第1話


 六月九日。

 果てしなく広がる草原の中に、青色の鮮やかな窓枠が浮かんでいました。景色の話ではありません。パソコンの画面の中の話です。

 

「XPのサポート期限切れからもう一年と二ヶ月ですよ! 即刻、OSのアップグレードを」

 システム課のオフィスに、山家課長の切実な嘆願が響き渡ります。

 

 中舟生なかふにゅうCIOがシステム課の自席に座るのは、ひょっとするとわたしが配属されてから初めてのことかもしれません。CIOは広報部長を兼任しているため、システム課と役員室の他に広報課にも席があります。ここのところ専ら広報課に居着いていたらしいのですが、きっと、こんな風に山家課長に詰め寄られるのが嫌で、システム課を避けていたのでしょうね。まあ、最高情報責任者CIOとしてそれはどうかと思いますが。


 五十代ともあろうおっちゃんが、まるで先生に叱られる小学生のように、肩をすぼめます。

「……だって、まだ使えるじゃん」

まあ、弊社の企業風土ではそれもやむを得ないかもしれません。先日のオンボロ電車に象徴されるように、動く限り使うのが弊社のモットーですから、さもありなんです。決して新しい技術に興味がないわけではないようなのですが、動くものは使い続けるという貧乏性がはびこっています。その影響で、パソコンのOSも、古いウインドウズを使い続けているというわけです。かくいうわたしのパソコンも、配属当初はウィンドウズXPがインストールされていました。7のライセンスが余ってないというので、今は、暫定的にリナックスを使っていますが。


 少佐が課長に加勢します。

「しかし、シールドなしで戦闘するようなものでは?」

「だって、お金ないもん」

 CIOは首を埋めます。まるでトド。

 課長は語気を強めました。

「もはや限界なんです。垂水ちゃんの報告書、読んで頂きましたよね?!」

「……読んだよ。しかしな、ウィルスソフト入れとけば大丈夫だろって役員連中がな」

「……頑張って書いたのに!」

 垂水先輩は頬を膨らませて、CIOに鋭い視線を送ります。

「残念だが、役員会としての結論は『うちの技術力でなんとかする』ということだ」

 課長は肩を強ばらせ、震える手を隠しながら、声を絞り出します。

「……技術力」

「……俺が言ったんじゃないよ。そんなに怖い顔をしないでくれ」

「一人の技術者として申し上げるなら、XPのパソコンをインターネットに接続している時点で狂気の沙汰です。最低限、インターネットに接続できないように、ネットワーク構成を変更させてください」

「だめだ。その件は、労働組合がうるさいんだよ。自席からインターネットに繋がらなければ仕事に時間がかかる、労働搾取云々とな」

 まあ、アクセス履歴を見る限り動画共有サイトへのアクセスが最も多いんですけどね。

「ならば、少しずつでも良いのでOSのアップグレードを進めていくしかありませんよね?」

「……」

 CIOはしばらく沈黙します。やったか。

 しかし、この方向では分が悪いと考えたのか、別の理由を持ち出します。

「それに、OSを新しくしたら一部のシステムが動かないんだろう? ほら、IEがどうのって」

「その問題なら既に解決済です。ベンダーはサポート対象外と言っていますが、リバースプロキシでX-UA-Compatibleヘッダーを……つまりですね、サーバーの設定をちょっと変更するだけで、だいたいうまくいきます」

「でも、それでシステムトラブルが起きたら、ベンダーは責任を取ってくれないだろう」

「じゃあ、XPを使い続けてトラブルが起きたら、ベンダーが責任取ってくれるんですか?」

 CIOは完敗でした。

「……わかってるよ、そんなことは」

「では、なぜ、たった千数百万円の予算承認が下りないんですか!」

「……決定事項は変えられないんだと。お、俺だって取締役会じゃ下っ端なんだから。ま、がんばってくれ」

 CIOはぶっきらぼうに手を振りながら、そそくさと部屋を出て行ってしまいました。失望と沈黙に包まれるシステム課。こういう大人にだけはなりたくないです。

 

 


はあ、何も起こらなければ良いんですけどね。


 そのとき、一本の電話が入りました。

「はい、システム課、祝園です」

 わたしが言い終わる前に、電話の向こうで泣きわめく声が聞こえてきます。

『うわーん、アカネちゃーん』

 ……起きました。

なにか、本格的に、残念なことが。


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