第11話 心ここにあらず。腕に抱く一徹、胸の中のエメロード

「は、恥ずかしい……」


「よかったわ。少し安心した。貴方にも人並みに羞恥心はあって、自覚もしているようだから」


 トリプルの恥ずかしさに身を焦がされた一徹は、溜まらず苦悶の声を漏らした。

 その言葉を耳に、一徹の腕に抱かれた・・・・・・エメロードは、呆れたように表情を崩した。


 平和なパーティ会場。しばしの歓談は過ぎ、いまは多くの招待客が連れてきた恋人だか婚約者フィアンセだか伴侶だかと指を絡ませ、腰に、背中に手を回し、幸せそうに音楽の中をたゆたっていた。


 トリプルだ。

 初めてパーティ内で格式高いダンスを一徹が実践することへの気恥ずかしさが一つ。

 酷いダンス技術と、経験の浅はかさを一徹が露呈するのが二つ。

 余りに酷いからこそ、周囲の奇異の目と、嘲笑が集まるのが三つ。

 いや、これら三重の恥ずかしさについては、奏でられる美しい音楽に合わせるため、あえて三重奏フーガと言おう。


「あっ!」


「す、すみませんエメロード様。なんと言うか余り、こういうダンスには慣れておらず」


「慣れていないというか……初心者過ぎるにも程があるでしょ?」


 訂正。四重奏カルテットの間違いだ。


「あの、エメロード様もう止めましょう。このままだと一緒に嗤われます。面白くないでしょう?」


「面白いわけないじゃない。貴族は皆、教養としてダンスを学ぶ。初心者のもたついた脚運びや身のこなしはそのなかで際立つ。そんな貴方のパートナーたる私にも、皆が嘲笑を向けるのよ?」


 もう一つ一徹が感じる恥ずかしさ。

 それはどういうわけだか、ダンスパートナーになったエメロードに、一徹のせいで恥をかかせていることがわかってしまうから。

 脚を踏みつけた。足の歩幅を間違え、胸や腹で跳ね飛ばしてしまった。

 こんな不甲斐ない姿を、十八のエメロードに三十二、三の一徹が見せる事だって耐えかねた。


「よ、よかった。それでは……」


「って、ちょっとどこいくのよ」


 だから一徹は、エメロードを包む自身のホールドを解こうとして……逆にギュッと、先ほどからエメロードが手を乗せていた自分の腕を掴まれた。


「勝手に終わらせないから」


「勘弁してくださいよぉ」


 フフンと嗤うエメロードの楽し気な視線に、超絶傲慢高慢タカピー公爵令嬢の、ドSっ気を見た一徹は、溜まらず泣きそうな声を上げた。


「ダーメ。貴方はこれまで私を困らせてばかり。だから今日くらいは私が貴方を困らせるの。いい気味」


「いい気味って……」


すっごい楽しい」


 これはどうやら簡単には逃れられなさそうだと、嬉しそうなエメロードの表情で理解した一徹。


「なんだかんだ言ってなんでも要領よくやりそうだもの。面白いじゃない。そんな貴方にも苦手なことがあって、四苦八苦している状況。ハイッ! 背中を張って!」


「うっく!」


 そして、彼女の次の行動が、一徹をタジタジにさせた。

 十八のエメロードと指を絡ませる。それだけで三十路の一徹は変な気分になりそうだった。

 そして細い背中に己のもう一方の手を重ね、その為に張った肩肘に、小枝のように繊細な白い手が置かれる。

 正直窮屈な体勢、その上で背筋なんか張ってしまったら……


「……どこを見ているわけ? 山本一徹」


 もう、エメロードを見るわけには行かなかった。

 当たり前の話。そうした体勢のまま背筋を張るとなると、胸や腹が、互いに密着することになるのだ。


「こっちを見なさいよ!」


「その……近くて」


「当たり前じゃない! 何いい歳して今更恥ずかしがっているのよ! ダンスなんてそんなものなの!」


「いや、なんと言いますか……無理」


「無理って! 何で貴方が『生理的に受け付けない』みたいになっているわけ? それは普通なら女性のセリフでしょうが!」


 一徹なんて、学生時代。手をつなぐだけのマイムマイムでおなか一杯になるような男。

 その中で唯一気が張らなかった相手なんて、当時付き合っていた彼女くらいのもの。

 あくまでそれは、カレシという安心感があったから。

 社交ダンスなど、たった半年前に婚活を始めるまで、手を出してこなかった。

 その上で一徹が、初めて出会った時、『人間族の中では至高』とも、外見なら評価したエメロードと、たとえダンスのフォームを決めているだけとはいえ、抱き合うというのはなかなかこたえた。


