい、首をこくん、と振る返事しか出来なかった。帰り道は知らない者同士の相合傘。二人の間に会話はない無言の下校だった。私は何故かこの帰り道の30分間が愛おしい時間には思えた。

××駅に着くと、私は先輩にお礼をした。彼女は一瞬安堵の表情を浮かべたが、「お互い様よ」と涼やかに言った。それから、帰宅のためにお互いに違うホームに向かったのである。私は電車が来るまでの間先輩が見えないか目で追ったが、ついに発見することはできなかった。

彼女が先輩だと言うことを知ったのはその一二ヶ月後であった。図書室に入ると先輩が参考書を読みながら勉強をしているのが見えた。そこでようやく学年が自分より上であるとわかったのである。私は何故か先輩に自分を認知されたくなったのである。図書室の先生から先輩が毎日図書室に来ることを聞いてから、私は彼女の心象風景に入り込むように努力した。

普段つけていなかった鈴蘭の香りの香水をつけてみたり、前の学校の先生から貰った鈴がついた赤い組紐を手首につけてみた。図書室では必ず先輩の側を通り、一番日の当たらない机でお気に入りの小説を読む。それが私の日課になった。ちらちらと先輩を見ると細身の身体から凄まじい集中力が発せられいた。しかし、ちらちらと私は視線を感じたのである。それが先輩の視線であると思うと彼女の心に爪痕を残せたと嬉しくなったものである。

しかし、先輩は唐突に図書室に来なくなった。私がお気に入りの場所で本を読んでればきっと先輩は私に声をかけてくれると思っていた。しかし、先輩はそれ以降見かけなかった。きっと別の場所を見つけて集中力を発揮出来るところを見つけたのだろう。私は先輩の邪魔をしたかと想うと、ちくちくと心に針がさされたように痛くなった。

それからは私は高校の中庭にいる猫たちと遊ぶようになった。転校生ということで最初は物珍しがられたが、どうもクラスの女子たちとは馴染めそうもなかったのである。中庭は日当たりがよく、ウトウトとこの世を儚み、夢を見るのに丁度良い場所なのである。ここにいれば先輩は見つけてくれるかな、という淡い期待もあったが、それは泡沫のように消えていった。

しばらく先輩と会うこともなく季節は巡り巡って冬になっていった。久々に図書室に行くと、先輩がいたのである。私は最近図書室に入った本を選びわざと先輩の側を通った。先輩からするレモンのような匂いがふわりと鼻腔をくすぐる。先輩の机の上を見ると参考書とノートでぐちゃぐちゃになっていた。一所懸命な彼女を見ると雑談をするのも申し訳なくなってしまい、いつもの席で本を読んでいた。

本越しに先輩を見ると眼鏡をしており、シャーペンの芯で手の横が黒くなるほど問題を解いていた。私は本越しに先輩が勉強しているところを見守る。普段綺麗に整えられた髪がぐしゃぐしゃになっていて、ちょっと直してあげたいと思った。

しかし、彼女に触れたり、声をかけたりすればきっと今までの関係と変わる。仲良くなれるかもしれないが、あの涼やかな声で「関わらないで欲しいわ」と言われるかもしれない。私はなんだか怖くなって何もできなかったのである。

在学中最後に先輩に会ったのは最初に先輩と逢ったことを思いださせる雨の日であった。昇降口へ向かうと雨が降り出していたためどうしようか思案中であったところ、後ろから澄んだ声が聞こえてきた

「もし、××駅まで行くなら、一緒に帰りませんか」

先輩だ。彼女は初めて会った時の言葉を口にしたのだ。私は彼女の心象風景に残っていたのである。私は嬉しかったのであるが、あの日を再現せねばなるまいと思い、その時と同じようにこくりと頷き、先輩の広げた傘に入ったのである。そこから××駅に行くまでのことはあまり覚えてはいない。ただ、最初とは違い先輩といくつかぽつりぽつりと会話ができたのである。私の身の上も話したし、先輩のこれからの進路や将来の夢も聞いた。××駅に着くと私はは鈴を転がしたような声で礼を言う。先輩は相変わらずの「別に大したことないわ。お互いさまよ」であったが、笑みを浮かべている。私達はなんだかおかしくなってしまい微笑をこぼした。「先輩、またお会いしましょう」と私は6番線ホームに向かった。先輩は私の姿が見えなくなるまで手を振っていた。

私が先輩と出会い関係を持った1年間は他には変えられない宝物の様な日々であった。私は思春期の一時の日々として処理することができず、高校生活であの先輩に抱いていた感情はなんであるか自問自答を繰り返した。卒業間際に漸く、「恋や愛情」に類する感情であったと気がついたのである。しかし、おそらく先輩はそんなことは思っていないであろう。思春期特有の一時の感情であると思い、やがて素敵な方と恋をして、子を産み、母になっていって、私を忘れてしまうのだろう。

しかし、また先輩と会ったとき「自分をどう思っていたか」を問いたくなり、結局司書への道を歩み始めた。きっと先輩と出会えることは二度とない。この感情を抱きしめて私は生きていこうと誓った。

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一途な愛惜 石燕 鴎 @sekien_kamome

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