3話 ヒットレル

「こんにちはフロイライン。君のような少女があの文章を書いたかと思うと今でも震えが止まらないよ」


 冗談げに笑って見せる眼前の男性。

 彼の顔に覚えがあるのかリマイナは呆然としている。


「貴方のイデオロギー的には私は許せない存在じゃないのかしら?」


笑ってヒットレルに冗談を言う。

記憶で言えば彼の政治思想は男性優位主義であり、女性は家にいるのがふさわしいという考え方だったはずだ。


「いや、寧ろその考えは強まったよ。君のような女性がいる一方、どうしようもない女性が多いことも痛感したさ」


 おどけたように笑いながら隣に座るヒットレル。

 歳の差は親と子ほど離れていると言うのに同年代のような気軽さあがある。


「で、そこのお嬢さんは学友かな?」


 こちらに向けていた視線をリマイナに向けて尋ねるヒットレル。 

 リマイナは緊張して言葉が出ず、代わりに答える。


「こちらリマイナ・ルイよ。私と一緒に機甲科で勉強しているのよ」

 

リマイナを紹介すると同時に列車は動き始めた。

 今現在、私とリマイナは窓際で机を挟んで向かいに座り、ヒットレルはリューイの横に座っている。


「よ、よろしくお願いします」


 リマイナはガチガチに固まりながらこう小さく言った。 

 彼女の姿を見たヒットレルは嬉しそうに微笑んだ。


「素晴らしいな。まさに良妻賢母と言った女性だ、私の思い描くグロースライヒ人女性のあるべき姿

そのものだ」


 ヒットレルによる無条件の褒めにリマイナは赤面させた。


 その様子を見てヒットレルはさらに頷いた。


「私はどうなのかしら?」


 ヒットレルに尋ねた。

 勿論ただの冗談であるし、リューイ自身結婚する気は毛頭ない。


(というより元男だしな……)


 問いにヒットレルも冗談で返した。


「君を妻にした日には恐らく党首の座は私から君に移ってしまうだろうさ」


 ヒットレルの返しに大きくうなずきこういった。


「なるほど、それもそうね」


 ヒットレルもこれには大きく笑った。 

 だが、机をトンと叩くとその表情は真面目なものとなった。


「さて、実務的な話をしましょうか」


「待って、待って?」


 しかし、リマイナには思うところがあったようだ。


「なんでリューイはヒットレルさんと普通に話してるの!? だってこの人ミュンヘン一揆の主導者でしょ?」 


 突然声を上げたリマイナにヒットレルは驚き、私は呆れていた。

 

「案外早く素顔を明かしたわね……まぁ、リマイナは貴方が思うような女性ではないわよ」


 私の言葉を聞くとヒットレルは肩をふるふると動かした。


 怒らせてしまったかと一瞬悩んだリマイナだが、そんなことを知る由もなくヒットレルは大きく笑った。


「いやはや、そうだったのか。まぁいいだろう、若い内は元気があるほうがいい!」


 一瞬起こったかと思ったリマイナはホッと安堵した。


「で、リューイ嬢と何故交友があるのかだったかな?」


 ひとしきり笑った後、ヒットレルはリマイナにこう尋ねた。

 彼の問いにリマイナは小さくうなずいた。


「それなら、リューイ嬢に直接聞くと良い、何故私に手紙を送ったのかとね」 


 そう言うと微笑んだ。


(また面倒なことを……)


