第7話「強く高くボール飛ばせ」

—とあるスポーツ用品店—


 レジの後ろで椅子に腰を下ろしてスポーツ新聞を読んでいた山本は人の気配を感じ、顔を上げると、ともこの姿を認めた。

「注文のメールを見たよ。バットは作業場にある」

 彼は作業場の方を指さした。


—作業場—


 削られたアオダモのカスが床に散らばっているのをパリパリと踏みしめながら山本はともこに3本のバットを渡した。

 ともこはそれぞれのバットを細かく点検してから軽く振ってみたりしている。

 山本はともこの姿に父親の影を見た。大志のバットはホワイトアッシュで平均的な長さのバットだったが、娘の方はタモで大志のバットよりわずかに細く長くしてあり、ヘッドを少しだけ重くしてある。構えはそっくりなのに、使うバットは全く違うというのも面白いものだと目を細めた。

 ともこは作業場奥に小さく作られたバッティングケージの中で3本とも試打した後で、一本は山本に返した。

「このバットだけヘッドの大きさがちょっとだけ細い。強く飛ばない。これ以外は持っていく」

「バットを新調するのは、千尋ちゃんに折られた時以来だっけ?」

 そう言われたともこは何も言わずにムスッとした。


—とある公園—


「この女の子を殺して欲しいんだ」

 若い男の言葉にともこはほんの少しだけ眉を釣り上げた。彼は一枚の写真をともこに渡した。そこには女子高生が写っていた。

「清水千尋というんだ。彼女は僕たちから重要な情報を盗み出したんだ…」

「重要な情報ってなに?」

「脱法ドラックの成分と販売ルートだ。彼女がそれを警察に持っていけばぼくたちは破滅してしまう。何としても彼女を狙って捕まえて欲しいんだ」

「わかった。依頼金が振り込まれ次第、とりかかる」

「それと条件があって、彼女が倒れる瞬間をこの目で確かめたいんだ。だから、来週の土曜日の21時半に彼女を狙って欲しいんだ」

 三浦は1枚の紙を取り出してともこに渡した。それは秦基博のライブポスターだった。5月5日の土曜日に野球場で開催と書かれてある。

「彼女はこのライブに必ず来る。このタイミングに狙って欲しい」

「そう」と言って、ともこは立ち去った。

 三浦はともこが去ったのを確認してから携帯電話を取り出した。

—もしもし? リーダーですか? ともこ13は依頼を引き受けてくれました。それじゃあ、僕の役目は御免とさせていただきますよ—

 電話を切った三浦はポケットからタバコを取り出して口に咥えた。しかし、清水千尋と岡崎ともこの対決が見てみようだなんて、あのリーダーも酔狂な野郎だ。どうなっても知らねえぞ……。

 三浦はタバコに火をつけて、吐き出した煙を眺めていた。


—とある探偵事務所—


 ともこは3日前に頼んだ、清水千尋についての資料を探偵から受け取った。

「女子高生の調査だなんて珍しいね? どういう風の吹き回し?」

 探偵はともこに話しかけるが、ともこは何も言わずに資料に目を通し始めた。

—清水千尋。〇〇高校2年生。4月8日生まれ。血液型はO型—

 調査用紙にそれだけしか書かれていなかった。

「情報はこれだけ?」

 ともこが訊ねると、探偵は同意したように首を横に振る。

「彼女に関しては情報がほとんどないんだよ。空白の人間だ。君と似たような人種だと思うよ」

 ともこは眉をひそめて腕を組んだ。

 経歴が空白の人間なんているはずがない。ということは、意図的に消している。こちら側の人間だ。そして、彼女がどういう存在なのか気になるが、私がすることは彼女の経歴を明らかにすることではない。

「あとはこれだけだ」

 探偵はともこにスマホの画面を見せた。清水千尋が体操着をきてボールを投げている動画で、何処か遠くから隠し撮りされたアングルだった。学校の球技大会の時のもので、野球をしていたときをおさめたものだ。彼女がピッチャーで3種類の変化球を投げたところで動画は終わっていた。