 背の高い一徹。胸の位置に頭が来るエメロードの甘い香りが、容赦なく一徹の鼻腔へと突き上げた。

 きっと下を見下ろすと、不機嫌そうでいて、超絶とまで言える美しい顔立ちが見上げているだろうと予測してしまうとドギマギせざるを得なかった。 


「あ……」


 故に、何とか背筋を張るどころか、反るところまで上体をエメロードから引き離し、さらに明後日へと視線を巡らせて……気がついた。

 ホール中央で自分を含め、グルグルとステップを踏む招待客たち。その外で、このパーティホールの壁際で、ポツンと身体を背中から預けて立っているものがいた。


「……パートナーがいないってアレ、嘘じゃなかったのか。まずいことしちまったかな。シェイラ」


「私に集中しなさいよ!」


 自分とエメロードとは違って、そこかしこで賑やかな音楽に併せ、美しく舞いながら思い思いに言葉を紡ぎあうパートナーたちがいる中、立ち尽くす女性、シェイラの姿は、一徹には寂しげに移った。

 どこと無く申し訳なさに一徹が苛まれたのは、自分からパートナーに誘ったくせ、シェイラがいま一人で佇んでいるからだけでない。

 自意識過剰か、なんとなく仮面越しのシェイラが、自分に視線を送り続けているのではないかと一徹は感じたからだった。


「私を見てよ……バカ」


『お集まりいただきました皆様、それではここいらで一つ……!』


 だからとにかく、一徹がシェイラを気にして仕方なくなってしまったことと、音楽を奏でる奏者たちを纏める、指揮者がハキハキと声を張ったことで、エメロードの呟きは耳に入らなかった。



「は、恥ずかしい……」


「よかったわ。少し安心した。貴方にも人並みに羞恥心はあるようだから。そして自覚もしているようだから」


 全く持って呆れるばかりだ。「踊れません」とは確かに聞いた。が、汗をかきかき喉を何度も鳴らしてステップを踏む一徹の、リードにならないリードを受けて、ダンスのレベルの低さ、質の酷さを実感したエメロードは……思わず苦笑した。


 平和なパーティ会場。しばし歓談のときは過ぎ、いまは多くの招待客が連れてきた恋人だか婚約者フィアンセだか伴侶だかと指を絡ませ腰に、背中に手を回し幸せそうに音楽の中をたゆたっていた。


 少しばかりの気持ちの悪さは拭えない。絡ませた一徹の指が、異常なほど汗で濡れているから。

 だがそこに、それ相応の緊張と恥を一徹が思っていると考えると面白かった。

 ダンス経験の浅はかさは、一徹の腕に抱かれ、動きを併せるエメロードには手に取るようにわかった。

 ならばこのパーティ内で格式高いダンスを一徹が実践することに気恥ずかしさがあるのだろう。酷いダンス技術と経験の浅はかさを露呈するのがきっと嫌なのだ。

 なぜなら、あまりに己のパートナーのリードの程度が悪いから、周囲の奇異の目と嘲笑が集まってしまう。

「あっ!」


「す、すみませんエメロード様。なんと言うかあまり、こういうダンスには慣れておらず」


「慣れていないというか……初心者過ぎるにも程があるでしょ?」


「あの、エメロード様もう止めましょう。このままだと一緒に嗤われます。面白くないでしょう?」


「面白いわけがないじゃない。貴族は皆、教養の一環としてダンスを学ぶ。初心者の貴方のもたついた脚運びや身のこなしの失敗はとてもそのなかでは際立つ。そんな貴方のパートナたる私にも、皆が嘲笑を向けるのよ?」


 それは総じてエメロードも嗤われることにつながる。

 道化となること、それはエメロードが最も嫌うこと。

 だけど、いまはよかった。

 もう一つ一徹の感じる恥ずかしさについて察知できた。それこそが何よりエメロードを楽しませた。

 一徹が己のせいで、ダンスパートナーに恥をかかせていることに引け目を感じていることがわかったから。

 脚を踏みつけてきたり、足の歩幅を間違えて、胸や腹で跳ね飛ばすなど、十八のエメロードに、三十二、三の一徹は、図らずも不甲斐ない姿をよく見せてきた。

 一徹の声色も良くない。焦っている。


「よ、よかった。それでは……」


「って、ちょっとどこいくのよ」


 だから一徹はエメロードを包む自身のホールドを解こうとした。これを逃がさないとばかりに、逆にギュッと、エメロードは自身の手を乗せている一徹の腕を掴んだ。


「勝手に終わらせないから」


「勘弁してくださいよぉ」


 幾たびも悶着のあった、かつてエメロードをして《不愉快男》とも評価した一徹の、これまで見せたことのない新しい表情。困りきった表情と、泣き入りそうな情けない言葉に、嗜虐心を掻き立てられたエメロードは楽しくてしょうがなかった。

