第12話 「誠の道進み、チームに流れを呼べ」(後編)

結局、試合は9回の表終了時点でともこ側のチームが3得点、全てともこのホームランによる得点だ。他の打者も塁には出るが後が続かなかった。

 ともこはベンチで、少年にすごいすごいとまとわりつかれたのが少し鬱陶しく、苦笑いしていた。ピッチャーは他のポジションより消耗が激しく、ともこは疲れを感じていた。

ともこはマウンドに上がり、汗を拭う。夏の日差しがグラウンドに突き刺さるせいで、ともこの視界が白っぽくなる。

 相手はちょうど1番からの攻撃だ。1人でも塁に出してしまえば4番の千尋まで回ってしまう。それだけはどうしても避けたい。

 さっきの千尋の打席は三振に抑え込んだが、1球だけ、ファールゾーンへの大飛球があった。タイミングが合ってきている。次の打席ではまともに捉えてくるはずだ。

ともこはロジンバッグをぼーっと見つめる。

 大丈夫、この回を3人で打ち取れば、この試合に勝てる。

 ともこは大きく振りかぶる。

 ともこの直球は最終回を迎えて、一段とスピードが上がったが、コントロールが効かなくなり、1番打者を四球で出塁させる。

 ともこは塁上のランナーをみて、大きく息を吐いた。

 千尋と対戦せざるを得なくなってしまったが、ゲッツーを取れるかもしれないから、まだわからない。

 ともこは気持ちをリセットして、開き直った。

 大丈夫。変化球で引っ掛けさせよう。

 ともこはセットポジションから、シンカーを投げた。

 しかし、ともこが思っているよりもコースに甘く入っていまい、球威はあるが、変化が少ない。

 打者がスイングすると、まともに捉えられてしまい。センター後方へ大きく打球が上がった。

 少年は全力で打球を追うが、ボールに追い抜かされた。

 1塁ランナーはスタートを切って3塁まであっという間に辿り着こうとしていた。たぶんランナーはホームまで帰ってくるつもりだ。1失点は仕方ないとともこはホームベース後ろへ向かいキャッチャーのカバーに入ろうとした。

 少年はフェンスに当たったクッションボールを拾うと、ステップを大きく踏んで、ボールをホームベースへ投げると、思いの外、矢のような送球が帰ってきた。

 ランナーは送球を見て、本塁上のハーフウェイから慌てて三塁へ帰塁する。

 ともこは少年の送球に驚いていた。まさか、体の小さい少年の割にはいい球を投げていた。

 少年はともこの方へ指を刺した。守備は任せておけと言わんばかりに。

 今のはまぐれだろ、少年のくせに。とともこは少し微笑む。いずれにせよ助かったと思い、マウンドに戻った。

 ノーアウト、ランナー2、3塁。

 大ピンチもいいところだ。

 ともこは帰ってきたボールを見つめる。これ以上のピンチを幾度も乗り越えてきた経験があることを思い出しているともこは冷静になった。ただ、気持ちは冷静だが、体がついてきていないような気がしてきている。

 ともこはセットポジションで、打者と向き合う。3番打者はこの試合でともこと相性が悪すぎて、バットにかすりすらしていない。たぶん、根本的にタイミングが合わないのだろう。

 ともこは気持ちに余裕を持ったまま投球モーションに入る。

 土壇場にきて馬鹿力が出てきたともこはいいボールを投げるが、力が入りすぎて、全て際どいコースに外れて、再び四球を出してしまった。

 ともこは思わず頭を下げてしまう。

 これほど上手くいかないなんて思わなかった。

 野球をある程度知っているともこは自分が作り出してしまってこの状況に肩を落とし、ため息をついた。このピンチの状況下でピッチャーか四球を出してしまっては後ろの守備のリズムを崩してしまう。自分で試合をコントロールできていない証拠だ。

「タイム!」

 不意に佐々木の声が響き渡り、内野陣がともこの下へ集まった。ともこは佐々木の声に我にかえる。

 何か恨み節でも言われるのか? それとも、ピッチャー交代を告げられるのだろうか?

 ともこは若干ネガティブな心境になる。


「よくやってくれてるよ岡崎さん」

 ともこの予想を裏切り、佐々木が笑顔で声をかける。

「大丈夫。打たして取っていいんだよ。僕もそうだけど、センターもあんなにいいプレーを見せてくれたんだ。僕たちも案外プロから声がかかるかも」

 佐々木は冗談を言って笑うと他のメンバーも笑った。

 ともこは佐々木の言葉に気付かされる。今まで自分がどのように打ち取ってやろうと躍起になって考えていたけど、もっと後ろを信用して打たせていいんだ。この試合で佐々木をはじめとして、野球の素人ながらもいいプレーをしてくれた内野陣がいたことをともこは思い出す。

「ともこちゃんはホームランを3本も打ったんだ。いいリズムに乗れている証拠だ。そのリズムでボールを投げれば、絶対にいける」

 セカンドを守っていたおじさんがともこに声をかけて、ポジションに戻っていった。他の内野陣も、かんばれとか、次のバッターでかましたれとか、ともこに声をかけて戻っていく。

 ともこは空を見上げる。どこまでも広がる青空をみて感傷に浸るために見上げたわけではない。自分の気持ちを落ち着かせるためだ。

 焦る気持ちのせいで力が入りすぎている。

 ともこはボールを掌で弄びながら、打席に入る千尋の方を見た。

 千尋はいつもの飄々として余裕を持っていた今までとは違い、真剣な表情をしている。彼女があんな表情をするのは珍しい。

 ともこはロジンバッグを手に取り、次に何を投げるか考えていた。この際、勝てれば何でもいい。ともかくホームランを打たれさえしなければ試合はまだ勝てるはずだ。とにかく試合に勝ちたいと強く思うあまり、ともこの中の場数を踏んできた冷徹な自分が耳元で囁きかける。