 ……なるほど。投球のコントロールは驚くほど正確だ。これほどの腕ならどんな仕事でもこなせるはずだ。

 おそらく清水千尋は何らかの仕事を引き受けたが、その結果が依頼者の意向にそぐわなかったのだろう。だから、その依頼者は彼女への報復と口封じのために私を雇ったのだ。

 ともこは納得するが、心の何処かのしこりが残っていた。


—とある球場—


 デジタル腕時計が21時22分43、44秒と表示を変えてゆくのをともこは見つめていた。

 結局、ともこは清水千尋の姿を学校内で見つけることができなかった。彼女は本当に学校に在籍するのか疑ったが、生徒名簿を確認すると、彼女の名前が記載されている。ということは学校に来ていないということだ。また、学校書類から彼女の住所まで特定したが、その一戸建てに人が住んでいる気配はなかった。まるで影を追いかけているようだ。そこに存在することはわかっているのに捕まえることができない。

 人を殺して欲しいという依頼が今までなかったともこは、心の底に少しだけ躊躇いを覚えていた。本当に行動に移していいのだろうか? 今まで散々物を壊したり、悪事を働いてきたのに、殺人だけは躊躇うというのは変な話だとともこは思った。

—しかし、一度引き受けた依頼は必ず達成されなければならない—

 ともこは球場を見下ろせるビルの屋上から、バットを片手に双眼鏡を覗いた。アンコールが終わり、観客が一斉に帰り始めていた。天突きから押し出されたところてんのように複数の出口から大量の人が溢れ出てくる。ともこはその人混みの中から千尋を探す。彼女はその気になれば、大量に溢れ出てそれぞれに方角に歩いてゆく人々の顔を一瞬で判別し、特定の人を見つけ出すことができるのだ。

 3分もかからないうちに千尋を見つけ出した。彼女は1人で駅の方へ向かって歩いていた。ライブTシャツを着て、リュックサックを背負っている。途中で、ベンチに近づいてリュックサックを下ろし、中身を探り始めた。

 ともこは双眼鏡を外して、ふうと息を吐いた。

 ……結局のところ、私にとって物を壊すのも人を壊すのも関係ない。ただ、美しい放物線を描くホームランを打つだけだ。

 ともこはバッティンググローブをはめて、カバンからボールを取り出した。

 ともこはボールを宙にトスしてスイングすると、バットは鋭い軌道を描いてボールを強く捉える。彼女は守備練習のノックの要領で打球を放ち放物線を描いた。

 ともこは打球の行方を眺めた。ボールは徐々にスピードを上げながら目標に近づいてゆく。

 やがて千尋の頭へとぶつかりそうになった瞬間だった。

 千尋は素早くリュックサックからグローブを取り出して、ボールを取った。

「なっ!?」

 ともこは思わず声を出した。その声は千尋のもとへは届かない。

 ともこは双眼鏡を覗くと、千尋がこっちを向いていた。口をパクパクさせて何かを言っている。

「こっちにおいで」



§


「あんたが岡崎ともこ?」

 ともこは千尋に話しかけられても黙ったままだった。

「噂に聞いてたけど、バットコントロールはすごいんだね」

 千尋はキャッチしたボールを手のひらで弄んでいた。

「あの男があんたのところに来たんでしょ? 私を殺して欲しいって」

 千尋は再びともこに話しかけるが、何も話さない。

「まあ、喋らないんだったらいいや。私はもともと依頼に来た男の仲間で、いろいろやってたんだけど、飽きちゃって抜け出したいって言ったら大ごとになったんだ。それでなんか私のことを殺そうってリーダーが決めちゃって。ほら、私、余計なことをいろいろ知ってるからさ。まあ、なんだかんだあって、私があんたに勝てたら円満に仲間から抜け出せるって約束されたんだ。それで…」

