未練


――社長、御社のセキュリティ、万全ですか?

――テレワーク、クラウド、デジタルトランスフォーメーション

――う゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ ど゛お゛な゛っ゛て゛る゛ん゛だ゛ぁ゛あ゛あ゛!゛!゛!゛

――だからこそ!

――BigBrotherが御社の従業員を見守ります

――IT資産管理システム BigBrother LAN Watcher


 それは食卓でおなじみのテレビCMでした。


 しかし、今ではそれを聞くだけで、無性に腹立たしく感じます。この製品のせいで私は職を失うことになったのですから。


 いや、これは八つ当たりですね。製品の善し悪しはもかく、何より悪いのは保守契約をケチってアップデートをしないことなのです。あと、ガチガチに従業員を監視しようという魂胆が古くさい。


 とはいえ、もっと私にできることはなかったのか。ずっとモヤモヤとしていました。


 私が所属していた京姫淡急ホールディングスと、出向先だった京姫鉄道は、ここ数年、災難の連続でした。西日本大震災で本社ビルを含む多くの施設が深刻な被害を受けました。そのうえ、同時に起きた新型感染症の流行が致命傷となりました。全線復旧後も乗客数が元に戻らず、深刻な財政難に陥っています。罹災や感染症で職場復帰できずにいる仲間もいます。ヒト、モノ、カネ、すべてに大きな損失が発生したのです。


 テレワークの導入が突貫で進められたのは、そんな中でのことでした。それでも当初は技術的な知識に明るい高槻社長の全面的なサポートがあり、順調に進んでいました。


 ところが、株主総会を前に雲行きが怪しくなっていきます。高槻社長は、経営責任を問われ退任を余儀なくされました。そしてやってきた新社長は、高槻社長の施策がすべての元凶と言わんばかりに、一つ残らずひっくり返して行きました。


 そんなこんなで、社長の鶴の一声のもと、経営企画部と人事部の主導で導入が進められた資産管理システムがBigBrotherでした。


 システム課としては正直Intuneだけで十分と考えており、IT資産管理ソフトの追加導入にはあまり賛成ではありませんでした。それでもしつこいので、予算を経営企画部が持つという条件で引き受けたのです。それが失敗でした。ケチケチ精神論社長のイエスマン部イエスマン課であるところの彼らが次年度の保守予算まで出すはずがなかったのです。

 

 それで、BigBrotherに深刻な脆弱性が見つかったときにアップデートを受けられず、やむを得ずシステムを停止しなければならなかったのです。それを反乱扱いされ、首を飛ばされることになるとは。

 

 結局、前社長のお気に入りだった私は、新社長にとっては目の上のたんこぶだったらしく、手切れ金を払ってでも追い出したかったようです。弁護士が吹っかけた言い値が支払われ、私は無事に無職と相成りました。会社都合退職となったので、失業給付もすぐ出ました。だから、もう終わった話なのです。


 それから数カ月。


 終わったはずのことが、頭を何度も巡り続けていました。


 最近は、布団に入ると、悔しさと後悔、そして心配がこみ上げてきて眠れないのです。ああ、私はどうすればよかったのでしょうか。BigBrotherの導入を維持でも止めるべきだったのでしょうか。そんなこと、できるはずもありませんでしたが。


 午前三時。


 枕元のスマホがパッと明るくなります。電話の着信です。こんな時間に電話とは、システム障害の連絡でしょうか。運用部門のエスカレーションリストからの削除漏れで、時々電話が掛かってくるのです。


 しかし、今回は非通知でした。


「はい」

『例の件、考えてくれた?』 


 例の電話の声です。若くて、どこか生意気で、それでいて、世間知らずのワガママお嬢様といったフィーリング。


「仕返しなんて私はしませんよ」

『いいえ。勘違いしているみたいだけど、これは仕返しなんかじゃない』

「じゃあ何です?」

『会社にお灸を据えて、正しい方向に導くってこと。あなたも少しは未練があるんじゃないの?』

「まぁ、見捨てる形になったのは、ちょっと心残りですが」

『私はここのところ、ずっと不眠なんだから』

「まあ、私も似たものですが」

『だからこそ、会社を追われた者同士、協力しない? やり残したことをやるために』


 そうですね。こんな風に腐っているよりは、何かドカンとやったほうが気が晴れるかもしれません。


「で、何するんです?」

『会社のシステムをハッキングしてみせる。ふふっ』


 電話の相手は何やら楽しそうです。


「違法行為ですよ」

『ふっ、私を誰だと思ってるの?』

「前社長の高槻さんでしょう」


 そう、このワガママお嬢様の声は、前社長の高槻千夏のものに他なりません。


『そう、その通り』

「お忘れかもしれませんが、あなたは、もう社長じゃないんですよ?」

『でも、祝園アカネ、あなたも忘れている。株式会社は誰のものか』

「はぁ」

『方法なら、いくらでもある。でも、この作戦を実行するには、祝園アカネ、あなたの力が必要。それなしには進められない』


 ぐ……。

 私、こういう言葉に弱いんですよね。


「話は聞きます」

『じゃあ今度、一緒にランチどう? 奢るから』

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