—千尋を歩かせて次の打者で勝負した方が確実じゃない? 千尋は私のボールに段々とタイミングのあってきているから敬遠して、次のバッターで勝負したほうが確実でしょ?—

 ともこは改めてボールを握り直す。

「その考えはアリだ」

 すると、心のべつな部分の直向きな感情が耳元で話しかける。

—その作戦はいいけど。つまらないことをして勝っても、勝利の喜びは半減しちゃうよ?千尋を三振を取れば済む話なのに、そんなつまらない勝ち方を選ぼうだなんて、あんた、いつからつまらない女になったの?—

「……………」

 ともこはセットポジションにつく。

 開き直って、ワインドアップに戻してもいいが、相手チームはそれなりに野球ができるために、ホームスチームを決められる可能性がある。

 ともこは顎を下げて息を吐いた。ともこは千尋のタイミングを外すために、突然クイックモーションで、カーブを投げた。

 千尋はそれを打つ素振りも見せずに見逃した。ボール。

 ともこはキャッチャーの返球を受け取り、再びセットポジションにつく。

 次に投げるのはストレートか、シンカーか、もう一球カーブを続けるか。これまでの千尋の打席からおそらく変化球を打つ素振りは見せないだろう。シンカーの握りで投げるタイミングを見計らっていると、千尋がタイムを取る。

 千尋はともこの間を嫌った。打席から足を外し、バットを握り直す。

 勝負の雰囲気にのめり込みすぎた2人の間の緊張感はピークを迎えていた。

 打席に入り直した千尋は再びバットを構える。

 主審がプレイを告げると、ともこは間髪入れずに投球モーションに入った。放たれたシンカーはボールゾーンからストライクゾーンに入った。ストライク。

 千尋は少し表情を歪ませる。ともこのタイミングの外し方にイラついているみたいだ。しかし、真っ向勝負に勝負事に綺麗も汚いもない。

 ともこはそう思いながら、ボールを強く握りしめる。

 今までの3塁ランナーを動きからして、リードの取り方が小さいために、ホームスチームはないだろう。

 ともこは顎を下げて大きく振るかぶる。カーブの握りでインコースを目掛けて投げる瞬間に、嫌な予感がした。ボールが離れる瞬間にはこれまでにないボールの指のかかり具合から、変化量は十分でコースに決まるはずだが、千尋が何か確信めいた表情をしたのを見逃さなかった。

 ボールは鋭く変化し、インコース側、ボールゾーンからストライクゾーンへと入ってゆく。

 その曲がりきったカーブを千尋は体を開けながらフルスイングすると、ボールは右中間後方へと鮮やかに舞い上がった。

 ともこは打球の行方を追う。

 ボールはどんどんと飛距離を伸ばしながら、淀川へと落ちた。


§


 千尋が仲間と騒ぎながらダイヤモンドを一周している中、ともこはマウンドを降りて、ベンチへと帰ってゆく。グローブを外して、ボストンバッグからタオルを取り出し、頭から被った。

 悔しくて、涙が溢れて止まらない。どうして打たれたんだろうとともこは考えようとするが、それ以上に悔しさが勝ってしまい。何も考えられない。

 ふと周りを見ると、他のメンバーが話し合いながらベンチへ引き上げてくる。

「いやぁ、惜しいところまでいったけどねぇ」

「でも、あのチームに勝ちかけていたってのは中々貴重な経験だよ」

「ナイスピッチング」

 不意に佐々木がともこに話しかける。

「なかなか楽しい試合だったよ。負けちゃったけど、急造チームにしてはいい試合をしたと思うよ」

 ともこは他のメンバーを見ると、わりと和やかな表情をしていた。

「お姉ちゃん。すごかったよ。最後は打たれちゃったけど、今度野球教えてよ」

「ともこちゃんがいなかったらもっと酷い負け方をしてたよ。ナイスピッチングだったよ」

 ともこは涙を拭った。

 後ろの守備陣は楽しみながら野球をしていた。

 そういえば、後ろに仲間がいて野球をするのは久しぶりだった。

 1人でやってたら、こんなに悔しく無かっただろう。なんだかんだ後ろの守備のおかげで助かった場面がいくつかあった。

 そして、野球は1人で勝ち負けが決まるわけじゃない。もちろん個々の技量があって、その上ではじめて勝ち負けが決まるのだ。

 なんかスッキリした気分になったのは、久しぶりにまともな野球をしたからだろう……。

「また、機会があればチームに助っ人としてきてくれよ」

 佐々木がともこの肩を叩いた。

「依頼金は高くつくよ?」

 ともこはグローブをボストンバッグに仕舞った。


「ともこ!」

 呼ばれたので振り返ると、千尋がしてやったり顔で近づいてきた。

「…もしかして、泣いてた?」

「泣いてない」

 ともこは強く否定する。

「まあ、いいや。次の試合は私のところに助っ人にきてよ。やっぱり私はピッチャーに専念したいから、それに、あんたが入れば優勝間違いないしね」

「まあ、いいけど」

「それに、あんたはピッチャー向いてないよ。癖で球種がバレバレだったしね」

 千尋は腕を組んで、高らかに笑う。その様子にともこはムカついた。

「私の癖ってどんなの?」

「フフッ。どうだろう?」

 そう言って千尋は相手ベンチに引き換えそうとした。

「ちょっと…」

「それより、明日も9時から試合があるから。背番号はもちろん13番用意しとくよ」

 千尋は手を振って去っていった。

 まったく、強引な奴。

 そう思って千尋は少し微笑んだ。

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