第38話 成る程、手を汚さないとはこういうことか

 シルヴィアは自分の行くべき場所が、もう分かっていた。

 それはかつて、この国の聖女がいた場所。ギルフォードの母、聖女マリーエルが祈りを捧げていた聖なる神殿。

 聖女がいるべきそこに、現在いるのは。

「お久しぶり、で、よろしいでしょうか――――――――――エリカシア王妃様」

 リフィテイン国の王妃である、エリカシア。彼女はずっと、ここにいた。

 ここで、この国にもらたされる闇を制御してきたのだ。ビシュタニアの血をもってして。

 ウェーブがかった金髪を結うでもなくそのままに、神官の白い装束を身にまとい、眩しいほどの存在感で彼女は祈りの場にいた。

 王妃は振り向くと、侵入者を発見したというのに、実に優雅にシルヴィアを迎え入れた。

「ええ。久しぶりね、シルヴィア・クリステラ嬢」

「その姓は棄てました。今は、ただのシルヴィアです」

 すると艶やかな金髪を揺らし、彼女は軽やかに笑った。まるで少女のように。

「ふふっ、どんなに偽っても本性というものは消せないものよ? 貴女はどこから見たって完璧な公爵令嬢そのもの。

 美しいシルヴィア嬢」

「…………………………それは、貴女様が今もビシュタニアの巫女姫であらせられるのと同じに、ですか?」

 シルヴィアの問いに彼女はちょっとだけ顔をしかめた。

「あら、貴女はやっぱり気付いているのね。

 ギルは本当に使えない子。貴女から自我を奪えないなんて。それともあの子、寝返っちゃったのかしら? そういうこともあるかもしれないと予想はしていたけど、がっかりだわ。

 あの子にはもっと苦しんでほしかったのに」

 だがそれは、「ちょっと天気が怪しくなったわね」と言うのと変わらない、何でもないことのような口調だった。

「彼はもう十分に苦しんでいました。その手で、父親を殺そうとするほどに」

 しかし王妃はこれまたつまらなそうに、そして実に軽々しく言うのだ。

「でも殺しそびれた。あの異界からきた聖女の所為で」

 まるで人生ゲームの展開を話すみたいだ。

「貴女には誤算でしたでしょう。彼女が本物の聖女であったことは」

「そうね。まさか、本当に聖女を召喚できるなんて思わなかった。でも、彼女だって最初は今ほどの力はなかったし、あのままでいてくれれば全部が上手くいっていたはずよ?

 そういう意味では、一番の誤算は貴女。クリステラ公爵令嬢。

 私、貴女も大嫌いだった。苦しんでほしくて貴女を巻き込んだのに、裏目に出たの。どうしてかしら」

 無邪気な顔でそう言う彼女に、シルヴィアは確信した。

「今まで貴女の目的が分かりませんでした。ですが、今はっきりとしました。貴女の望みはビシュタニア王家の復活などではないのですね」

「ああ、そんなことを言っていた人達もいたわね。笑わせるわよね? 一度裏切っておいて、自分達の都合が悪くなればまた担ぎ出そうだなんて。

 だから、私も使ってあげたの。面白可笑しく踊ってくれた。哀れな道化師達。

 手放したものはもどらない。壊れたものは、もとの形になるはずがない。そんなことも分からないなんて」

「貴女の望みはただ一つ―――――――復讐。それだけなのですね」

 王妃は笑って肯定した。

「そうよ? 私はこの国が憎い。あの王が憎い。聖女が憎い。

 この国の人々が皆、苦しんで息絶えれば良い。――――――――――ビシュタニア王家の皆のように」

 シルヴィアは絞りだすように、苦々しい言葉を口にした。

「無意味だと、お思いになりませんか?」

 だが、ああ――――――――届かないだろう、彼女にこんな言葉は。

「もちろん、無意味ですとも。でも、意味のあることって、そんなに重要かしら。

 賢く優秀で美しい、私の息子の婚約者さん。では、教えて?

 何故、ビシュタニアは滅ぼされたの? 何故、陛下は私をめとったの? 陛下は、何故、聖女マリーエルを愛したの? 聖女の力を失うと分かっていながら、何故あの人は彼女を抱いたの?

 教えてちょうだい? 意味があることなんだと」

 シルヴィアが何かを言えるはずがなかった。

「意味なんかないって思ったほうがマシだって、そう思わない?

 そう、意味なんか、ないの。ただ、そうなってしまったの。

 今、この国に起きている災厄だって、そう。起きるべくして、起きているの。そうは思わない?」

 シルヴィアは拳を握り締めた。

 もうこの人は闇から出られない。いや、出ることを望まないのだ、と、シルヴィアには分かってしまう。

「貴女の言う通り、意味なんてないのかもしれません。

 でも今、苦しんでいる人がいて、それを助けたいと願う人がいる。私は、その人の望みを叶えたい。

 貴女がそれを阻むというのなら、私は貴女を排除します。

 これは私のエゴです。それでも―――――――――譲れない」

 エリカシアが真顔になった。

「やっぱり、貴女は嫌い。大嫌いよ。

 苦しんで、闇におちればいいのに。その方が楽なのに。――――戦い続けるんだもの」

 ふわり、と、エリカシアの周囲に風がそよいだ。だがそれはただの風ではない。

 淀んだドス黒い霧をはらんだ風だ。

「さあ、落ちて。闇に。貴女はそうなるの。私がそうしたいから。貴女と同じね? 邪魔なんかさせない。

 そうよ、私は! この国が苦しみ、悶えて、息絶えるのが見たいのよッ!!」

 荒れ狂う深遠なる闇は、シルヴィアの胸の闇を芽吹かせる!

 シルヴィアの胸にあるクリスタルに、ぴしりっとヒビが入った。

「可哀想な公爵令嬢。貴女はこんなこと、ちっとも望んでいないのに。でも仕方がないわ。貴女には、聖女様を殺す役目をあげましょう。

 だって、ね? それが一番、苦しいでしょう?」

 ぴしぴしとクリスタルのヒビは増えていく。

 そしてついに――――――――――――カツ、ン、カラン、カララララッと音を立てて、クリスタルが床に砕け落ちた!

「ふふふふふっ、あぁ、可哀想。賢くて優秀な公爵令嬢。もう、お仕舞い。

 貴女は、お人形さん。私の大事な玩具の、お人形さん!」

 エリカシアの高笑いが響く祈りの場に。

 けれど、もう一つの声が上がる!

「そんなこと、させるわけ、ないでしょぉがぁぁあぁぁぁーーーーーーーーーーー!!」

 それは聞き間違えようもない、ヒロインである常葉遥、その人の声だった。






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