第29話 泥の巨人

―――まずい。

恵は思案する。

敵は動く石像である。対するこちらは素手。圧倒的不利は明らかだった。逃げ道も男たち―――男?―――にふさがれている。土で出来た人形などどうやって殺せばいい?四肢を完全に破壊し、首を引きちぎれば無力化はできるだろうが。この数相手でそれは不可能だ。こいつらとまともに渡り合うにはスレッジハンマーかあるいは斧が必要だろう。

だから恵は、戦わないことを選んだ。敵首魁。異形の軍勢を操る、神職の男のみを標的に選んだのである。

真正面から突っ込む。跳躍。襲い掛かってくるの鼻先を

奇襲に、敵勢は対応できなかった。神職の男へと迫る恵。

彼女は流れるような動作で組み付いた。するりと敵首魁の背へ回り、腕を相手の首へと巻き付けたのである。反対の手が抑えているのは側頭部。力を籠めれば、たちまち頸椎をへし折れる体勢だった。

「こいつらを引かせて、私たちを無事に帰しなさい。さもないと首をへし折りますよ」

絶体絶命の窮地に陥った神職の男。されど、そんな事実を気にした風もなく彼は苦笑した。

『おやおや。これは油断したかのう。ま、好きにすればええ。私は全く困らんからのう』

ごりっ

嫌な音が響いた。恵が敵手の頸椎を破壊したのである。

投げ捨てられ、転がる肉体。

―――奇怪な事が起こった。

『おやおや。かわいそうにのう。無関係な人間を殺した気分はどうかね、お嬢さん』

首を破壊され、痙攣する男。その口から、全く変わりなく声が聞こえてきたではないか。

「そんな……っ!」

さすがに絶句する恵。ありえない。首を破壊され、痙攣している人間が平然としゃべるなど!!

致命的な隙。

敵勢は動いた。狙いは恵ではない。より容易な標的。守るものを失った遥香へと襲い掛かったのである。

「部長―――!!」

恐怖の表情で身をすくめる遥香。逃げ場はない。

石像の突進が、華奢な肉体に激突する。まさしくその瞬間、強烈な一撃が天より降り注いだ。

境内を薙ぎ払っていったのは、稲妻ライトニングボルト。閃光の威力に目を焼かれた少女たちが視力を取り戻した時、そこに転がっていたのは大量の土くれとそして砕け散った石ころだけである。

恐るべき威力だった。

「な―――」

茫然とする恵と遥香。その間に降り立ったのは、白いフクロウ。

そいつは着地すると同時に膨れ上がり、たちまちのうちに人の姿になったではないか。

病室着にサンダル。上着を羽織ったやつれた姿に、恵は見覚えがあった。

「―――せん、ぱい……?」

部活の先輩。

蛭田涼子は、悲しそうに微笑んだ。


  ◇


―――何が起きている。

遥香の眼前に降り立った友人。やつれた姿からは想像もつかないほどに威厳をたたえたは、速やかに恵へ歩み寄った。いや違う。彼女が跪き、観察したのは首をへし折られた神職の男であった。

「―――この人は、操られていただけ。大丈夫。これならまだ助かる」

涼子は男の首の向きを修正すると、

男の痙攣が収まる。顔色が急速に回復していく。破壊された首が、明らかに修復されていく。

あまりの光景に、遥香と恵は目を見張った。二人には分からなかったが、それは神社に祀られた精霊の助力。伊邪那岐大神いざなぎおおかみの伝承に語られる、黄泉返りの霊威の顕現であった。

を終えると、すっくと立ち上がる涼子。いや、その顔を持つ女は、叫んだ。

「さあ。姿を見せるがよい。それともわたしが暴いてやろうか!」

境内に声が響き渡り、しばらくして。

社のひとつ。その陰より、人間が姿を現した。

杖をついた老人。地味な服装は、こんな状況でなければ当たり前に見過ごしてしまうだろう。

遥香が会ったことのある人物だった。

彼は。以前遥香が案内した老人は、涼子に向けて語りかけた。

「これはこれは。

その術法。始祖ハイパティアに連なる王族の方とお見受けするが。いかに?」

「いかにも。

我が名はヒルデガルド。古の大図書館を守護する者の末にして、アレクサンドルの四番目の娘。

さあ。そなたも名乗るがよい」

「我が名はヴァラーハミヒラ。ヴッシャイニーの地に生まれ、大いなる魔法王陛下に仕えし魔導師にございます。ヒルデガルド殿下。お見知りおきを。

とはいえ、顔は覚えていただかなくて結構。これは仮初めの姿なれば。あなたが奪った、その少女の肉体のように」

―――なんだと?

