さくらの夜明け

おきた狂

さくらの夜明け

 叫んだ。僕は叫んだ。血だ。血だ。血だ。逃げろ。逃げろ。逃げろ。叫ぶ、僕は叫ぶ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。なんでだ。どうして、こう、なった。なんだ。なんでだ。なんでだ。叫ぶ。叫ぶ。叫ぶ。叫ぶ。


 ✳


 それは、突然だった。

 男は家から飛び出し裸足のまま駆け出す。

 男、はるやは訳のわからない叫び声を上げている。フェンスや電柱にぶつかり、ぶつかり滅茶苦茶に走る。彼の左手首から血が滴り落ちる。後ろからは何も来ていない。振り返ることはない。横切る黒猫に目もくれず、絡みつくような風を掻き分けただただ叫び走っている。

 突如、彼の目の前に人が現れた。

 彼は気付かずそのまま突っ込み、二人で倒れ込んだ。その人はぐにはるやの身体をぎゅっと抱き締め、

「もう大丈夫だよ」

 とささやいた。


 ✳


 誰しもがその不思議な存在と一緒にいた。生き物の様で生き物でないその存在は、生まれたときからいる。大きさも姿形も色も人によって様々である。共通するのは自我が生まれるまでは皆白くて綺麗な小さなふわふわした可愛らしい姿をしているのだ。誰もその事は知らない。見たくても自分以外の人のは、見れないからだ。


 ✳


 温かくてやわらかな感触がする。香る爽やかな匂い。

「立てなそう?」

 女性の声が聞こえる。

「ちょっと待ってね。今止血するから。」

 静かに身体が地面に降り、ゆっくり仰向けに変わり、何処どこかがきゅと布で固定される音が聞こえた。

「これでよし。さすがにあなたを私一人じゃ運べないなあ…。救急車呼ぶか。」

 ちらっと僕の顔をみた。

 それだけは本当に嫌だ。

 首を横に振ると女性は、そっかと言い、

「秘密兵器を出すか」

 と言うとゴソゴソと何か取り出した。

「輸血だけさせて。それで立てるようになったら私の家行こ。すぐ近くだから。」

 え?そんなの、良いわけない。人に頼るなんて。再び首を横に振る。

 女性は、はぁと溜息をつくと、静かな低い声で言った。

「死んじゃうよ。」

 僕は息を飲む。ぐっと胸が苦しくなり喉がきゅとなった。やだ、死にたくない。

「分かったら今は言うこと聞いて欲しいの。」

 輸血をやってもらうと段々と身体が温かくなっていく。ようやく立てるようになると、女性は僕に肩を貸し、歩幅を合わせてゆっくり歩いてくれた。

 話すことも、聞くこともなく、沈黙が流れた。けれども、その空間がやけに心地よく感じる。

 今、奴は追って来ていない。追って来てはいない。大丈夫だ。けれども何故この人は、僕を助けてくれるのだろうか。何か目的があるのか。一体全体どうしてだろうか。信用は出来ない。どんな人かもわからないのに。……いけない。こんなことを思っては。助けてくれてる人に失礼だ。

「家に着いたよ」


 目を開けるとふわふわした感触が背中にあり、身体にはタオルケットがかけてある。キャンドルの光が僕を包んでいて、どこからかアロマの香りがした。いつの間にか寝てたらしい。左手が痛む。身体がだるい。何故か今寝てたときは見なかった、あの悪夢を。身体をゆっくり起こすと近くのイスで本を読んでいたあの女性が顔を上げた。