 千尋はともこが持っている、バットケースに目をやった。

「1打席勝負しようよ。私もちょっと野球をかじってたんだ。私がピッチャー、あんたがバッターで」


—とある球場—


 ライブ設備の撤去作業が終わった午前3時、ナイターの照明が球場全体を照らしていた。

 千尋はマウンドでプレートの周りを足で慣らしていた。

 ともこはバッターボックスで軸足の穴を掘ってから、右手で千尋の方にバットを立て、左手を下におろして軽く振った。

 ともこはさっきの彼女の話を思い出していた。私に勝てれば仲間を抜け出せると…。あの男はその事を隠して私を利用しようと依頼してきたのだ。

 ともこは自分をいいように操ろうとした彼女の仲間たちの魂胆に腹を立てていた。

 しかし、今は目の前の勝負に集中しなくてはいけない。清水千尋がこの勝負でどうなろうと、私はこの打席でホームランを打つだけだ。

「じゃあ、あんたが私からホームランを打てれば、あんたの勝ち。私があんたを打ち取ることができたら私の勝ちってことで」

千尋の提案にともこはうなづいた。

「じゃあいくよ」

 千尋は大きく振りかぶった。千尋の目線の先はホームベースの後ろに、見えないキャッチャーのミットが見えている。

 ともこはバットを構える。彼女の一番遅いボールをイメージしていた。遅いボールを待てば、速いボールが来ても、反射神経で反応すればいい。

 千尋の手からボールが離れる瞬間がスローモーションで見えた。ボールはスピードが乗っていた。

 ストレートだ。ともこの反射神経が反応し、バットが勝手に動き始める。バットがボールを捉えて、快音がスタジアムに響き渡った。ボールは放物線を描いてライト側のポール際に飛んでいくが、大きく曲がってファール側に落ちた。ともこは眉を顰める。

 さっきのボールはストレートだと思ったが、手元で僅かに動いている。

 ムービングファーストだ。

 普通の真っ直ぐなら、今のスイングでポール際に入るホームランになるはずなのに、ボールが曲がって、芯から若干外れたから、ファールになったのだ。これはなかなか手強い相手だとともこは思った。

 さて、次は何がくる?

 千尋は再び大きく振りかぶる。腕の振り方がさっきとは若干違った。変化球だ。

 放たれたボールは少し遅いが、左打席に立つともこの内側を大きく抉るパワーカーブだった。ともこは落ち着きながらバットを素早く出してカットする。ファール。

 ここまで大きく曲がるカーブを見たのは初めてだとともこは思った。

 千尋はともこの様子をみて笑っていた。

「まさか、私のカーブを初見で当てるのはあんたが初めてだよ。ほとんどの人は見逃すんだけど」

 ともこは千尋の言葉を無視して、バットを構え直す。

 千尋は大きく振りかぶり、このボールで勝負を決めようとしているように目線を一度下げた。ムービングファーストがくると思い、ともこは身構えた。ともこにとって1度見た球を打つことは造作もないことだ。

 一投目と全く同じ腕の振り方で放たれたボールは、全く同じ軌道でホームベースまで向かってくる。

 ともこはわずかに曲がることを想定したスイングをした。2度と同じ手は通用しない…。

 ともこがスイングすると、バットはいつもとは違い、少しかん高いいびつな音を立てた。

 打球は千尋の前に力なく転がり、折れたバットは1塁側へと飛んでいった。

「私の勝ち」

 千尋はニヤリと笑った。

 ともこは折れたバットを見つめて、青ざめていた。

 バットコントロールに自負のあるともこにとってバットを折られることは屈辱以外のなにものでもない。

 千尋の繰り出したムービングファーストは確かに変化したが、1球目とは違い、大きく変化していた。

 千尋はムービングファーストの変化量を操ることができたのだ。ともこはその事に気づき、千尋の方へ向き直る。悔しさが胸に込み上げてくる。

 ともこは初めてやりばのない怒りを経験した。

「あんたに依頼したいことがある」

 ともこは千尋に話しかけた。

「依頼か、その言葉を聞くのは久々」

 千尋はそう言ってボールを拾い上げる。

「3日後にここにきて私と勝負して」


—ライトスタンド通用口—


「千尋の勝ちですよ」

 三浦は壁にもたれかかり腕を組んでいたリーダーに話しかけた。

「ともこ13がバットを折られるところを見られるなんて、これはなかなか衝撃的だ」

 リーダーはニヤリと笑った。


—とあるスポーツ用品店—


 店主の山本はともこがいつも以上に殺気立っている様子を見て驚いた。

「いつもと同じバットを一本作って欲しい」

 ともこは封筒を山本の前に置いた。

「いいけど、タモが入荷するのは明日だから、明日に用意しても大丈夫かい?」

「明日でいい。午後に受け取りに来る」と言ってともこは立ち去った。

 山本はともこの言葉にさらに驚いた。いつもなら、すぐに用意しろだとか無茶な要求をしてくるのに…。


—ともこの自宅—


 ともこはパソコンを立ち上げて、探偵からもらった千尋の動画を繰り返し眺めていた。小さい変化のムービングファースト、大きい変化のムービングファースト、パワーカーブという順番でボールを投げている。

