其之九 鳳雛一匝

 江夏こうか郡は漢の高祖こうその時代に設立され、十四県を管轄かんかつした。

 その郡土は漢水かんすい沔水べんすい)と江水によって、北と南に二分されている。他にも河川が多く、江夏の地名も、江水こうすい(長江)と夏水かすいちなむ。漢水・夏水・江水の一帯は広大な湿地帯で〝雲夢沢うんぼうたく〟と呼ばれ、増水期は一面が巨大な湖のようになった。

 夏口かこうという名の由来も、夏水と漢水が合流して江水に注ぐ地点であることから名付けられた。かつての郡治は溳水おうすい沿いの安陸あんりく県で、そこは黄祖こうそ黄承彦こうしょうげんなど荊州の有力豪族・黄氏の故郷である。

 荊州牧けいしゅうぼくとなった劉表りゅうひょうが黄祖を江夏太守に任命した際、黄祖は夏水(漢水下流)と江水の合流点に面する魯山ろざん亀山きざん)に築かれた却月かくげつ城という軍事とりでに入り、そこに郡治を置いた。魯山は小高い丘陵きゅうりょうで、ふもとに夏水と江水の流れを一望できる。

 黄祖はその合流点に港を整備して兵を常駐させる一方、夏口にも軍船を係留して軍事拠点としていった。これが今の武漢ぶかん市の始まりである。

 四年前の建安四(一九九)年に孫策そんさくが、今年には孫権そんけんが軍を率いて江夏に攻め寄せ、黄祖は敗れて逃走した。しかし、いずれもかたきである黄祖を討ち取るには至らず、船を焼き払い、港を破壊して帰還した。黄祖はその都度戻ってきては、夏口の軍港開発を再開させた。

「ここは水路によって四方へ通じる。揚州から見れば、ここは荊州への入口。裏を返せば、ここさえ死守しておけば、荊州への侵攻を防げるということになる」

 黄祖の子の黄射こうえん走舸そうか(小型戦闘てい)の上から再建途中の港の様子を説明した。

 江夏から漢水の水路をさかのぼれば、荊州の州都・襄陽へ通じる。西へ江水を辿たどれば、春秋戦国時代にの都であった江陵へ通じるし、南は洞庭湖どうていこに入って、そこから水路で長沙など荊南四郡へ進出することもできる。

 江南地方は湿地帯が多く、陸路の整備は遅れている。多雨などで川や湿地の水があふれ、陸路が寸断されてしまうこともしばしばあった。

 このような自然条件もあり、江南地域では、水路を取る方がはるかに便利だったのである。当然、それには船が利用される。それは戦においても同じで、必然的に水戦が多くなった。孫権は多数軍船を保有しており、それに対抗するためにも、軍船と港の整備は不可欠だったのだ。

「荊州への入口であることと、亡父の仇討ち。孫氏が執拗しつように江夏を攻めるのはそれだけが理由ではないはずです。もう一つの理由。禰正平でいせいへいは何を知ったのですか?」

「……何のことですかな?」

 鋭い質問に黄射はふと目を逸らし、揺れる船上でかぶとに手を当て、ずれを直そうとした。

 禰衡でいこうが黄祖に殺されたのは周知の事実である。理由は黄祖に向かって、不遜な態度で、例の容赦ない毒舌を浴びせたからだとささやかれている。

 挙動不審きょどうふしんな黄射の態度を見て取った龐統ほうとうが静かにたたみかけた。

「禰正平殿の怨念が亡霊となって襄陽に現れたという話はもうお聞きのことと思います。再び正平殿の亡霊が現れて、お父上に厄災が降りかかるようなことがあったなら、あなたにとっても、荊州にとっても凶事ではございませんか。の者の無念を晴らし、安らかに眠っていただくには、まず死の真相を知らなければなりません。正平殿の友として、お願い申し上げます。他言は致しません故、お隠しなさらないでいただきたい」