 実際に見えるのは、仮面に隠れている口元だけだ。だが、これを剥いだらと考えてしまうと溜まらなかった。


「ダーメ。貴方はこれまで私を困らせてばかり。だから今日くらいは私が貴方を困らせるの。いい気味」


「いい気味って……」


すっごい楽しい」


 困りきった一徹をさらに困らせてやる。そんな楽しいこと、簡単には手放すつもりはエメロードに無かった。


「なんだかんだ言ってなんでも要領よくやりそうだもの。面白いじゃない。そんな貴方にも苦手なことがあって、四苦八苦している状況って。ハイッ! 背中を張って!」


「うっく!」


 しかしながらその発言も本心からだ。

 一徹は、何でもかんでも飄々としながらこなしてしまう。そんなイメージがエメロードにはあった。

 悔しいが、それがきっと大人の余裕という奴なのだろう。それをあえて道化を演じることで隠そうとする一徹が、いま垣間見せる表情は珍しくタジタジといったところ。

 一徹のそう言ったところをもっと見てみたくて、だからエメロードはそれ以上にからかってみたくなって、逃がさぬように、ビッとダンスのホールドを正しくさせ、一徹に自身の背中を抱き寄せさせた……


「……どこを見ているわけ? 山本一徹」


 ……のに、一徹はエメロードに顔を向けようとはしなくなった。

 ダンスパートナーである自身に目を向けず、どこか遠く明後日のほうに顔を向けるようになったのだ。


「こっちを見なさいよ!」


「その……近くて」


「当たり前じゃない! 何をいい歳して今更恥ずかしがっているのよ! ダンスなんてそんなものなの!」


「いや、なんと言いますか……無理」


「無理って! 何で貴方が『生理的に受け付けない』みたいになっているわけ? それは普通なら女性のセリフでしょうが?」


 たまらない。折角楽しいとも思えるのに、一徹が見ようとしてこなくなった途端、なにかエメロードは取り残されるような感覚に苛まれた。

 背の高い一徹に必死に呼びかけるも、それでも一徹は意識をむけてくれないから、ガッシリとした腕に抱かれているというのに、からかいが過ぎただろうかと不安になった。

 あまつさえ一徹が上体をそらすのだ。まるでエメロードから距離をおきたいかのように。


「あ……」


 突然の変りように困惑を禁じえないエメロードは、気が抜けた声を漏らした一徹の目線に吊られるように、その先に同じように目を送り、息を飲んだ。 

 ホール中央で自分を含めてグルグルとステップを踏む招待客たち、その外で、このパーティホールの壁際で、ポツンと身体を背中から預けて立っているものがいた。


「……パートナーがいないってアレ、嘘じゃなかったのか。まずいことしちまったかなシェイラ」


 それは女。


「私に集中しなさいよ!」


 思わず、エメロードは声を張り上げた。

 自分と一徹とは違って、そこかしこで賑やかな音楽に併せて美しく舞いながら思い思いに言葉を紡ぎあうパートナーたちがいる中で、立ち尽くす女性、たしか一徹がシェイラと呼んだ女に、一徹は踊りながらもずっと視線を送り続けていた。

 面白くなかった。自分を前にして、自分をパートナーにしながらおざなりにされるのが許せなかった……だけでない。

 一徹はエメロードから離れていってしまってはいけないのだ。

 一徹は、思いっきり迷惑をかけられても、強く何かを言われたとしても、困った顔をしながら笑顔を浮かべ、それでなお変らずに、エメロードと付き合ってくれるから。

 いいストレス発散相手だ。エメロードにとってはいい遊び相手にも等しい。

 そんな一徹が、当初はパートナーに選ぼうとしたシェイラという女に向かって申しわけなさそうな声を上げた。

 本当はエメロードではなく、シェイラをパートナーに踊りたかったのか? そう思うとエメロードの狼狽は強くなった。


「私を見てよ……バカ」


 自分で開いたパーティに参加するは、爵位は違えど己と同じく貴族の者達ばかり。

 だが、貴族ではない一徹と一緒にいるときの安心感が、他との追随を許さないのは事実。故に、そんな一徹が他に注意を向けるのが心苦しくなって、したがってあげた言葉。


『お集まりいただきました皆様、それではここいらで一つ……!』


 だがその呟きはどうやら一徹の耳には入ってなかったようだった。一徹がシェイラが気になってしょうがないという様子を見せたことと、音楽を奏でる奏者たちを纏める指揮者がハキハキと張った声が、エメロードの呟き打ち消してしまったのだった。

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