6. 入間河原にて

義高よしたかたちは、今回の入間いるま河原かわらでの出会いを完全に誰にも気づかれずに果たしたと思い込みました。しかし、そうはいかなかったのです。


最初に、義高よしたか小太郎こたろうが宿を探しているときに道を聞いた男が、川越かわごえ越三こしぞうという不良でした。この地域には、今朝の時点で、あやしい落人おちうどのことを報告せよ、という触れが出回っていたのです。越三こしぞうにとっては、こういうチャンスは見逃せません。さっそくこの二人をこっそり着けて、河原の小屋に住んでいたおばさん(唐糸からいと)と名乗りあったところまで確認をしたのでした。


越三こしぞう「ビンゴだったぜ」


こうして彼は、これ以上の立ち聞きをするまでもなく、村長に報告するために夜の中を走り去っていきました。


さて、唐糸からいとは、ひととおりの情報交換のあと、義高よしたかたちをもてなすために、すこし遠くの町中まで出て酒を買ってくると言いました。


唐糸「飲むのもいいけど、足の疲れは、酒を吹きかけると効くのよ。少し待っててね。桟橋かけはしは、夕食をさしあげて。大太郎は… まあ、BGMに琴でも弾いてあげててよ。じゃあ行ってくる」


桟橋かけはし「ハイ」

大太郎「アーイ(ポロンポローン)」


そうして唐糸は町に出て、持参したヒョウタンに酒を満たして戻ってくることができたのですが… 家に近づいてきたというところで、両側から腕をむんずと捕まれました。


唐糸は「何をする」と一声叫んで、両側の二人を逆にねじって投げました。目の前にもう一人が立ちはだかりましたが、これも胸のあたりをバンと叩いてひっくり返します。いつしか、周りには十人ほどの雑兵が囲んでいました。唐糸からいとが思ったより抵抗するので、すこしザワついています。やがて、隊の中から、ボスとおぼしい男がノシリと現れました。


男「抵抗は無駄だ。我こそは、頼朝よりとも公の重臣、石田為久ためひさが腹心、堀江ほりえ光澄みつずみだ。さきの戦では、木曾きその義仲よしなかのクビを直接取った男よ」


唐糸「…!」


光澄みつずみ「鎌倉より脱走した義高よしたかを追って、ここまで来た。ある男の密告により、お前らが入間いるま河原に潜んでいることはとっくに承知済みだ。酒屋に行って戻ってくるところを、すべてつけていたのよ。お前のことももちろん分かっているぞ、今井いまい兼平かねひらの妹、唐糸よ。人並みの武芸を心得ているようだが、どのみち俺にかないはせん。…唐糸よ、よく聞け。お前の手で義高よしたかを殺せ。そうすればお前は助けてやろう」


唐糸「な、何を…」


光澄みつずみ「お前と、お前の息子を助けてやろう。大太郎…とかいったな」


大太郎の名まで出されて、唐糸からいとは苦悶の表情を見せました。しかし、だんだんと目がわっていきます。選択の余地がないことを悟ったのです。


唐糸「…本当に私たち二人は助けてくれるのね」

光澄みつずみ「約束しよう」

唐糸「条件があるわ。これがうまくいったら、私を頼朝よりとも公のお仕えに雇ってちょうだい。大太郎の暮らしも保証すること。貧乏暮らしはもうたくさんよ。これだけが条件」

光澄みつずみ「フン、いいだろう」


唐糸「約束よ。…まずは、あの小太郎こたろう行氏ゆきうじをなんとかする必要があるわ。義高よしたかさま、いや、義高よしたかの付き人に選ばれるだけあって、彼の武芸は実は相当なものよ。無理に戦えば、あんた達にも相当の被害を出すわよ」

光澄みつずみ「ほう」

唐糸「彼をこうこう、こうして、仕事をやりやすくするわ。そうしたらあんた達に合図をするから、そこで家に突入しなさい。これで万全よ」


光澄みつずみは唐糸の作戦を気に入りました。「よろしい、そうしろ。上手くいけば、大太郎は一生暮らしに困らぬようにする。そしてお前は、政子さまに申し上げて、大姫の付き人に推薦してやる。当然だが、我々を単にだますために言い逃れしているだけならば… 誰一人、生き残ることはないぞ」


唐糸「フン、私は言ったとおりにやるわよ。好きなだけ見張っておいで」



唐糸はこう約束したあと、何食わぬ顔で、酒の入ったヒョウタンを抱えなおすと家の入り口に近づき、中の様子をうかがいました。義高よしたかは、奥の部屋でうたた寝をしているようです。小太郎こたろう桟橋かけはしは、窓から見える月をふたりで眺めながら、なにやら思い詰めた様子で話し合っています。大太郎は相変わらず、ムニャムニャと今様いまようを歌いながら、ポツポツと琴を弾いているのみです。


小太郎「…だから、桟橋かけはしよ、俺のことはもう諦め、もっとよい縁を探せ」

桟橋かけはし「そんな、あんまりです」

小太郎「主君の危機だ。俺は義高よしたかさまにどこまでも着いていく。当然、命の保証などない。俺にこだわっていては、お前が不幸になるだけだ」

桟橋かけはし「もとより、あなたとは生死をともにする覚悟です。いいでしょう、そこまでおっしゃるなら、私はこの場で死に、あなたへのみさおを貫きます!」


桟橋かけはしは小太郎の刀をひったくると、これを抜き放とうとしました。小太郎は驚いてこれを押さえます。「よせ、早まるな!」


唐糸もあわててこの場をおさめにかかりました。「何をしているの、およしなさい!」


二人はサッと唐糸の命令に従い、正座をして決まりの悪そうな顔をしました。


唐糸「あなた達には感心するわ。小太郎の忠節、そして桟橋かけはしの貞節。どちらも、世にまれなるものよ。今回の事件さえなければ、あなたたちも晴れて夫婦になっているはずだったのに… いいえ、今からでも決して遅くはないわ。あなたたち、ここで祝言をあげておしまいなさい。たとえ短い時間でも、本当の夫婦になるのよ」


