21. 大姫の約束

大姫おおひめとの婚礼を控えた義高よしたかのもとに、頼朝よりとも暗殺に失敗して投獄されていた唐糸からいとが引き出されました。


重忠しげただ「これより唐糸からいとの拷問を行う。この琴の一曲が終わるまで」


唐糸を責めるのは、横に立った榛澤はんざわ猫間ねこまです。彼らはさきほど梅の木から折り取った枝をそれぞれ携えており、それを交互に唐糸に叩きつけ始めました。琴のしらべを縫って、人間が鞭打たれる鈍い音が響き、そして赤い花びらと血しぶきが飛び散りました。


重忠しげただ「どうだ、唐糸。これが最後のチャンスなのだぞ、すべて吐け。その弱った体ではこれ以上耐えられはせん。義高よしたかさまの潔白を示すため、吐け」


さらに二人は枝を叩きつけようとして… 突然動きを止めました。なぜか、腕が動かなくなったのです。榛澤はんざわたちはこれに抵抗しようとしますが、さらに二人を制する力は強くなり、握っていた枝を落としてしまいました。座敷のほうで、義高よしたかが秘かに術を唱えていたのです。


唐糸「…どうした、なぜ止めなさる。存分に打ちなさればよかろう。ほら打て」


義高よしたかはうずくまる榛澤はんざわたちを見て哄笑しました。「なんだ、臆病者どもめ。見てはおれん、このオレが手ずからこの女を責め、すぐに何もかも白状させてやるわ。拷問とは、こうやるのだ!」


そして彼は立ち上がり、手近な刀を拾うと、その鯉口をゆるめながらズカズカと唐糸のもとに近づこうとしました。これを重忠しげただが急いで止めます。


重忠しげただ「あなた様ほどの身分の方が、直接やることはない。おやめなさい。…たった今、漏刻とけいが鳴りました。とりの刻、ちょうど婚礼をはじめる時間です。ふむ、彼女の拷問はいったん中断するしかございませんな。榛澤はんざわ、それを、梅の木に縛りつけておけ。しばらく休憩だ」


こう言い残すと、重忠しげただはいったん退出しました。榛澤はんざわも、猫間も、(猫間は今すぐにでも義高よしたかと戦いたくて仕方ないのですが)出て行きました。



少しの間だけ、この部屋には義高よしたかだけが残されました。彼はすばやくあたりの様子を確認すると、声低く呪文を唱えました。縁の下から大量のネズミが現れ、唐糸からいとを縛りつけていた鎖をやすやすと噛みちぎると、また忽然と消えました。


義高よしたか「唐糸、しっかりしろ」


唐糸は何が起こったのかよく分かりませんが、ともかく自由になった手足を動かして縁側に駆け寄り、涙ながらに、義高に話しかけます。「義高よしたかさま… すみません、頼朝よりともの命運は強く、私は彼の暗殺に失敗しました。とうに死ぬ覚悟は決めておりましたが、ふたたびあなた様のお顔を見ることができるとは… というか、どうしたのです、どうしてこんなところにわざわざ現れなさった」


義高よしたか「一言では話しきれん。いろいろあった… オレは頼豪らいごう阿闍梨あじゃりの神霊の助けでネズミの妖術を身につけた。頼朝がどこか外出するときにでも仕留めてやろうと、乞食に扮して世に潜んでいた。なのに、あの重忠しげただが、わざわざオレをこの屋敷に呼び寄せたのだ。あいつの意図は分からん… しかし、どんな企みだろうが知ったことか。オレはこの機会に、必ず頼朝を仕留めてみせる」


ここで、人の足音がしましたので、二人はすばやく会話をとめて、義高は部屋の真ん中へ戻り、そして唐糸は建物の陰に隠れました。


明かりをもった女房にょうぼうたちに連れられ、嫩子ふたばこ大姫おおひめが到着しました。


嫩子ふたばこ「義高さま、お待たせしました。ここでたった今、婚礼の儀式を行わせていただきます。本来ならもっと晴れの場で行いたいところなのですが、姫の健康状態は今なお万全とは言いがたく、まずは負担の少ない形で、と… 鎌倉中の武士たちには、この後、大々的に婚姻の旨が触れ回られる予定です」


義高よしたか「ああ、いいだろう」


義高と大姫は、ここで静かに三三九度の盃を交わし、これで公式に夫婦となったのです。女房たちは、千秋万歳を唱えました。儀式の間、大姫は、はじめて会う夫の顔をまともに見ることさえできずに、恥ずかしさにうつむいたままでした。やっと勇気を出して義高よしたかの顔を見てみると、それは、月の光に照らされて、世にも凜々しい美男子でした。


刻を告げる鐘が鳴り、嫩子ふたばこは、今こそ二人きりの時間をつくるべきと判断します。「それでは、積もる話もございましょうし、我々は失礼します。フトンはあちらに敷いてあります。ごゆっくり…」



薄明るい灯火の中、部屋に残された義高よしたか大姫おおひめ。しばらくどちらも何も言いませんでしたが、ぽつり、と話し始めたのは、大姫おおひめのほうです。


大姫おおひめ「あなた様が入間いるまの河原かわらで死んでしまったと聞かされたときは本当に悲しく、毎日、こんな世の中からは早く消え去って、冥土にいるあなたを追いかけたいとばかり考えていました。それが、この世にいながら、こんなうれしいことになるなんて。あなた、これからいつまでも、私と一緒にいてくれますか。聞かせてください、あなたの誓い」