 呪いというものを安直に信じるわけではないが、禰衡が父に殺されてから、孫氏の江夏攻めが立て続けにあった。黄祖は二度の戦に敗れ、命からがら逃げ延びた。

 禰衡の亡霊とそれを結び付けられると、さすがに不吉なものを感じざるを得ない。

「……分かりました。正平殿の死のきっかけとなった場所へ案内しましょう」

 龐氏は襄陽の名士だし、禰衡の友になら、話してやってもいい。黄射も胸にわだかまっていたものを吐露する決心をした。黄射は生前の禰衡と親しくしていた間柄だった。

 龐統はそんな黄射に自分を禰衡の友と偽って近付いたのだ。


 沙羨させん県まで水路を取り、そこから陸路に替える。夏口から江水を三百里(約百二十キロメートル)ほど遡った場所。船と馬と足を使って、まる三日がかりで到着したその場所は河岸に張り出した岸壁が夕陽で赤く染まる江水の南岸であった。

 色鮮やかにいろどられた晩秋の木々に覆われた南屏山なんぺいざん。その岩肌が江水の波に洗われて、露出している。江水に臨むように立つ石碑があった。ほとんど雑草に埋もれかけている。黄射は雑草を取り払いながら、この特別の場所の名を口にした。

「ここは〝朱雀崖すざくがい〟と呼ばれています」

 石碑にはしゅ文字の隷書れいしょ体で大きくその三字が刻まれ、その裏には小さな文字が並んでいる。長年放置されていたのを示すようにこけと汚れがそれらを判読できなくさせていたが、

「碑文は蔡智侯さいちこうによるものです」

 その黄射の言葉が龐統の胸に響いた。孔明が荊州学府で調べた仙珠神器の情報は龐統にも共有されている。主に大学者・蔡邕さいようが書き残した『神仙概論』という本からの情報だが、その蔡邕の美名こそが〝蔡智侯〟であった。

『神仙概論』の中で、蔡邕は言っている。

 神器・朱雀鏡すざくきょう坤禅地こんぜんちが朱雀崖と呼ばれる場所であると――――。

 坤禅とは、地宝である神器をまつって、その力を大地に宿らせることをいう。

「正平殿は一目見ただけで、その碑文の内容を暗記されました。長沙太守・孫堅そんけんが朱雀を坤禅したという内容だったと思います」

 黄射が言った。禰衡と親しくなった黄射は彼の要望で、五年前に禰衡をこの場所へ案内した。黄射自身は朱雀崖の存在さえ知らなかったが、禰衡が言う場所と合致する場所の情報を村人などからかき集めて、何とか辿り着いた。

 地元民が「赤壁せきへき」と呼ぶ場所である。

「朱雀崖の情報は帰った後で父にも伝えられました。碑文がうろ覚えだったせいで説明に困りましたが、正平殿がそれを一字一句全て記憶していて、すらすらと暗誦あんしょうして、父も私も感心したものです。はじめ父も正平殿を厚遇していたのですが、いくら父が要請しても、正平殿は荊州に仕えることをがえんじませんでした。あまつさえ父を無能と言って、勘気に触れてしまって……。この朱雀崖の情報を知っていること。あの口達者な性格。ついに父は彼を殺すことに決めました」

「口封じですか」

「そうなります。仮に曹操や孫策の下に行かれて、その情報を漏らされでもしたら、荊州の大きな脅威になると父は言っていました」

 口はわざわいの元。知り過ぎて、しゃべり過ぎた。禰衡は黄祖に向かって、

「――――朱雀の加護があるから、太守が無能でも江夏を守り通せるだろう」

 と、余計な一言を言った。禰衡はその好奇心旺盛さと自らの舌禍ぜっかで身を滅ぼしたのだ。

「当時はこの岸壁沿いに短い桟道さんどうが続いていたのですが、流されてしまったようですね」

 黄射は懐かしむようにその日の出来事を話した。桟道とは、崖や山腹などを行くために木材を組んで作った足場のような通路である。龐統が目を向けた先にそれはない。恐らく江水の増水時に流されてしまったのだろう。

