第16話 告白と取引

「キャアあああ!お姉さまー!スコルお姉さまー!」


「…ううう」


「お久しぶりですぅ!会いたかった!なんだか美味しそうな香りまでさせて!まさかハティに会いに来てくれたんですかぁ?」


 驚くほど簡単に見つかったハティは、スコルと同じような体型をしていたが、それだけに透き通るような白い肌と真っ白な髪の毛という色の対比のせいで頭から被るように着ていた服を取ると全く別人のように見えた。

 ハティに抱きつかれて頬を擦り寄せられているスコルは眉間にシワを寄せて、妹からの強烈な愛情表現に耐えているようにも見える。


「もぉー!お姉さまったら急にいなくなって連絡も取れなくなってたから心配してたんですよぉ?かれこれ504年と7ヶ月…もう死んでしまったのかとも思ってひっそりとこの街でヒトとして生きていこうと諦めかけてたら…まさか会いに来てくれるなんて!」


 一方的に捲し立てると、ハティは再びスコルに抱きついて、スコルの豊かな胸元に鼻先を埋めた。

 げんなりしている様子のスコルと、喜びを隠しきれないように大はしゃぎしているハティを見て、信とナビネは驚きながらもハティが用意した椅子に座り、硬い果実の練り込まれたパンを口に放り込んだ。


「あんたの家に招待してくれたのはありがたいんだが…はぁ」


「わたしの家じゃないですぅ―!これからお姉さまの家にもなるんですぅ―!」


「いーや。あたしはここに住むつもりはない。話を聞けってば」


 自分の身体に頬ずりをしながら唇を尖らせるハティの顔を引き剥がすと、スコルはため息交じりに言葉を続ける。しかし、ハティは懲りずにスコルの胸辺りに再び頬を押し付けて得意げな顔をする。


「ちゃんと話さなきゃいけないことがあるんだ。あのときのことだ。あんたと距離を置いたのも…そのせいだ」


「…あの時の…こと…」


 心当たりがあるのか、ハティからは天真爛漫な笑顔が消え、姿勢を正してスコルの顔を見つめた。

 信とナビネも固唾を飲みながら姉妹の様子を見守る。


「マーナグルムが地底から帰ってきたあの日、月の女神ルトラーラが呑まれた。そこまではわかるな?」


 真剣な顔のまま頷くハティを見て、スコルは咳払いをすると話を続けた。


「えーっと、なんていうか…その…マーナガルムに襲われそうになったルトラーラはとっさに自分の魂の一部を切り離して近くにいた狼に写したんだ」


「あの時…マーナガルムのそばにいたのってわたしたちくらいだったわよね?他のきょうだいたちはみんなヘルヘイムにいるし…。あ…まさか」


 目を大きく見開いたハティは、目と同じくらい大きく開いた口に両手を当てて言葉を失っている。


「そのまさか…だ。それであたしは、あんたから離れて太陽の女神を食べて力を得ようとした。女神を食べたら魂の一部からでも女神としての姿を取り戻せると思ってな」


「んー。そこまではわかったけど、じゃあなんでなにも食べないでこっちに戻ってきたのかしら?わたしとしてはお姉さまと姉妹仲良くヒトとしてここで暮らすのもいいのだけれど、そういうつもりじゃあないんでしょ?」


 腕を組み、長い脚を伸ばして椅子を揺らしながら話を聞いていたハティは、首を傾げる。

 ソレに対してなにやら困った顔を浮かべているスコルを見てなにか気がついたのか、ハティは申し訳程度にもてなしをして存在すら忘れていた信とナビネの存在を思い出して対面にいる彼らへと目を向けた。


「まさかなんだけどぉ…このなんの取り柄もなさそうなニンゲンが関係あるっていうの?」


「こいつがマーナガルムを倒す鍵になるんだ」


「いやいや!マーナガルムは兄弟よ?確かに乱暴だし凶暴だし話も通じなくてかなーりめんどくさいけど…」


「殺しはしない。元の世界に帰ってもらうだけだ。あたしたちも…元の世界に戻ることになるかもしれないけどな」


 スコルと信たちを見比べて頭を左右に振ると、ハティは慌てた様子でスコルの腕を掴んだ。

 しかし、スコルは少しも動揺した様子は見せずに冷静に彼女の肩に手を置くと言い聞かせるように落ち着いたトーンでそういった。


「うーん。わたしはぁ…別に元の世界に戻れるならそれでもいいんだけど?あのウザい烏たちに監視されてるってことはあいつらのボスにこの世界のことも把握されてるってことだしぃ…でもねーわたしは痛い思いをして、結局月の女神も食べられずに元の世界に行くとかなにも得しなくない?すごい元の世界に帰りたーいっていうなら別なんだけど」


