最終話 その谷間をしまってくれ!

「なあ、これはどうすればいいんだ?」


「ここはね…多分ここをこうして…」


 信が、自分と背中合わせになって座って作業していたスコルの声で振り向く。眉尻を下げて困り果てているスコルを見て笑うと、椅子から立ち上がり、彼女の背後から手を回した。

 おとなしく前を向いてじっとしているスコルの胸元に手を伸ばした信の手によって、彼女の鎖骨の下辺りでグチャグチャっと丸められた布は魔法みたいに綺麗に解かれ、蝶結びのリボンへ整えられていく。


「ほらね、これできれいになった」


 スコルの肩に顎を乗せながら、得意げな顔をしている信を見て、スコルは口元を尖らせる。そして、彼の胸元にもたれかかって上目遣いで信のことを見上げた。


「助かった。…どうもこのリボンってのを結ぶのはまだ慣れなくてな」


「慣れなくてもいいよ。俺がいつでも整えてあげるから」


「…お前が死んだらこの服を着ることが出来なくなるじゃないか。それは…その…困る」


 前を向いて目を伏せるスコルの烏の濡羽色をした黒髪を撫でた信は、自分の方を向いた彼女の灰褐色をした額にそっと口づけをして微笑む。


「そっか…そうだね。まだ時間はたっぷりあるんだし、ゆっくり覚えていこう」


「おう」


「あらぁ?わたしはお邪魔だったかしら?」


 聞き慣れた声がして、信とスコルは見つめ合っていた目を声のした方へと向けた。


「ハティ、もう来たのか」


「久しぶりだね」


 立ち上がったスコルは立ち上がると、窓から顔を覗かせて笑っているハティの方へと歩み寄る。夜空を切り取ったような煌めく黒い布で織られたドレスを自慢したいのか、ハティの目の前でクルリとターンしてみせるとハティは目尻を下げて口元をほころばせた。


「再会の挨拶は後でにしましょ?もう行かないと」


「だな。シノブ、行こうか」


 スコルに差し伸べられた手を取った信は、そのまま彼女に手を引かれて玄関の扉をくぐると、ハティと連れ立って穏やかな日差しが心地よい森の小道を進んでいく。

 

 湖の前に辿り着いた三人が辺りを見回していると、木陰から飛び出してきた二羽の烏が「ガァガァ」と鳴き声を上げながら頭上を旋回する。


 烏たちの旋回する軌道が真っ青な光の輪になり、空から湖の上に落ちてくる。

 光の輪が落ちてきた場所は丸く白い石が浮き上がり、そこには、光と同じく抜ける空のような青さをした両開きの扉が異質な存在感を放っていた。


「久しいな。世界を救った非力だが勇ましい英雄よ」


 両開きの扉がひとりでに開き、勝利を決める者ガグンラーズの声と、灰色がかった白い靄が流れ出てくるのを三人は真剣な面持ちで見つめる。


「そなたたちの願いを見届けるものをそちらへ送る…願いをもう一度告げるが良い」


 勝利を決める者ガグンラーズの声が消えると同時に、靄は徐々に晴れていくと、扉の前には一人の女声が佇んでいた。

 透き通るような銀色の長い髪を滝のように真っ直ぐに垂らしてい俯いているその女性の体は、半身は青く、半身は人の肌の色をしているようだった。

 灰色のゆったりとしたローブに身を包んだその女性は顔をあげて、静かに光を讃えている紫水晶のような瞳で信のことを見つめる。


「俺の願いは…ハティの願いを叶えて欲しい。それだけだ」


「…では、ハティ。改めて願いを言いなさい」


 聞いているだけで足先から冷えていくような、そんな錯覚を覚えそうな響きの透き通った声で、半身が青い女性は瞳だけ動かしてハティを視た。


「最初は、元の世界にお姉さまと戻りたかったんだけど…それもつまらないと思っちゃったのよね。だから、この前言ったとおり、シノブくんが死ぬまでわたしとお姉さまをこの世界にとどめてくれないかしら?」

 

「その人間の魂が…妾の魂の行きつく果てヘルヘイム…に辿り着くその日まで…異界の住人である貴女方の滞在を認めましょう…ですが…」


 信が一歩下がった代わりに、一歩前に足を踏み出したハティは女性の迫力に思わず息を呑む。

 女性は、ハティを見つめた後、その後ろにいるスコルと信を代わる代わる見てから手にしていた白く細い飾り気のない杖で足元を叩いた。


「貴女たちの魔狼としての力は妾が預かり、そして…同じ屋根の下で妾と共に暮らすことになります…それが勝利を決める者ガグンラーズと冥府の支配者…ヘリが決めた制約になります…」


