Tuesday

7月10日


今日は朝から暑かった。

少し走っただけで汗をかいた。

だからぼくは、パパに”今日は暑いね”って言った。

そしたらパパは”お日様が元気なんだね”って。

朝ごはんを食べてたらアリスが来たよ。

水色のワンピースを着た、ちょっと変な子。

ぼくに笑って”早くしてよ、溶けちゃうわ”って言うんだ。

どこかに行っちゃえばいいのに。

アリスを無視して、庭のブランコで遊んだ。

ママに呼ばれるまでたくさん遊んだ。

お昼ごはんを食べたら、サムが来た。

そしてぼくに言うんだ。

”ほら、早く殺して”

サムのブヨブヨした顔が怖かったから、自分の部屋に逃げた。

ぼくっておかしいのかな。

この日記を書いたら寝ようと思ってる。



                       ―『ジャックの日記』より



 ――――――――――――――――――――――――――――――――――



 初夏のとても暑い日。

日陰が少なく、昨日と違って風がない。

少年は今風があったらいいのに、と思いながら新聞を片手に歩いていた。

新聞を取りに行く時、思いっきり走って疲れたのだろう。

額から流れる汗を手で拭いながら、新聞で顔を扇いでいた。

 少年が家に戻ると、父親が朝食を食べていた。

涼しい顔でアイスコーヒーを飲む父親に、少年は疲れ気味の声で言う。

「今日はすごく暑いね」

「そうだね、きっとお日様が元気なんだね」

そう言って父親は、新聞を持って仕事に行った

暑そうに朝ご飯を食べている少年を見て、母親は1つ提案した。

「アイスキャンディー食べる?ソーダ味があるわよ」

だが、少年はあまり乗り気ではなかった。

アイスが好きではないのかもしれない。

 もしかすると、この少年は甘いものが嫌いなのかもしれない。

昨日だってビスケットもジンジャーブレッドマンも食べなかった。

しかし、母親は冷凍庫からアイスキャンディーを取り出した。

ひんやりと冷たい冷気が見て分かる。

 少年は浮かない顔をしたが、母親はそんなことはお構い無しだった。

受け取らないと分かって、アイスキャンディーを皿に乗せて机に置いた。

そして、洗い物を片付け始めた。


 少年が朝ご飯をつついている前には、皿の上で溶けかけているアイスキャンディー。

「ねぇ、早く殺してよ」

「……」

「ねぇってば。あたし、あなたに殺されたいんだけど」

「ヤだよ」

「ヤじゃないの、あなたが殺すの」

「…………」

「むすくれないで。早く殺して」

俯いて朝ご飯を食べる少年に、声はさらに続ける。

「どうせ殺されるなら、味わってもらいたいもの」

暑さのせいでアイスキャンディーは、ポタポタと皿を空色に染めていく。

それを寂しげな顔で見つめる少年。

「……ごちそうさま」

母親に届かないくらい小さな声で呟いた。


 逃げるように家から飛び出た少年は、庭のブランコで一息ついた。

庭の木に縄でぶら下げているだけのものだが、少年にとっては憩いの場である。

ブランコに腰かけ、勢いをつけて大きく漕ぐ。

 先程のアイスキャンディーと同じ色の空の下。

暗い表情をした少年は、ただ無心にブランコを漕いでいる。

漕ぐたびに少し暖かい風が少年の頬を撫でる。

後ろに振れるたびに、まるで誰かに後ろから引っ張られているような感覚になる。

それを振り切るように、足を大きく動かす。

この繰り返しである。

 少年の日常と似ているが、彼はそんなことに気づいていないのだろう。

もし気づいているとしたら、彼の日記に友人はいないだろう。

友人が多く記されている所を見ると、答えは明白だ。


 少年は太陽が頂点に昇るまで漕いでいたが、母親に呼ばれた。

そろそろ昼食なのだろう。

「ジャックー、戻っていらっしゃい」

と、再び少年を呼ぶ声がした。

そして少年はそれに返事をする。

「はーい」

ぴょん、と飛び降りて駆けだした。

飛び降りた勢いでブランコは独りでに揺れている。

振れ幅が小さくなる頃、少年は玄関の扉を閉めていた。

 少年がリビングへ行くと、サンドイッチが置かれていた。

ハムとタマゴのサラダサンドイッチは、食べやすい大きさで皿の上に並べられている。

いつも座る椅子に少年が座ると、タイミングよく母親が冷たいレモネードを運んできた。

「おかえり、外は暑かったでしょ」

「うん、ちょっとね」

「水分補給は大事よ。レモネード、ちゃんと飲むのよ」

「わかった」

そうして少年の前にレモネードが置かれた。

中に入った氷が、カランカラン、と涼しげな音を出していた。

「さぁ、食べましょう」

「うん」

少年は美味しそうにサンドイッチを頬張りながら、午後にする遊びの事を考えていた。

しばらく考えているうちに、少年の皿からはサンドイッチがなくなった。

無意識の内に食べ終わったのだ。

 それを見ていた母親は、少年を気遣って冷蔵庫から“あるお菓子”を取り出した。

「今日は暑いでしょう、だからこれを作ってみたの」

それは、薄い桃色の少し大きめのムースだ。

型から出され、皿に乗って少年の前に出されたそれは、ぶるぶると揺れていた。

「それじゃあ、ママは洗濯物取り込んでくるから」

と言って、母親はリビングを離れた。


 少年は目の前に出されたムースをただじっと見つめていた。

「どうしたんだい。早く殺してくれよ」

「うるさいな」

「せっかくママが作ってくれたんだ、味わってくれよ」

「イヤだ」

「そんなこと言わずにさ」

「ほら、早く殺して」

しばらく揺れていたムースは、ぴくりとも動かなくなった。誰も触らないからだ。

少年は怯えた顔で小さく呟く。

「ごめん」


 母親がリビングに戻ってきた時には、少年はいなくなっていた。

テーブルの上には、溶けた氷が入ったコップと薄桃色のムースだけ。

 少年はと言うと、自分のベッドで横になって日記を書いている。

しばらく何やら書いていたかと思えば、バタンと日記を閉じて枕元に置いた。

そのまま枕に顔を埋め、程なくして寝息を立て始めた。


そして火曜日は終わった。

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