第12話 蒼の騎士

河川とは魔法である。

"あちら"と"こちら"を隔てる境界としての属性を備える河は、それ自体が異界だった。時に人は、足首ほどもない水場でおぼれ、命を落とす。冥府にもつながる領域なのだ。

故に古来より、河川は恐れられた。橋で境界を越える試みは幾度となく河の流れによって無為となった。時にあふれて外側の領域すらも飲み込み、時に恵みをもたらす境界線。

今。ここは戦場になろうとしていた。


  ◇


大河だった。

緩やかな流れ。両脇には植物が生い茂り、水は澄み切っている。陽光が照らす水底まで、深いところで5メートル以上はあるだろう。渡るとなれば、舟かあるいは12メートルの巨体が必要となるに違いない。

だから、いましばらくの間は自分たちの生命は安泰であろう。その事実に、流水騎士団の団長にして魔法騎士のバルザックは安堵していた。

「団長。何が見えます?」

「奴らの儀式が見えるよ。この様子じゃ、河の精霊がまで一刻もかからんな」

部下に答えたバルザックは苦笑。遠見の術を用いた彼にははっきりと見えていた。対岸に陣を構えた敵勢。132領の甲冑を揃え、潤沢な投射兵器と物資をずらりと並べた攻撃部隊の姿を。正直、羨ましくなる。こちらは18領の甲冑と5000人ばかりの支援要員しかいないというのに。

対岸に築かれているのは祭壇。多量の供物が捧げられた巨大なそれは、大河にかけられた防御の魔法を破るためのものだった。河の精霊をしているのだ。この分では、河の精霊があちらに付くのは時間の問題である。何しろ敵将はその名も知られた大魔法使い、魔法王アルフラガヌスなのだから。

王都よりの援軍は間に合うまい。現在、国境の兵力まで引き抜いて戦力を集中させているが、あまりに時間が足りない。この大河という防衛ラインを防備し、可能な限り時間を稼ぐのがバルザック率いる流水騎士団の役目だったが、任務は失敗に終わりそうだった。

まあ明るい材料もある。ヒルデガルド王女殿下が守備する城塞は敵の攻撃によく持ちこたえ、相当数の戦力を釘付けにすることに成功しているそうだ。本来ならばもっと敵勢は多かったのだと思えば、気休めにはなる。

「騎士たちを甲冑に搭乗させておけ。もうすぐ、河の結界が破られる」

「はっ」

河の精霊への請願は、その内容によって実現可能性が大きく上下する。河を埋め立てさせろというのは論外だが(領土を寄越せと言っているようなものだ)、渡ろうとする敵を押し流すよう頼むのはさほど難しくない。対して、渡河の許可はその日の精霊の気分による。良い天気ならば気前よく通してくれるのだ。

だから、あとはどちらの方が言葉巧みに河の精霊へと取り入るかだった。

「畜生め。ひどい天気だよまったく」

空を見上げれば雲一つない快晴である。これでは河の精霊は頼りになるまい。

バルザックは、待った。敵の攻撃が始まるのを。


  ◇


儀式は、最高潮に達しようとしていた。

祝詞のりとが、低く。そして威厳のある大音声によって奉じられ、若木の枝がしきたりに従って振られた。筆頭の魔法使いのそれに、何十という神祇官たちが続く。

それは、祭壇を通じて水底まで届き、河の精霊への呼びかけとなった。

やがて。

魔法使いが締めの祝詞を捧げることで、儀式は終わった。

儀式を取り仕切っていた魔法使い。すなわち魔法王アルフラガヌスは、祭壇より振り返った。そこに整列するのは彼の軍勢。132もの巨人と、戦衣に身を包んだ八万の兵士たち。