「起きた?」

「…はい。あの、ありがとうございます」

「いいの、気にしないで。」

「あの。」

「ん?」

「学校に行かないと。あと、家に連絡。」

「あ、それは、大丈夫だよ。」

 女性は、微笑むと

「学校には体調不良で休むって連絡したし、親御さんにも体調が優れないようだから身体が回復してから帰るって言って…」

「待って、待って下さい!・・・どうして僕の家と学校を知ってるんですか。」

「それは…。」

 女性は手をいじっていたが小さくよしっと言うと一気に言った。

「実は私、人の心がわかるの。」

「え?」

「十代の子達、限定だけどね。」

「…どういうことです?」

「今、君が何を考えてるのか、わかるってこと。」

「本当、に?」

「そう。別に信じなくてもいいよ。」

「はあ。」

 女性は席を立ち、向こうから何か持って来た。

「はい、ホットミルク。」

「ありがとうございます。」

「ゆっくりしてね。」

 女性はイスに戻った。僕は、ぼんやり天井を見る。急に手首を切った瞬間を思い出してしまった。

 血…

 身体が震える。微かに呼吸が乱れる。いつの間にか女性は、僕の傍に居て、手をそっと包んでいる。

「怖いよね。痛いよね。驚いたよね。深呼吸。深呼吸。すって〜はいて〜。そうそう。」

 僕が、女性の手を退けようとする前に女性がすっと手を離した。女性は自身が言う通り心が読めるようだ。

 そういや、本当に学校に行かなくてもいいんだろうか。あまり気が進まないのは事実だが、先生やトモダチは、どう思うだろう。ふと、視線を感じ、見ると女性が僕を見つめている。なんなんだ。僕の何を知ってそんな顔してんだ。

「ねえ。」

「はい?」

「化け物がいるんでしょ。」

「え?」

 何故それを。

「その子のせいでなんか、変わっちゃったことない?」

 変わって…しまった…こと。

「最近、死にたいと思うんです。」

 何故、僕は言ってるんだ?何故。

「そっか。…苦しい、よね。…そんな大変な最中さなかなのに、あなたは、生きていてくれてる。本当に嬉しい…。」

 涙が頬を伝う。どうして、どうしてそんなこと言うんだ。女性は、手をぎゅっと握ってくれた。その目は、涙で溢れていた。


 おかしいとは薄々感じてた。胸のざらつきというのがあった。父さん、母さんと何となく上手くいかないと感じたその夜、そいつが僕の腕に噛みついてきた。急いで振り払おうと必死になって腕を振り回したり、壁にそいつを打ち付けたりしたが食らいついてなかなか離れなかった。コンコンとドアが鳴ったとき、そいつは、いつの間にか消えていた。

 その夜から両親と口を聞かなくなった。

 次はクラスに馴染んでいないんでないかと思い始めたときだった。その日の下校のとき、そいつが戦車よりも大きい化け物になって現れた。思わず叫びながら夢中して走って家に逃げ帰った。よく帰れたと今になって思う。次の日、クラスのトモダチが離れていった。

 あいつだ。あの化け物にあの時立ち向かっていればこんなふうにはならなかった。

 化け物は、あの日の下校以来夕方に外に出る度に追いかけて来るようになった。あの日は逃げたが今度は逃げずに戦おうと思った。しかし、戦う手段がわからなかった。逃げよう、そう思った。

(マタニゲルノカ?)

 化け物がそう言った気がした。それでも僕は逃げることしかできなかった。

 何日たっただろう。化け物がまた現れた。が、その日は違った。化け物が僕を見つけると見る間に姿を変えた。人と同じ姿になった。僕と同い年くらいだろう。かれ、と言うべきだろうか。容姿は僕と違い眼鏡を掛けていないで、端正な顔立ち。美しい艶やかな黒髪。クラスにいたら、圧倒的な存在感だろう。そして、クラスメイトのマドンナと付き合って素敵な学園生活を送るんだろう。

「なーに考えてんの。弱虫ちゃん。」

 彼、いや、奴が話しかけてきた。こいつなら倒せる。いいや、絶対倒す。なんだかイライラする態度だ。

「やる気満々だ。いいねえ~。自分のないモノを妬むのは楽で。」

「別に。お前のことなんて一つも羨ましくないね。」

「ふーん。」

 奴はニヤニヤ笑う。

「俺を否定するとは、いい~度胸じゃあねェか。いいのかァ?」

 僕が睨んでも怯むことなく続けた。

「まぁいいや。お前を刺せばいい話だ。」

「やってみろ。」

「あぁ。・・・。」

「ん?」

「ナイフ忘れた。」

「え?」

「じゃ、しゃーない。プランB。」

 カツカツと僕の方に歩んで来た。僕は身構えた。そして、裏ポケットにあったハサミを取り出し奴に襲いかかった。奴はヒラリと避けると僕の両手首を捻り抑えた。ならばと足を使い攻撃しようとしたが奴は僕の両足を足で踏みつけた。そして額と額をあわせ、