義高よしたかもまた、真剣な目で大姫を見つめます。「ああ、お前の真心を、オレは受け止めよう。そこで、その心を信じて、ひとつお前に頼みたいことがある」


大姫おおひめ「はい。八百万やおよろずの神に誓って、何でも」


義高よしたか「(にこり)ありがとう、お前を信じよう。…手伝ってくれ、オレが討つのを」


大姫おおひめ「討つとは、誰を」


義高よしたか「お前の父、頼朝よりともを。今夜。案内してほしいのだ、あいつの寝室まで」


大姫おおひめは、この話に驚いて、声が出せません。


義高よしたか「まあ、驚くのも無理はないな。あいつが我が父、義仲よしなかを討ったところまでは知っているだろう。さきにオレの影武者として死んだ大太郎だいたろうという男は、オレの乳母、唐糸の息子でもある。ともかく、オレにとってあいつは不倶戴天の男、なんとしても復讐をせねば済まんのだ。今まであいつを狙う機会を様々にうかがっていたが、どうしても決定的なチャンスが得られなかった。お前の夫としてこの屋敷に入ったこのときを、絶対に逃すわけにはいかん。父とオレ、どっちの味方につくか。オレのはずだよな。違うか」


大姫おおひめはボタボタと涙を流しながら、「それだけは… それだけはご勘弁くださいませんか。子がその親を殺す… それは獣にも劣ることです」


義高よしたか「ではさっきのお前の誓いはウソということだな。そうか、失望したよ。いいさ、お前との夫婦の縁はこれまでだ。今すぐ出て行ってくれ。頼朝よりともに告げ口でもなんでもしろ」


こう冷たく言い捨てて立ち上がりかけた義高よしたかの着物のすそを、大姫は必死で掴み、すがりました。


大姫おおひめ「従います… 私は、父より、夫に従います!」


義高よしたか「もうさっきのようにゴネないな」


大姫おおひめ「誓います… し、しかし、私ひとりで父のもとへ案内するのは、危険もありますし不安ですが…」


唐糸が、身を隠していた物陰から現れました。「そのことなら心配はいらない、私もついていくからね。…おや、驚いているね。義高さまは、私のクサリを断ち切ることくらい、たやすくやってのけるのですよ。さあ、私が一緒に行くからには安心だ。お前が危ない目に会わないようにもできるし、お前が裏切らないように見張ることもできる… そうそう、あなたの上着を一枚、私に頂戴。屋敷を歩いてても不自然でないように」


大姫は、もうどんな言い逃れもできないことを悟りました。黙って、上着を脱いで唐糸に渡すと、ゆらりと立ち上がり、歩き始めます。


義高よしたかは、一言、呪文をとなえました。あたりの明かりが一斉に消え、だれもこの三人を見ることができなくなりました。そうして、この一行は、ひとかたまりの死の使いとなって、廊下をゆっくりと歩いて行きました。


大姫「…着きました。この几帳カーテンの向こうが、父の寝る部屋です」


義高「よし。オレはこちらから侵入する。唐糸は、大姫を連れて、部屋の向こうの廊下に行け。頼朝が万一逃げた場合は、そちらで片づけるのだ」


唐糸「おまかせください。では大姫よ、連れていっておくれ」


大姫は、唐糸を連れて廊下を曲がる直前に、義高を振り返りました。自分も、彼も、風の前に今にも消えようとしている燈火ともしびのようだ、と思いました。


義高はすこし待ち、もう準備は大丈夫だろうと見当をつけてから、いよいよ几帳の中に走り入ろうとしました。そこにぼんやりとした人影が、二体あらわれました。


「いけません…」


義高が驚いてよく見ると、これは、いつか出会った、小太郎こたろう行氏ゆきうじ桟橋かけはしの亡霊です。


行氏ゆきうじ「行ってはいけません、義高よしたかさま。頼朝の時運は強大、あなた様の復讐は失敗します…」

桟橋かけはし「まだ引き返せます。今すぐ心をあらため、先君の菩提を弔うことのみが、あなた様のすべきこと…」


義高は激怒しました。「今すぐ、復讐はかなうのだ。どけ。どけ! お前らにとってのカタキでもある頼朝だぞ。どうしてあいつの肩を持つ!」


行氏ゆきうじ「あのときは、動乱のときでした。カタキを討つ戦いは正当でした。今はもう、世の中は落ち着いたのです。誰もこれ以上の戦乱を望んでいないのです」

桟橋かけはし「大姫にせまり、実の父を殺すという大罪を犯させてまで、カタキを討つのは、義高さまにとって親孝行と言えますか。この行いを、神は、仏は、見放すでしょう。あなたの味方は誰もいなくなるのです」


義高「うるせえ!!!」


義高は絶叫して刀を抜くと、この亡霊たちを横殴りに消し飛ばしました。そうしてその勢いで几帳に突入し、フトンに刀を突きつけました。「起きろ。起きろ!」



フトンには誰も寝ていません。


そして、ハンガーにかかった麻衣に、一首の句が書かれた紙が貼ってあります。


 夏くればふせやが下にやすらひて しみづの里にすみつきぬべし



この句は、義高がはじめて重忠しげただに会ったときに贈られたものです。義高はこれに気づき、「はかられた」と叫びました。


義高「もう深入りしすぎている、逃げる道はない… いや、それがどうした! オレの妖術をもってすれば、何も怖れるものはない。これしきで、オレは止まらんぞ」


義高よしたかは、句の書かれた紙を、麻衣ごと斬って捨てました。はらりと落ちたその衣の後ろには… 黄金の猫の像が置いてありました。あっと驚く間もありません。ネコの目には血の秘薬が塗りつけられており、そこから赤い光線が放たれて、義高よしたかをつらぬきました。


義高よしたかは全身から力が抜けるように感じました。懐からは、一筋の煙が立ちのぼりました。それは無数のネズミの群れの形となって、一匹残らず、西の方角に走って消え去ってしまいました。

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