第44話 エメロード・ファニ・アルファリカの安堵

「無様ですな旦那様」


「お前、んなバッサリと……」


 舌を出し、うつ伏せに倒れている。舌を出し、しかめっ面を浮かべていた。


「だって容赦ねぇんだもの先輩たち」


 この《メンスィップ》に到着してはや一週間が過ぎた。そして一徹は……二日目以降からお客様扱いを受けることはなくなっていた。


『ゴルァ! 下っ端! 寝てんじゃねぇぞ!』


『まだぁ荷だってタップリあるんだからね! お動きでないかい! ぶん殴るよ!』


 ここはこの街の臨港部。切られた石で作られた石畳が綺麗に敷き詰められた船着場では、日光に焼かれて足場は暑くてしょうがないというのに、一徹は疲れから倒れてしまっていた。


「なぁ、覚えているかヴィクトル。この街と各離島間との流通量を増やしたのも、それに伴って船便が増えたのも、交易量が増えハッサンの商会には発展を、《海運協業組合ギルド》にゃ儲けを、もたらす仕組みを作ったのは……俺たちだったはずなんだぜ? そんな俺たちが、何だってその仕組みの末端で協業組合ギルド宜しく積荷運ばなきゃならねぇ」


「いまや過去の栄光ですなぁ」


「ウグッ!」


「それに旦那様が協業組合ギルド一の末席構成員だというのは今更でしょう」


「ひ、ヒデー言われよう」


 そんな一徹の背中も、平等に日光はさんさんと降るから、汗をかきかき一徹は塩をかけられたナメクジのように溶けてしまいそうだった。 


『山本一徹ー!』


「ハイハーイ、エメロード様聞いていますよー」


 うつ伏せの状態。顔だけ、体が向く方向に向けた一徹は、遠くのほうで手を振ってくるエメロードに反応して声をあげた。


『違う! 働けって言ってるの! 私が荷を運んでいるときに貴方がサボってるなんてどういう了見よ!』


『おう! そうさ嬢ちゃん! もっと言ってやんな!』


『アンタ三十路も超えて18のお嬢ちゃんに言われっぱなしたぁ悔しくないのかい。仕事量も、負けてるよ!』


 が、予想とはまったく違うエメロードの言葉に、乾いた笑いを浮かべた一徹は、ガックリというか、今度こそ地面に額をこすり合わせた。そうしてため息をひとつ、重そうに身体を起こし、立ち上がった。


「若い娘っこに言われ放題ですな旦那様」


「年長者としては立つ瀬が無いね本当に」 


「だが、目論見は当たったといったところですか? 初め旦那様が『エメロード様に貨物運搬作業員として働いてもらおう』と言われたときには驚いたものでしたが、なかなかどうして、ちゃあんと先輩方にも受け入れられている」


「ま、賭けだよ。《仕事に貴賎なし》っつー観点からしちゃ言っちゃいけないんだろうが、相当な肉体労働。そもそも労働なんて縁遠い公爵令嬢には過ぎた仕事だ。しかも人間族以外とね。やっぱ根性があるよあの子は」


 が、面倒くさがりは極まっていた。立ち上がったかと思うとしゃがみ込む一徹は、自分に向かって「コラー!」と叫ぶエメロードに破顔した。


「おかげで良い恩返しをさせてやれてるさ。さすがにタダで先輩たちに守ってもらうってのもムシの居所が悪いかったからな。超絶高慢チキチキ傲慢令嬢の性格は苛烈、同じ苛烈同士、馬も合ってるみたいだし」


「考えさせぬためでしょう?」


 不意に言われた一徹、見上げた先のヴィクトルはニッカリと歯を見せて見下ろしてきていた。


「ただ保護をされる。じっと帰る日を待つ。そんな状態じゃあいろいろ考えてしまいますからな。手を動かす、身体を動かす。とりわけこれほどの重労働だから、あの襲撃で起きたことについてせめて日中だけは気にしなくてよい。さすがに、睡眠中だけはどうにも出来ないからせめてもの配慮というところですか?」


