第45話 エメロード・ファニ・アルファリカの勇断


「怖くないと言い張るお嬢様も頑固だったけど、怖いって認め始めたらとどまることを知らないね」


 眠たい目を擦り、ダラリダラリと後ろをついてくる一徹に、前を歩くエメロードはプンスカ怒っていた。

 それはそうだ。この町に来てからと言うもの、細い体に鞭を打ち、白い肌を太陽にさらしてまでこの町に到着した船から荷を運び出し、仕分け作業に汗したエメロードにとっては、やっと貰えた休みだったのだから。


 一徹を連れ出し市に出た。楽しみにはしていた。だが一徹が興味なさげに欠伸するものだからたまらなかった。


 理由は知っている。毎晩一徹はエメロードが落ち着き、なだまるまで夜遅くまで付き合ってくれていたからだ。 


「しょうがないじゃない。怖い物は、怖いんだから!」


 ぶつけるように思いを口にしたエメロードに、続く一徹は乾いた笑い。「ま、少しは素直になったってことでよしとするかぁ?」などといいながらため息をつくから、ムッとしたエメロードは振り返った。


「怒らないでくださいよ。怖い、別にその感情は悪いことじゃないし、誰でもそれに悩まされる経験はあった。それはもちろん私もです」


 軽い口調の一徹は、立ち止まり振り返ったエメロードの肩に手を置き、「歩き続けて」といわんばかりに少しだけ押した。


「貴方が?」


 押され、また歩き始めたエメロードは、しかし気になるゆえ歩き恥じめど前は見ず、首だけ背の高い一徹の顔へと見上げた。  


「例えば、だ……」


 さっきまで苦笑いだった一徹が、見上げてくるエメロードの視線を受け止めず、歩く方向に目をやる表情が少しだけ引き締まった物だったから見入ってしまった。が…… 


「エメロード様、貴女の肩を押している私の手は、かつて幾たびも人を殺めたことがある」


「ッツ!」


 それを耳にした瞬間だった。飛び上がったエメロードは一徹と距離を開けた。それはエメロードが一徹を恐れたからだ。だが一徹はそれに特段反応を示すことも無く、エメロードが離れたら離れたで、そのまま進行方向をゆき続けた。


「正しい反応だ。決しておかしいことじゃない。それも本来の私ですから。そしてね、『恐れられても仕方がない存在になるんだ』って予想はしていました。初めて、誰かを殺さなきゃならないという場面を前にしたときには怖かったものです。嫌ぁなことに、その初めての殺しは、得てして殺される可能性もありましてね、やはり怖かった」


 下がったエメロードに一徹が視線すら向けず、歩き続けるから、取り残されたとも思ったエメロードは恐る恐る一徹の後をついていく。

 いまは一徹がエメロードを引っ張っている形だった。


「少し、安心しました。前にも申しましたが怖さというのは自己に対する危険への警鐘なんです。《触らぬ神に祟りなし》とはよく言ったものでしてね。それによって下手なゴタから身も守れる場合もある。ただ貴女はちょっと意固地過ぎた。『怖くない』なんて言ってね。危険に対する警鐘は自己の中で鳴っている。だがそれを無視する。いつか痛い目を見ないとも限らない」


 不思議な感覚だった。たったいまエメロードが一徹に感じたのは恐怖。

 だけど、その忠告に心配が織り交ざっているのを理解すると、怖いと思う一方で一徹の背中から目を背けることは出来なかった。


「そう、怖いってのが正常なんだよ。怖いって感情がなくなったら己の要領のキャパシティに制限がなくなり自制心が効かなくなる。自分のキャパシティがわからないのに、他人ヒトのキャパシティなんてわかるはずが無い」


 だけではない。苦しさを感じた。


「誰しも持ってる共通認識の恐怖を失っちまったら、他人の恐怖の如何なんて、受け止めきれる痛みや不安の要領なんて、わからなくなったら、それは、人々の《共通倫理・良識セカイ》から見て……異端か?」


 前を行く一徹の背中には寂しさが見えていたから。


「おっ! エメロード様? アレ!」


 もしかしたらそれはエメロードの気のせいだったのかもしれない。一徹の思う何かがわからなくて、見つめていた背中は、翻ったから。一徹が行く先に指を差して、ニカッと笑っていたのだった。


「あの露天商がどうした……髪飾り?」


 視線の先には店先に幾多髪飾りを並べた露天商。


「お嬢様の髪飾りを以前壊してしまったままでしたからね。それに《海運協業組合ギルド》に保護してもらう条件に働いてもらっているとはいえ、それだけじゃあ心苦しいですからね。好きな物を選んでください。お贈りします。あんまりっ高価なものじゃないといいなぁ……なんて!?」


