第30話

「では、署名のサインをお願いします」

「ぇ、あぁ……」



(違う。そこ、黒鍵だよ、ユーヤ君)



「ぇっと、そのぉ……」



(ダメだって、そこはカンタビーレ。クレッシェンドするんじゃない)


 ピアノの爆音に、遂に大家サンが飛んで出て来た。

怒られるぞ。スゲェ怒られるぞ。説教は2時間コースだぞ。

仕舞いにゃぁ『最近の若いモンは』って、ひったすらグチ聞かされんぞ。


「ぁ、あの、スンマセン、ちょっと、ちょっとだけ待って貰えませんっ?」

「えぇ?」

「ちょっとだから、ちょっと!」


 オレはダッシュで大家サンの元へ。

大家サンがユーヤ君の部屋のドアをノックする手を、ジャピングガッチリキャッチ。


「石神サン、アンタなに やってんだい」

「ぁ、あぁ~~大家サンの手って、スベスベぇ~~」

「バカ言ってんじゃないよ。全く、最近の若いもんは近所迷惑も考えないで、」

「ソレ! ソレね! ソレならオレから注意しとくんで!」

「はぁ?」

「仲良しなんですよ、ココの若者と! ねっ?

オレがセンパイとして、バッチシ、ギャフン! と言わせておきますんでぇ!」

「そぉかい? そんじゃぁそぉしておくれよ。頼んだよ!」

「ハイハイ!」


 大家サンを説得して、オレは一目散にユーヤ君の部屋に飛び込む。



「ユーヤ君!」



 あーー、泣きながら弾いてるぅ。


 ユーヤ君は弾くのをやめない。

聞こえてんだろぉに、オレの声なんて無視って顔して必死に弾いてる。

こうして この子が何を訴えたいでいるのか、ソレは、この乱れた指さばきで良く解かる。



(忘れるな……って言いたいのか? あの日のオレを……)



 自分の思い通りにならないと気が済まない?

ソレって傲慢な考え方って、20才なら気づき始めてたりしない?



(しょーのない子だ……)



 オレはユーヤ君の肩に手を添え、もう片方の手を鍵盤に乗せる。


「だから、そこは黒鍵なんだって。……こう」


 ユーヤ君の手はピタリと止まって、オレが ゆっくりと弾くメロディーだけが流れる。


「ソレから、ココはカンタビーレで、クレッシェンドするのはココから何だ。解かった?」

「……うぅぅ、ッッ、うぅぅ……、」


 この曲はCDにもなってない。

きっと、CMに流れる一瞬を一所懸命 耳コピしたんだろね。


「せ、先生っ、辞めないで、お願いしますっ、お願いしますっ、」


 ユーヤ君がオレの腕に しがみ付く。

必死に必死に頼んで、そぉすれば願いは叶う。そんな人生を送って来たのかな。


「……誰にも知られたくなかった。オレが石神亮太郎だって」

「うぅぅ、ごめんなさい、ごめんなさい、」

「……ガッカリしたでしょ?」


 そう訪ねると、ユーヤ君はブンブンと頭を横に振る。




「俺は、石神サンが石神先生で嬉しかった……」


「へ?」


「想像してた人と違う。でも、想像してた人より ずっと良い……」


「……」



 オイオイ。

泣かず飛ばずでボロアパに住んで、無駄に年くってる残念な作曲家を捕まえて、

想像してたよりイイって?

そんじゃ、元々の想像って どんなド底辺よって話。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る