十話 初めまして

《――っ⁉》


 振り上げられた大剣を視界に収めた私は、硬直を余儀なくされた。


 高々と構えられた黒い剛刃は先の脅威と差異なく、自らに確実な終わりを齎す物。


 心臓が早鐘を打ち、汗が滲む。


 佇む少年の表情は半ばまで白く、、、、、、塗り替わった髪に隠れ、伺う事は出来ない。


 私は反射的に目を閉じ、顔を引いた。


――バキィン‼――ドサッ…


《――――?》


 痛みは無い。衝撃も無い。首を断たれた感覚も無い。


 だが、剣風は感じた。


 続け様に聞いたのは、何かが切断される音と、倒れる音。


――!


 目を開くと、足枷と地面を繋いでいた鎖が断ち切られているのが分かった。


 ならばもう一つの、倒れる音は……まさか?


「すぅ――すぅ――……」


 視線を傾けた先で、少年が力尽きる様うつ伏せに倒れ……寝ていた。


その手に持っていた筈の大剣は無く、全く、完全な無防備。


 ツンと突いてみても、ゆさゆさと揺らしてみても、一向に起きる気配はない。


――――……ほっ


 安堵。強張っていた全身から力を抜き、生を感じる。


一息ついた後、興味深そうに少年の観察を始めた。


 身長は縮んだ私より少し大きい位で、肉付きは細過ぎず、程よく引き締まっている。


 着ている未知の服は肩口からバッサリと破れ、渇いた血と埃に塗れていた。


《……》


 鮮明に蘇るのは、彼が大斧を叩きつけられ肉塊と化した一撃。


 背徳感と罪悪感を感じつつ、裂かれている服の中……背中を見る。


 そこにあったのは、至って健康的な人肌。


《怪我が……無い?》


 不思議に思って服を開き、その身体を舐める様に見ていく。


結果――その身体に、傷らしきものは何一つ見受けられなかった。


《肉体が“再生”したとでも言うの…?》


 私は戦慄した。


ますます以て、この少年の正体が解らない。


《――あの、巨獣の力?》


 これが――少しの間だが姿を現し、強大な力を見せたあの獣の力というなら、理解はできずとも納得はできる。


「――むにゃ」


 うつ伏せが苦しくなったのだろうか。少年がゴロンと寝返りを打った。


 柔らかく緩む口角から、時折漏れる「ふへへ」というだらしない声。


服が捲れ、さらけ出されたへそ。


《――……くすっ》


 それを見て、私は思わず微笑んでしまう。


 なんて幸せそうで、間抜けな寝顔だろうか、と。


《――考えを改めましょう》


この少年が何者なのか、何を目的にここに居るのか。それはまだ分からない。


敵、という可能性も十分にあり得る。


だが曲がりなりにも、私はこの少年に救われた。その事実は変わらない。


例え相容れない存在だったとしても、一度は面向かって感謝を述べる必要がある。


そもそも、鎖から解き放たれたとて、頑丈な足枷に縛られたままでは碌に動けない。


《そもそも、この子は何処から現れたの……?》


 周囲を見渡すが、侵入できる個所など無い。


《もしかしたら、此処から出られるかもしれない……》


 疑問に思いつつ、もしこの少年が何らかの方法でこの場所に来たのなら、同じ方法で抜け出せるかもしれない……と希望を持つ。


――……ナデナデ


 手持無沙汰な私は何となく、少年の頭を撫でてみた。


 意外と手触りの良い白と黒の髪を解きほぐすように優しく、滑らかに指先を流していく。


 正直に言えば、まだ怖い。でも、厳つく巨大な鎧に比べれば、例え素性が知れずともこの少年が可愛く見えてくる。


《……ふふっ》


 見られていないのを良い事に、存分に頬を緩める。


 誰かが傍に居る事、誰かに触れられる事がこれほどまでに嬉しいと感じた事があるだろうか……。


 シエラリアは飽きることなく長い時間、眠る飛羽の頭を撫で続けた。


 ◇◆◇


――暖かい


 飛羽の意識は、後頭部に当たる柔らかく暖かい物に包まれるようにして浮上した。


 肌触りが良く、高さも柔らかさも最高。きっと長年愛用している抱き枕だ。


 幸せだ。ずっと、このままでいたい…。


(――何か、凄い夢を見ていた気がする……)


 白磁の空間で、自分が大剣を担ぎ戦う夢。大きな鎧との一騎打ち。


 形容し難い程に熱く、痛く、苦しく。それでも尚勝利し、囚われの姫を救った。そんな夢――だった気がする。


(あんな夢が毎日続けばなぁ……寝る時間がもっと楽しみになるのに……)


 しかし残念ながら、覚めた夢に二度目は無い。


 左胸の奥に違和感を感じつつ、夢の後味を噛み締めながら目を開いた。


――――――、


 じっ…と、こちらを見つめる双眸と視線を交わす。


――青く、深海の様に美しい瞳と。


「――ッ⁉」


 心臓が飛び出る音がした。


 自分が頭を置いている場所、見つめている物を無理矢理覚醒させた頭で理解した飛羽は、体の節々が痛むのを無視して飛び起き、周囲を見渡す。


「え、えっ⁉ ここ、夢の筈……夢じゃ、ない‼」


 立ち上がり、白亜の床を踏みしめる。


「裸足じゃん……‼」


 裸足であることを確認する。


「制服ボロボロじゃん……‼」


 所々焼け爛れ、肩口からぱっかり斬り裂かれた血塗れの制服を確認する。


「痛っ………夢じゃ、ないじゃん……」


 頬をつねり、夢でない事を確認する。


「――ジーザス」


 何となくその場のノリで天を仰ぎ見たが、空は見えない。


(てことは、あの夢も全部……ガチか……)