 もちろんほかにもさまざまな店は連なり、賑わいを見せていたが、それを一徹が指し示したその意味がわかったから、エメロードは髪飾りの露天商しか目に入らなかった。

 まったく小さなことを言うと、エメロードは嘆息した。一徹は、本当は信じがたいほどの大富豪のはずなのだ。


「これにする」


「へぇ? これですか!? 銀の……髪飾り……」


 そうして、エメロードが選んだのが、銀の髪飾りだった。


 銀の髪飾りなんて別に珍しい物じゃあない。普通なら一徹だって言葉を詰まらせない。だが、形が似通っているなら話は別だった。

 鳥の羽が象られた髪飾り。一徹が驚くのは無理は無かった。その形状は、一徹が所有している髪飾りとよく似ていたから。


 故意に……エメロードは選んだのだった。あの襲撃の一件で、一徹がその髪飾りをとても大事そうにしていたのを目にしていたから。思い入れのある髪飾り、きっとそれは誰か大切な形見なのだということは気付いていた。


 それを分かってなおエメロードが選んだのは……羽の形をした銀の髪飾りという共通点を持ち、あのパーティで話を聞いた、すでに死んだという女と同じく、自らも《癒しの力》を手にするという点で、自分にその女を重ねさせることで一徹からの視線を向けてもらうためだった。


 一徹に取って大切なヒトとの共通点、それはエメロードの思う限り、ルーリィにもシャリエールにもアドバンテージ。


「あれ?」


 そのときだった。ふと、エメロードは気付いてしまった。その考えによっていたる。かつて一徹から聞いた話で、自分が勘違いをしていたということに。


「ルーリィ様じゃない、ルーリィ様じゃないんだ」


 それはかつて一徹から聞いた。一徹が想い、そして二度と会いたくない女がいるという話。ずっとエメロードは、その女はルーリィではないかと思っていた。


 違う。確信だった。

 一徹は、「もう2度と会えないが、会いたくないと。会ってしまったら彼女が信じてくれた自分はおらず、失望させてしまう」とそう言った。


 住む場所というか、世界が違うといった真の意味は……死に分かれたから。

 分かったとたん、体が熱くなった。


「だったら、いい……のよね? もう……」


 興奮だ。仮に一徹の想い人がルーリィであれば、そこには相思相愛があるから気が引けた。罪悪感を気にしないでよいというところで、胸のつかえが取れたのだから。


「怖くない」


「は?」


「山本・一徹・ティーチシーフ、私は……貴方なんて怖くない。勝手に勘違いしないでよ。『人を殺した』なんて驚かされても、私は貴方如き怖いとも逃げたいとも思わないんだから」


「えーっと……いや、脅しじゃあなくって……」


「私の隣を歩くことを許してやるって言ってるの!」


 だから言い切って見せた。自分は全く恐れていないことを見せつけ、あたかも自分のそばには一徹の居場所があるのだとでも言うように。違うか、手の届く範囲に一徹を置いておきたいのだ。

 思いもしない言葉が返ってきた事に驚いていた一徹は、しかし急にニヘラっと笑顔を作った。


「オヤジ、この髪飾りを一差し」


 いつもの一徹に戻っていた。せっかくエメロードが勇気を奮い立たせと言うのに、あまりにもその反応は物足りない。

 ゆえに、不満そうな顔を浮かべてエメロードは一徹をにらみつけた。


「さようで? さ、それじゃお納めを」


 それでも一徹はこの有様だ。


「ちょっと、何よこれ」


「え? だから、エメロード様が選んだ髪飾り……」


 普通の一顧客として露天商の男へ対価を支払うと、たったいま手に入れた髪飾りをおもむろに差し出した。


「普通髪に通すところまでがプレゼントでしょうが! 貴方はなんて気が利かない!」


 それが、エメロードは許せなかった。


「え! そういうもの? そういうものなの?」


「いーから!」


 自然の流れ、自然の動きがエメロードを意識していない証明だから。

 突然のことにオタオタする一徹と言えば、オロオロとした顔でイソイソとエメロードの髪に髪飾りを取り付けようとした……

 だが……


「モタモタしない! って、いった! ちょっともう少し優しくできないの!? 貴方は本当に淑女の扱いってものが……」


「か、勘弁してくれぇ!」


 いつだったか、不意に一徹がエメロードの髪をなぜるようになったのは。

 それから、褒めてくれる時、慰めるとき、一徹は何度だってエメロードの頭をなで、その髪を触れたはず。

 いつの間にかエメロードも一徹を自らの髪に触れることを許す存在として心のどこかで認めていて……

 だというのに、改めて髪飾り一つ取り付けるにあたっては……

 二人ともこっずかしそうに顔を赤らめ、汗をかきかき、焦ってならなかった。

 ギャーギャー、わーわー

 どう見ても二人は周囲から見て仲の良い兄弟の様にしか見えなくて、その様相に、目の前で見ていた露天商の男、同じ道を行きかう周囲の者たちは、そのほほえましさに、楽し気に笑っていた。


                 +


「ほーう?」


 一徹の感心した声を耳にしたエメロードも、胸の高鳴りを抑えることは出来なかった。


「え? コレどうして? だって私は……」


 この仕打ち、想定をうわまわっていたどころか考えもしなかったことだ。いつもは冷たい眼差しを向けてくるハッサンすらが、含みのない純粋で柔らかい笑顔を見せるから、うろたえることをエメロードは禁じえなかった。


