作戦失敗


 そこに立っていたのは、元部下の網干茉莉でした。なぜ彼女がここにいるのでしょうか。様々な可能性を思い巡らせます。レモン画像でバレてしまったのでしょうか。しかし、私がサーバールームへ向かうことなど分かるはずがありません。


「――祝園さん、確かに私は『戦え』と言いました。でも、こういうやり方っておかしくありませんか? 不正アクセス禁止法違反、不正指令電磁的記録作成・供用罪、そして、不法侵入ですよ? いくら理不尽に会社を追われたからといって、こんなことをして良いと思っているんですか? 失望しました」


 彼女は私をまっすぐ見据え、辛辣な批難を捲し立てました。


 私は、思わず目を逸らしたくなります。しかし、後ろめたいことは何もありません。


「……いつから気付いていたんですか?」


 すると、影からもう一人現れました。英賀保芽依です。


「駐車場にいたときからだよ」


 そういえば、駐車場に行った初日に、英賀保芽依と目が合った気がしたのでした。ターゲットを見るとき、ターゲットもまたこちらを見ていた、というわけです。とすれば、駐車場二日目にバズーカこと八木アンテナを向けた時、窓際に英賀保芽依が現れたのは、偶然ではなかったということなのでしょう。まさか、そんな。


 網干さんは勝ち誇った表情で、私に詰め寄りました。


「残念でしたね。祝園さん。あなたが攻撃したと思っていたのは、サンドボックス環境です。いや、ハニーポットといったほうが正確でしょうか」

「ハニーポット、つまり偽物だった、と……?」

「はい。覚えていますか? 例のRFPの仮想化基盤の納入予定について。ちょうど先日納入されまして、不動産営業向けのVDIの試験を開始するところでした。攻撃の予兆に気付いた私たちは、狙いを探るため、社内ネットワークを仮想環境に再現したんですよ。BigBrotherも含め、バックアップイメージを使って」

「つまり、攻撃が通ったのは――」

「はい、ただの幻です。わざと引っかかったふりをして、サンドボックス環境に誘導したんですよ。ちなみに、電子錠システムのDBに登録されていた『IDm』も偽物です。残念でしたね」


 ……超悔しいです。仕返しに、彼女のふくれっ面を指でツンツンしたいぐらいです。


 せめてシステム情報を事前に取得していれば、それが仮想環境の中だと気付いていたはずなのに。思い返してみれば、あのとき浮かれ気分だった私は、反撃される可能性すら考えず、攻撃に突っ走っていました。攻撃者には、攻撃を悟られないための慎重さ、という素質も必要なのですね。勉強になりました。


 ともあれ、頼もしい元部下のおかげで、攻撃は失敗に終わったのです。それはそれで喜ぶべきことでしょう。


「お見事です」

「では、これから警察に通報します。何か言いたい事でもありますか?」

「警察に通報する必要はありません。今回の攻撃は、監査役監査の一環として行ないました」

「はあ……。この期に及んで、そんな嘘を。知っていますよ。同姓同名の『B』が監査役だってことぐらい」

「それは、カモフラージュです。本当はBではなく私が監査役なんです。ね?」


 あれ、アカネBがいません。辺りを見渡しますが、その姿がありません。いつの間に。というか、どこ行きやがった。


 高槻さんが慌てて弁解します。


「あなた、株主総会に出席してないの?」

「あなたは、前社長の高槻さんですか? まさか、あなたまで、犯罪に加担するとは……。怨恨ですか、そうですか」

「はァ? そんなみみっちい理由で攻撃なんかするわけないでしょ」


 いや、それはどうでしょうかね。怨恨感ありましたけど。


「はあ……。ではどんな高尚な理由が?」

「つまり今回のオペレーション・リモーネはね――」


 網干さんは高槻さんの言葉を遮ります。


「あ、別にいいです。警察呼びますんで」


 話の腰を折られた高槻さんは、顔を真っ赤にして憤慨しますが、私が取り押さえました。暴行事件になってはいけませんからね。


 そこへ、駆け足の足音が近づいて来ました。


「待ってください!」


 アカネBです。


「アカネ、これ!」


 彼は私に対して何かを放り投げました。受け取ると、それは、私の新しい社員証……もとい役員証でした。アカネBは、わざわざ監査役会事務局の部屋まで取りに行っていたのでしょう。それなら、一言ぐらい声をかけてくれたらいいのに。


 アカネBは、網干さんと私の間に割り込んで、説明します。


「嘘ではありませんよ。本物の監査役は僕じゃなくて、こちらの『A』なんですよ」


 私は、役員証を網干さんに見せました。


――役員証

――京姫淡急ホールディングス株式会社

――監査役 祝園アカネ


 もちろん、顔写真入りです。


「……でも、監査役はあなたでは」

「実は僕は単なる監査役スタッフなんです。ほら、監査役会事務局の『係員』ですから」


 アカネBも、社員証を見せます。


――社員証

――京姫淡急ホールディングス株式会社 監査役会事務局 

――(出向元:淡鳴急行株式会社)

――係員 祝園アカネ


 まじまじと見比べた後、網干さんは仰け反りました。


「えええええ!? どういうことですか?」


 彼女は口をパクパクさせています。


「……あの、一応、誰にも聞かれてないけど、私も監査役スタッフね」


 高槻さんも、不満そうに社員証を見せました。


――社員証

――京姫淡急ホールディングス株式会社 監査役会事務局

――アルバイトスタッフ 高槻千夏



「……ちょっと待ってください。それなら、本当に監査なんですか?」

「そうですが」


 網干さんは、電話で監査役会事務局に問い合わせ、私が本当に在籍していることを確認したようです。しかし、まだ納得していないご様子。


「……それなら! あの攻撃はやりすぎじゃないですか!」

「あの攻撃?」

「BigBrotherにログインして、全PCに対してランサムウェアを感染させようとしたじゃないですか!」

「……え? 何ですか?」

「ランサムウェアですよ。監査で本物のランサムウェアを感染させるなんて、常識がないんですか!?」


 はて、なんのことでしょう。


「……いや、そんなことするはずないじゃないですか。私たちはレモン画像を置いたり、壁紙をレモンに変えたりしただけですよ」

「嘘をついても無駄です。きちんと通信ログもスナップショットも残ってます」

「こちらも監査証跡として、実験に使ったPCの通信記録もありますし、ちゃんと作業手順も録画してますすよ。突き合わせれば分かるはずです」

「じゃあ、誰がやったって言うんですか!」


 私たちが行なったわけではありません。ということは、私たちの他にも攻撃者がいたということです。しかし、そんなこと誰がするというのでしょうか。


「……それは誰の権限で動いていたのですか?」

「人事部の堅下かたしも部長ですが」



「……! 人事……部? すみません、今すぐ記録を見せてください」


 私は網干さんに頼みました。

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