プロローグ
プロローグ 黒衣(スーツ)を纏う、仮面の男
「悪いが、これ以上彼女に近づかないで貰おうか?」
これは三国に囲まれる、《タベン王国》のとある領。領ごとに構えられる、王家の別邸を会場とした、貴族の集い、
「殿下!? 何を!」
言葉だけでなく行動が、ドレスをまといながら、槍を握る女を驚かせた。
先ほどまで槍舞を見せていた彼女が対峙している、仮面をかぶった黒衣との間に、綺麗な顔立ち、白金色の短髪の青年が割って入ったから。
彼女を背に控えさせ、抜き放った剣の先を黒衣の男に向けるその出で立ち、黒衣の男から彼女を守らんとしたもの。
「いよいよ王子様ですね。アーバンクルス殿下」
アーバンクルス・ヘイヴィア・アルト・ルアファ。
《タベン王国》を取り囲む三国。そのうちの一国、《ルアファ王国》の第二王子にして、《タベン王国》が要請した同盟に対し、応えた《ルアファ王国》側の同盟交渉官。
それが今、黒衣の男の前に立ちはだかった青年の名であり正体。
「感謝はしている。お前が力を貸してくれていなければ、私が主犯格に斬られていたのも理解している。それでも……」
そしてその体をもって、黒衣の男から姿が見えぬようにと隠された女、ルーリィ・セラス・トリスクトの恋人。
恋人だからこそルーリィにはわかった。自分を黒衣の男から守るように、身をていした彼の背中に恐れが走っていることを。
「お前は危険だ! 危険すぎる」
声にはらんだ怒気からも、アーバンクルスの焦燥は、素直にルーリィに届いた。
「主犯格に狙われた私は、この部屋から、その豪腕によってホールの外、廊下へと投げ飛ばされた。お前は……」
「そこな槍使いの女性から願いを受け、殿下の援護にはせ参じた。意外ですね。助けたつもりが、今は殿下に剣を向けられる」
「余りにも圧倒的だった。
「これは心外な。戦意の喪失ですか? ですが降伏はなかった。倒れもしなかった。油断はできません」
「なら……どうして私にトドメを刺させなかったぁ!」
「……へぇ?」
二人が話しているのは、この
アーバンクルスの恋人でありながら、第二王子たるアーバンクルスを守るのが、《ルアファ王国》からこの《タベン王国》へとまかり越した、もう一人の同盟交渉官である彼女のもう一面。騎士としての彼女の仕事の一つ。
さきほどはそれがかなわなかった。
アーバンクルスは、襲撃の主犯格にパーティホールの外へと投げ飛ばされる形で連れて行かれた。その時、ルーリィが頼ったのが黒衣の男。
思い出す。ルーリィはその時、「自分にとって何よりも大切な人なんだ!」とこう言った。帰ってきたのは「いいね! 若いっつーの? 青春じゃねぇか!」という楽しげな声。
まさかその後、黒衣の男がアーバンクルスの救援に向かってから、そのような事になっていたとは思ってもみなかった。
「面白い冗談です殿下。
「死罪は免れないだろう。だが無駄に苦しめる必要があったというのか!? 余りに残酷な所業を感情も無く手がけた。だからお前は危険なんだ!」
唾を飛ばすアーバンクルス。
「苦しむ生より潔く、そして安らかなる死を……ですか。騎士道。腐れた概念だ」
「なっ!」
「ご安心を。私はこの場からすぐ立ち去りますので」
黒衣の男は、馬鹿にするようにニィッと口角片側を吊り上げた。
ゾクリと、何かが背筋を走ったのを感じたルーリィは、黒衣の男が
それでなおルーリィは、揺さ振られた己の心を、落ち着かせることが許されなかった。
「……あの、髪飾りはなんだ?」
「髪飾り?」
素顔を
足を止めたのは、少なからず黒衣の男が、第二王子に対する敬意を見せたから。
「《癒し手》の聖なる力が付与された、あの《銀の髪飾り》のことを言っている。先ほどお前が駆けつけたとき、深手を負った私をお前が癒した、あの《宝珠》のことだ!」
「えっ!」
だがその問いに、思わず声を上げてしまったのはルーリィだった。
「知らないとはいわせない! 《宝珠》! それは通常、魔獣から取り出した骨や革などを素材として組み込むのが一般的な《
《聖なる癒し手》、称号の名だ。アーバンクルスが、声を張り上げる理由がルーリィには分かった。
「術式共に、作る事すら禁忌とされる代物! だがこの髪飾り! 《癒し手》の力だと!?」
《聖なる癒し手》というのは、天敵種、魔族に対する最強の生物兵器であり、聖属性を本分とする人間族の中でも、数少ない者にしか与えられない二つ名だから。
「どこでそれを手にした! いや違う。何故お前がそのような代物を持っている!」
人間族の中で、聖女ともたたえられる存在こそ《聖なる癒し手》。
「お前は! まさか
「殺した。殺したですか? 私が、
その力を髪飾りが持つ。それは人間族の、それも人間族代表といっていい王家の人間たるアーバンクルスには許せなかった。
アーバンクルスだけではない。話を耳にした、この《タベン王国》
この夜会の主催者の一人。だからもとから仮面をかぶるものではない。
ルーリィだけは違う。思わず声を上げたのはそれだけが理由ではなかった。
彼女には心当たりがあったから。
一人だけ、
「貴、様……こともあろうに、旦那様に向かって《