「は?」

「なんであんたが」


「それはですね…世界を救った英雄とやらに妾が興味を持ったからです」


 ヘルが足を踏み出すと、湖からは彼女の足場になるためにうかんできたかのように水草が浮き上がって彼女の素足を受け止める。

 スコルとハティの間を通り抜けて、ヘルは驚いた顔をしている信の目の前まで歩いてくると、彼の両頬を左右の色が違う手を、そっと挟むように添えた。


 信の顔を見て、血の気の感じられない真っ白な薄い唇の両端を持ち上げたヘルは、おもむろに右手を彼の頬から話して、自らの衣服にかけた。


「英雄色を好む…といいますでしょう?貴方は豊満な肉体が好きだということは調べておりました。本妻はそこの狼達で構いません。ただ…妾の飢えと乾きを…」


 はらりと布が落ち、ヘルが身にまとっていたローブは湖の水面へと弧を描いて落ちてく。

 信の目の前に露わになった青と白、二色に分かれた豊かな双丘の中央には淡い薄桜色をした蕾が控えめな自己主張をしている。


「…時折満たしてくれるだけで良いのです」


 信に抱きつくようにしながら、ヘルは彼の耳元でそう囁いた。そして、嫉妬に狂っているであろう双子の狼たちのほうを視界の隅に収めようとした。

 しかし、顔を傾けようとした時、自らの両肩に信の手が置かれ体を引き離されたため、それは叶わなかった。


 渾身の色仕掛けをして体を引き離されるとは思わなかったヘルは、驚いて目を丸くしながら自らが誘惑をしたはずの男の顔を見る。


「その谷間をしまってくれ!乳首もだ」


「は?」


「あーやっちまったな」

「洗礼みたいなものよ」


 ケラケラと双子の狼達が愉快そうに笑っている声を聞きながら、ヘルは目の前で真剣な顔をしている信に間抜けな声で返答をする。

 信は、怒りすら感じられる表情で言葉を続けた。


「その…別にヘルさんのことが嫌いとかそういうわけじゃなくて…その…わかるかな?着衣だからこそわかるこの豊満な乳房のラインのよさがあるんですよ。

 ゆったりとしたローブの下に豊かな肢体が眠っているというのは一目見たときからわかっていました。布の張り具合、乳房の頂点からストンと落ちる服の布地と実際の体の間に存在する空間…それにロマンを感じ、違う服を着た時に自分の目測の正しさが証明される…そんな情緒を大切にしたかったんですよ。そもそも俺はスコルという最高の一生この胸の下で住みたいと言える魂の故郷を見つけて、もうスコル以外は何もいらないと思って覚悟を決めてこの世界を救ったんだけど、まぁ確かにその暴力的なまでに大きくて半身が青いそのコントラストが素晴らしいおっぱいは捨てがたいけどね?おっぱいが好きなのは確かだけど、おっぱい好きなやつが全員全裸や谷間を求めているという決めつけはいくら冥府の支配者っていっても受け入れられないんだ…。えーっともうミトロヒア様からもらった創造の力がないから服はあとで作るので…とりあえず…スコル!大きな布があるだろ?アラクネがくれたものだ。アレもってきてくれないか?」


「任せてくれ」


「は?」


 嫉妬をする様子が微塵もないまま、背を向けて森の小道を戻っていくスコルを見て冥界の支配者であるヘルは、再び目を丸くして間抜けな声を上げた。

 その様子を見ていたハティは、おかしくてたまらないようで、お腹を抱えながら目尻に涙を浮かべるほどの大笑いをしている。


「では、これから俺が死ぬまでよろしくおねがいします」


「え?こわい」


「大丈夫よヘル様、シノブは慣れさえすれば本当にいいやつなのよ?」


 呆然としていたヘルは、信に肩を叩かれてにこやかに微笑まれると身を竦ませて笑い転げているハティの方へ視線を向けた。

 ハティが目尻に浮かんだ涙を指で拭いながらそう答えていると、布を抱えたスコルが笑顔で手を振りながら戻ってくる。


「さあ、ヘルさん、その谷間を隠してから我が家へ向かいましょう」


 スコルから受け取った布を広げてヘルの上半身を覆う信は、眩しいくらいの笑顔を浮かべてそういうのだった。



―Fin―

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絶対着衣の幸せ領域 こむらさき @violetsnake206

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