9-1. ライセンス試験迫る
あくまで歩たちは仕事のため、ゴルドナックルの使う拳闘スタイルを研究するためにスタジアムを訪れたのだ。
そのため試合を見て終わりという訳にはいかず、スタジアムで得た物を仕事の成果として提出しなければならない。
スタジアムの前で葵と別れた歩たちは現地解散となり、目が虚ろになっている犬居に後ろ髪を引かれながらも歩は帰宅の途についた。
そして翌日に白馬システムチームの本拠地のベースに出社した歩たちは、スタジアムでの仕事の成果をチームメンバーに報告する事になっていた。
「…あの女は昔からああなのよ! 何時も私を馬鹿にして…、教習所の成績は私より悪いの何処か要領が良くて…」
「あの…、監督。 相手チームの監督の話はその辺で…」
チームメンバー前で犬居は昨日の鬱憤を晴らすかのように、彼女の因縁の相手らしい猿野に対する愚痴を延々と吐き続けていた。
猿野と言う人物はライセンス試験の相手であるチームの監督であり、その監督の人となりを知ることは決して無益な事では無い。
実際、歩たちは犬居の愚痴を通して、猿野の大まかなプロフィールを知ることが出来た。
猿野 亜衣(さるの あい)、犬居とは教習所の監督コースでの同輩であり、彼女たちは教習所時代に色々と一悶着を起こしていたらしい。
彼女の人となりが犬居と正反対である事は昨日のやり取りで大凡読み取れたが、どうやら彼女たちは監督しての方向性までも正反対であるようだ。
犬居が言い方が悪ければ教本通りの監督をする優等生タイプならば、猿野は教本を無視したトリッキーな監督をする異端児タイプ。
その方向性の差から教習所時代の成績は犬居の方が上であったが、教習所の講師からの評価は猿野の方が高かったと言う。
しかし上記の情報を得るまでに歩たちは、その数倍もの感情的な愚痴を聞かされており皆うんざりとした表情を浮かべている。
「その辺にしておくんだな…、監督さん。 どうせライセンス試験でやり合うんだ、決着はその時に着けるんだな」
「…そうよ! 今度のライセンス試験は私の優秀さを証明するチャンスよ! いい、絶対に勝つんだからね!!」
「は、はい…」
そこは年の功という奴か、チーム最年長である重野が上手いこと誘導した事で犬居の愚痴は止められた。
ライセンス試験で憎き猿野が率いるチームを自分が指揮するチームで倒す、解りやすい目標が掲示された事で犬居は見るからにやる気を見せている。
そのまま犬居はパイロットである歩の肩に手を置き、その身長差から歩を見下ろしながら必勝を強要する。
その熱意に圧倒された歩は、犬居の望む答えを口にするしか選択肢が残されていなかった。
漸く犬居の話が終わり拳闘スタイルの話題に移ると思われたが、またもや犬居の失言によって話が明後日の方向に向かってしまう。
さあ昨日のゴルドナックルの話を始めようと言った所で、犬居が今思い出したかのように呟いたのだ。
「…あ、そういえば葵・リクターが言っていた、勝ち逃げってどういう意味なの?」
「勝ち逃げ?」
「ぇっ!? 犬居さん、それは…」
スタジアムから強制退場されたショックで呆然自失となっていた犬居であるが、別れ際の歩と葵のやり取りをしっかりと覚えていたらしい。
勝ち逃げ、それはパイロットコースを落ち零れた歩が、パイロットコースを卒業した葵に勝ち越している事を意味する。
以前に寺崎が歩と葵の関係を勘ぐった事もあり、勝ち逃げの意味を知りたいのか犬居だけで無く寺崎や福屋までも興味深そうに歩を注目していた。
多勢に無勢、歩は疲れたように溜息を履きながら、別れ際に葵が放った言葉の意味を説明する。
「…大した話じゃ無いですよ。 パイロットコースは最初の頃、二足歩行ロボットに慣れるためにワーカーで講習をするんです。
そのワーカー同士の模擬試合で、俺はあいつに勝ち越してたんです」
「ほー、ワーカーとは言え、二代目シューティングスターに勝つとはやるじゃ無いかよ」
「所詮はワーカーだぞ、パイロット側の力量なんて殆ど関係ない、運が良ければ誰でも勝てるさ…」
教習所のパイロットコース時代、最初の頃の歩は劣等生所か優等生と言っていいポジションに居た。
パイロットになるために必要な勉強や努力はしていたし、ワーカーによる模擬戦の成績も良かった。
そして葵・リクターとワーカーによる模擬戦を何度も行っており、その戦績は歩が若干勝っていたのである。
「…俺がパイロットコースを辞める直前にあいつから言われたんです。 今年は負け越したけど、リベンジは来年するって…。
けど俺はあいつに黙ってパイロットコースから居なくなって…」
「ああ、それで切れた葵・リクターが、整備士コースまでお前を殴りに来たのかよ。 おいおい、どう考えてもお前に非があるじゃ無いか…」
「俺だった苦しかったんだ。 パイロットコースを、夢を諦めるのは…。 でも、仕方なかったんだよ…」
ワーカーに乗っている時は良かった、複雑な操作が要らないワーカーくらいなら歩でも十分に動かせたのだ。
しかしパイロットコースのカリキュラムが進み、競技用ブロスを操るための訓練に入った所で歩は一気に落ちこぼれていった。