 言い切ったヴィクトルに対し、呆けた一徹は、しかしながら遠くから聞こえる幾たびものエメロードの呼びかけに立ち上がる、そしてエメロードのほうへとゆっくり歩き始めた。


「いつもは悪魔的に傲慢なお嬢様が、夜な夜な心細そうな顔浮かべながら自分のところに来るなんて想像してみろ? ありゃ一種精神攻撃だ。こっちが心苦しい気分になる。あーあ、やっぱりお前にゃ隠し事は出来ないな。少し大人気ないんじゃないか? 10も歳下な俺のこと、あんまりいじめてくれるなよ。魂胆見抜かれたら恥ずかしいんだから」


「保護者ですなぁ旦那様?」


「うるへー。なお更恥ずかしいだろ。お前が俺の保護者なんだから」


「よくわかっていらっしゃる」


 完全なる捨て台詞を漏らした一徹の、あまりのバツの悪そうな雰囲気に、背中を眺めたヴィクトルは楽しそうな表情で小さく笑い声を上げていた。


「そういえば、旦那様のお部屋に毎夜足を運ばれる心細げな少女。二人きりの状況。よく理性が保てましたな」


「バーカ。アルファリカ公爵家は《タベン王国》王家除いちゃ筆頭格の超名門。その第二令嬢だぞ。手なんか出せるかよ」


「これでエメロードお嬢様が人妻であったなら、最悪手を出してもバレなかったものを。残念ながらエメロードお嬢様は未婚。ことごとく縁談を破談していったと聞いています。ゆえに婚約者もない。であればわかってしまいますか。誰がソレ・・を奪ったのかを」


「頭弱ぇ尻軽な女だったらまだいろいろやりようはあったんだろうが……」


「純潔。ふしだらでないこと示す重要なシンボルは、他家との婚姻を大きく左右する……ですか。だからどの家にとっても娘の純潔はその家の婚姻に関わる武器であり、大きな財産であると」


「ハハッ! んなことしてみろ? 仮面舞踏会で見た超絶親バカ公爵が、俺の敵になるってこった! 想像したくもねぇ! ありゃどんな手ぇ使っても敵を滅ぼすタイプだわ」


 一方で、ヴィクトルにとって少しだけ残念なところがあった。

 面白おかしく笑って見せる一徹の様子と言葉を受けながら、エメロードを「ない」という結論に至ったのは引っかかった。

 確かに違いすぎる身分。一徹の言葉だって説得力があった。

 だが、それでも……


「……なぁ、ヴィクトル」


「なんでしょう?」


「今日、娼館プロに頼っちゃ……」


「とはいっても持て余しますか。その足でエメロードお嬢様に顔向けで切るのなら……」


「はぁ、無理だよねぇ。やっぱり……」


 ヴィクトルの中で、エメロードという少女は、シャリエールでもなくルーリィでもない、「第三の選択肢」にも成り得る存在として、実は期待していたところはあったのだ。


                 +


『すまなかったね。君を、危ない目にさらした』


 《海運協業組合ギルド》のバーの店内にも似たエントランス。協業組合ギルドへの依頼も請け負う受付にもなるその場に、一徹がいなかったから、この拠点の、いまは不在だと言われているギルドマスターの執務室に一徹はいるものだと踏んだエメロード。


 彼を探したのは、今日も悪夢を見たエメロードが心細さに苛まれたからだった。


 その一室の扉をノックしようとしたところで中から聞こえてくる声にとどまった。


『その謝罪はなんつーの? 複雑だわ。結果だけ見ればさ、俺は生きてる訳だし。自分で言うのはおかしいんだけど名代でよかった。もし俺が名代にならず、お前があのパーティに行っていたらと考えたらなぁ』


『死んでいた。妻と娘をこの港町に残したまま』


 聞こえてくるのは一徹とハッサンの声。微妙な空気感は、声とともにドアを抜けてエメロードにも感じさせた。


 名代に仕立て、一徹をパーティに行かせたのはハッサンだ。ならば結果的に一徹を襲撃にさらしたのはハッサンの責。とはいえ現実を見てしまうと、まだ参加したのが一徹だから何とかなったという結果が、一徹にハッサンを問い詰めさせなかったようだった。


