僕が学校に行きたくない理由

ヒスイ

学校がきらい

 朝起きて、ぼくは、なんとなく学校に行きたくなかった。

 特段遅刻をするわけでもなかったし、ずる休みをしたこともほとんどない。体調を崩す以外の理由で学校を休んだことは、少なくとも高校生になってからは一度もなかった。

 だからと言って、特段学校に行くことにこだわりもなかった。皆勤賞を狙っているわけでもないし、中学校と違って内申のためでもない。ただ、学校に行かなければならないという、ルールに従っているだけだった。

 でも突然、なんの脈絡もなく、学校に行きたくなくなった。

 たまには学校くらい休んでもいいじゃないか、そんな風に今日のぼくは思った。そのままの勢いでぼくはパンを食べて、制服ではなく長袖のシャツを羽織って、財布とスマホとイヤホンだけをつかんで鞄に突っ込むと、外に飛び出した。


 駅までの道は普段の重い教科書やノートがない分歩きやすくて、スキップしてしまいそうなくらいだった。

 駅に着いた。一番安い140円の切符を買って、改札に通すと、普段とは反対側のホームに行くべく、階段を上った。普段乗る1,2番線の案内板は少しくすんで見えた。

 月曜日のホームには声はかけないけど顔は知っているような人もいた。いつもドアにもたれかかって単語帳を開いてる女の子、とか、大きなヘッドホンしてリズムをとってる男の子、とか。彼らはいつも通りなわけで、ぼくだけが異分子だった。

 向かいのホームに電車が入ってきて、風がぶつかってくる。中にはそこそこ多くの人たちが乗っていて、うちの学校の制服もちらほら、見えた気がした。

 なんとなく罪悪感がして、ぼくは頭をさげて顔を隠した。顔見られたってばれるはずなんてないし、ばれても同じクラスじゃない限り、なんの影響だってないのに。そして、そんな自分が嫌で、ぼくは顔を上げり、下げたりしていた。

 そうこうしているうちに、電車はまた発車して、行ってしまった。やっぱり行くべきだったんじゃないか、と私服の自分を見ながら考えたが、どうせあの電車に乗れなかった時点で学校には間に合わないだろ、そう思って、ぼくはやってきた電車に乗った。

 電車に乗っている間、ただぼんやりと外を眺めていた。数件やってきたLINEには、今日学校来ないの?と書いてあって、うん、まぁね、と適当に返事をした。ぼくはそのまま携帯を機内モードにして、音楽を聴きながら、目をつむった。

 起きたのは、終点だった。

 だいぶ遠くまで来たな、とぼくは他人事のように呟いて、立ち上がった。

 出口までのエスカレーターは人であふれかえっていたが、ぼくも吸い込まれるようにしてその列に巻き込まれ、何となく地上に出た。140円で買った切符は、精算するとなかなかのお値段になって、少し後悔した。

 地上にはたくさんの人がいた。

 スーツ姿のおじさん、ふわふわしたドレスを着た女の子、麦わら帽子をかぶったお姉さん、そして制服姿の高校生も。

「あ、すいません」

 人の流れの中でぼーっと立っていたせいで、ぼくは何人かとぶつかった。互いに頭を下げ、そのまま去っていく。近所のサラリーマンとは違って、みんな生き生きしていた。電車の音、車の音、人の声、足音、スピーカーからながれるCMの音、何もかもが楽しそうで、生き生きしていて、若かった。そんな街の中にいることはとても楽しくて、意味もなくわくわくした。ぼくは人に流されるようにして歩道を歩き、しばらく時間が過ぎた。街の中心部からは遠ざかり、緑の目立つ静かな雰囲気のいいところに出た。そこで、おしゃれな本屋をみつけた。

 その本屋にはカフェがついていて、買った本を座って読めるようになっていた。

平日のカフェは人がぽつぽつと、互いを牽制するかのように座っていて、みなそれぞれ音楽を聴いていたり、パソコンで仕事をしていたり、ぼーっとしていたり、様々だった。それぞれが違ったことをしていた。会話している人は誰もおらず、店内には静かにピアノの音が流れていた。

