侵入


 ノートパソコン、ヨシ。



 FeliCaリーダーライター、ヨシ。



 レモン、ヨシ。



 こぼれんばかりのレモンを鞄に詰め込んで、いざ、正面突破と参りましょう。


 我々は新神戸駅から京姫鉄道鉄道に乗車し、姫路は大将軍駅へと向かいます。アカネBの希望を汲み、京姫鉄道の清掃員のコスプレをして。


『本日は、京姫鉄道をご利用くださいまして、ありがとうございます。この列車は、特別快速、姫路、方面、手柄山、行きです。停車駅は、三宮、舞子、加古川、姫路、大将軍、手柄山、です。次は、三宮、三宮、です』


 弊社の列車内で自動放送が流れるようになるとは、時代は変わるものです。


 やがて、列車は高層ビル街を抜けます。山側の車窓には、更地、ビニールシート、そして所々に残る瓦礫――そんな傷ついた街並みが流れていきます。


 様々な想いが駆け巡ります。私が物心つく前にこの街を襲った阪神淡路大震災、そして、数年前に再び襲った西日本大震災。この街は、何度大きなダメージを受けても復興を遂げてきました。でも、元通りというわけにはいきません。大災害は、すべてを変えてしまうのです。胸の奥底に刺さった棘は、まだ抜けそうにはありませんでした。


 アカネBも、高槻さんも、しばらくの間、神妙な面持ちで遠くを眺めていました。


 これは、うぬぼれかもしれませんが、こうして公共交通機関がしっかりと機能していることは、私たち被災者にとって大きな心の支えであることは間違いありません。だからこそ、実効性のあるセキュリティ対策が行なわれているかのチェックは大切なのです。後ろばかりは向いていられません。今は、与えられた新しい役割を、着実に果たしていくべきときなのです。


 姫路駅を発車する頃には乗客もすっかり減り、ほぼ我々の貸し切り状態となりました。


『次は、大将軍、大将軍です。《ロックシティ姫路へお越しのお客様はこちらでお降りください。》 まもなく、大将軍、大将軍。お出口は、右側、です』

「さて、いよいよですね」


 列車は、大将軍駅に滑り混みました。


 大将軍駅は、京姫鉄道本社ビルを線路が真横に貫通する構造の駅です。今私たちが立っているこのホームは、本社ビルの四階部分にあります。そして、この足元、そのまさに真下に電気室とサーバールームがあります。地震の直後は、一時的に手柄山の車両基地や京都支社に機能を移していましたが、ビルの修繕工事の進捗とともに、再びこの場所に戻ってきたというわけです。


 なお、ここにサーバールームがある事実は、大半の従業員に伏せられています。知っているのは指令所に勤務する者と、システム課、運用課の人だけです。当然、元システム課長で退職者の私は知っています。侵入ルートがどこにあるかも。


「あっちです」


 私たちは、はやる気持ちを抑えながら、ホームの西端に向かって歩きます。


 ホームの端に近づくと、ふと光が差し、風が頬を撫でました。右手にはここから数メートルほど柵が続いており、その行き止まりに非常階段への扉があります。この扉は、非常口ですから、実は施錠されていません。{閂|かんぬき}で留められているだけです。私たちは、いかにも清掃している風を装いながら、扉を開き、非常階段を忍び足で降りていきます。まあ、非常階段にしては珍しく、しっかりとしたコンクリート製なので、鉄階段ほど足音が響くわけではないのですが。気持ち的に、です。


 この階段は、三階の苔むした踊り場で行き止まりです。ここには二つ扉がありますが、その一つは避難経路、もう一つは電気室に向かう扉です。


「へえ、こんな入口があるなんて、知らなかった」


 高槻さんは、まるで東京に出てきて初めて東京スカイツリーを見た修学旅行生のように、辺りをきょろきょろと見渡します。


「まあ、入口というよりは、非常用の出口ですけどね」


 元社長でも何でも知っているというわけではないのですね。まあ、社長室からは別の避難経路をつかいますから、知らなくても不思議ではありませんが。


 さて、私たちはジャケットを脱ぎ、今度は技術系職員の制服へと着替えます。


 そして、ノートパソコンを開き、FeliCaリーダーライターモジュールを接続。謹製アプリからシリアル通信で指定の「IDm」のカードとして振る舞うよう、モジュールに命令を送信します。これで、このFeliCaリーダーライターモジュールは、あたかも英賀保芽依のカードであるかのように認識されるはずです。


「試してみましょう」


 FeliCaリーダーライターモジュールを、電子錠の装置にかざします。


 心臓が高鳴ります。うまくいけば解錠されるはずです。息を呑んで、その瞬間を待ちました。


――ピー♪


 軽やかな電子音に続き、苦しそうなモーターの音が響きます。そして、ガチャリと解錠音が聞こえました。


「やった」


 理論上はできると分かっていても、実際に試して、その通りになったときは気持ちが良いものです。


 さて、扉を少し開き、隙間から中を覗き込みます。幸いにも電気室の通路には誰もいないようでした。ただ、配電盤の類がピカピカと光っているだけでした。


 私たちはするりと中に入り、音を立てないように扉を閉めました。背後で自動施錠音が響きます。


 打ちっぱなしのコンクリートの壁。天井にびっしりの配管。無機質で薄暗い通路を、足早に通り抜けます。『火気厳禁』と記された非常用の燃料タンク室、発電装置――そして、再び扉にさしかかりました。ここから先がサーバールームです。


「いよいよね」


 高槻さんが期待の眼差しを私に向けました。


 先ほどと同じように、FeliCaリーダーライターモジュールを、電子錠の装置に押し当てます。


 ところが。


――ピピピピ!


 エラーのLEDが点灯しました。


「ありゃ……」


 なるほど、英賀保芽依は危険人物として入室権限が与えられていないのかもしれません。やや気が引けますが、網干茉莉の「IDm」を試してみることにしましょう。


――ピピピピ!


 こちらもダメです。エラーのLEDが点灯しました。


「どうなってるの?」

「分かりません。これでいけるはずなのですが……。もしかして、電子錠システムが更新されたんでしょうか?」

「ねえ、ここは、一旦撤退しようよ」


 アカネBが小声で提案します。


「ええ、もう少しなんです」

「行きますよ、監査役」


 そう言って、アカネBは私の手を掴みました。


「……わかりました」


 ノートパソコンを鞄にしまい込み、元来た道へと急ぎます。しかし――。


「!!」


 そこには、私たちの行く手を塞ぐ人影がありました。


――まさか!


 通路の蛍光灯が点灯します。


「お久しぶりです。ここで何をされているんですか? 課長、いえ、祝園さん」



 鞄からレモンがひとつこぼれ落ち、床を転がって行きました。

 

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