「元の世界?」


「あれ?お姉さま話してなかったの?歩いてたらね、急に穴が出来て足元がなくなっちゃってね。わーって驚いてたら、なんか綺麗な場所にいて、ビックリしてたらその場所に住んでた美味しそうなお姉さんが出てきたのよ。とりあえずここがどこかしりませんかー?って聞こうとしたら、マーナガルムがそのお姉さんを食べちゃったんだけど」


 信が小さな声で呟くと、白くて絹の糸のような髪の毛先をいじりながらそう言ってうつむいて大袈裟に肩を落とし、話を続けた。


「それで急にマーナガルムは相手の神としての格?っていうか人格?を取り込んじゃってこの領域の支配者はわたしよーなんていうようになっちゃってさー。いつのまにかお姉さまはいなくなっちゃうし、マーナガルムを取り込んだ月の女神は食べたくても強すぎて1人で歯が立たなくてめんどくさいし、ずっとおばあさんにならないわたしみたいなのでも正体がバレたりしにくいこの街に辿り着いたのよ」


 机に頬杖をついてダルそうな顔をしながらそう説明したハティは、少し見下すような視線で信を上から下に品定めでもするように見る。

 信とナビネを見終わったハティはスコルの方を向きながら溜息をついた。


「この子達…全然強そうじゃないけど本当にマーナガルムに勝てるの?わたしいくらお姉さまと一緒でも怪我したり痛い目に遭うことは嫌よ?」


「まぁ、なにもしらないお前がそう思うのもわかる。あたしも最初はからかって油断させて半殺しにでもしてやろうと思っていた」


 ちらりと上目遣いで自分を見てくるハティに対してスコルは胸を張りながら答えると、ハハハと声を出して笑う。信とナビネは「半殺し」という単語に目を丸くしながらスコルを見たが彼女はそんなことお構いなしに話を続ける。


「でもシノブは…信じられるいいやつなんだ。だから頼むよ。こいつのためにもマーナガルムをどうにかしなきゃいけないんだ」


 優しく、少し切なげな顔でそういったスコルの言葉を聞いたハティは、しばらく顎に手を当てながら信とナビネをじっと見つめる。


「お願いだ。俺には使命がある。俺を召喚してくれた太陽の女神が約束してくれたんだ。世界を救った暁にはなんでも願いを叶えるって」


「あなたの願いのためにわたしに戦えってこと?」


 目を細めて、嫌悪感を露わにして自分を見るハティに対して、信は首を横に振ると、まっすぐと彼女の紅い瞳を見つめた。


「…聞いてくれ。

 最初は…もちろん女神へお願いは俺自身のために使おうと思っていた。理想のおっぱいの持ち主の下乳の下に住みたい…そのために理想のおっぱいの持ち主を探して、世界を救った後に自分を小さくしてもらうか妖精的なものにしてもらって、理想のおっぱいの持ち主の服の中に潜んでおっぱいの下で服を移ろいゆく様々な季節のように感じながらゆったりと生きたい…そう思っていた。でも変わったんだ」


「…ごめんさない。ちょっと強烈な願いすぎて頭に入ってこないんだけど」


 額に手を当てて目を閉じるハティに構わず信は話を続ける。その声はわずかに熱を帯びていた。


「俺は理想のおっぱいに出会った。筋肉と少しの脂肪分が紡ぎ出す肋からウエスト、そしてウエストから腰にかけてのゆるやかで美しい曲線、そして肋から鎖骨へ向かう途中にある高い漆黒の岡が2つ。腹筋の浮かび上がる逞しい肉体とやわらかな乳房そして魅惑的な夜の色の肌マリアージュはもう俺の好みドンズバ100点なんだよ。

 それが君の双子の姉…スコルだ。彼女のおっぱいの下に住みたい。そう思っていた。でも、俺はその願いは女神の力を頼らなくても叶えられるかもしれない。そう気がついてしまった。だから…」


「全然わからないけど、続きは聞くわ。聞かせてちょうだい」


「だから…元の世界へ無事に戻れるようにでもなんでも、君たちの願い事を女神に頼もう。それでどうだ?」


「シノブ…お前…」


 予想外の言葉にナビネとスコルは目を丸くて同時に言葉を発する。

 ハティもさっきまで頬杖をつきながら話を聞いていたはずが、信の最後の言葉を聞いて急に背筋をピンと伸ばして身を乗り出した。


「え?いいの?なにそれー?最初は自分の性的嗜好を急に話し始める激ヤバニンゲンだと思ってたけど、君!案外いい人ね!」


「協力してくれるってことでいいんだな?」


「もっちろーん!よろしくね、シノブくん!」


 満面の笑みを浮かべたハティは、自分より少し小柄な信にハグをするとそう言って手を差し出した。

 信はそれにうなずきながら彼女と固い握手を交わしたのだった。

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