《――……》


 敢えて見ないようにしていた方向から強い視線を感じる。


 飛羽は全てを思い出し、全てを理解した。


 具体的には、ここに至るまでの経緯や自分が枕だと思っていた至高の感触を。


――――――、


 かける言葉が見つからない。何を喋ればいいのか解らない。勢い任せで何とかなると思ったが、自分が思う以上にコミュニティ障害は進行していたらしい。


――チラッ


 視界端に天使を映す。


 幼くなっても変わらない華奢な肢体と整った小顔。毛先に金が残る白髪に滑らかな肌、垂れた蒼い瞳。今生に置いて、飛羽はこれほどまでに美しい少女を見た事が無い。


――――背中の、翼が無ければ。


 まぁ、そんな事は些細な問題だ。


《――?》


 天使は、飛羽を興味深そうに見上げながら小首を傾げている。可愛い。


(何か、気の利いた言葉は――)


 考えようとするが、辞めた。


 天使の前まで戻り、正座をする。


「まずは、は……初めまして」


 ぺこり、と声を震わせながら腰を折る。


《――ペコリ》


 飛羽を真似たのか、向かう天使も腰を折ってきた。


(あれ……?)


 突然込み上げてきた涙を堪えられず、天使に見られる前に拭う。


――――、


 流れる沈黙。


 戦いとは別種の、しかし同等の緊張。


 胃がキリキリと音を立てているのが分かる。飛羽自身、どうして自分がこんなにも緊張しているのか解らない。


「えっと……僕の言葉、解る?」


 苦悶の末、何とか天使の目を見ながら言葉を捻り出す。


《……?》


 自身を指差して問うた飛羽に対し、依然首を傾げる天使。


(ああ……これは、伝わってないな)


 察するには十分のリアクションだった。


 意思疎通ができないのは不都合でもあり、ある意味で好都合ともいえる。


 少なくとも、今の飛羽にとっては。


 ポンポン、と飛羽が胸ポケットを叩けば、羽根がにょきっと顔を出してくる。


「おはよ、羽根さん。早速なんだけど…此処から出たい」


 飛羽の言葉を聞き、頷いた案内係羽根が示すのは四方ある壁の一つ。普通に見れば何の変哲もない、ただの壁。


(――……)


 てっきりあの宇宙空間に戻るのかと思っていたが、どうやら違うらしい。


 自分が降りてきた筈の場所を見てみたが、そこに穴のようなものは無かった。


(――まぁ、いいか)


「……わかった」


 立ち上がり、自分で動けない天使をどうやって運ぼうか――抱っこ?…お姫様抱っこ――等と考えていると


 そこでようやく、大変な事に気付いた。


「――えっ、あれ⁉ 剣が無い!!」


 そう。剣が無い。


 抜いてから肌身離さず持っていた筈の大剣が、何処を見渡しても無いのだ。


「……嘘……」


 あの剣が無ければ勇気を持てない。あの剣が無ければ戦えない。あの剣が無ければ守れない。


 溢れる不安に、一瞬思考が遠のいた。


 突然情緒不安定になった飛羽へ、天使が困惑の目を向けている。


――トクン


(……?)


――トクン…トクン


 語りかける様に優しく胸打つ鼓動。それと共に、右腕へ熱が集まる。


「あ、あっつ……」


 発熱する右腕を伸ばし、掌を上に向けた瞬間。



――――――右腕が、発火した。



「……ぁっ⁉」

《――……っ⁉》


 ボッと一気に燃え上がった飛羽の腕。飛羽を興味深そうに見ていた天使も、驚いたようにビクッ‼と身体を震わせ目を見開いている。


(――――――――~~~ッ……‼)


「フゥ―――――ッ、フゥ―――――ッ…」


 盛る火は腕から掌へ移動し、揺れ動きながら形をとった。


――――――剣の、形に。


「―――――お、おぉ……」


 火の粉を巻き上げ飛羽の手に収まったのは、黒く波打つ刀身の、鍔の中心に紅い宝石が嵌まった大剣。


「よかったぁ……」


 安堵を吐きながら大剣を見つめる。


 原理なんてわからない。もうどうでも良い。


 しっかり剣がある。その事実さえ分かれば飛羽には十分だった。


「――あ……」


 飛羽が安心するのを見届けたように、大剣はそのまま陽炎となって消えた。


――――、


 右腕が焼失してしまったが、皮膚に異常はない。


「もう……容赦ないなぁ」


 飛羽は気持ちを切り替え、天使に向き直った。


 そういえば、大事な事を忘れていた。


「……僕と一緒にここを出ませんか、天使さん」


 天使の、意思確認を。


 握手を求める様に、手を伸ばす。その瞳は決意を宿し、誰が見ても真剣なのだと伝わるだろう。しかしその一方で口元は強く締められ、拒絶に対する恐れが色濃く垣間見える。


《――》


 シエラリアは真っ直ぐ飛羽と目を合わせ、瞳に写る心を見る。


気恥ずかしさに耐えながら、飛羽も一切目を背けない。


「……!」


 枷の付いた両手で、差し伸べられた希望を掴む。


《……コクリ》


 シエラリアは少し虚ろな双紅、、に向け、頷いた。


 ◇◆◇


これにて一章は終了です。


只今二章執筆中故、不定期更新となってしまいますが必ず完結させます。

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