「桟道の先に細い割れ目があって、奥が小さないわやになっているところがあります。私と正平殿がそこに入ろうとしたところ、中はまるで大窯おおがまでもいていたかのような熱さで、肌が焼けるような感覚に思わず私たちは窟を出て、川に飛び込みましたよ」

 その黄射の思い出話と徐庶じょしょが証言した長沙の報告が一致した。熱波の壁。

『孫堅によって坤禅が為されたあかし……。それが熱波の壁となって、長沙を加護した……。孫策や孫権はそれを知っていて、この地を得ようとしきりに兵を出してきている……』

 得られた情報を整理していくと、龐統の脳裏にそのような結論が導き出された。

 県城から随分離れているが、この地は江夏郡沙羨県の管轄に入る。四年前、孫策軍は黄祖の軍船製造基地の沙羨県にまで進出して攻撃している。それは分かるが、周瑜しゅうゆは江水をさらに遡り、巴丘はきゅうにまで軍を進めた。

 巴丘は洞庭湖の東岸、長沙郡の最北部に当たる。朱雀坤禅の地を確保し、江夏や長沙にも進出が可能な要地だ。孫策は周瑜を江夏太守に任命し、周瑜は巴丘に軍を留めて、そこを拠点としようとした。

 たまたま孫策の急死があって、周瑜は呉に帰還せざるを得なくなったが、今年度初めの孫権の侵攻も含め、孫氏の野望が見え隠れする出来事だった。


 最南の交州事情がにわかに混沌としていた。交州刺史張津ちょうしん死去。その情報が荊州の劉表や曹操の許都に伝わってきたのは、建安八(二〇三)年の暮れの頃だった。

 張津はあざな子雲しうんといい、南陽郡の人である。曹操とは昔馴染みであり、一年前に曹操(朝廷)から交州刺史に任命された。長沙太守の張羨ちょうせんが死んだ時、夏侯惇かこうとんは予章太守の孫賁そんふんと交州刺史の張津に手紙を送り、南方から荊州の劉表、つまり、荊南鎮圧に従事する劉備を牽制させようとしたのだが、張津は治政に失敗して部下の区景おうけいに殺されてしまった。

 交州支配の名分を持つ劉表は後任に零陵出身の頼恭らいきょうを選んで送った。また、同時期に蒼梧そうご太守の史璜しこうが死んだのを聞いて、長沙太守の呉巨ごきょを後任に充てた。

 一方、曹操は張津の仇である区景を討った交州の実力者、交趾こうし太守・士燮ししょうからの上奏を受け、彼を交州刺史と認めて、劉表に対抗させた。

「交州のことを頼むと言っておきながら、裏で足を引っ張るまねをする。先の張羨のこともある。やはり、曹操は信用ならん。玄徳殿の申すとおりだ」

 この処置を知った劉表が苦虫を噛み潰すかのように顔をしかめた。劉備からの書簡が来て、交州事情が伝えられたのだ。呉巨は無事に蒼梧に入ることができたようだが、頼恭の方は赴任が間に合わなかった。すでに交州の州都の番禺ばんぐうは士燮に押さえられ、頼恭は蒼梧に留まったままだという。

 遠く越南(ベトナム)にまで通じる交州は珊瑚さんご象牙ぞうげ玳瑁たいまいなどの珍品を産出し、海外交易も盛んである。そして、それらの交易で得られた収益が荊南に流れ、軍資金となって反乱を支えた面がある。交州は群雄争覇の舞台とは関係のない僻遠へきえんの地であるので、忘れられがちだが、交州を支配できるかどうかは経済面に与える影響が非常に大きかった。

 劉備は書簡で冀州制圧に従事している曹操の背後を襲うよう、劉表に訴えていた。

「玄徳殿を呼び戻せ。曹操に一泡吹かせて、仙珠を取り戻す」

 蒯越かいえつ遺憾いかんながらも、主君の心が再び揺れるのを見届けるしかなかった。が、

「呼び戻すのは結構です。ですが、交州の事情もありますから、兵は荊南に残して呼び戻されるのがよろしいかと」

 その鬱憤うっぷんに理解を示しつつ、そう忠告を加えた。

 劉備を二年近く荊南に留めおくことには成功した。劉備は荊南諸郡を鎮圧し、孫権の動きを封じ込めることにも役立った。確かに劉備は荊州にとって有用だが、何とか曹操と衝突する事態だけは防がなければならない。


