第39話 魔物を穿つ蝙蝠の羽

「ったく…仕方ない」


 暴れ狂った異形の魔物が再び巻き起こした砂煙を払うようにマントを靡かせたアビスモは、先程のルリジオの言葉を思い出して舌打ちをしながら目の前に現れた数本の触手を最小限の動きで避ける。

 異形の魔物は触手攻撃の手応えがないことに気がついたのか、再び雄叫びを上げると長い両腕を高く掲げた。

 異形の魔物から伸びた長い腕が振り下ろされる。そのせいで巻き起こる風で一帯の土煙は晴れ、乾いた光が魔物とアビスモを照らす。

 まるで大きな雷でも落ちたかのような大きな音と、揺れが響き、地面に叩きつけられた腕が砕いた石の礫やホコリが再び舞い上がった。

 異形の魔物が繰り出した大ぶりの攻撃を無事に躱したアビスモは、次の攻撃に備えて魔物から距離を取ろうとして地面を蹴る。


「クソ…目くらましを使う程度の知能はあるのか」


 地面から跳び上がる途中で高度を失い、地面に向かって落ちていくアビスモは自分の足に絡みついている細い触手に気がついて眉を顰める。

 再び舞い上がった土埃のせいで良好ではない視界でも、自分の足に絡みついている触手が、巨大な異形の魔物の方へ伸びていることは明確だった。

 絡みついた触手を振り払うことも出来ずにそのまま地面に墜落するように落ちたアビスモを、異形の魔物は自分の方へと勢いよく引き寄せた。


 ゴツゴツした岩面を引きずりながら引き寄せたアビスモを、熱帯に住む鳥たちが喚くような騒がしい鳴き声が響く口元へ持ち上げた異形の化け物は何かを感じ取ったのかそこで動きを止めた。

 大きく開いていた平らな歯がびっしりと並ぶ口がガチンと大きな音を立てて閉じたときには、異形の魔物の口元に横一文字の大きな傷跡が出来ていた。

 持ち上げていたアビスモを放り投げ、吹き出してきた鮮血を抑えるように両腕で自分の顔を抑えた。

 そして、異形の魔物は先程よりも甲高い悲鳴のようなものを上げてよろめきながら一、二歩後退すると、顔の周りに生やしている触手を縮めて周りをキョロキョロと探るような仕草をしてみせる。


「一撃で決めるつもりだったんだが…思ったより硬いな。魔法は効果が薄いということか…」


 そういいながらアビスモはマントを蝙蝠の羽のように広げて浮かびあがった。

 急に眼の前に逃げたと思っていた相手が現れたことに混乱しているのか、痛みを与えた相手が至近距離にいることに怯えているのか、異形の魔物は触手に包まれた内側にある口を開きギィギィと鳴き声をあげる。


「そんなに時間もかけられないし、肉弾戦とやらをやってやろうじゃないか」


 ちらりと空を見上げて、空のてっぺんから少し傾きかけた太陽を見たアビスモは右足を下げ、右肩を後ろへ引き、異形の魔物と対峙する。

 右手を顎の横にピタリとつけ、左手を顎の前に構えたアビスモは、異形の魔物と比べるとまるでヒグマの前にいるリスのようだ。


「剣も持ってきていないし、この前教わった異界の格闘技を試すのもいいか」


 スゥッと息を吸うと同時に傾けている体を捻ったアビスモの下からは、異形の魔物が持ち上げた八本の足先が伸びてきている。

 自分の体を覆って地面に引きずり降ろそうとするウネウネをうごめく足たちを気にする素振りもせずに、アビスモはマントを更に大きく広げると勢いよく空中を蹴る。

 アビスモが前進すると同時にぶちぶちぶちという鈍い音が響き、引きちぎられた足の断片からは黒っぽいネバネバした粘液が飛び散る。

  瞬きをする暇もないほどの速度で異形の魔物の眼前にたどり着いたアビスモが、捻った体を戻す反動を利用して右手を真っ直ぐに前に突き出すと同時に、異形の魔物の頭が弾け飛び、しのぶたちがいる高台のすぐ下にある岩壁に大きな穴の空いた魔物の頭部がぶつかって地面に落ちた。

 

「…汚れるから肉弾戦は嫌なんだよ」


 頭を吹き飛ばされた異形の魔物の首から噴き出している黒くてネバネバする粘液を体中に浴びて、ただでさえ鋭い目を更に細めたアビスモは、肩を落としながら高台の上で呑気に手を振って笑っているルリジオの方を見ると中指を立てて見せた。


「は?こいつ…」


 信たちの方へと戻ろうとしたアビスモは、体に違和感を覚えて、下にいる異形の魔物の死体を見た。

 噴き出した粘液が意思を持っているかのように蠢き始め、アビスモの体にまとわりついていた粘液は縄のように彼の体の自由を奪う。

 藻掻くアビスモを助けようとルリジオが地面においていた剣を手にした時、遠くから飛んできた赤い何かがアビスモのことを捉えていた粘液が変化した黒い触手をアビスモごと噛みちぎって上空へ逃げるのが見えた。


「あれは…」


 口に咥えたアビスモを信たちがいる高台へ運んできた赤く巨大な龍は、そのまま黒いクラゲの魔物の元へと踵を返すのだった。

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