第2章 立場

7 七代目の期待

 某所、鏑木組本部。

 戦後、地元の宮大工によって作られた雅な建物の離れにスーツ姿の男達が大勢集まっていた。向かい合って座るその中に廉司の姿もある。

 毎月行われる月定例会は、それぞれが決められた金額を本部に納めると、あっという間に散会になった。

 執行部の面々が次々と席を立つ中、廉司は本部長の清水しみずに呼び止められた。部屋の入り口で廉司を待っている夏目にヒラヒラと手を振り、先に行けと合図した。


 素直に頭を下げ、板張りの縁側から外へ出た夏目は、幾分ひんやりしてきた空気を肺いっぱいに吸い込んだ。月末にもなればスーツだけで出歩くのは厳しいだろう。

 大きな日本庭園の遥か向こうに、紅葉の美しい山が連なって見える。遠景から足元へ視線を戻した彼は、池の中で寒さなど微塵も感じさせずに悠々と泳ぐ錦鯉を目で追いながら煙草に火を点けた。


「夏目」


 ふと、名を呼ばれて振り返る。

 離れから玄関のある本館へ続く渡り廊下に、数人の男に囲まれた一人の男が立っている。仕立てのいいスーツを身につけた白髪混じりの男は、いつも周囲に屈強な男を従えているにも関わらず一番強そうに見えた。初めて会った時から変わらず。


「組長」


 鏑木組七代目組長、鏑木司郎。廉司の実父である。

 夏目は火を点けて間もない煙草を惜しげもなく白い玉砂利の上に落とし、膝に手をついて頭を下げた。

 そんな彼の様子に、司郎は皺の目立ち始めた顔に悪ガキのような笑みを浮かべた。


「なんだ。『おじさん』って呼ばねぇのか。あの頃みたいに」

「いつの話ですか。俺がこんなガキの頃ですよ」

「懐かしいなぁって話だよ。なぁ。久しぶりじゃねぇか。元気か?」

「はい。おかげさまで」


 親しげに話しかけられて、夏目の声も心なしか明るくなる。


「廉司は?」

「まだ中です。本部長から何かお話があるようで」

「はーん……また発破かけられてんな?」

「さぁ……」

「俺の前だからって遠慮はいらねぇぞ。本部長がアイツの尻を叩きたくなる気持ちもよく分かる。俺だって楽しみにしてるんだぜ?一日も早い八代目の旗揚げを」


 視線を上げて司郎の言葉の真意を探る。だがそこには、裏表のない微笑があるだけだ。

 司郎の手に促されるまま、夏目は折っていた上体を持ち上げた。


「アイツ、シャブ嫌ってるだろ?シノギのネタが少ないこのご時世に」


 思いがけない司郎の言葉に夏目は一瞬首を傾げる。

 

 暴力団が金を稼ぐ方法をシノギと言い、その手段として覚醒剤――シャブの密売がある。覚醒剤の密売は大きな利益を生むが、取り締まりが厳しいため、組員が売買、使用することを禁じている組も少なからずある。鏑木組もその一つである。 

 とりわけ廉司は覚醒剤を毛嫌いしていることで有名だった。


「それは、鏑木組ここにいる以上、通す筋だと思っています。若も、俺達も」

「大したもんだ。それでもちゃんと稼ぎを上げる。時代の流れが読めるから老いぼれ共にも一目置かれる。信念も華もあるから若い衆もついてくる」

「若の技量と魅力ですよ」


 主を誉められ、自然と顔が綻んでしまう。

 そんな夏目に司郎は呆れるような声を上げた。


「なら、俺は単なる親馬鹿じゃねぇだろう。勿体ねぇ。なんでアイツには熱がねぇんだ」

「熱?」

「『俺のモノにしてやる』っていう熱だよ」


 情熱だ。わかるだろ?と、急に機嫌を傾けた司郎に思わず苦笑した。


「若には若なりのタイミングというか、考えがあるんじゃないでしょうか」

「いや、違うな。やっぱコレだ。コレがねぇからだよ」


 そう言って自身の小指を真っ直ぐに立てて見せつける。


(話が妙になってきたな)

