其之七 英雄の影

 隻眼せきがんの将軍・夏侯惇かこうとんあざな元譲げんじょう。武人らしい精悍せいかんな顔つきと顔に刻まれた傷は歴戦の勇者のあかしだ。夏侯惇はかつて左眼があったくぼみに手にした黒いたまを押し当ててみた。偽眼ぎがんにするにしては大き過ぎる。てのひらにすっぽり収まるくらいのそれは早朝の冷気を吸収したかのようにひんやりとしていた。そうしていると、この珠を巡る過去の記憶がぼんやりよみがえってきて、夏侯惇は低くうなった。ゆっくり珠を離し、もう一度右眼の視界にそれを捉える。

 黒水珠こくすいじゅ――――水晶のような球体の中に宇宙の闇を詰め込んだかのような宝珠。

 目的のものは手に入れた。そして、標的とする人物もすぐそこだ。

「それで、玄徳げんとく……いや、劉備りゅうびはやってきたか?」

「はい。十里(約四キロメートル)先に迫っております」

「そうか」

 報告を聞いた夏侯惇の口角がかすかに上がる。夏侯惇は握った黒水珠をよろいの奥へしまい込むと、その代わりに立てかけてあった槍を手に取って席を立った。

 恒例となった戦闘前の儀式。槍の柄でトントンと地面を打つと、ビュンと穂先をしならせて空を斬った。

「待っていろよ、玄徳。決着をつけてやる」

 不敵に笑う。常に曹操そうそうの手となり、影となって動くのが夏侯惇だ。右眼に戦傷を負った愛馬〝右眇うびょう〟にまたがって、劉備が待つ戦場へ向け槍を突き付けると、軍を進発させた。


 建安七(二〇二)年、春。劉表りゅうひょうは仙珠交換の使者に息子の劉琦りゅうきを指名し、黒水珠を持たせて送り出した。ところが、襄陽を出発してたった二日、荊州の南陽郡内で劉琦は夏侯惇が率いる曹操軍に捕捉された。

 この事態を招いたある裏切りがあった。

「――――曹公が警戒するだけのことはある。予州殿はなかなか手強てごわい」

「――――感心している場合か。使者には琦君をせ。劉備に託すなどもってのほかだ」

「――――徳珪とくけい、何を考えている?」

「――――どのみちあの仙珠は荊州保全の代価として曹公に託す約束だった。少々予定が繰り上がったが、ちょうどいい機会ではないか」

「――――情報を漏らすのか?」

「――――全ては荊州を戦乱に巻き込まぬためだ。琦君には悪いが、そうを後継にしたい」

 劉表の後継争いに深く関与する蔡瑁さいぼうの陰謀によって、劉琦が冀州に向かったのが曹操側にリークされていたのである。曹操はすぐさま一軍を派遣して、冀州へ通じる各街道の封鎖に動いた。これを任されたのが曹操の親戚にして、最も頼りにされている部下、夏侯惇だった。

 夏侯惇が手を振り上げ、全軍停止の合図を出した。二里(約八百メートル)先の草原に一軍が布陣している。劉備の軍だ。報告では約五千。

 騎馬の劉備が自ら進み出てきた。その左右を義弟の関羽かんう張飛ちょうひが固めている。

 夏侯惇も自ら愛馬に乗って進み出た。機密の戦前交渉だ。その左右を固めるのは于禁うきん李典りてんである。

「青龍爵を持っているな? そいつを寄越せ。劉琦と交換だ」

「私が知る沈惇ちんとん殿は下手な小細工こざいくはせず、正面からぶつかるお方だった。そんな卑怯な真似まねはしない。黒水珠を手に入れたのなら、琦君は返してもらう。その上でそちらの仙珠とこちらの神器を賭けて、正々堂々戦おうではないか」

 まだ若かりし頃、夏侯惇は〝沈惇〟という偽名を用いていた。正義感にあふれ、邪悪な宦官かんがん一派を相手に劉備たちと共闘したことがある。左眼の傷はその時に付いたものだ。

「ふん……。相変わらず口だけは達者だな。もとより劉表のせがれなどに興味はない」

 夏侯惇が振り返って、仰向けにした手をこまねく仕草をした。後ろ手に縛られた劉琦が解放され、劉備軍の方へと走っていく。曹操に命じられていたのは、黒水珠の奪取であって、劉琦については何の指示もなかった。