反応が違うのは、黒衣の男の後ろに控えていた、大きめのコートに身を包んだ
信じられないことだが、黒衣の男を《旦那様》と呼ぶその女は、この襲撃が人間族のパーティで起きたにも関わらず、敵と刃を交え、目覚ましい活躍ぶりを見せた。
激しい動き。ゆえに元はかぶっていた仮面も今はない。
青白く、紫色にも近い肌を持ち、耳が斜下に長く尖った若い女。天敵種なれど、素直に美しいとルーリィに思わせる、シャリエールの顔に刻まれているのは憤りと怒り。
パーティホールの外も、建物の外も、悲鳴と怒号により混沌が渦巻く最中、このパーティホール内も、いま一度重苦しい空気が満ちた。
黒衣の男が、シャリエールの前に腕広げて防がねば、既に感情を爆発させたシャリエールが、アーバンクルスに飛び掛っていてもおかしくない状況だった。
「答えろ! 山本・一徹・ティーチシーフ!」
場が、動いた。
咆哮と共に、アーバンクルスは黒衣の男に向けていた剣を振るったのだ。
刹那に伸びる剣身。浅く男の頬を裂くと共に、アーバンクルスの一太刀は、男が被る仮面を固定する紐を断ち切った。
「旦那様! おのれぇ! 人間族風情が!」
「誰ガ……動イテ良イト言ッタ? シャリエール?」
瞬間だった。
アーバンクルスの行動は確かに苛烈。これに反応したシャリエールの怒りも相当。しかしそれ以上に、圧倒的な《何か》を男が発するから、ルーリィ始め、シャリエール、エメロード、アーバンクルス全員、微動だにできなかった。
そして名前だ。
「山本一徹……一徹?」
この場で出てくるはずのない名。その名を耳にして、ルーリィは愕然とした。
「殺したか。そうだな……私が殺しましたよ?」
誰が何を思おうが、この状況は停滞することなく動き続ける。静かな、そんな言葉が漏れた時、黒衣の男はエメロードの手を離し、床に膝を落としていた。
「嘘だ……ありえない」
床に膝を落とし、視線を落とす。床を見つめながら淡々と言を零して仮面を外す、黒衣の男を見下ろすルーリィは、知らずの内に声が、体が震えた。
「ですが殿下、チョットばかり認識が足りてないようです。殺したのが私なら……」
《彼》がこんな場所にいるわけが無いはずだから。
随分探したのだ。会いたい、ルーリィはずっとそう願ってやまなかった。
話しながら《彼》はスックリと立ち上がる。もう、被っていた仮面は何も隠してはいない。
「死なせたのは、
悪戯っ子のような笑顔がそこにあった。それに反して双黒の瞳にたたえられるのは暗い光。
《彼》がいた。この三年間ルーリィが方々探し回った、漆黒の髪もつ《彼》が。ルーリィの前から姿を消して三年。いまは至る所に白髪を散らしていた。
「ご質問には全てお答えしました。今度こそ私たちはこれで。シャリエール? エメロード様も参りますよ?」
もう《彼》は取り合わない。どうやら主導権は、王子であるアーバンクルスにはなかったようだった。
「ッツ!!」
踵を返し、離れていくのは山本・一徹・ティーチシーフという男。
致し方ない。ルーリィはこの死地において……
このままでは去ってしまう。そう思ったルーリィは彼の名を叫ぼうとして、しかし胸の苦しさで叶わなかった。
心の中で一徹の名を叫び続ける。思いは届かない。
恐怖によるものかショックによるものか、どうしても声に出すことが出来ないその名前。
一歩、また一歩とパーティホールの出入口に至るまで歩を進めるたび、ルーリィは心を締め付けられるようだった。
会いたかったのに。探していたのに。しかし本当は会うべきではなかったかもしれない。
ルーリィの中で錯綜する思いは落ち着かず、彼女の体なのに言うことをきかせられなかった。
ルーリィの思いなど露しらず、とうとう扉のところまで至った一徹の、距離が離れたことで小さく見える背中。
それでも、背中から途轍もなく禍々しいオーラは振りまかれていて、それがルーリィに目を離すことをさせなかった。
ルーリィは知る由もない。一徹は、本当はこのパーティに結婚相手を探すために、ただの婚活のために出席していたことを。
山本・一徹・ティーチシーフ。
魔族は魔人種のメイド、シャリエール・オー・フランベルジュから、主人として、それ以上の存在として慕われている男。
この《タベン王国》公爵家第二令嬢、エメロード・ファニ・アルファリカとは腐れ縁の男。
そして隣国、《ルアファ王国》伯爵家当主代行、ルーリィ・セラス・トリスクトが、ほんの
スローライフを望む男。この婚活は、彼が新たな人生に踏み出すために周囲に押されて始めたもの。
おおよそスローライフとは縁遠いこの事件。それは、彼がスローライフを許されない存在だからなのかもしれない。
彼はこのパーティに参加する今日という日までに、何度も《セカイ》を壊してきた。だから再び、今度は《世界》を壊すことを、あらゆる存在から求められていた。
自分が動くと何かを壊してしまうから。
それが怖くて、仲間と金以外の一切、仕事から身分から一徹は、放棄したというのに……
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