 建安九(二〇四)年。龐統はがく樊山はんざんにいた。そこにいおりを構え、時々ふもとの様子を見に出た。樊山の麓は樊水が江水に注ぐ地点であるため、〝樊口はんこう〟と呼ばれた。

 ここは江夏郡に属しながら、すでに孫権の勢力圏である。樊口から江水を一日下ると、柴桑さいそうに着く。

 彭蠡沢ほうれいたく鄱陽湖はようこ)の西岸に位置する柴桑県は本来予章郡に属すが、孫策が周瑜を江夏太守に任じてから、江東の江夏郡の管轄とした。孫権は水路が四通八達しつうはったつする要地のそこを荊州進出の前線基地とし、周瑜が駐屯した。

「友の諸葛孔明から貴殿の名は聞きました」

「おお、あの諸葛少年のご友人か。いや、もう少年ではないな。あれは、もう七、八年も前のことになる」

 龐統を接待しているのは魯粛ろしゅくだった。二人の共通項として孔明の話題になった。

「孔明の兄が江東にいるはずですが、ご存知ありませんか?」

 龐統が樊山でしばらく過ごしていると、結構な賢人がいるとすぐに噂になった。

 それを聞きつけたのが魯粛だった。孫権は江夏攻略のため、魯粛に命じて樊口を軍船の係留地かつ最前線基地として整備させていたのだ。後年、樊口はさらに発展して、江東の副都・武昌ぶしょうとなる。

 龐統が樊口に下りてきていると聞くと、魯粛は早々に仕事を切り上げて、龐統を屋敷へと誘った。魯粛との接触は龐統も望むところだったが、自ら近付いては荊州のスパイと警戒される。樊山に居を構えたのも、魯粛の方から接触してくるように仕向けるためだった。

「良く知っている。実は兄の諸葛子瑜しゆ殿を討虜とうりょ将軍にお薦めしたばかりなのだ」

 魯粛は周瑜の推薦で孫氏政権に参画し、その信任を受けていた。そして、その魯粛の推薦で孫権(討虜将軍)に仕え始めたばかりなのが、孔明の兄・諸葛瑾しょかつきんだった。

「そうでしたか。孔明は生き別れた兄の安否をいつも気にしていました。帰ったら、伝えてやります」

「それが良い。それで、子瑜殿の弟御おとうとご……孔明殿と言ったかな。今はどうしておられる? 私も子瑜殿に伝えてやりたい。子瑜殿も大いに気にかけていた」

「襄陽で学問に励んでおります。数多あまたいる書生の中でも、彼の才知は群を抜いています」

「それは素晴らしい。いずれ劉荊州に仕えるのですかな?」

「どうでしょう? 私にも分かりません」

「そうですか。子瑜殿がこちらにいることだし、是非、江東に来てもらいたいものですな。……ところで、貴殿はどうしてこちらに? 仕官をお望みなら、私が口をいて差し上げてもよろしいが」