 蒯越から劉琦は無事に解放してほしいとの書簡が届いていたし、劉琦の処遇については李典が意見を述べていた。

「―――いたずらに劉表の子を殺せば、恨みを買うだけ。それが劉表の態度を硬化させてしまったら、かえって都合が悪くなります」

 解放された劉琦を見届けながら、夏侯惇が劉備に聞いた。

「おとなしくくだる気はないか?」

「……」

 劉備はそれには答えず、能面を崩さずに沈黙を貫いた。

「なるほど。それが答えか。いいだろう」

 交渉はそれで終わり、両者は各陣営に戻った。そして、戦端が切って落とされる。


 博望坡はくぼうは。草原の背後に鬱蒼うっそうとした森が広がるこの場所で関羽が率いる騎馬隊と夏侯惇の騎馬隊が正面から衝突し、互角の戦いを演じた後、于禁が率いる歩兵隊がそこに加わり、徐々に劉備軍を押し込んでいた。

 曹操軍の兵数は劉備軍の約二倍。力押しだ。

「おい、てめえら! 逃げてんじゃねぇ、戦え!」

 張飛が騒乱の戦場全体に響くような大声で兵たちを叱責していた。劉備軍の後方で歩兵隊がぞろぞろと戦場を離脱しているのである。

「連れているのはほとんどが劉表の兵だろう。まだうまく使いこなせないんだろうさ!」

 劉備軍の乱れにいち早く気付いた于禁が状況を理解して言った。

 于禁、あざな文則ぶんそく。彼もまた歴戦の将軍で、特に兵の統率に関して曹操の信頼が厚い。

「今が勝機、このまま押し崩せ!」

 于禁が自らも先頭に立って敵兵を斬り伏せ、自軍に勢いを付けた。そして、劉備軍が崩れる。最後まで抵抗していた関羽の騎馬隊も後退に転じた。関羽も愛馬の赤兎せきとを駆って、曹操軍の前線の兵たちの前を横切ってその足を止めた後、くつわを返した。

「全軍、追撃だ!」

 夏侯惇が槍を突き出し、号令した。それに合わせ、怒涛どとうの如く追撃が始まる。

「待て、雲長うんちょう!」

 殿軍しんがりの関羽の後ろ姿を追いながら、夏侯惇がかって知ったるその男のあざなを叫んだ。

 その声に関羽はちらりと振り返ったものの、また前を向いて夏侯惇を無視した。

「夏侯将軍、お待ちを!」

 後ろから副将の李典が追いすがってきて叫んだ。

 李典、あざな曼成まんせい。文武両道、冷静かつ慎重な中堅の将軍だ。夏侯惇は愛馬を駆け続けさせながら、李典の声だけを聞いた。

「どうした、曼成?」

「追撃の中止を、伏兵……恐らく罠です!」

「何だと?」

 深い森を抜ける街道。ところどころうねっていて、視界が悪い。左右に兵を隠しておくには好都合な地形だ。勇猛なだけに夏侯惇が気にすることはなかったが、李典の言葉にようやく不気味な気配を感じ取った。李典の予感は当たっていた。

 忠告むなしく、その時すでに後方では火の手が上がっていた。夏侯惇の騎馬隊と于禁の歩兵隊は炎の壁で分断された上、左右から矢を射かけられて被害を拡大させていた。憤慨した夏侯惇は、

「やりやがったな、玄徳め。何が正々堂々だ! こんなもの当てにならん!」

 劉備の嘘をののしると、鎧の奥から黒水珠を取り出し、後方の李典へ放り投げた。

 そして、

「曼成、兵を収拾して撤退させろ!」

 そう言い残すと、李典の制止を振り切って、後退するどころか、さらに前進を選んだ。夏侯惇の愛馬・右眇もまた駿馬しゅんめだ。彼に追いつける味方はもういない。森が終わろうとするその先に、名馬・赤兎に跨った関羽がただ一騎で待っていた。

