月に幸あれ

七色最中

前半

 僕は重量2㎏を超える六十倍率フィールドスコープを覗いた。レンズの向こう側には、赤褐色の世界が広がっている。テーブル型に盛り上がった大地が点在して、雲の欠片もない天空から灼熱の日光が降り注ぐ。

 速やかに目標地点を確認する。切り立つ岩山に鈍色の鉄扉が備えられている……あれだ!

 月へ向かうためのコズミックステーションに続くハッチ。そこに向かって≪宇宙汽車≫が疾走するためのレールが、大きいカーブを描いて敷かれている。

 レンズに刻まれたレティクルで距離を計測する……開口部の最大高8000mm。目標まで約1200m。眼に押し当てるアイピースへ力が入る。額の汗が流れていくのを感じた。

 すぐ隣でサクが電子型四十二式狙撃銃を展開している。サクは火薬の方が好みだが、さすがにこの距離で分厚い鉄板を貫通させるためには旧式を使っていられない。いつもなら文句の一つや二つあるだろうが、今回ばかりは事の重大さも相まって黙々と準備をしている。

 三脚まで展開完了。ショルダーガード装備完了。うつ伏せになり脚を大きく広げ、衝撃緩和の姿勢をつくる。肩につけたストックを一方で握りこみ、スコープレンズを開く。概ねの射撃準備は整ったようだ。


「サク、1200だ。いけるか」


「いつもなら。だが今回ばかりは」


 後に続く言葉はなかった。サクは照準を合したまま沈黙する。

 そう今回ばかりは……


***


 先の放射能戦争で僕らの住む地球は文明のほとんどが崩壊した。原因を作った大国は秘密裏に計画していた月面への移住を進め、取り残された地球上の人間は絶望に瀕した。

 だが秘密兵器を開発していた国は他にも存在していた。FUKUSHIMAで大過を遺した国が、放射能完全除去を可能にする生態連鎖型クリーンナップを開始した――端的にいうと放射能を吸収し、無害なものとする植物。開発国は国境を隔てることなくその技術を提供、そして先導。わずか半年をもって戦争以前の大気状態を確保し、被害を最小限に抑えた。

 だが脅威は終わっていなかった。地球を捨て、月面へ繰り出した某国がこの技術を嗅ぎつけた。また、宇宙には限られた物資しかなく、必要なものは地球から“横取り”することしかできない。定期的に月面からの使者を乗せた≪宇宙汽車≫がやってきては、紛争を繰り広げていた。決して平和な世界が訪れたわけではないのである。

 僕たちは第17セクター所属砂撃哨兵隊だ。広大な荒野と砂地を得意とする遊撃部隊。≪サンドストーム≫と呼ばれた。

 そして、今日もいつもと変わらない退屈な日であるはずだった――が、今回ばかりは異常事態である。


 警邏区域に無登録の≪宇宙汽車≫が接近する場合、ただちに本部から指示がくるはずが、しがない昼飯を終えた直後に前触れもなく鋼鉄の巨躯が蒼穹へ出現した。月光(ムーンライト)社製、つまりかの敵国が現れたのである。

 僕はまだ気づいていない二人へ雄たけびをあげた。


「ヒルジ、サク!! 敵だ!!! 四時の方向に一機!!!」


「嘘だろ?! 警報は!!?」二輪式蒸気ビークルにいるヒルジから無線が飛ぶ。


「分からん! 今はまったく本部と通信ができない!!」


 僕とサクが乗り込む空気浮揚式貨物搭載ビークルは、本部との通信機能も搭載されている。「おい、落としたぞ」隣で上空を見ていたサクが言った。

 僕はすぐさま単眼鏡を使った。空を滑る≪宇宙汽車≫から丸い塊が落とされていく。あれは……ボムか? いや、違う。落下地点に標的となるものはなにもない。色味が分かりそうだ……黄色? まさか!

 塊は地表へ衝突する前に蒸気スラスターが吹き出し、大破を免れた。そして薄型の翼が複数拡がると、中央から六本の脚が開き、鋭利なパイルバンカーを装備した尾までがゆっくりと垂れ下がる。間違いなかった。


「ヒルジ≪蜜蜂≫だ!!!」


「なんだと!?」


 動作起動開始のモノアイが赤く点灯した。月光社の捕縛型兵器≪蜜蜂≫が動き出す。すでにこちらを補足していた。


「向こうも気付いているから、いったん距離をとる。本部からの命令はないけれど、僕が全責を負う。【砂地法第九十七条一項 異常事態による防衛義務】によりすべての射撃統制器材の仕様を許可する。任務開始だ」


「了解!!!」


 威勢のいい二人の声が同時に聞こえた。

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