「今こそ時は来た。対岸では敵勢が何やら策を弄しているようだが恐れるに足りぬ。さあ。私に勝利を捧げよ!!」

熱狂が渦巻いた。


  ◇


地形が、動いている。

勇壮な光景であった。隊列を組み、5メートルの深みに飲まれることなく悠々と前進してくるのは84体もの鋼の巨人たち。

魔法王アルフラガヌス配下の騎士団だった。

彼らは6ずつが斜め横隊となり、それが交互に連なることで全体としては直線の横隊を構成している。上からならばそれは、ジグザク模様にも見えよう。各々の甲冑が手にしているのは長大なる矛。相互支援を旨とする陣形だった。正面から見れば、まるで大津波が押し寄せてくるかのように錯覚するだろう。

大質量を誇る、この12メートルの巨大二足歩行兵器の歩みは遅いが着実だ。一歩一歩、川底を踏みしめながら前進していく。水は腿までしか呑み込めない。操縦槽や、そしてこの兵器の急所のひとつである心肺器にはいささかも影響がなかった。あとで整備する工房衆は、足の隙間に入り込んだ泥や水の処理で大変であろうが。

陣形の右翼に位置する若い騎士は、操縦槽の中で勝利を確信していた。スリット状の窓から見える景色は、澄んだ蒼。見下ろせる河の水は落ち着き、天候も良好だ。そのうえこちらは圧倒的大軍である。いざとなれば味方が助けてくれる。

渡河が半ばまで進んだ時、それは起きた。

対岸の密林。その合間より、何かが飛び立ったのである。それも、一斉に。

「鳥?」

ではないことは、すぐ判明した。それは放物線を描き、こちらへと向かってくるのだから。

石弾。太矢クォレル。丸太や煙を上げる藁束までが飛んでくる。それもかなり巨大な。投石機や弩砲による投射攻撃に違いない。

無数のそれらは、周囲に着弾。水柱が上がった。こちらに向かってくるものも幾つかはあったが。

反射的に騎士の眼前で、巨大な石の塊はその、持てる運動エネルギーのすべてを放棄。一瞬の静止の後、落下する。

矢除けの加護の霊力だった。

「落ち着け!悪あがきだ!!」

分隊長の叫び声が聞こえる。そうだ。飛び道具は効かぬのだ。何を恐れることがあろう。

まだ経験の浅い若い騎士は気を取り直し、矛を構えなおした。とんだ醜態を同僚にさらしてしまった。挽回せねば。

雨あられと降り注ぐ攻撃の中、軍勢は行く。ただでさえ悪い視界は最悪だ。先ほどまでの静けさはもはやない。甲冑の連携を妨げるつもりであろう。怒鳴り声でももはや通じない。

だから最初、騎士はそれが聞き間違いだと思っていた。それが勘違いだった、と知ったのは、右前方の森より蒼い巨体が飛び出してきてからのこと。

マントをなびかせたそれは、水面を疾走した。そう。水底を歩いているのではない。まるで硬い地面の上かのように、水面はその巨体。12メートルもの蒼い甲冑の質量を支えていたのである。

剣と中盾ミディアムシールドを携えたそいつは弧を描くようにこちらへ向かってくる。恐るべき速度。例え陸でもあれほどの速度を出せる甲冑などいまい。

「敵だ!!」

味方に声が通じないのを承知で、騎士は旋回した。もどかしい。足場が悪すぎる。体勢も。が水にとられる。踏みしめた水底が滑る。矛を向ける。5メートルもの

横殴りに敵手を襲った矛は、容易く飛び越えられた。

返礼の一撃。振り上げられた敵手の剣を辛うじて、上体を反らして回避し。

そこまでだった。

「―――あ」

脚が滑った。甲冑が傾いていく。手がかりはない。ゆっくりと、自らの乗機が倒れていくのを、なすすべもなく感じるしかない騎士。

水柱が立った。操縦槽に容赦なく水が入ってくる。溺れる。甲冑を立ち上がらせようとして。心肺器に浸水したのだ。こうなっては甲冑はもう駄目だ。していく相棒から脱出するべく、籠手を外す。体を固定するベルトに手をかける。なかなか外れない。息が苦しい。駄目だ。どうして外れない。

このままじゃ、死―――

限界は、唐突に来た。

騎士は、水に抱かれながら死の眠りに就いた。

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