第36話 思い出の中の一徹。背徳のルーリィ

―あぁ~、そういうの俺はパス。ナンセンスだ。男が強けりゃ男が強い。女が強けりゃ女が強い。なんでもそう。『これは男がやるものだ』ってなら、女に足元にも及ばせないほどその実力を見せつければ良い。逆に『女にも出来る』ってなら、男に力を誇示してやればいい―


 あれ? と、ルーリィは首を傾げた。

 耳にしたその言葉、その光景は、とてもとても懐かしいものだったから。


 とある一軒の宿屋。中庭でのこと。

 星降る夜に槍の修行をしていた自分に向かって、《彼》は御気楽に笑って酒を飲んでいた。


 それが確か、ルーリィにとって《彼》との初めての出会い。


―わざわざ風紀委員の方の手を煩わせるわけにもいかないですね。俺はこの場を立ち去りますんで今日はこの辺で。申し訳ありません。それでは失礼致します―


 次の光景に、ルーリィは目を背ける。

 初めて《彼》と会ったとき、暗がりということもあって顔を覚えていなかった当時の自分は、別のとある日に《彼》に槍を向けた。


 魔族と人間族の忌子を息子に持つ、父親である《彼》を、汚らわしい種族の裏切者コウモリとして扱ったのだ。


―スンマセン!! 遅れました!! 夜間コースの代表です!! 山本一徹! 夜間コース1年、山本一徹をどうぞ宜しくお願いします。生徒会長様? 先輩方?―


 それらは全て、かつてまだ自分も大学にいた頃の話。少し古いお話。


 学園祭の準備期間が始まる直前、各クラス担当が集った最中に《彼》が放った言葉がこれだった。


 練兵学科で槍にまい進しながらも、『女だから』ということで悩んでいた当時のルーリィに初めて理解をしめし、勇気づけてくれた《彼》が、件の裏切者コウモリであったことをルーリィは初めて知った。


―頭を上げてくれルーリィ!! 話は分かった! もう謝らなくてもいいから。その代わり態度で示してくれ。俺は裏切り者コウモリ、子供は忌子。それは違いない。だから忌み嫌われる。これもしょうがない事なのかもしれない―


 思い知ったのは、己の浅はかさ。「女だから」という理由で武に似つかわしくないと言われ苦しんでいたはずの自分。

 だというのにそんな自分は、裏切者コウモリという背景を持つだけで、盲目的に《彼》を種族の敵としてみなしてしまったのだ。

 彼の心根は知っていたはずなのに。正体が分からないから? いや、それは言い訳に過ぎない。

 本質を見誤り、肩書だけで判断した。それは自分を苦しめる評価を向け続けてきた、彼女にとっての忌むべき者たちと、自分も同じ存在だったことを突き付けられた気がした。


―だけど、いやだからこそ俺には味方が欲しい。安心して何かを任せられるようなそんな味方が! ルーリィに味方になってもらったらそれは、物凄く嬉しいんだけど……―


―君、それは……プロポーズかい?―


―ちがわい!!―


 謝罪に繋がった。だがソレを《彼》は、苦笑いを浮かべて許してくれた。

 その後の慌てっぷりは笑えたが、それから友人になった。


―これが、お前が悩みに悩んでまで欲していた武の形だったのか? これがお前のやりたいことだったのか? 失望したよ。もう二度と俺たち兄弟に近づくな。妹が、悲しむ。お前だろうが、もしもう一度同じことがあったら……今度は俺がお前を殺すぞ・・・・・・・・・・・。ルーリィ―


 陰謀に巻き込まれた。ルーリィと因縁の深い、ハッサン・ラチャニーの陰謀だ。


 その後ルーリィはその目的、《ルアファ王国》の公爵家長男、ソリナウ・グラン・エラークの暗殺に失敗した。《彼》に止められた。

 折角出来た理解者が離れる喪失感と虚無。それはとても大きなもので、到底耐えられるものではなかった。


―見くびるな。一徹には嫌われてしまったがな、それでも私にはこれしかないんだ。一徹は商会長達から私を守ってくれた。一度でいいからこうやって、信頼出来る誰かと背中を預けて戦ってみたかった―


―言うじゃないか! そいつぁプロポーズか?―


―前にも同じ様なセリフを聞いた気がするな! 好きなようにとらえてくれ!―


―おじさん、冗談でも楽しみにしているぜ!?―


 だがそんな《彼》は、ルーリィが陰謀に巻き込まれていることに気付いてくれた……だけではない。

 経済的な困窮を突かれてハッサンにコントロールされていたルーリィに手を差し伸べ、その後、旗色が悪くなったハッサンがルーリィに送った刺客を共に排除してくれた。


 背中合わせで戦ったのは、《彼》とが初めてだ。


―ルーリィ、これから俺は奴らを殺す。お前がどのような戦士になりたいのかは分からないが武にはこういう側面があることは覚えていてくれ―


 そんな《彼》が、戦いの恐ろしさを教えてくれた。その言葉をかけてからすぐ、立て続けに《彼》数人もの男すべてを上から下まで真っ二つにした。

 ブジュジュワ! と血が噴き出す音。露になった肉、血の生臭さ、糞尿が体外にぶちまかれ、その凄惨な光景と異臭に、たまらずルーリィは地面に這いつくばり嘔吐に至った。


―だが考慮すべきは、なぜルーリィがソリナウ閣下を殺そうとせざるを得なかったかだ-


 あぁ、とうとう、そこまで話が来てしまうのかとルーリィは思った。


―ルーリィはこの学校じゃ気丈に振舞っていた。だが本当は心細くて辛かったはずだ。親父さんから継いだ家を、自分の代で潰しちまうんだから。ラチャニー家に対して雪だるま方式で借金をしていると思わされた彼女は、お前の言うことを聞くしかなかった。言ったんだろうが? 『この国の公爵家第一子息を殺せ』って!―