「いえ、ただの遊学です。ずっと襄陽にいましたから、外の世界を見たくなっただけです」

「なるほど、遊学ですか。何について学んでおられるのですかな? こちらには高名な先生はいらっしゃらないはずだが」

 魯粛は龐統を樊口の様子を偵察に来た荊州のスパイかもしれないと疑っていた。

 孫権が実効支配を始めたこの地に数十日も滞在している。仕官にも興味を示さない。

「目に映ること全てが勉強になります。目に映らないことも、またしかり」

 言って、龐統は何杯目かのさかずきをあおった。

「目に映らないこととは?」

「天の声、地の声といいますか……」

「ほぅ、天地の声ですか。どうか教えていただけまいか。それは具体的には、どんなものなのですかな?」

「父の残した力は子のさまたげとなり、子は未だ父を越えられずにいる……。そんな親子の葛藤、遺憾いかんの念を感じるようです」

 暗に神器の坤禅のことをほのめかしている。スパイなら、わざわざこんなことは言わない。この男は全てを知っている。その上で自ら近付いてきたのだ。

 魯粛は直感した。そして、

士元しげん殿、柴桑に来てもらえないだろうか。一度主君に会っていただきたい」

 居住まいを正して、龐統に告げた。龐統はえない容姿をさらに曇らせて、

「私は荊州の人間です。郷土を攻撃する相手に会って、話などできかねます」

「もう話している」

 曹操が北征で忙しいうちに荊州を制し、朱雀の加護を取り戻す。その上で、江水を防壁として割拠してから、自ら帝王を名乗るべし――――。

 そう孫権に指標を示したのは誰あろう、魯粛だった。

「私が荊州攻略をお勧めした。曹操に対抗するには、それしかないと思ったからだ」

図体ずうたいが大きくても体力が足りなければ、いずれ虎に食われるだけ。手足を負傷したなら、抵抗もできません」

 領土が広くても、兵が少なければ、対抗できない。団結が弱ければ、抵抗もかなわない。

「体が小さくても、両脚が健全なら、虎がのしかかってきても、何とか倒れずにいられるかもしれません。両手が健在なら、虎の口をつかんで抵抗するくらいはできます」

 言いながら、龐統は両手で杯を持つと、何かにあらがうようなジェスチャーをした後、それを一気に腹に流し込んだ。魯粛も龐統の言う意味を理解した。荊州と江東の協力関係が重要だと言いたいのだろう。が、それは魯粛が模索して、諦めた道だ。

「ずっと注視してきたが、劉荊州は曹操と戦う意志がないように見える。黙って曹操に荊州をくれてやるよりは、取った方がよい」

「もう一人の劉がいます。一番曹操と戦いたがっている人が」

「劉予州か。予州殿が荊州を動かすというのなら、話は変わってくる」

「私も荊州人ですから、荊州を戦火から守りたいという気持ちはあります。どうするのが一番効果的なのかを荊州の外から考えてみようと、こちらに参ったわけです」

 龐統は魯粛を信頼できる人物と見て、自分の思いを開陳した。

「こちらで過ごすうちにある確信を得ました。一番良いのは、荊州と江東が手を携えて、曹操と対抗すること。どちらが傷付いてもいけない。どちらも健全でいなければならない。私の友人の一人が劉予州に仕えました。孔明がどうするのか分かりませんが、もし、孔明が劉予州に仕えて荊州を保つ決意をしたなら、その時は私も討虜将軍の下で、子敬しけい殿と共に江東を保つ努力を致してもよい。孔明が江東を選ぶ時は、私は劉予州を選びます」

「その言葉、約束してくれるか?」

 魯粛が真顔で迫った。鳳凰の言葉はふわりと宙を舞って、

「全ては臥龍と討虜将軍のお心次第」

 杯の中に落ちた。龐統はその杯をぐいっとあおって、酒と自らの言葉を呑み干した。


 八月。曹操は袁氏の本拠地・ぎょうを陥落させた。袁尚は北へ逃亡し、幷州を治めていた袁紹の甥、高幹こうかんが曹操に帰順を申し入れてきた。

 曹操はこれを認め、前年に青州を治める袁譚の降伏を受け入れていたので、袁氏の支配する四州のうち、早くも二州を手に入れたことになる。まだ袁紹の死から二年余りしか経っていない。

 劉表は劉備を呼び戻し、南陽郡の新野しんやに駐屯させていたが、結局、劉表は何の命令も発しないままだった。自分の部将と私兵だけを連れて戻ってきた劉備には十分な兵力はない。劉表も客将の劉備に荊州数万の指揮権を与えるのを躊躇ちゅうちょし、かと言って、自身が戦場に出る気概はない。そうこうするうちに劉表の熱も冷めてしまった。