「雲長!」

 夏侯惇が人馬一体となって、関羽に突進した。数百、数千の敵を突き殺してきた猛将の鋭鋒と激しく高ぶる感情が関羽の青龍刀によって受け止められる。

 それは激しい衝撃音となって宙に散った。関羽は全く表情を崩さず、長髯ちょうぜんでて、

「兄の言葉をお伝え致す。『これは昔のよしみ。おとなしく退かれよ』」

 と、そう言った。

 関羽の超人じみた強さはこの目で見知っている。渾身こんしんの一撃をはばまれて、夏侯惇も感情を落ち着かせた。そして、この以上の追撃は不可能であることを悟る。

 夏侯惇は憤慨と諦めをまとわせた槍を勢いよく回転させると、穂先をざっくりと地面に突き立てた。撤退の意思表示だ。

 それを見た関羽がまた無言でくつわを返した。

「ちっ。昔から知恵の回る奴だったが……」

 独り言のような呟きが風に消される。夏侯惇は昔日を思い出しながらも、劉備という男の成長ぶりを感じられずにはいられなかった。


 徐庶じょしょは博望坡の戦いから三日経っても興奮冷めやらぬようだった。

 孔明は戦いの様子を聞きながら、頭の中にその戦況をイメージしようとしたのだが、それどころではなかった。話しているうちに興奮がよみがえってきたのか徐庶はますますヒートアップしてきて、立ち上がって身振り手振り、行ったり来たり、自分の屋敷をせわしなく歩き回る。もう何年も友人関係にあるが、孔明はこれほど徐庶が興奮しているのを見たことがない。

睡虎すいこ殿、まぁ、これでも飲んで落ち着いてください」

 孔明は徐庶を落ち着かせるために酒ではなく、茶を勧めて言った。

「俺の作戦が採用されて、曹操軍を破ったんだぞ。これが落ち着いていられるか」

 そう言った後、徐庶は差し出された茶を一気に呑み干した。

 博望坡での伏兵をいち早く立案したのは徐庶だった。

 劉表は劉琦が捕らわれたことを知ると、南陽に駐屯する蔡瑁に出兵を指示すると同時に劉備に兵を与えて救援に向かわせた。兵士たちは数で劣る上に劉備に心服しているわけでもない。実戦経験豊富というわけでもない。それらの事情と地理的要因を考慮して、徐庶は博望坡での戦いを劉備に促した。

 どうやってその場所に曹操軍をおびき出すかが課題だったが、劉備は自分自身が兵を率いれば、それは可能だと自ら先頭に立った。徐庶は趙雲ちょううん陳到ちんとうらの将軍と共に伏兵を指揮した。立案から実行まで、今回の勝利の立役者は徐庶だといっていい。

寡兵かへいで曹操軍を破ったのはお見事でした。ですが、肝心の黒水珠は奪われてしまったのでしょう。戦には勝ったが、策謀で負けた……といったところですね」

 孔明は冷静に戦略上の敗北を指摘した。それは徐庶から一気に興奮を奪い取っててしまった。徐庶がとぼとぼと孔明の前に戻ってきて腰を下ろす。

将軍は自分のせいだと言っているが、機伯きはく殿は情報が曹操側に漏れたのではないかと疑っている。俺もそんな気がする」

 徐庶は劉備を「左将軍」と呼ぶようになっていた。〝劉予州〟や〝予州殿〟はどこか他人行儀で、実質予州を支配していない劉備にとって、それは名目上の呼び名でしかない。〝左将軍〟なら、支配地は関係ないし、一段階身近に感じられる。

 劉備に仮仕えする形の徐庶にとっては、「ご主君」と呼ぶにはまだ遠慮がある。

「残念ですが、天が劉荊州に味方していないということなのかもしれませんね」

 袁紹えんしょうに勝利したことといい、今回のことといい、優れた才知だけが勝利の要因ではなく、どうにも天運が曹操に味方しているように孔明には思える。

「それは味方じゃない奴がこの荊州にいるってことだ」

 徐庶が孔明の言葉を違う意味で肯定した。そして、

「荊州の敵は荊州の中にいる」

 表情を厳しくし、卓を叩いて、そう断言した。徐庶が疑念を向ける蔡瑁軍は到着が遅れた上に撤退する曹操軍を追撃することさえしなかった。劉琦が解放されたことを知らなかったとはいえ、確かに何のための派兵であったのか大いに疑問が残る結果だった。