パイロットに過大なパラメータ入力を強いる競技用ブロスを操るためには、右手と左手だけで無く右足と左足と頭を別々に動かさなければならない。
複数の処理を並列して行うマルチタスクの才、その才に恵まれなかった歩にはどうしても競技用ブロスを操るための訓練に付いて行けなかったのだ。
パイロットコースのカリキュラムはは全四年、その半分に満たない二年目の訓練で落ち零れた時点で歩に競技用ブロスの適正が無いことは明らかである。
止めとばかりに教習所の講師から見込みが無いことを告げられた歩は絶望し、悩みに悩んだ末にパイロットコースを去ることを決めたのだった。
教習所で葵・リクターは浮いた存在だった、15歳で教習所入りした事による若さ、二代目シューティングスターと言う知名度、日本人離れたした容姿。
加えて教習所でトップクラスの成績を維持しワーカーの訓練でも連戦連勝、その姿や経歴だけの見掛け倒しでは無いことは明らかである。
誰もが葵・リクターを腫れ物に触るように扱い、彼女は教習所で孤立していた。
否、当時の葵・リクターと言う少女を表すならば孤高という言葉の方が合っているかもしれない。
「あなた、名前は…」
「…羽広 歩」
「羽広 歩、ね。 次は負けないから…」
教習所時代に歩と葵・リクターが話すようになったのは、ワーカーの模擬戦で歩が葵相手に運良く勝ちを拾った時からだった。
模擬戦の後、二代目シューティングスターに勝った事が信じられず夢心地の状態だった歩の前に、葵・リクターが颯爽と現れる。
それは普段から周囲に己の感情を見せることはなく、まるで人形のように表情を変えなかった少女が見せた初めての感情だった。
歩にリベンジを宣言する葵からは彼女の美しい容姿の中に隠されていた闘士のような物が感じられ、その姿は年相応の若さを思わせた。
この後、教習所で歩は葵・リクターと行動を共にするようになり、それは歩がパイロットコースを辞めるまで続いていた。
歩がパイロットコースから整備士コースに転科した時から、彼と葵の道は分かたれた筈だった。
しかし葵が教習所を卒業してから二年、彼女は予想もしていなかった所で歩と再び巡り合う事になる。
ブロスユニットの調達、スポンサーの確保、チームを運営するメンバーの募集、ブロスファイトに参加するためにはそれ相応の準備が必要だ。
教習所を卒業した葵がチームに所属し、そのチームがライセンス試験に挑む所まで来るのに二年の月日が掛かった。
漸く漕ぎ着けたライセンス試験の対戦相手、それがパイロットコースから離れた元同輩だと予想出来るはずも無い。
「いい、絶対に羽広 歩には負けないわよ!!」
「お嬢。 あんまり気負わない方が…」
「お嬢は止めて、今は私がこのチームのメインパイロットよ」
葵が所属するチーム、その母体はかつて"シューティングスター"と呼ばれていた父が所属していたチームだった。
葵の父と共にブロスファイトの世界で戦っていた古参兵たちが、わざわざ葵のために再結成してくれたのである。
自分のために集まってくれた事は正直嬉しいが、一つだけ不満があるとすれば彼らは葵のことを子供扱いするのだ。
まだ父が現役だったころに幼い頃の葵と何度も顔を合わせている彼らにとって、葵は今でも可愛い子供なのかもしれない。
しかし今の葵は立派なパイロットであり、出来れば今のような子供扱いは止めてほしいのだが彼らがそれを止める気配は全く無かった。
「しかしお嬢の話が本当なら、その坊主はマニュアル免許を持ってないんだろう。 そんな奴が相手なら楽勝じゃ…」
「否、噂によるとあのチームは模擬試合で、プロのブロス乗りを倒したらしい。 油断は出来ないぞ…」
「あいつが試合に出るというなら、絶対に勝ちに来るはず。 決して油断はしないわ…」
ユウキオーガとの模擬試合の顛末が断片的に伝わっているらしく、彼らは歩とワークホースに対して一定の警戒をしていた。
教習所時代の歩を知っている葵としては、ユウキオーガの件が無くともマニュアル免許を持たない歩を侮らなかったろう。
歩が勝利を最初から諦めた記念受験などする筈が無いことを葵は確信しており、ライセンス試験を突破できる何かを持っている筈なのだ。
しかし相手がどのような手で来ようとも勝つのは自分たちである、歩には成長した自分の力を見せつけやるのだ。
「おい、これってあれじゃ無いか。 お嬢に春が来たのかも…」
「馬鹿な、幼い頃からブロス一筋で男のおの字も無かった、あのお嬢が…」
「そういえば教習所に通っていた最初の頃は、いつも楽しそうだったよなー。 途中からまた元の仏頂面に戻ったけど…」
教習所時代に黙って葵の前から居なくなり、宙ぶらりんになっていた勝負をライセンス試験と言う舞台で着ける。
ライセンス試験の対戦相手である歩に対して一種の執着を見せる葵であるが、そこに相手への憎しみと言う感情は無く逆に親しむすら感じさせる雰囲気である。
その美しい容姿の割の浮いた話が全く無かった娘が初めて見せる男の影に、父親気分のチームメンバーたちは複雑な思いを感じるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます