残夏の告白

石燕 鴎

第1話

1

私の友人Kが9月に自死した。遺書は3通あった。1つは親御さん、1つは婚約者のM宛、そして最後の遺書は私宛だった。

私のKとの関係性であるが、元々は大学の同期で彼は農村について研究し、私は作物の研究をしていた。Kは酒を飲むときには必ず歌うようにこう言っていた。

「農村の人間を集め、知識を啓蒙し革命を起こさなければならない。そうしなければこの国の発展はないね」

私はKのこの主張を6年間程酒を飲むたびに聞かされていた。私は当時の主流学派の離れたところにおり、マルクス主義的思想的な面では特にそのようなものを持ち合わせてはいなかった。ただ、普段緘黙している彼が熱弁を奮うことが面白かったので、黙って彼の主張を聞いていたのである。そこで、もしかしたら私はKの「同志」と思っていたのかもしれない。

ああ、哀れなK。生を全うせず、何故自死を選んだのか?しかも結婚寸前のMという最愛の女性を残して死ぬしか無かったのか?私は葬儀の場でMさんより手渡された遺書を自宅の机の上に置いた。紙から線香と花の香りが漂う。それがKの死をより一層深く自覚させる。私は彼の最期の手紙を開くのが不思議と怖くなってきた。恨み言かもしれない、私の知らないKの「告白」かもしれない。もしかしたら「草葉の陰から見てるぞ」という私の悪事(特に覚えはないが)への弾劾である可能性も捨てきれない。机の近くの大きな時計がこつこつと時を刻む音を奏でている。

私は彼のことを考えていると、ついに庭で飼っている鶏が朝を告げてしまった。もう悪い方向へ考えることも尽きてきたので、私は意を決して彼の最期の「主張」を読むことにしたのである。

2

Yくん。我が一番の友よ。今これを書いていると大学時代によく飲みに行って僕の主張を君は遮りもせず、君は知的好奇心に満ちた目で僕の話を聞いてくれたね。僕の言葉では尽くせない挫折感と告白を君なら読んでくれて、僕の願いを果たしてくれると信じている。故に僕は君に手紙を残すことしたのだ。

僕は××年8月にとある農村に行った。なに、僕らの大学から1時間も離れていない平野部の村落だ。僕が農村の道を歩いていると地域のご老人方がこちらを見てくるのだ。そこで、老人方を集め、僕は××××主義的に農村に知識を与えて革命の機運を高めようと思ったのだ。しかし、上手くはいかなかったのである。話もちっとも聞いてもらうことが出来ず僕は唖然とした。生産的地代とか革命とかそんなものに彼らは興味がなかったのだ。僕は他の村落でもそうなのかと思い、T県の方の村に訪れたが、やはり農村地帯では僕の興味を持ってもらえなかったのである。

僕の6年間は一帯なんだったのであろうか。僕の成してきたことと現実には深い溝があったのだ。

僕は自宅に帰りその日狂ったように酒を浴びるように飲んだ。一緒に住んでいるMにも心配をかけたかと思う。翌朝目がさめるとMの顔が赤く腫れぼったくなっていた。僕は昨晩何をしたか彼女に聞く勇気も出ないままふらりと外へ出た。僕の家の近くを流れている川をぼんやりと眺めていると水面に映った僕の家に男が入っていくのが見えた。まさか、貞淑である筈のMが血迷いごとを起こす筈ない。僕はそう思ってこっそりと家に戻り、縁側の下に隠れた。Mと見知らぬ男の楽しそうな笑い声が聞こえ、やがて水が引くように静かになり、きぬ擦れの音とMの吐息が聞こえてきたのである。

僕は水風船に針を刺されたような感覚を覚えた。今すぐ行って止めさせたいが、今行っては只の寝取られた可哀想な「男」になってしまう。世間からの評価などを深く鑑みる僕は怖くなってしまったのである。僕は縁側の下から部屋の近くに移動し、隠れている他になかったのである。僕はどうしようもない挫折感と後悔と妻に背かれた絶望に襲われている。これは2.3日たった今でも変わらない。Mに問いただそうとしても僕は一言も言えない。耐えがたい自らを苛む痛苦に耐えかね、死ぬことにしたのだ。

Yくん、僕から伝えたいことはいくつかある。1つは結婚するときは身辺調査を入れること。1つはアカデミズムやアカデミック、インテリジェンスは世間から「ズレ」ていることだ。君が同じ轍を踏まないよう、祈っている。君の多幸を草葉の陰から祈っている。

3

私は彼の最期の告白を聞き終わると既に日が高いところまで昇っていた。

Kはさぞやかかえきれない無念と挫折故に自ずから三途の川を渡ったのだ。

だが1点だけ、彼は抱えなくて良い後悔をしたのである。彼の遺書にあったMの不義はおそらく誤解である。何故ならMはその日「私」の弟に服の仕立てを頼んでいたのである。それは確かに衣摺れの音やらが聞こえるだろう。

この事実を知っている私は、Kの遺書が私を責めてくるように段々と思えたのである。そう、私は懺悔や弁明をを彼にできることなく死んでしまったのだから。この遺書は私にとってKの亡霊のように思える。私は彼の亡霊と供にこれから生きねばならないことを予感した。

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残夏の告白 石燕 鴎 @sekien_kamome

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