 劉琦の解放には尽力したものの、蔡瑁と謀り、陰謀の片棒を担いだ蒯越かいえつは――――。

 和議が成ったのに、曹操の南陽侵攻を許したのは劉備を討つ名分があるからだとして、劉備のいない議場で堂々と劉備排斥はいせきを説いた。

「予州殿がおられる限り、荊州侵攻の名分を与えることになりますぞ」

「曹操軍を破り、南陽から追い出したのが予州殿なら、琦君を救出したのも予州殿です。その予州殿を追い出すのですか。恩を仇で返すのが荊州の士人のやり方ですか」

異度いど殿の言葉もしかりながら、機伯殿の申されるとおり、ここで予州殿を追い出すのは、殿の名に傷が付くでしょう」

 いつもは中立の立場のはずの向朗しょうろう伊籍いせきに味方して、劉備を弁護した。

「此の度の作戦の失敗も、曹軍の南陽侵攻も予州殿に責任があるのは明白」

「果たしてそうでしょうか。琦君が襄陽を経ったのと曹操軍の南陽侵攻が重なったのは、単なる偶然と言うには出来過ぎている気がします。誰か曹操に情報を漏らした方がいるのではありませんか?」

「機伯、それは言い過ぎだぞ」

「そうだ。何の根拠があって、そんなことを言うのだ?」

 荊州の士人を疑う発言なのだから、当然のように伊籍に対する批判が飛ぶ。

 と、そこで、

「父上。予州殿は私の恩人です。ご配慮ください」

 喧々諤々けんけんがくがくの様相を呈す場を鎮めるように劉琦自身が言ったので、劉表も、

「分かっている。玄徳殿を追い出すことなど、それは有り得ぬ」

 そう決断を下した。一度ならず二度までも自分の意見が退しりぞけられて、蒯越は荊州に刺さったとげの深さに暗澹あんたんたる気持ちになった。


 曹操が拠点を置く潁川えいせん郡許県が「許都きょと」と呼ばれるようになって六年が過ぎようとしている。今では皇帝のための宮殿も完成し、城壁も堅牢にして、まさに小さな都のような景観を備える。

 袁紹を破った曹操は劉備を退けた後、この許都に帰って体を休めた。自分の代理として、荊州へやった夏侯惇は、

「これを。いかような処罰でも受け入れます」

 神妙な物腰で、戦利品の黒い宝珠を差し出した。言動が一致していないが、敗北の責任を感じてことだ。青龍爵の奪取にも失敗した。

「お前は玄徳をよく知っている分、油断したな。今のあいつは袁本初えんほんしょの倍は手強いぞ」

 曹操は新たな天運をその手に受け取りながら、最大のライバルであった袁紹と劉備を比較して言った。本初は袁紹のあざなである。が、ふと考え込んで、

「いや、それでも時々せみのように弱いから、そうも言えないか……。まぁ、逃げた蝉を追ってみたら、森に虎がひそんでいたというところだな」

 外から聞こえてくる蝉噪せんそうに曹操はそんなたとえで呟いた。生き残るための一つの能力だが、劉備はとにかくよく逃げる。まさに蝉のように近付いただけで逃げることがある。

「被害はそれほど大きくないと聞いている。文台の息子にさえ渡らなければ、神器の方はどうでもいい。本気で神器まで手に入れようとしたら、体がもたない。オレはそこまで欲深くない。そういうことで、これを手に入れた功績と相殺そうさいして、処分はなしだ。……奉孝ほうこう、こいつを本初の息子のどちらかにくれてやれ」

 そう言うと、曹操は得たばかりの黒水珠を敵の手に渡す手筈てはずを整えるように郭嘉かくかに命じた。

 郭嘉、あざなを奉孝。劉表にとっての蒯越と同じ、曹操が全幅の信頼を置く謀士だ。

「はっ。ただちに」

 郭嘉は細い両手でそれを受け取ると、部屋の出口へ向かった。

何故なにゆえ……?」

 夏侯惇には分からない。荊州から情報のリークがあって、黒水珠を手に入れるのはお使いのような容易たやすい任務であった。しかし、せっかく手に入れた霊宝をあっさり手放すのは理解ができない。しかも、敵の手に渡すなど。

 郭嘉が夏侯惇の横を通り過ぎようとして、

晏子あんし二桃三士にとうさんしを殺す計ですよ。二つの仙珠を袁家の三子にやって、袁家の後継問題のいざこざに手を貸してやるのです。情報では、袁紹は敗戦の心痛で寝込んでおり、ろくに食事も取れていないそうです。そう長くはありません。袁紹の死後ですが、赤火珠せっかじゅは長男か三男に渡るでしょう。そうなった時、これをもう一方に渡して内紛を起こさせます。袁兄弟が団結して戦ったら、我等にとっても面倒。長男と三男は後継争いで仲が悪い。火と水もまた相性が悪い。必ず内紛が起こります。我等はそこに乗じるのです。全てはご主君の計画どおり」

