【アイドルと探偵編】最終話

「……どうだった?」

 再び帽子を目深にかぶったミライが客の帰ったバーのカウンターに来てエルメラルドの隣にちょこんと座る。三〇分ほどのステージを終えても、彼女は息も切らしていなかった。あれだけ踊って歌って舞台の上を駆け回っていたのにさすがアイドルだ。


「今までアイドルを馬鹿にしていた。すまなかった。すごくよかったよ」

 エルメラルドは正直に言って謝った。店はクローズになって従業員が掃除を始めていた。

「ふふふ。でしょー。あなたも探偵なら先入観を持たずに客観的に物事を見るんだよぉ?」

 意地悪な笑顔でミライは言った。

「反省するよ」エルメラルドが答えると、「ウソウソ」ともう一度ミライは笑った。


「楽しんでもらえたなら、それで満足だよ。あなたがサカキさんの無実を証明したから、わたしも何かしたくなっただけ」ペロッと舌を出す。

「でも、魔術都市のアイドルがなんでこんな街にいるんだ?」

「ライブだよ。でもその前にこの街でどんな音楽が流行ってるのか聞きたかったんだ」

 そうだ。定食屋のオヤジが言っていたな、とエルメラルドは思い出した。

「サルカエスなんかよりずっといい街だね、アルムウォーレンって。わたし気に入っちゃった」

「そうかな。魔術後進都市だぞ。魔術具とか魔装製品とか、魔術ありきの便利な暮らしに慣れていると不便だと思うけどな」

「えー、そうかな。魔術って便利だけど、便利すぎて面白みにかけるっていうか。わたしは魔術とか魔術士とか、なんとなく陰気な感じがしてあまり好きじゃないんだよね」

「ははは。違いない」


「……ウェスパイネさん。表口は人だかりが出来ちゃってダメです」

 出口の様子を伺っていたマネージャーのライドが戻ってきた。

「もう少し待たれますか?」

「んー。あんまり長居するのも迷惑になっちゃうし、裏口とかあります? そこから出ちゃいます」

「わかりました。ちょっと確認してきます」

 駆けていくライド。

「しかし、人気稼業も大変だな」

「変装なしじゃ外にも出られないしね。でも、ステージでみんなの笑顔が見れるだけでわたしは幸せだよ。毎日、仕事とか学校とか嫌なことがある人でも、ライブ中は明るい顔になれるじゃない。日々の面倒なことは、ひとまず横に置いておけるじゃん。わたしにはそのくらいしか出来ないけど、でもそういう時間や場所を提供していきたいなって思ってるんだ」