 夏目は視線を泳がせた。


「なぁ、夏目。お前なら知ってるんだろう。どうなんだ、アイツ。いるのか?いないのか?」


 どうやら本題はコレらしい。

 息子の恋愛事情が知りたくてウズウズしている。

 心配半分、好奇心半分といったところだろう。

 努めて穏やかな声で返す。


「若は見ての通り、女性には不自由されてませんよ」

「そうじゃねぇよ。言っただろ?情熱だ。本気の相手だよ」

「どうでしょう。今のところ……は」

?」


 茶を濁そうとしていた夏目がはたと何か思い出したような目をしたのを、司郎は見逃さなかった。


「おい、いるのか?」


 ほんの一時、眉根を寄せて考え込んだ夏目は何故か首を捻ってしまう。


「いえ。多分です」

「はあ?なんだよ、そりゃ!期待しちまったじゃねぇか。まったく、親の心子知らずとはよく言ったもんだぜ。俺は早く孫の顔が見てぇよ」

「大丈夫ですよ、若なら。今はまだその時じゃないだけです。必ずいいひとを見つけますよ」

「……なんなんだ。その根拠のない断言は」


 ニッコリと微笑む夏目を司郎は蔑む。

 彼の中にふとした悪戯心が頭をもたげた。


「いっそ」

「?」

「いっそ、夏目お前が女だったら良かったのになぁ……」

「! やめてくださいよ。若に抱かれるなんて、考えただけでケツが裂けそうですよ」


 余裕に満ちていた顔をぎょっとさせ心底嫌そうな声を出した夏目に、司郎はしてやったりとばかりに笑い出した。


「まあな!アイツもなかなかのモン持ってやがるからな!俺に似て」

「組長」

「冗談だよ、冗談!そう怖い顔すんな」

「……ちっとも笑えませんよ」


 庭中に響き渡る司郎の笑い声に、取り巻きも困ったような微妙な笑みを顔に貼りつけている。

 あまり人に聞いて欲しい話じゃないなと、周囲を窺っていると離れから当の本人が出てきた。


「組長」

 少し焦った夏目の声に司郎は頷いた。


「あぁ、分かってる。もう行く。廉司を怒らせると怖いからな」

「すみません」

「謝るな。お前のことは頼りにしてる。アイツもお前には心を許してるからな。安心して任せておけるんだ。まぁ、とにかくよ。よろしく頼むな」


 再び夏目が頭を下げたのを見届けて、司郎は部下と共に立ち去った。

 その姿が本館へ消えた頃合いを見計らって頭を上げると、傍らに廉司が立っていた。肌寒さに少し肩を竦めながら煙草を咥えた廉司にライターを差し出す。廉司が息を吸うのに合わせて火が灯る。


「あのバカ親父、何にウケてたんだ?」


 デカい声で笑いやがってと、呆れたように煙を吐く。

 とても本当の事は言えない。逡巡し、ここはごまかすことに決めた。


「大したことじゃありませんよ。ところで、本部長から何か?」


 話題を変えた夏目の目を廉司がちらりと見たが、それ以上腹を探ってはこなかった。


「コッチも大したことじゃねぇ。ケツ叩かれただけだ」


 いつもの事だと、天に向かって大きく伸びをする。

 青い空を見つめる廉司の横顔に、ほんの一瞬影が差したのを夏目は見落とさなかった。


 世間の波も相手の心も見透かすような深い漆黒の瞳が、近頃ふとした拍子に薄いガラスのような脆さを見せることがある。

 夏目が思い当たるものは一つしかなかった。


(渓一花、か?)


 あの日から、もう二週間以上経っている。

 廉司にしては珍しい事もあるものだと、その時は大して気にも留めなかったが、日に日に彼の輪郭に色濃く漂うようになってきた切なさに、夏目は嫌でも気が付いた。

 なのに何も聞けない。廉司が何も言わないからだ。


 一度だけ自然な成り行きを装って、普段は利用しないあのコンビニに再び車を停めてみた。賭けにでたつもりだった。

 しかし、廉司は一瞬彼女が座っていた場所に目を向けただけで、あとはずっと下を向いてスマホを弄っていた。会話の糸口さえ見つけられない。お手上げだった。


(諦めたのか、それとも考えないようにしてるのか……)

「おい、夏目」


 強い声で不意に呼ばれ、我に返る。無意識に考え込んでいたらしい。

 池を背に、本館へ足を向けた廉司がついて来ない夏目を訝しむように見ていた。

 顎に当てていた手を離し、一つ咳払いをしてその場を取り繕おうとする。


「何ボーっとしてんだ、お前は」

「すみません」

「寒いんだよ。体が冷えそうだ。帰るぞ」


 スーツのポケットに手を突っ込み、さっさと立ち去ろうとする廉司を制止して本心を聞き出す勇気を持たない自分がもどかしい。


「車、回します」


 自身の不甲斐無さに心の中で舌打ちをしつつ、夏目は廉司の後を追った。

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