『結果オーライ。いいんじゃない? その借りは、エメロードお嬢様の保護にしっかり協力してもらっているってことでチャラになってるわけだし。んにゃ、元は同盟パイプ役は俺がお前に押し付けた話。それを考えると、チャラどころか俺、お前に借り作ってばっかだなぁ』


『借りを自覚しているのは良いとして、それをあまり私にひけらかさないでくれ。こちらがまるで借りの返済を取り立てているような感覚に苛まれる。はぁ、結果オーライかぁ。期待を裏切らないと言えばいいのか予測した通りと言えばいいのか。謝るべき側からしてみたらなんとも複雑だよ』


『は? 何言ってんだお前』


 あの、顔だけが異常によくて陰湿極まりないハッサン・ラチャニーとは思えないほど親しげな口調と、そんな彼が冗談を言う珍しさ。そしてそれを一徹が受けているであろうその状況の不自然さが気になって、エメロードは声を殺してドアに耳をつけそばたてた。


『そうだ言っていなかった。ありがとな、あの日シャリエールをつけてくれて。あいつが無詠唱魔技出力するために仮面をはずしたときゃ、驚いたもんだったが。本当よく戦ってくれた』


『無粋だねぇ一徹。君は、シャリエールを戦士として見ているのかい?』


『んー、いやそりゃあ……』


『襲撃前はどうだった? シャリエールとは話したのかい? 踊ったりだとか。我妻殿がドレスを選んだんだ。『身材麗しいシャリエールならきっと似合う』と言ってね。普段とは違う装いに、美しいとも思ったんじゃないか?』


『あんまり《俺のシャリエール》を色目で見てくれるなよ?』


『……へぇ?』


『何だよ?』


『なんでもない。それにしても、別にかまわないだろう? 私たち二人は他の人間族とは違うんだから。むしろ役得だとは思わないかい? 種族の枠を離れているから、私たちは人間族以外の女の美を愛でることが出来る』


『うっわ寒っ! 優男過ぎる台詞でゾワゾワしてきた。それ、完全ナルシストが言う奴。しかも美男専用』


『ば、馬鹿にしているよね』


『近からずとも遠からず』


 あの怜悧冷徹なハッサンがしてやられている。一徹の回答に狼狽しているハッサンの声を聞いて、「ざまぁみろ」とまで思ったエメロードはたまらず噴出してしまったが、気付かれないようにと口元を手で押さえた。


『綺麗だったさ。襲撃前、まだアイツが会場内護衛として参列していることを知らないときにね、少し話した。奥方にゃあ感謝を。露出の多いエロエロなドレスだった。まぁでも、正直セクシーには程遠かったかな』


『そうだったのかい?』


『白のインナーを中に着込んでいたから。あいつが仮面を外したときに気付いたよ。肌の色で魔族とバレることを避けたんだろ。自分がいることがわかったら俺がパーティを楽しめないとも配慮したのかね。シェイラなんて名前まで騙っちゃってさ』


『そこまでだ一徹。どんどんシャリエールについての話が、君への自己嫌悪に向かっている。あのパーティに参加したのも、君と踊ったのも、戦ったのも、すべてシャリエールが選んだゆえじゃないか。そこに君が責を感じる必要が?』