遥香の眼前で、理解を越えた会話は続いていく。

「なるほどなるほど。確かに、王族たる貴女様ならばこちらの世界に来ることも叶いますな。

ふむ。もしや、国を捨て民を見捨て、こちらへ逃げてこられたか?」

「口が過ぎるぞ。下郎よ」

「おおっと。これは失礼を。

さて。少々喋りすぎました。名残惜しいところですが、話はこの辺りにさせていただきとう存じます」

「許すと思うか。さあ。何故そなたがここにいるのか、洗いざらい話してもらうぞ。アルフラガヌスは何をたくらんでいる」

「話す必要がありましょうや?

―――貴女様はここで死ぬのですから!」

老人が手を振り上げると同時。

―――ざわり

木々が、震えた。かと思えば、幾つもの影が飛び出してくるではないか!!

暴風を帯びたそいつらは木の葉を巻き上げながら、友人へと襲い掛かる。

「―――涼子!?」

遥香の心配は、しかし杞憂に終わった。何故ならばは、友人に触れる直前でしていたからである。

そいつらの姿をはっきりと目にした遥香は愕然とした。身に帯びたつむじ風で木の葉を巻き上げながら宙にとどまっているのは、イタチ。だが、それがただのイタチでないことは明白であった。何しろそいつらは下半身を持たず、両腕が鎌になっているのだから。

鎌鼬かまいたち。この世界においてそう呼ばれる妖怪が、具象化した姿だった。

「ヴァラーハミヒラよ、勉強不足だな。素戔嗚尊すさのおのみことは暴風神としての神格を持つ。その聖域で、風の霊獣をけしかけるとは。

わたしはそなたの乱暴狼藉を奏上するだけでよかった。かわいそうに、鎌鼬たちは怯え切っているぞ」

の言う通りだった。宙を舞うイタチたちはひどく怯えた様子で、虚空へと消えていくのである。

「ならば!!」

老人が繰り出したのは、紙の束。メモ用紙にびっしりと筆ペンで奇怪な図形が書き込まれたそれは、呪力を封じた魔法の武器―――呪符であった。

宙に投じられた多数の呪符は、空中で突如として発火。あっという間に燃え尽きたそれらは、代わりに無数の光輝く矢を生成した。

理力の矢エネルギーボルト。その名を持つ強力な攻撃魔法に向けて、命令が下される。

「行け!!」

老人の号令に従い、強烈な攻撃が境内へと降り注いだ。

目がくらむほどのそれは、涼子だけではない。そばにいた恵をも巻き込んで、姿を覆い隠す。

「―――!!」

遥香の視力が回復した時、そこに広がっていた光景は無残なる境内とそして、健在な友人たちの姿だった。

「もう一つ教授してやろう。

素戔嗚尊すさのおのみことは、神獣八岐大蛇やまたのおろちを征伐した武神としての側面も持つ。すなわちでもあるのだ。

この意味、そなたなら理解できるであろう?」

「矢除けの加護……っ!」

老人の歯軋りが聞こえてくるかのようだった。

圧倒的優位に立った涼子。彼女は一歩、踏み出した。

「わたしはこの世界の探索に、半生を費やした。そなたはどうだ?」

「我らとて!45年間、待ち望んで来たのだ!!貴女様に邪魔はさせぬ。ふたつの世界の覇者となられるのは我が陛下なれば!!」

叫びとともに起きたのは、振動。境内の横手、斜面の部分が揺れ始め、崩れ、そして

四肢がある。頭がある。

されどそのずんぐりとした体を構成するのは土砂であり、のっぺりとした顔は目鼻を持たぬ。

身体中に草木を生やしたままのそいつの頭部は、境内と同じ高みにあった。石段を越える背丈の巨体は、どれ程の質量を備えるのであろうか。

泥人形。それも軍事や大規模工事にしか使い道のない、最大級の怪物であった。

「さあ!その女を殺すのだ!」

巨人が、手を伸ばした。

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