 ぼくはカフェオレを注文すると、文庫と文芸のコーナーを行ったり来たりした挙句、読みたいと思って、何年も買っていなかった本を買って読んでみることにした。

 その本は濃い青色の使われた、キラキラしている表紙だった。

 カバーをかけますか

 いえ、いらないです

 商品を受け取ると、席に着いた。

 なんとなく落ち着かなくて、パラパラとページをめくってみたり、やたら時間をかけてページを開いてみたりしたが、次第に本の内容に引き込まれていった。

 ぼくが最後のページをめくったとき、時間はちょうど13時半を回ったあたりだった。

 おしゃべりなOLの2人組、騒がしいカップル、商談中のサラリーマン。周囲の人間が入れ替わっているだけでなく、外にも人がちらほらと並んでいた。

 ぼくはさめたカフェオレを飲み干すと、鞄をつかんで店を出た。何となく一人で4人席を占領するのがしのびなかったのだ。

 ぼくはまたふらふらと歩いて、駅の反対側まで来た。

 駅の反対側は、来たことがあった。

 ……昔の彼女との、初めてのデートの集合場所が、ここだったのだ。

 まぁ気にしてもしょうがない、とぼくはイヤホンをして、また切符を買い、電車に乗り込んだ。余計なことを考えそうで、一刻も早く離れたくて、ぼくは電車に飛び乗った。

 電車はガラガラで、おまけに各駅停車だった。


 各駅停車の行先は最寄り駅のいくつか手前の駅で、運悪く、昔の彼女の学校がある駅だった。

 ぼくは舌打ちをした。

 そしてぼくは音楽の音量を上げて眠りについた。

 電車は終点までたどり着き、ぼくは駅員に起こされた。時間は15時すぎ。車庫に入る電車でよかった、とぼくはホームに降りた。

 ホームには学生もいっぱいいて、見覚えのある制服姿にぼくは頭がクラクラした。

 次の電車は10分後。ぼくは改札を走り出た。

 はぁ……はぁ……。

 呼吸ができなくなるまでぼくは走って、ある橋まで来ていた。

 一緒に行ったファミレス、コンビニ、公園。必死に見ないようにしてここまで走ってきた。

 涙がこぼれそうだった。でも出てくるのは二酸化炭素の多い空気だけ。

 泣いたら楽なのに、と思った。

 ぼくは、結局の、彼女が好きで忘れられない。

 自分で振って、自分で彼女の前を去ったくせに、ぼくは彼女を忘れることができない。

 彼女と、いつ出会ったのだったか。

 よく覚えていない。記憶に残っているのは、花火大会で偶然出会って、ぼくに告白してくれたことだ。彼女は、今でも鮮明に思い出せるほど印象的で、美しかった。

 水色の浴衣に、薄いピンクのうちわを持って、好きですと言ってくれたその日の夜、ぼくは眠ることができず、翌日の試験が散々な結果だったのを覚えている。

 彼女は、絵に描いたような彼女だった。

 容姿も整っているし、優しいし、何でもできるし、謙虚だし、話は面白いし、文句のつけどころが、どこにもなかった。

 ……だから、別れたのかもしれない。

 ぼくはそんなに成績も良くないし、カッコよくもないし、性格も曲がっていた。

 なんでぼくなの?

 ぼくと比べないでくれよ。

 ぼくは、そんなに凄くない。

 そんな言葉しか出てこなかった。そんな自分があまりにも惨めで、その自分を受け止めることが一番キツかった。

 そうした劣等感の塊だったぼくにも、彼女は優しかった。

 でも、ぼくはその優しささえも素直に受け止めることができなかった。

 彼女はぼくよりも真面目で、ぼくは彼女よりも不真面目で。

 ぼくは彼女よりも欲張りで、彼女はぼくよりも謙虚だった。

 ぼくは君に釣り合ってない。なんて偽善者を装いながら、ぼくは彼女を振った。

 最低だった。最後まで素直になれなかった自分も、それを、そっかぁ、私は好きなのに。と言ってくれた彼女も。そして、そのあと隠れて泣いている彼女を遠くから眺めていた自分も、最低だった。

 好きだ、たった3文字の言葉すら届けられないほど、ぼくは弱かった。ぼくはもしかしたら一回も言わなかったかもしれない。

 そして、1ヶ月経ってもそれしか考えることができないのだ。学校に行ってもボーッとしていて、部活にもどこか不真面目で、勉強もせず、ついに学校すらサボるようになって。

 どれだけ強がったって、ごまかせなかった。

 恋愛脳だと笑えばいい。失恋から立ち直れないぼくは、結局彼女の影を避けて、逃げているだけだ。

 そんな日々に、何の意味がある。

 どこに面白みがある。

 反語に近いその問いかけに、ぼくはいつも回答できなかった。きっとこの苦しみにも意味がある、そう思えなければ苦しくて、切なくて死んでしまいそうだからだ。

 ふと、涙が流れる。

 たった一滴。

 ケータイを取り出し、機内モードを解除したら、沢山の連絡ではなく、沢山の広告メールが代わりに来ていた。

 広告メールは騒がしくピコピコと存在を主張する。

 ぼくはそっと携帯を閉じ、コンビニでアイスを買った。

 ソーダ味アイスは、歯に染みた。

 この気持ちをどうすればいいのかわからなかったが、キンとするアイスは、なにかすごく安心感があった。

 アイスの棒を握りながら、夕日を歩く。ぼくは人気の少ない、工場前にやって来た。

 やたらと道幅の広い、大きな道路にはいつもトラックや車が走っているが、今日はほとんどいなかった。

 工場が休みなのだろうか、工場には無機質な蛍光灯の光や、オートロックや監視カメラの光だけがあって音もなかった。

 夕焼けがどんどん明るくなっていく。

 後ろから暗闇が迫ってくる。

 ーっ。

 大きな声を出してぼくは太陽に向かって叫ぶ。

 走る。

 意味はない。

 彼女に恨みがあるわけでも、死にたいわけでも、自分が許せないわけでもなかった。

 叫びたい。

 このぐちゃぐちゃした思考はいらない。

 意味もない声を上げ、走るぼくを見るものは誰もいなかった。

 もしかしたら、今なら好きだということができるかもしれなかった。全然遅いのだけれど。

 でも、少しだけ自分の気持ちを、客観的に見ることができた。

 ぼくは叫び続け、走り続ける。

 ……明日は、学校に行けそうな気がした。

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