「我々は、礼に対しては礼を持って返します。それは全うな行いに対しても同様。お受け取りなさい。これは、ご令嬢の行いが誠実であったこと証明するものなのですから」


 どうしても自分の両手のひらに注目してしまった。ズシリと重い、皮袋がのった手のひらを。


「まぁ、ご令嬢にとってその額は、幾分も満足は出来ないでしょうが」


「なぁなぁハッサン、俺、それ以上に満足できなさそうなんだけど。幾分も、エメロード様の皮袋より小さくて、痩せているような……」


「ま、ね? 正しく評価がなされたゆえかな?」


「ゲロゲロ」


 すぐ後ろに控える一徹など、片手で握り締めるほどしか大きくない皮袋に、落胆から項垂れた。その余りの情けなさを目に、噴き出すエメロードだったが、噴き出した途端に頭を挙げた一徹が「引っかかったな?」とでも言ってそうな顔で笑ってきたから、それが演技だと分かってハッとした表情を浮かべた。


「やめてよワザとらしい。そもそも貴方、別に稼がなかろうが相当に蓄えがあるじゃない」


「一応、働いたのは事実じゃないですか? 報酬をもらうことは別におかしいことじゃない。ま、この額は、この額程度にしか働きが評価されていなかって……」


「正当な評価じゃないか。良くサボっていたじゃないさねアンタ」


「グッ!」


「運んだ貨物数もそうだが、それらの合計重量を考えたら……エメロード嬢ちゃんが運んだのは間違いなくお前の3倍以上だろ一徹」


「……先輩たち、まじ容赦ねぇ」


 悪びれもせずに肩をすくめる一徹に苦言を呈したエメロードの発言。その場にいたギルドメンバーたちの後援にも助けられ、言葉は威力を増したことで一徹がたじろぐから、その様相が面白かったからか、やがてドッ! と皆が笑顔に沸いた。


 笑えたのは、エメロードも同様だった。本当は先ほどまでは少し憂鬱だった。実は今日がこの町に滞在し、保護される期間の最後の日だったから。


 あともう小一時間が経てば、一徹が、ハッサンから預かった商会、《絆の糸》の貨物を、ヴィクトルや海運協業組合ギルドメンバーの一部で隊商を編成して、また《タルデ海皇国》、《タベン王国》の国境を抜けるのだ。

 そしてそれは、エメロードが帰国の途に着くということ。国境をすぐ抜けた町に、ラバーサイユベル伯爵が迎えに来るという。


 もう、あの襲撃から2、3週間がたった。エメロードは思いのほか、この保護をされた期間のおかげで、自分もずいぶん落ち着けたとも思った。

 もちろんいまでも夜毎悪夢は見る。だが、目を覚ましてしまえば不安になることは無くなった。


 滞在するこの協業組合ギルド1階のラウンジに顔を見せれば「なんだ嬢ちゃん寝れないか。るかい?」なんてどの二種族の血を引いたかわからない忌子の男が牙をむき出し、涎をあふれさせ、口角を吊り上げ、酒瓶を手に、呼びかけてくれた。


 「そいつにお近づきでないよ。話しただけで孕まされる可能性だってある」と、そこに割って入ってくるとある魔族の女は、確かな配慮を見せてくれた。


 そうして、「あんまり無茶させないでやってくださいよ。酔いつぶれでもしたら明日の仕事に響く」などといいながら、どこからともなく現れるのが一徹だった。


 いつもそばには一徹がいてくれた。その上で、一徹の願いを聞き届けてくれた協業組合ギルドメンバーは、皆エメロードのことを見守ってくれていたのだ。


 少しの物悲しさを、エメロードは感じていた。それは、この世界ではある意味異常だった。

 人間族の王国、王家に告ぐ公爵家の人間であるエメロードが、この世界の厳しすぎる《種族観》から見ると嫌悪すべき人間族以外それいがいから離れてしまうことにしのびなさを感じているからだ。


 その感情を持つということは……一種、エメロードの中で、そんな彼らを大切な存在だと思ってしまったということ。


 エメロードは人間族だ。それも高位の階級にいる人間族。しかし本来生きるべき環境セカイでまったく認められ、受け入れられることのなかった彼女にとって、この《メンスィップ海運協業組合ギルド》は愛おしいものとして認識された。


 だが、だからこそエメロードは、額に汗して働いたことが認められ、手渡された人生で初めての・・・・・・・お給料・・・を強く握り締め、皆に合わせて笑って見せた。


 その悲しさを表に出したくは無かった。彼らが「エメロードを悲しみに沈めないように」と、この保護の期間いろいろ気にしてくれたことを裏切ってしまうようなことがないように。

 そのために、いろいろと働きかけてくれた一徹の心遣いを無にしないように。


 自分がとても愛しいとすら思える、この異常な《|一徹と、その周囲(セカイ)》を、エメロードは気持ちを曇らせ、悲しむことで……不安にはさせたくなかった。

 ゆえに、改めて己に呼びかける。強く、強くあらねばと。

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