 郭嘉は優雅な声で早口に耳打ちをすると、早足で部屋を退席していった。

「とんでもない計略を考え付く」

「オレがあの黒水珠を最初に目にした時、あれは袁氏が所有していた。それが巡り巡って、公路こうろがあれを受け継いだ。本初に渡す計画もあったようだし、だから、袁氏に返してやるのさ。そもそもただで手に入ったようなものだからな。易々と手に入れるのもつまらない。あの世に行く本初にはなむけとしてくれてやった後で、また取り返すさ」

 夏侯惇は聞いてあきれた。この常人ならざるところが曹操の魅力なのだが。

「唯一気になるのは玄徳の動きだが、蒯異度が玄徳を追っ払ってくれるそうだ。そうなったら、内紛を待って、いよいよ冀州攻めだ」

「その時は私に先鋒を」

「ああ、やっぱり敗戦の責任を取ってもらおう」

 夏侯惇はそれが先鋒での活躍だと思ったが、曹操の思考はそう簡単にははかれない。

「許の留守番を言い付ける」

 夏侯惇は聞いて唖然あぜんとした。もちろん、それは自分の代理として信頼していることの証だったが、夏侯惇は荒い鼻息を吐き出すだけだった。


 蒯越にとって、それは吉報きっぽうだった。立て続けに敗戦をきっして心痛を発していたのに加え、いつまで待っても黒水珠が届かないことに憂悶ゆうもんを募らせたのか――――。

 建安七(二〇二)年、五月。袁紹が没した。

『これで殿を誘引するもの自体がなくなった。劉備を遠ざけた上で曹公に冀州討伐を勧めれば、荊州は数年の安泰を得る』

 蒯越はまたもや上殿して、劉備の処遇を議題にした。

「とにかく曹公との和議を重んじる以上、予州殿を荊州に置くのは得策とは言えません。曹公と敵対してきた人物をこの時期手元にかくまうのは、何か良からぬことを考えているのではないかと疑惑の目を向けられる恐れがございます」

 和議が成立した大きな要因はまだ冀州に袁紹が健在であったからだが、袁紹が没した今、劉備の存在はせっかく構築したそれを壊す危険性がある。

 当然のように伊籍が反駁はんばくする。

「だからと言って、恩人の予州殿を放逐ほうちくするのは殿の流儀にも、琦君のお気持ちにも反するのではありませんか?」

「良い考えがございます」

 間髪かんぱつ入れず、蒯越が鋭い声で一言そう言って伊籍を制した。それから、自信満々な態度で劉表を見やる。今まで荊州を安定統治できてきたのは、蒯越の知恵があってこそなのを十分承知していた劉表はその妙案に期待した。

「予州殿にはすぐにでも荊南に御足労いただきます。黄祖殿の軍は未だ再編途中ですし、孫権に備えて無闇に動くこともできません。そこでです。殿の名代みょうだいとして荊南鎮圧を予州殿に任せるのです。予州殿を襄陽から遠く離すことで、曹公に敵対する意思がないことを示します。このように取り計らえば、予州殿を荊州の戦力として活用できると同時に放逐することにもなりません。予州殿も殿のおおせとあらば、協力を惜しみますまい」

 荊南で叛旗はんきひるがえして久しい張羨ちょうせん。その討伐は当初からうまく行かず、失敗に終わっていた。特にここしばらくは諸事情により討伐軍の派遣さえされず、手つかずのまま放置されているのが現状である。それを劉備にやらせようというのだ。

 蒯越の軍略は、『孫子兵法』三十六計の一つ〝借刀殺人しゃくとうさつじん〟(人の刀を借りて敵を攻撃する)の計である。劉備を遠ざける蒯越の策は荊州の事情とも合致していて、劉表はそれをあっさりと容認した。

「なるほど。それは良いな。早速、そのように計れ」

 追放に代わる代替案を提示して、劉表を納得させた。今度は蒯越の勝利である。

 先日の借りを返した形だ。反論の言葉を封じられた伊籍はこれを劉備に伝える役目が与えられた。


 夏。劉表の要請を受けた劉備は与えられた一万の兵を率いて、荊州を南下した。

 名義上の総大将は劉琦が務めることなり、武将として劉表の甥の劉磐りゅうばん、相談役として伊籍と裴潜はいせんがこの南征軍に加わった。

 裴潜はあざな文行ぶんこうといい、河東かとう聞喜ぶんき県の名族出身で、戦乱を避けて荊州入りしていた。裴潜の劉表への評価は低く、逆に劉備を高く評価していた点では徐庶と同じである。劉備に仮仕えする徐庶は自ら同行を願い出て、再び劉備軍に迎え入れられた。嚮導きょうどう役(道案内)は武陵太守の劉先りゅうせんである。