小太郎・桟橋「えっ!」


唐糸「あなたたちは夫婦となって義高さまのために仕えるの。いいわね桟橋かけはしや、つらいことがあっても耐えていけるわね、夫婦で心をひとつにして」


桟橋かけはし「…はい!(感涙)」

小太郎「わかりました、唐糸からいとさんに従います」


唐糸「さいわい、酒があるわ。すぐに盃を準備しますからね。私がなかだちをつとめるわ。音楽は… まあ、あの大太郎ので我慢なさい」


こうして、唐糸は大急ぎでお膳立てを整え、ささやかながら婚姻の儀の体裁ができあがりました。唐糸は盃に酒をなみなみと満たし、順序にしたがって二人にすすめました。二人はこれを残らず飲み干します。


唐糸はこれを見届けると、やおら立ち上がり… そして、意味の分からない笑い声をたてました。「ふ… ふ… あはは、あははは!」


まるで狂人のようです。小太郎も桟橋かけはしも意味がわかりません。しかし、二人は同時に胸をおさえ、脂汗を絞り出して苦しみ始めました。顔色が土のようになっていきます。「これは、一体?」


二人の苦悶をよそに、大太郎のヘタな琴の音が部屋中に響きます。


唐糸からいと「私は兄(兼平かねひら)から、もしものときのためにと、毒石というアイテムを預かっていてね。酒に浸せば、このように人を死に至らしめる猛毒とすることができるのよ。今から義高よしたかを確実に殺さなくちゃいけないからねえ。あんた達には、やむをえずこうして死んでもらうの。許してね、すぐ楽になれるから。夫婦として仲良く死ねるのよ」


小太郎「我らを… 売ったのか! 欲に、惑うて…」


唐糸からいと「誤解しないでね。私だって好きでやるんじゃないの。だってしょうがないじゃない、このアジトはすでに、追っ手にバレちゃってたのよ。さっき、店の帰り道で、頼朝よりともの家臣にこうするよう命じられたのよ。逆らえば、私たち全員の命がないの。せめて、私と大太郎だけが助かっちゃいけない?」


小太郎は、必死に、毒で動かない体を、刀を杖にして持ち上げようとしています。桟橋かけはしは、息も絶え絶えになりながら、手をあわせて唐糸に懇願します。その顔の悲しそうなこと。


桟橋かけはし「おばさま、あなたは間違っています。主君の恩を忘れて、このような罪を犯しながら生きながらえるのは、死ぬよりずっと愚かなことです。今からでも遅くはありません、その心を反省してください。このままでは、人でなくなってしまいます。…お願いです、おばさま!」


唐糸からいと「知ったようなことを言わないで! 今日までの寿命だったと、とっとと観念しておくれ!」


小太郎は、残った力をすべて振り絞って、一撃だけ刀を振り下ろすことができました。それを唐糸はなんなく避けましたので、彼はよろめいて、奥の部屋に通じるフスマを壊してしまいました。そこから、今までのいきさつをすべて聞いていた義高よしたかが、満面に怒りをたたえて飛び出してきました。


義高「許せん、許せん、唐糸からいと! 暴悪非道の女め、天罰を受けよッ」


勢いよく刀をふりかぶった義高よしたかに向かって、庭の陰から手裏剣が放たれ、それは彼のノドをあやまたずに貫きました。彼は一瞬で命を失い、目を見開いたままあおむけに倒れて、それきり動かなくなりました。



入り口からノシノシと歩いて入ってきたのは、堀江ほりえ光澄みつずみです。彼はゆっくりと義高よしたかの死体に歩み寄り、クビを切り取って、これを明かりにかざして確認しました。


光澄みつずみ「間違いない。唐糸よ、よい働きだったぞ。約束通り手配しておくから、あとで車に乗って鎌倉まで来るがいい。こいつは、とりあえず大太郎の分だ」


光澄みつずみは、懐から金の包みをとりだして、ポンと唐糸の足下に投げ置きました。それ以上何も語らず、いよいよムッツリと黙ったまま、光澄みつずみは家を出て、夜の中に消えていきました。遠くから、兵たちが喜ぶ声がかすかに聞こえました。


もはや意識ももうろうとしていますが、小太郎は、この光景を、煮えるような涙を流して見守っていました。そして、何もかも終わってしまったことを知ると、いよいよ最後の力を振り絞って、刀を自分の腹に突き刺しました。「御曹司おんぞうしよ… 遅れはいたしませぬ… 唐糸からいとよ、この恨み、死んでも忘れんぞ…」


桟橋かけはしも、毒にふるえる手で、義高が落としていった刀を抜くと、そこに自分のノドから押しかぶさりました。「わ…たし、も…」



唐糸は、突然ひざまずきました。


唐糸「ああ、二人とも、許してちょうだい… 今こそ言うわ、死ぬ前にこれだけを聞いて! 義高よしたかさまは… !」

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