「これで良い」

 劉表にそれとなく劉備の危険性をほのめかして、その決断を鈍らせてきた蒯越が言った。

「このまま動かずにいてくれたら良いが」

 曹操との対立関係が緩和され、この頃、蔡瑁さいぼうも襄陽に戻ってきていた。

「いや、また一揺れするだろう。仙珠を失った後悔が思いのほか大きい」

「それもこれも全て劉備のせいだ。いっそのこと除いてしまうか?」

「待て。棄てるのはいつでもできる。今は使えなくなるまで使うまでだ。北の動静に決着がつくまでは判断をくな」

「あの策謀以来、君が劉備に接近している。琦君が後継になったら、劉備と結託して、曹公と対決する事態になりかねないぞ」

「分かっている。荊州が戦で荒廃するのは望むところではない。だが、後継争いが顕在化けんざいかすれば、荊州は二分されて内乱に発展するかもしれない。まだ劉備は信頼されているし、劉備を殺すのは簡単ではない。もし、不用意に手を出せば、こちらの印象が損なわれる。そうなれば、そう君を立てることも叶わんということだ。袁氏の二の舞を避けるためにも、慎重に事を運ばねばならんのだ。つつしめよ」

 蒯越は危険な策謀を巡らす蔡瑁をたしなめて言った。

 後漢末期に一大勢力を築き上げた袁氏の栄枯盛衰えいこせいすい――――袁紹・袁術の州郡と民衆を巻き込んだ兄弟喧嘩に始まり、今は袁譚・袁尚の骨肉の後継争いが続いていて、止むことがない。内紛から自滅の道を辿たどる彼らは、後継問題を抱える全ての家にとっての反面教師だ。

 曹操の意図どおり、袁氏は弱体化した。曹操は鄴を陥落させた後、一転して袁譚を攻め、これを打ち破った。袁氏の勢力は完全に分断され、こうして袁氏一族は身内同士で争った果てに滅亡の淵へと追い詰められていく。