 曹操に遣わされた劉先は韓嵩かんすうの時と同じく曹操(朝廷)から官位をたまわり、武陵太守に任じられた。劉表はそれを不満に思ったが、和議を重視する以上、その決定をくつがえすわけにもいかない。機転をかせた蒯越が、

「――――手間がはぶけたとお考えください。始宗しそうは荊南の出身であります故、南征軍に同行させて道案内させ、鎮圧後はそのまま始宗に武陵を任せればよいかと存じます」

 そう進言して、そのような運びとなった。が、荊南四郡を鎮圧するという大事のわりには兵が少ない。これも一日でも討伐を長引かせたい蒯越の謀略である。

 そのため、道中募兵をしながらの移動となった。劉備は江陵に入る前に霍峻かくしゅんの私兵を加えた。

 霍峻はあざな仲邈ちゅうばくという。江陵に近い南郡枝江しこうの人で、兄が養っていた私兵を引き継いでいた。

 江陵まで南下した劉備軍はそこで補給と休息を取った。江陵は荊南討伐の前線基地であり、多くの兵糧と武器が蓄えられている。港には軍船も保有してある。

 劉備軍は江陵から船で江水を下って、洞庭湖どうていこに入った。

「どうしたのですか、兄上」

 船上で夜風に当たっている兄を見た関羽がやってきて聞いた。

「見ろ、雲長。神器に力が戻ったようだ」

 劉備が手にしていたのは、青龍爵である。龍の彫刻の両眼部分の青い宝石が淡く輝いている。月明かりが反射しているのではない。ゆらゆらと青白い霊気が立ち昇るのが見える。

「どうして今頃? 徐州の時にこうであれば、負けていなかったかもしれません」

 関羽も霊気を立ち昇らせる青龍爵をまじまじと見つめ、先の敗戦を悔やんだ。

「東方で力を発揮するものとばかり思っていたが。まだまだ知らない秘密があるようだ」

 四神器にはそれぞれ四方を守護する霊獣れいじゅうがあしらわれている。青龍は東方守護の霊獣だ。

「まぁ、幸先さいさきはいい。案外容易く鎮圧を終えることができるかもしれない」

「そうであれば、良いですが」

 関羽が長髯を夜風になびかせて答えた。

「ところで、あの徐元直。随分お気に入りのようですが、信用できますか?」

翼徳よくとくがしこたま酔わせて本音を聞き出した。虚言ではないようだ。こんな私を選んでくれたのだから、嬉しいじゃないか。実際に戦果も挙げたことだし、使える人材は使いたい。まだこの神器を見せてやるにはいかないが」

 敗戦の度に有能な人材を失っている。部下が負け続けて土地を追われる主人を見限るのは戦乱の時代の常識だった。博望坡の戦いで趙雲が捕虜にした敵将の夏侯蘭かこうらんを配下に加えたのもそういう事情がある。同じ夏侯姓だが、夏侯惇の一族ではない。冀州常山じょうざんの出身で、趙雲の同郷だった。もともと袁紹に仕えていたが、袁紹が曹操に敗れた後、曹操に登用されていた。

 軍正(軍紀)に長じているとの理由で、趙雲が登用を勧めた人物だった。

 酔虎・徐庶は別船に大酒豪の張飛と同船していた。翼徳は張飛のあざなだ。


 劉琦を洞庭湖東岸の要地・巴丘はきゅうに残し、翌日、劉備軍は湘水しょうすい遡上そじょうして長沙郡に入境した。荊南四郡全てが劉表に叛旗しているという情報だったが、何故か抵抗はなかった。

 すんなり湘水沿岸の県に入城した劉備は、そこで初めて張羨が死んだことを聞いた。病没だという。代わって、息子の張懌ちょうえきが長沙太守の座に居座っているという情報だった。