 内心呆れていた。

 何度、手紙を送った時の話をさせればよいのかと。


「ミュンヘン一揆の時にこの人捕まったでしょう? その間に手紙を送ったのよ『ここで終わってはいけない』とね」


 リマイナは驚愕と言うよりもむしろ呆れた。


「いやぁ、あの時は驚いた。意気消沈していた私のところにまだ10歳にも満たない少女から激励の手紙が来たのだよ。あの時から私の闘争は始まったのだな」


 ヒットレルはしみじみと語る。

 だがリマイナは気が付いていた。


 そもそも、10歳未満の時に字の書き方を覚え尚且つグロースライヒ語すら習得していたなど、規格外にもほどがあるのだ。

 軍学校の一年次に他国の言語を習得するがそれまでは自国言語しか学ばないのだ。


「これでいいかしら?」


 微笑んでリマイナに尋ねる。

 リマイナは「う、うん」と曖昧な返事を返す事しかできなかった。


「そういう事だフロイライン。まぁ私もリューイ嬢についてはあまり知らないのだがね」


 苦笑いを交えてヒットレルは笑った。 

 そんな彼を見てため息をつきながら口を開いた。


「なんで私に興味を抱くのかしらね……」


 教官にも目を付けられ、ヒットレルにも目を付けられている。


「私以外にもいるのかね?」


 ヒットレルは興味深そうに尋ねられたので記憶をたどって答える。


「色々いるわよ……」


 誤魔化して茶を濁した。


 大統領、首相、陸軍大臣、各将校、教官――

 数えればきりがない。


 歴代最年少で軍学校に入学し、同じく主席で一年次を終えれば目を付けられるというものだ。


「まぁいいだろう。それで今回は何の用かな?」


 ヒットレルは私が苦労していることを察し、話題を変えた。 

 内心感謝しつつ、ヒットレルの問いに答える。


「貴方の突撃隊と国防軍を視察したいわね」


冗談を言うように言った。 


突撃隊――


ヒットレルが所属する政党がもつ私兵団である。

規模は数万に登り、今やグロースライヒ国軍を凌ぐ規模を有している。


「ふむ、突撃隊は構わないが……国防軍か」


ヒットレルは少し悩むそぶりを見せる。

彼の私兵である突撃隊は自由にできるだろうが、国軍となると話は別だ。


暫し悩んだ後、彼はこう返した。


「突撃隊は選抜部隊でいいかな?」


「もちろん」


「で、国防軍だったかね? まぁ議員権限でどうにかしてみよう。軍内部にも支持者はいるから何かは見ることが出来るだろう」


 ヒットレルは少し悩んだ後にこういった。


(まぁこの時期の国防軍は秘匿されているから難しいかもしれないけどね)


 史実でこの時期は条約などの制限下において必死に軍備を整えていたあたりだ。 


「そう、ありがとう」


 ヒットレルに笑顔で返す。

 それを見てヒットレルはフッと笑った。


「君は政治も軍事もできる。いったい何が出来ないんだね?」


 ヒットレルの問いにただ、笑顔で返すだけだった。

 自分に出来ない物、それは何なのだろう。


 まぁ、いいかと思いさらに口を開く。


「で、リューイ嬢は何時政治の舞台へ舞い出るつもりだい?」


 ヒットレルはこの上ない笑みで尋ねる。

 リマイナはえらくそれが不気味に見えた。


「貴方のような男性至上主義者がいる以上いつかは出ないといけないわね」


 ヒットレルに対して冗談で返す。

 ただ彼は苦笑いしたままだった。


「冗談よ、そもそも私は国家を支える飼い犬であるもの。飼い主にはなれないわ」


 私の言葉を聞くとヒットレルは大きく笑った。 


「やはり君は面白い! 聡明だ、利口だ、何より美しい! 女性の模範であるな!」

 

「貴方の政治イデオロギーといま言っていることは真逆だと思うのだけれど」

 

この男が求めているのはしおらしい女性像なのだ。

リューイのような男か何か良くわからない女ではないはずだ。


「それもそうだが、馬鹿な女でもよくない! 家に帰った時にいるのは賢く気が利く女性が良いのだよ! その点において君は素晴らしい! ただ、アクティブすぎるがね」


 ヒットレルに圧倒されていた。

 彼の知っている前世のヒトラーとは違いすぎるのだ。

 

名前はヒットレルとヒトラーであるが、全くの同一人物と言っても過言ではない。


 やはり些細な違いはあるのだろうか。

それとも――


 ――誤った歴史を知っているのだろうか?


「どうしたんだい?」


 思考の沼にはまっていると不意にヒットレルが声をかけて来た。


「いえ、何でもないわ」


 私は必死の作り笑いで返した。

 私が知っている歴史は表面上の物。


 それとも、意外と歴史の差異が大きいのだろうか。

 抱える疑問を必死に隠す。そんな笑顔だった。

  


「ではまた明日」


 ベルタニアまで列車を共にした彼らは首都中央部にある駅で別れた。

 ヒットレルにもその日の事務がある。


「リューイってすごいね!」


 ヒットレルの背中を見送りながらリマイナは興奮気味にこう言った。 


 それもそうだろう、本当なら年を取った爺臭い者たちが行うような政治を彼女の目の前で行ったのだ。

 と言っても特に何か特別なことがあったわけではない。


 ただ単純に傍にいた年上の男性と話していただけなのだがリマイナには異質な光景だったのだろう。


「さて、行くわよ」


 リマイナにそう伝えるとベルタニアの街に繰り出した。


 街行く人々はみな一様に暗い表情をし、浮浪者も大勢いる。


「リマイナ、気を付けなさい」


 一様に浮浪者というのは危ないものである。

 特に世間を知らなそうなリマイナは特に狙われそうである。


「大丈夫だって!」


 リマイナと共にホテルを目指し、歩みを進めた。

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