 ともこは対戦に有利になる情報を探しながら、繰り返し動画を見る。実際に対戦した時は腕の振り方に癖があったから、探せば出てくるはずだ。

 しかし、腕の振り方を見ても、足の上げ方を見ても、癖は見つからない。

 1時間ほど動画を眺めたともこは、視線を動画から外して、思い切り目を瞑った。これだけ見ても何も見つからないということは、ストレートと変化球で腕の振り方が違う癖だけなのだろうか。

 目を開けて壁にかけてある時計を見やった。午後9時だ。千尋との勝負は明日の午後6時。ともこは素振りをして寝るべきか、動画を見続けるべきか迷いながらスマホに目をやった。2球目の大きく曲がるムービングファーストを投げる瞬間だった。千尋の目線がともこの目に映る。

 ……もしかして、これじゃないの?

 ともこは前の千尋の勝負の瞬間を正確に思い返して、ノートにメモを走らせた。


—とある球場—


「何度やっても結果は同じだと思うけど」

 マウンドに立つ千尋はともこに不敵に笑いかける。

「勝負事に全く同じ結果は存在しない」

 ともこはそう言って足場をならして、右手で千尋に向かってバットを立て、左手を軽く振った後にバットを構え、千尋を睨みつける。

 千尋は大きく振りかぶった。一瞬目線を下げて大きく足を上げる。

 勝った。と、ともこは思った。

 投げられたボールはホームベースに向かってくる。

 ともこがスイングしたバットは大きく曲がったボールを正確に捉え、大きく夜空へ舞い上がった。ボールはライトスタンド上段に落ちてバウンドする。

 千尋は打球の行方を眺めて唖然とした。

「まさか、私のフォームに癖があったの?」

 千尋はともこに向き直った。

「どうだろう?」

 ともこはニヤリと笑った。

 一番自信のあるストレートをホームランにされることが初めての千尋は悔しさに唇を噛む。

「依頼よ。3日後にここにきて私と勝負して」

 そう言って千尋ははめていたグローブを叩いた。

「あんたの依頼の前にやることがある。明日の夜は空いてるでしょ?」


—とあるテナントビル—


 午後10時。リーダーと男はホワイトボードに化学式を書き出していた。

「ここの化学式をいじってやれば、新しい薬物になります。でも、元はほとんど同じだから効能は一緒です」

 三浦はリーダーに説明をした。

「それはすぐに作れるのか?」

「ええ、1週間もあれば大丈夫です」

「よし。それでいこう。工場に指示を出してくれ」

 リーダーは三浦に命じてから、背伸びをした。

 脱法ドラッグも売り出した頃はスリルがあって楽しかったが、最近は飽きてきたな。昨日のともこ13と千尋の勝負は面白かったが、その楽しみも終わったし、どうしようか? 特殊詐欺でも始めようかとリーダーが思案していると、突然、窓ガラスが割れて、ボールが入ってきた。ボールはものすごい勢いで炎を上げていた。

 リーダーはあまりに突然のことに驚き、たじろぎながら三浦に消火器を持ってくるように言った。リーダーは慌てて、窓の外を見た。手前に流れる淀川の向こうには梅田のビル群の灯りが無数に輝いている。下の方を見ると、誰も居らず、足音すら聞こえない。誰かが下から投げ込んだ訳じゃないらしい。つまり、川の向こう側からボールを投げ込んだということか? と、推測している間に乾いた打球音が対岸から響き渡り、リーダーはゾッとする。

 対岸からここまではかなりの距離があるのに、ここまで飛ばせるヤツなんて…。

 打球音は何度も続き、少しの間があって、炎のついたボールが何球も飛んできた。

 リーダーは逃げ出した。


—対岸—


 千尋はともこに渡されたボールを不思議そうに眺めていた。

「燃えるボールなんて一体どうやって作ってるの?」

 千尋はボールをトスしながらともこに話しかける。

「職人に作ってもらってるから私もわからない」

 ともこはそう言ってスイングをする。

 打球は鋭いライナーになって、途中で火を上げながら、対岸のテナントビルへ、線を引いていた。

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