「張羨は荊南で虚名がございました。それがこの反乱を大きくさせた要因です。しかし、息子にそれはありません。今、一気に攻めれば、勝利は容易いかと」

 劉先の進言もあり、劉備は武将の陳到ちんとうに霍峻を付けて益陽えきようの攻略に向かわせ、自らは長沙の郡治がある臨湘りんしょうに軍船を進めた。

 ところが、順調な行軍とはいかなかった。原因は異常な熱波ねっぱである。

 季節は盛夏。南方の長沙の夏はたいへん暑くなる。この酷暑に倒れる兵士が続出し始めた。そして、臨湘まであと二十里(約八キロメートル)に迫ったところで、更なる異変が起きた。

 突如として、船板から煙が立ち上り始め、船がおのずと炎に包まれたのである。それも一隻ではない。見れば、ほとんどの船がそんな具合だった。

 この事態に劉備軍の将兵は慌てて船を乗り捨て、陸に上がるしかなかった。

「先の討伐軍は猛暑で病兵が多数発生し、ろくに戦えずして撤退に追い込まれたと聞きましたが、此度もここまで暑いとは。零陵でも、ここまで暑くなったことはありません」

 汗を垂れ流す劉先が顔をしかめて告げた。

「しかし、船が燃えるような暑さは異常だ。これでは近付くこともできない」

 ついに劉備軍は臨湘の北を流れる川を前に、一歩も進めなくなってしまった。

「むっ……!」

 軍の先頭、紅い顔をさらに紅潮させて川べりに立っていた関羽が唸って、熱せられた青龍刀を思わず放した。その勢いで青龍刀が川に落ちてしまった。

 ジュウウウ……。

 川の水を瞬時に沸騰ふっとうさせながら、青龍刀が沈んでいった。その時、関羽はふと自身の体を包む灼熱しょくねつやわらぐのを感じた。


 熱波の防壁さえ破れれば、もはや障害はない。

 劉先が言ったように張懌には父ほどの統率力はなかった。防衛のかなめだった熱壁ねつへきが破られたと知るや、城を捨てて逃げ出してしまった。そうなると、太守の命に従っていただけの長沙の郡兵たちは戦わずして降伏開城を決め、劉備軍は敵の去った臨湘に無血入城した。軍を関羽らに任せ、劉備は徐庶や伊籍、劉先を連れて太守府の門をくぐり、〝越人堂えつじんどう〟の扁額へんがくが掲げられた今や無人の殿堂を横目に過ぎる。張羨がやってくる前の長沙太守が張仲景ちょうちゅうけいだったことを示す名残なごりだ。張仲景が去って以来、越人堂の前庭の生薬しょうやく園もあまり管理が行き届いていない様子だ。

 孔明はこの長沙で張仲景と出会い、孔明の叔父・諸葛玄しょかつげんはここで張仲景の治療を受けた。

 張羨・張懌の反乱に加担した官吏たちは処罰を恐れて共に逃げ出したようで、太守府内は人気ひとけがない。がらんとした官舎の壁には歴代の長沙太守の名前が掲げられていて、そこには劉備がよく知る男の名があった。共に邪悪と戦った戦友。太陰へと去った英雄。

 孫堅文台そんけんぶんだい――――江東を電撃的に制圧した孫策、その江東をこれから長く支配してゆく孫権の父の名だ。劉備はその英雄を記憶の中に思い起こしながら、今後の方策を尋ねた。

「さて、残る三郡についてはどのようにする?」

「我等は一戦するまでもなく長沙を取り、主格であった張懌も逃げ出しました。それを伝えれば、三郡も恐れおののいて戦わず降伏するはずです。民心を得るためにも、できるだけ戦をせずに収めることが肝要です。それぞれ一軍を派遣し、書簡を一通用意すればよろしいかと思います」

 徐庶は今後のことも考えていた。これを契機に荊南諸郡の民心を味方につけておくことだ。孔明も徐庶の考えに賛成だった。

「――――いいと思う。荊州全土を保守できるのが上善だけど、荊南四郡を確保できたなら、そこを足掛かりにして体制を立て直すことはできる。荊南征伐は良い機会だよ。今のうちに予州殿に民心を付けておくのは、今後きっと役に立つよ」

 劉備は徐庶の言葉をれて、武陵に関羽、零陵に張飛、桂陽に趙雲ちょううんの三人を派遣することに決めた。三人とも劉備の義弟で、一騎当千の勇将である。関羽には劉先、張飛には徐庶、趙雲には夏侯蘭を付けた。