 真相を明らかにした《彼》が、ハッサン・ラチャニーと対峙したときに口にしたセリフ。

 それは、両親の早逝によって代行としての家督を継いでしまった当時十八のルーリィの苦悩を言い当て、代弁した。

 せっかく誇り高い貴族を演じ続けてきたというのに。胸に秘めた弱さを、彼は周囲にぶちまけたのだ。


 ショックだった。辱められたとも思った。だがその一方で強がる必要もなくなって、正直、張り続けていた気も、楽になったのは確かだった。


―お前のやったこたぁ貴族どころか、人間族もエルフ族も獣人族も……魔族にすら劣るクズの所業だ。裏切者コウモリがなんだ? お前自身、それよりももっと卑怯な最低な方法でルーリィを苦しめたんだよ!―


 そして思えば……この時にはもう、ルーリィは《彼》に惹かれていた。


―閣下ぁ!! お願いでございます。私はルーリィ・トリスクトも本件の被害者だと思っております! その寛大なお心で、お許しくださるわけには参りませんでしょうか!? もしラチャニーに騙されていなければ、事件は起きなかったのです! おい、ルーリィ! お前も誠心誠意謝れ!! 閣下! なにとぞご容赦を!!―


 ルーリィの罪なのに、助けてくれたのに、《彼》はルーリィが殺しかけた公爵家第一子息の足元に、更にぬかづき、這いつくばってくれた。

 大の男がそのような背中を衆目ある中で晒す。とても惨めに見えて、だが、大きくルーリィの心を揺さぶった。誰かのために、ここまでできるのか……と。


 その初めての感情、女としての弱さを捨て、強い伯爵代行として生きると決めた彼女にとって、青天の霹靂。

 困惑はした。その一方、こういう感情とはそういうものなのだろうとルーリィは思った。


 だが結局、想いを《彼》に伝えることはできなかった。

 思い切りの良さと人としての器。心の強さ。

 友であって、心の中の師でもあって、そして命の恩人でもある。


 ルーリィにとって、《彼》は大きすぎる存在になってしまったから、自分の不慣れな感情をさらけ出して、関係が壊れてしまうことが怖かった。


 それが、ルーリィの中に眠る、山本・一徹・ティーチシーフの影。


 ……それ……


―面白い冗談です殿下。りに来た者を、想われますか?―


 ……なのに……


―苦しむ生より潔く、そして安らかなる死を……ですか。騎士道。腐れた概念だ―


 ……これは……


―そうだな……私が殺しましたよ?―


 なんだっ!


「ハッ!」


 景色は失せる。変わりに視界に広がる光景は見慣れぬどこかの寝室。


 ガバッと体を起こしたルーリィは、寝汗がひどかったのか、布団がはがれたことによって室温に触れたことで急激な寒気を覚え、身が震える。

 やがて荒い息と共に、視線をあらゆるところに巡らせた。


「夢、だったのか?」


 項垂れ、片手を目にやってうめくルーリィ。


思い出そんなもの、薄れていてはずなのに。どうして今になってあんなに鮮明に……」


 ただ口にしただけだ。そんな理由はとっくに分かっていた。

 あまりにも衝撃的な再会を果たしたからだ。


 いや、再会ではない。

 三年を超え再会した一徹は、しかしあの時仮面をかぶり続けていたルーリィに気付かず、その場を去った。

 だから再会ではない。

 もっと言ってしまうと、一徹はまた、ルーリィを置いてどこかへ行ってしまったのだ。


「ルーリィ?」


 不意に、真横から声をかけられ振り返る。アーバンクルスが惚けたように見つめていた。

 枕元、その横に置いた椅子に座って見守ってくれたようだったが、故に突然体を起こしたルーリィは気づかなかったのだ。


「あぁ、ルーリィ……」


 掛けられた声に、反応できなかったルーリィは、椅子を立ったアーバンクルスの胸に抱き締められた。


「4日間は流石に、私の心臓に悪いよ……」


 胸に抱き寄せられたルーリィの頭上から降ってくる声。

 抱いたまま、一つ大きな深呼吸をしたアーバンクルスが、顔を、ルーリィの顔と同じ高さに寄せたから、ルーリィは柔らかく笑った。


 ここで、愁いを帯びた彼の表情が目に入って……


「んっ……」


 唇を、塞がれた。

 一秒、二秒、三秒、ルーリィの命があることを、それゆえの温もりを確かめるような長い口づけ。


「全部……終わったよ?」


 惜しむように、離れる前に短く軽いキスをしたアーバンクルス。安心させるように、優しい語気でルーリィ告げた。


 …………ルーリィは……おかしくなってしまった……のかもしれない。


 あれほど愛しくてたまらなかったアーバンクルスの、それもルーリィにとって安心感と充足感をいつももたらしてくれるはずのキス。


 しかしながら、いま、ルーリィが感じているのは……


 背徳。

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