第2話


 わたしはため息交じりに広報課に向かいました。

 あの電話の主は英賀保芽依——わたしの同期です。不本意ながら、彼女のことは入社式の時から知っています。もしノーベル・トラブルメーカー賞があったならば、彼女は確実に受賞できることでしょう。彼女の周りではことあるごとに大事件が巻き起こります。入社式では、わたしの安泰な人生設計を完全に葬り去るほどの事件もありました。今回こそは、とばっちりを受ける前に、とっとと片付けてしまいましょう。


 広報課はお隣さんとはいっても、システム課とは規模からして違います。人数も三倍、部屋の広さも三倍。CIOを数に入れても五名しかいないシステム課に比べれば雲泥の差です。机やキャビネット類は同じねずみ色の無骨なものを使用しているはずなのに、広報課のほうが断然お洒落な雰囲気が漂っています。ところどころにアクセントカラーとなる鮮やかな暖色系の小物類が配置されているからでしょうね。


 そんなオフィスの隅に人だかりができていました。どうやらトラブルは本当のようですね。その中心に英賀保がいることを確認したわたしは、ため息をついて、そこに向かいました。

 彼女は、わたしに気付くなり即座に無実を訴えます。

「アカネちゃん! わたし、何もしてないよ!」

「そういうことを言う人に限って何かをしているか、本当に対策も何もしていないかのどちらかです」

「ええ!? ちゃんとウイルスソフト入れたよ」

 彼女が言わんとすることはウイルス対策ソフトなのでしょうが、本当にウイルスを入れてしまっているのだから冗談ではありません。

 もっとも、現時点でそれをコンピューターウイルスと呼ぶのは少々不正確かもしれません。コンピューターウイルスの最大の特徴は他のプログラムに寄生することです。同じような機能を持っていても、宿主を必要としないものは厳密にはウイルスとは呼ばず、ワームと呼びます。悪意のあるソフトウェアには、ウイルス、ワームの他に、スパイウェア、アドウェアなど様々な種類があるため、それらをすべてひっくるめて『マルウェア』と呼ぶのが無難です。このあたり、かつて通産省が告示したウイルスの定義によって用語が混乱してしまっているような気がしますね。

「英賀保さん、ちょっと退いてくださいね」

 わたしは彼女の椅子を奪い、パソコンの画面を確認しました。

 草原に青い窓——もちろん彼女のパソコンもXPです。

 エラーを示す×マークが画面のあちこちに現れ、ファイルのアイコンまでもが×マークになっています。こんなあからさまな症状が出るとは、今時珍しいタイプのマルウェアですね……。

と、感心している場合ではありません。とにもかくにもまずは隔離です。わたしはパソコンのLANケーブルを引き抜きました。


 わたしは他のパソコンも確認して、同様の症状が発生していないことを確認しました。潜伏の可能性も考え、念のため広報課のネットワークを社内LANから隔離します。

「とりあえず、初期対応は完了しました」

『さすが、早いわね』

「事情聴取、しておきます」

 電話で課長への報告を終えると、わたしは満面の笑みで英賀保に向き直ります。

「では、英賀保さん? 詳しく話を聞かせてください」


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