 果実酒を口に運びながらミライが言った。


「……裏口、大丈夫です!」

 ライドが再び駆けてきて二人に言う。

「よし、じゃあ帰ろっか」

 タンっとカウンター席から飛び降りてミライが笑った。



 夜風が心地よい。飲み屋から出ると感じる、この空気が好きだった。

「ホテルまで送るよ。夜道を女性一人で歩かすのはポリシーに反する」

「ふふふ。ありがと。ちょっと不安だったの」

 石畳の路地を二人で歩く。アルムウォーレンは水の都だ。縦横に運河が流れ、アーチ橋がいたるところにかかっている。

 人気の無い路地を歩いていると、目の前の脇道から人が出てきた。ずらずらと四、五人の若者が道に出るなり二人を取り囲んだ。


「……やっと見つけた」


 声をかけられて足を止める。ファンが追いかけてきたのかと思ったが様子が違う。

 薄暗い道でわかりにくかったが、男たちの中央にいるのはバルでエルメラルドをナンパしてミライに殴られた男だった。

「覚えてろって言ったよなぁ? さっきの仕返し、させてもらうぜ」

 仲間を連れて意趣返しに来たというのか。

「あ、さっきのナンパ男か」

 エルメラルドが思い出して言うとナンパ男はヘラヘラと薄汚く笑った。

「おっ。なんだ姉ちゃんも一緒か。俺のことはふっておいて、そんな優男と一緒とは見る目がねえなぁ。なあ、お前ら、あの男をやったら、あの姉ちゃんと楽しむかぁ?」

 周りの仲間と下品に笑い合う。またしても女に間違えられたエルメラルドである。

「おい、お前たち。何か勘違いをしているようだが、私は女では……」

「ふん。なんだ、一人じゃ敵わないからってお友達集めて来たってのか? ダッサイやつだね」

 エルメラルドが反論をしているというのに、前に出たミライが遮って、ステージの振る舞いとは打って変わってドスの効いた口調で言う。

「あ、ちょっと。今は私が喋っている最中で……」とエルメラルドが口を挟むのだが、今度はナンパ男が彼の言葉を遮った。

「ああん? てめえ舐めた口きけんのも今のうちだぞ」

 男は唾を吐くと、懐から刃物を取り出した。

「丸腰の相手に刃物だなんて、ますますダサい男だ」

 と、ミライは言うが口調とは裏腹に表情は硬い。

「エルメラルドさん。逃げましょう。さすがにあの人数はわたしでも勝てない」

 こそり、とエルメラルドに囁く。が、エルメラルドは黙って下を向いていて答えなかった。

「……エルメラルドさん?」

「怒ったぞ」

「え?」

「もういい。私が片付ける。こんな無法者に背中を見せるのは私のポリシーに反する」

 顔を上げてナンパ男たちを睨みつける。

「何をカッコつけてんの。さっさと走るよ。あなた全然強そうじゃないし。大丈夫。わたしが囮になるから」

 ミライが呆れた声を出したが、エルメラルドはその言葉を無視する形で、一歩前に踏み出した。

「なんだ。姉ちゃん。お前が俺たちの相手をしてくれるってのか? いいぜ。たっぷり可愛がってやるよ」

 ヘラヘラと笑うナンパ男と仲間たちに向けてエルメラルドは右手を挙げた。

「……うるさいっ。 私は男だ。さっきから気色の悪いことばかり言いやがって。その愚行! 自らの身を持って償え!」

 エルメラルドが叫ぶと、彼の周囲の空気が揺れ始めた。伸ばした右手に大気を凝縮したような歪んだ空間が浮かび上がる。

「な、なんだコレは!?」

 慌てふためく男たちに手のひらを向けると、エルメラルドが再び叫ぶ。

「くらえ! 虚空の刃!」

 きらり、と手のひらが光ると、衝撃波が一陣の旋風の如き速度で男たちに襲いかかった。

「うわぁ! なんだコレ!?」

 衝撃波は男たちを吹き飛ばす。ほうきに掃かれた落ち葉のように、男たちはなすすべも無く手足をばたつかせて宙を舞い、そして地面に激突した。背中から、頭からと、受け身も取れずに石畳の道路に落ちた男たちは、沈痛な呻き声を挙げ、誰一人として立ち上がることはなかった。


「……ふん。手加減はしてやった。全治一ヶ月ってところだな」

 エルメラルドは腕を組んで男たちを見下ろす。

「す、すごい!! 今の、魔術でしょ!? あなた魔術士だったの?」

 ミライが唖然としてエルメラルドと倒れる男たちを交互に見る。

「まあね。君も言っていたろ。人を見た目で判断しちゃいけないって」

 振り向いたエルメラルドがニヤリと笑うと、

「そうだったね。全然強そうに見えなかったから……。ごめん」とミライも笑った。



 ミライが宿泊しているホテルに着くと、ミライは走って部屋に戻り、チケットを二枚持ってフロントに戻ってきた。

「はい。今度のライブチケット。一応プレミアチケットだぞ。恋人とでも来てよ」

 人懐こい笑顔でエルメラルドを見る。

「恋人なんていないよ」と、受け取りながら答える。

「あら。じゃあ未来の恋人のステージってことで応援に来たら?」

 思わぬ言葉に、ちらりとミライの顔を見ると、冗談ぽく下を出していた。

「……馬鹿を言うんじゃない。ま、気が向いたら見に行くよ」

「ふふふ。ありがと。今日は楽しかった」

 笑顔のミライが「あっ」と何かを思い出した。

「そうだ。魔術士が陰気とかって言ってごめん」

「ああ。そんなこと。間違いじゃないしな。だからこそ、私は魔術士であることを辞めて、こうしてしがない私立探偵をしているのだしな」

「そっか……。人生色々あるもんね。わたしだってアイドルって職業について悩んだりすることもある。でも、今日のステージで久しぶりに間近にお客さんがいる狭いステージで歌わせてもらって、みんなの笑顔が近くでみれて、やっぱりアイドルをやっててよかったって思えたもの」

「ああ。そうだな。いろんな人がいて、いろんな職業があって、いろんな音楽があって、それでいいんだよな」

「うん。じゃあ、これで。送ってくれてありがろう。いつか何か困ったことがあったらあなたの探偵事務所に頼りに行くから」

「ああ。いつでも訪ねて来てくれ。知り合い特価で請け負うよ」

 握手をして、エルメラルドはミライと別れた。夜風は心地よく、たまにはこういう金にならないドタバタも悪くないな、とエルメラルドは思った。


 エルメラルドは結局ライブには行かなかった。そして再び彼女と会うこともなかった。



 ☆


 晴れた日の午後。おしゃれな水上都市とは場違いな路地裏の小汚い定食屋で、男が頬杖を付いていた。

「ちょっと。おやっさん。ラーメンまだぁ?」

 カウンターの中に声をかけると、店主は厨房からヒョイっと顔を出した。

「まったく、エルちゃんは相変わらずせっかちだねぇ。まだ注文受けてから一五分しか経ってないじゃないの」

「ラーメン一杯作るのに何分かけてんだよ。麺なんか三分で茹で上がるでしょうが」

「かー。コレだから素人は参っちまうんだよ。準備が色々あんの。ラジオでも聞いて待ってなさい」

 そう言って店主は汚い『魔伝道無線機ラジオ』の電源を入れた。ジジジ、と言う魔力の発動音と共に、スピーカーから音楽が流れ始めた。魔術都市サルカエスで流行っているアイドルの歌だった。アップテンポのロックチューンに可愛らしくも芯のある力強い歌声が響く。

「ライミィちゃんの新曲か。あっ、でもエルちゃんはアイドルソングは嫌だったんだよな。チャンネル変えてやっから黙って待っててよ」

 店主がチューニングのつまみを捻ろうと手を伸ばした時、

「待って」

 男は店主を制止した。

「いいよ。そのチャンネルのままで」

「……なんだい、珍しいねえ。どういう心境の変化なんだい?」

 悪いものでも食ったのかい、と店主は不思議そうに男を見る。


「いろんな音楽があって、いろんなお客さんがいて、それぞれが好きな音楽を楽しんでいて、音楽は自由でいいって、そんな風に言った友人がいてね」


 男はそう言って、ラジオから流れる彼女の声に耳を傾けた。こうしてちゃんと聞くとなかなかどうして、良い曲だった。



 男は自分以外に客のいない定食屋のカウンターで、あの夜の騒動を思い出しながら、店主に渡されたラーメンをすするのであった。



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魔術士探偵物語〜アルムウォーレン事件簿〜 ボンゴレ☆ビガンゴ @bigango

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