『は? だってパーティにシャリエールがいてくれたのって、そもそもお前が命じてくれたからじゃないのか?』


『き、君は……そろそろ私も本当に怒るよ?』


『なんで!?』


 なかから含み笑いの声が聞こえてきた。悪意のある含み笑いと、うろたえた一徹の泣いているのじゃないかという声。

 いよいよ本格的に盗み聞きに浸っていたエメロードは、やがて違う話題を始めた頃に固まった。


『あー、いや、もういい。この手の話を君とすると私がイライラする。それで? 彼女は、どうだった?』


『彼女? 誰だ』


『いただろう? 《ルアファ王国》から来訪したアーバンクルス第二王子殿下の隣に』


 まずい、間違いなくそれはルーリィについてのことだ。

 そう確信して、エメロードは息を飲んだ。


『隣? あ、ああ、あの騎士だって言ってた女ね、いやぁ、からかった。エメロード様に挨拶するじゃん? 腕絞り上げてきてさ。んでそれからずっと敵意向けてきて。いんやぁあれと踊ったときゃ辛かったなぁ、敵意というかもう殺気? 殴りかかってまできて……って、ハッサン? お前、何固まってんだ?』


 いつやらか、エメロードが扉の中から聞こえる声が一徹のみになってしまった理由がわかった。どうやらハッサンは固まっていたらしい。


『会わなかったのか? 君はきっと、あちらには認識されているはずなのに?』


『いや、え? 俺、なんか間違ったのか?』


 ハッサンが固まったのは、やはりあのパーティに一徹が名代として参加したことはルーリィに会わせるためだったのだとエメロードには分かったから、この後の話にハラハラせざるを得なかった。


『……本当、私の努力を無駄にしてくれたんだね君は。まぁでも? もう一方のほうに進展があったならまだ救いはあったほうなのかな?』


 今度黙ってしまったのはどうやら一徹のほう。聞こえてきたのはハッサンの憂鬱そうな声のみ。


『あのねぇ一徹。あれだけ私が苦労したというのに何も無かった、今後も起きる予定は無い、というのはあまりにも癪だから言っておかなくちゃならない』


『えっと……ハッサン?』


 そして状況は動いた。


『あの3ヶ国同盟目的のパーティ、《ルアファ王国》アーバンクルス第二王子殿下の相伴預かったのは、ルーリ……』


「あ、ちょっと待った。カギなら開いてますよ~って……ん?」


 動いたというよりは動かした。


「アレ? 開いてる……はずなんだがな」


 部屋の中から聞こえてくる一徹の声、そしておそらく一徹のものと思われる足音は、扉の前に立つにはよく聞こえた。

 会話が途切れたのも、足音がが近づいてくるのも、廊下からエメロードが扉をノックしたゆえだった。


「アッレー? 立て付け悪いのかなぁ……って、エメロード様貴女ですか?」


 そうして扉はギギッと軋んで開いた。くぐもっていた声も今なら明瞭だ。

 中から出てきたのは高い位置にある一徹の顔。やはり背の高い一徹、少し拍子抜けをした顔を浮かべてエメロードを見下ろしてから……


「どうしたんです? また怖い夢ですか? 大丈夫ですよ。大丈夫」


 すぐに柔らかい笑顔を見せて、大きな手のひらでやさしくエメロードの頭を撫でた。 


「そうだ、ちょうどいいものがあった。いまはハッサンと酒を飲んでいたところでしてね。少しいかがです? 糖蜜があったはずですのでそれを入れましょう。口当たりもいいですしきっと寝付けもいい。エメロード様だってもう18、飲めないってことは無いでしょう?」


「貴方いつだってお酒を飲んでばかり」


「ホラ、《酒は百薬の長》と申しますでしょう?」


「《過ぎたるはなお及ばざるが如し》よ。山本一徹?」


「おっと、これはやり返されてしまいましたね」


 髪に触れた手は、そう言いながらエメロードを促すように部屋の奥へと一徹自ら歩くことで離れていく。


「ご新規様一名だハッサン」


 手が離れたときには少しばかりの落胆はあったが、ドアの付近で立ち止まったエメロードに向かって振り返り、「さっ、どうぞ」と一徹がニカッと笑ってくれたからエメロードは安心できた。


「これはこれはよくいらっしゃいました。なかなか、奇遇にしては良過ぎるタイミングでのご登場ですね」


 ……唯一、その中で気になることがあるとすれば、いつもはエメロードに対して不快感と敵意を見せる超絶美男のハッサンが、面白そうに瞳を細めて視線を向けてくることだった。


  

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