 それから一ヶ月もしないうちに三郡とも降伏したとの報告がそろい、劉備はあっさりと荊南平定を成し遂げた。劉備は伊籍を使者として、襄陽へ送り出した。


 伊籍が伝えたその吉報を聞いた劉表は大層満足げに言った。

「さすが曹操が認めた男。実に頼りになる。もう荊南を平定してしまったわい」

「今後も予州殿が荊州の大きな力となってくれることは間違いありません。決して手放してはなりませんぞ」

 蒯越の鼻をあかすように、伊籍が力強く言った。

「それは、もちろんだ。どうだ、異度?」

「はい……」

 張羨が死んでいたとはいえ、荊州が長年抱えていた憂いを劉備がこうも容易に除くとは、これは蒯越にとっても誤算だった。だが、平定が済んだからといって、劉備をすぐに呼び戻されては困る。曹操から劉備を遠ざける策はまだ続行しなければならない。

 劉備の力を少々見誤っていた蒯越だったが、次のプランはすでにってあった。

「しかし、まだ荊南は平定したばかり。予州殿が去って再び蜂起されては意味がありません。落ち着くまでまだ時を要します。予州殿にはしばらく荊南にお留まりいただき、荊南諸郡だけでなく交州や江東にもにらみをかせていただきましょう」

 劉表は朝廷から鎮南将軍に任じられた時、併せて揚州や交州の監督も命じられている。つまり、どちらにでも進出できる大義名分があるわけで、これをにしき御旗みはたとして掲げ、劉表の野心を南へと振り向ければよい。何かの拍子ひょうしで再び北を向いた挙句あげく、曹操と衝突する事態だけは何としても避けなければならない。全ては荊州安泰のためである。そして、そのために劉備の力を慎重に、かつ最大限利用すればよいのだ。

「うむ、さすが蒯異度の知恵よ。それが一番良いな。そのようにしよう」

 蒯越の心を知ってか知らずか、この時も劉表は彼の進言に従った。

 蒯越をやりこめたと思ったのも束の間、伊籍はすぐにその知謀に顔を曇らせる結果となってしまった。


 間もなく劉表からの返答が届けられた。方正な隷書れいしょ体で書かれた帛書である。ちょうど劉備は臨湘城内の巡察を終え、城壁の上に作られた望楼に登って長沙の景色を眺めていたところだった。

「何と……」

 書簡に目を通した劉備は思わずうなって、城壁の傍を流れる湘水の流れに目をやった。

「どうしましたかな?」

景升けいしょう公がこのまましばらくこちらに留まってほしいと言ってきました。断るわけにもいきません。それと、長沙の太守は子卿しけい殿に任せるそうです」

 書簡といっしょに届けられた袋には、新たな太守の印綬が入っていた。

 劉備はそれをかたわらに立つ話し相手の男に手渡した。

「私が?」

 戸惑いながらも印綬を受け取ったのは、呉巨ごきょという袁紹の下にいた武官だった。

 元の名は呉臣ごしんといい、あざなが子卿である。ここ長沙郡出身で、若い頃に袁紹たちと清流派人士を救済するために東奔西走したという過去を持つ。そのような清流的活動に尽力していた者たちは濁流派からの指名手配や暗殺を避けるため、偽名を使って行動するのが常で、〝呉巨〟はその時に使用していた偽名だ。今ではそれが本名のようになっている。以来、呉巨は袁紹とは苦楽を分かち合う奔走の友として、対曹操戦でも袁紹を助けた。

 袁紹は予州の地理に精通し、顔もく呉巨を劉備に付けて汝南へ送り込んだ。特に汝南郡の各地を反曹操に導いたのは呉巨の功績が大きかった。

 だが、その呉巨も汝南で敗北し、袁紹の下には戻れずじまいで、こうして劉備と行動を共にしていたのである。

「子卿殿の義行に対する恩賞でしょう、きっと。景升公も清流派の御人ごじんですから」

「袁公の下を離れて故郷に戻ってきたと思ったら、太守とは。世の中、何が起こるか分からんものですな」

「そうですね。私も流れ流され、このていたらくです……」

 劉備の視線がまた湘水に向く。川の中央には細長い砂洲さすが見えていた。上流から運ばれてきた土砂がここに堆積たいせきしたものだ。

 一州のあるじまで昇り、漢の皇帝にまで謁見えっけんしたあの頃の自分はない。この先、また輝けるのかどうか。四十二。不惑ふわくの年を過ぎてもなお、劉備の嘆息は深かった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る