 龐統が襄陽へ戻ってきたのは再び木々が葉の色を変え、散らせ始めた頃だった。

 肌寒さが増してきたある日の午後、何の前触れもなく、荊州学府にふらりと現れた学友に、「おお、士元だ」と、孔明も仲間たちも総立ちになって再会を喜んだ。

「久しぶりだな。生きて帰ったか。まさか幽霊じゃないだろうな?」

「もうその変顔を拝めないかと思っていたぞ、この薄情者め」

「よし。今日の主役は龐士元だ。遊学でどう変わったかを聞かせてもらおう」

 孟建と石韜の口厳しい歓待を受け、崔州平に促されて、龐統は文通亭の輪の中に迎えられた。龐統が腰を下ろす間もなく、徐庶が聞いた。

「いつ帰ったんだ?」

「今到着した船で」

「着いたその足でここを訪れたわけか。大いに礼儀を学んできたと見えるな」

 孟建が皮肉を言って口元を緩めた。

「孔明から江夏に行ったと聞いたが、ずっと江夏にいたのか?」

「しばらく鄂県にいました」

 龐統は石韜の問いに答えた後、孔明に向き直って、諸葛瑾の情報を教えてやった。

「孔明、君の兄上のことが聞けた。孫権に仕えて、平穏に暮らしているそうだ」

「そうか。兄上は無事なのだな……。それが知れただけでも嬉しい……」

 それを聞いた孔明は安堵と感動で言葉に詰まった。龐統に聞きたかったことがあったのに、それは瞬時に頭から抜け落ちてしまった。およそ十年ぶりの消息なのだ。無理もない。

「鄂県は今や江東の孫権の勢力圏だ。そこで何を学んできたのだ、士元?」

 しんみりと感慨にふける孔明に代わって、崔州平が尋ねた。

「私自身の道です」

 以前のようなはぐらかす答えではなく、龐統はきっぱりと答えた。


 荊州学府での再会と会合を終え、孔明は龐統と二人で渡し船に乗った。

 孔明は早速兄の消息を伝えるため、魚梁洲ぎょりょうしゅうの姉の家へ向かうつもりだった。

 二人だけになって、龐統が孔明に聞いた。此度こたびの龐統帰郷の大きな理由は孔明に諸葛瑾の情報を伝えることと、その志向を直接尋ねるためであった。

「兄上が江東にいるのは、孔明が江東へ行く理由になるか?」

「いや、一度会いたいとは思うけど、もう別々の家だ。阿参もいるし、もう荊州が第二の故郷のようになっているから、私はこのまま荊州にいるよ」

「そう言うだろうと思っていた。それで、私の気持ちも決まった」

「どういうことだい?」

「私は江東に仕官してみようかと思う。向こうで良い知遇を得た」

 このことは孔明に聞いてから決めるつもりだったので、先の会合では何も話していない。

「……そうか」

 孔明は一言そう呟いて、友人の進路に納得した。明確な理由があったわけではないが、孔明も龐統が仲間たちとは違う道を進むのだろうことを何となく予期していた。

従父おじ上や水鏡先生から何かと対比されてきたが、私と孔明はこうして話の分かる関係だ。荊州と江東でそれをやることができたら、良いと思う」

「なるほど。でも、私は仕官のことは、何も決めていないよ」

「荊州に留まるなら、選択肢は一つではないか」

 龐徳公や司馬徽に才能を認められた孔明が、その大才を隠して隠者のような生活を選ぶとは考えられない。だが、誰かに仕えるにしても、曹操という選択肢はない。そして、蒯家や黄家の伝手つてがあるのに、今まで劉表に仕官する道は選んでこなかった。

「従父上が引っ越した理由を知っているか?」

「珍しい薬草を探すために蘇岭山それいさんに移ったんじゃないのかい?」

「それも一つの理由だが、もう一つ理由がある」

「いや、検討がつかない」

「孔明がこれ以上自分のような生活に憧れないようにと、実は孔明から遠ざかった」

「えっ?」

「せっかく国の病を癒せる良薬を見つけたのに、自分の生き方を真似まねされては、それをまた野に返すようなものだと言っていた。水鏡先生も同じ意見だったそうだ」

 仙珠や神器に関わってしまったことが師を遠ざける結果を招いたと思っていた孔明は、自分の晴耕雨読せいこううどくの生活が直接の原因だと聞いて、胸が詰まるようだった。

 孔明は時々荊州学府に顔を出し、黄承彦邸に月英げつえいを見舞い、龐山民ほうさんみん邸に姉を訪ねることをしているものの、基本的には隆中りゅうちゅうの田舎にこもって、読書と耕作の日々を過ごしていた。

 確かに葛玄かつげんや龐徳公に影響されて、隠遁生活に似た生き方をしていた部分は否定できない。どんな生き方を選択するかは自由だ。しかし、龐徳公は若くしてそんな生き方に満足してしまっている孔明を、自らが退くことで一喝しようとしたのかもしれなかった。

 龐徳公も司馬徽も黄承彦も、龍の飛翔に必要な風雲が近付いていることを察知している。その邪魔にならぬよう、その助走を助けようとしているのだ。

「私も従父上から同じ様な生き方はするなと言われていたし、我等はのんびり暮らすわけにはいかないようだぞ」

 船底がこすれる震動があって、船が魚梁洲に接岸した。無言で船を下りる孔明の背中に、

「従父上の意もそうだが、我が意も無駄にしてくれるなよ、孔明」

 離れていく声に気付いた孔明が振り返った。てっきり龐統は従兄いとこの龐山民邸へ同行するものと思っていた孔明は岸辺にぽつんと独り残されて、龐統を乗せたまま離岸する船を言葉なく見送った。そこから姉の家へ向かう間、せっかく知り得た兄の消息が頭から抜け落ちてしまって、沈んだ表情で現れた弟は、

「まぁ、随分浮かない顔ね。何か良くないことでもあったの?」

 と、姉に問い返される始末だった。

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