「苦しめ。」

 と真っ直ぐ僕の目を見て、ふっと笑った。乱暴に手足を離し姿を消した。

 その日の夜。夢に奴が現れた。奴は、僕の目の前に立っていた。不敵な笑みを浮かべこちらに近づいてきた。逃げようとしても身体がピクリとも動かなかった。奴は、鋭く尖り錆びついているナイフを持っていた。それを振りかざし僕の胸に突き立てた。そこで夢は終わった。

 その夜から、毎夜自殺未遂をするようになった。


 僕は途切れ途切れ話した。女性は最後まで遮ることも尋ねることもなく聞いてくれていた。

「それは…。」

 女性は俯き、瞳を行ったり来たりさせている。

「それは…。」

 真っ直ぐ僕を見た。

「よく話してくれたね。ありがとう。」

「一体あいつはなんなんですか。」

「それは私たち、大人もわかってないの。」

「大人になってもいるんですか。」

「うん。人によって元の小さな姿に戻ってる人もいるし、化け物のまま追いかけられてる人もいるわ。小さくはなっても一生消えることはないの。」

「そうなんですか。」

「ちょっと付いて来て欲しいとこがあるんだけど…明日がいいかな?」

「今日で大丈夫です。」

「じゃあ夜に行くから、それまで自由にしてて。」

「ありがとうございます。」

「何枚か紙あげる。あと、えんぴつと消しゴム貸すね。」

「え?なんで描きたいってわかったんです…あ、そっか。人の心がわかるんですよね。」

「あ、私もつい…。普段隠してるんだけど…。家だと、ね。」

 女性は、とても照れくさそうに目を伏せた。ありがたく、それらを貸してもらうと本を読んでる女性を描かせてもらうことにした。

「なんだか照れちゃうね。」

 頬に右手を当てて微笑した。女性はしおりを挟んだページを開く。僕はその姿を描く。肩まで切りそろえられ内側に巻かれたクリーム色の髪。涼やかでまつげの長いはっきりした目。潤んだ唇。ふっくらした耳たぶ。鉛筆を走らせる。絵を描くのは、やっぱり好きだ。観察してその美しさをどれだけ表現できるかの勝負だ。あとは首から下を描くとなったとき、ふと、手が止まる。絵なんて呑気に描いてていいのか。絵なんて上には上がいる。いや、音楽でも、料理でも、スポーツだってそうだ。そして、勉強も…。急に描く気力が失せた。

 じゃあ一体今まで何をして生きていたんだ。

「じゃあそろそろ行こっか。」

 女性の声が聞こえてきた。僕は頷く。

「はぐれないように付いて来て。」


 何処をどう歩いたかわからないが大きな舘に着いた。

 女性は扉の近くにいる人に何やら話すと、その人は静かにその扉を開けた。

 中に入ると血や薬品の匂いが充満していた。そしてそこには、同年代と思われる人達がいた。泣いている人も周りを睨みつけている人もいる。

「みんな、化け物と戦ってる人達だよ。」

「ここにいる全員が?」

「そう。此処にいる君と同年代の人達全員。ここにいる大人はそういう人達をサポートする為にいるの。」

「サポート?支えるだけ?」

「化け物は自分自身でないと倒せない。支えることはできても。」

「そんな…!じゃあ、どうやって戦うんですか!?」

「人によって方法が違うの。だから、一緒に見つけよう。」

 自分は追われてないからそんなことが言えんだ。こうなったら奴に会い次第何がなんでも倒してやる。


 僕は舘からこっそり抜け出した。すると、奴らしき姿が少し遠くに見える。僕は、何も武器を持ってない。不意をつけばヤれる。けれども、奴は消えないってあの女性は言ってた。いや、兎に角今は奴をヤることに集中だ。息を潜めて奴に近づいていく。あと、三歩。二歩。一歩。今だ。後ろから首を締める、はずだった。奴は、前を向いたまま、僕の両手を掴み投げ飛ばした。僕が立ち上がると同時に腹に拳を入れ、足で顔を蹴りあげた。僕はふらふらと地に手をつく。強い。細い身体の癖に。奴は、足で僕の顔を踏み、地にねじ込む。死ぬ。

「はるや!」

 この声は…なつき?突然奴の足が消えた。助かった。

 オシャレな赤色の短髪。優しげなタレ目。

「やあ。うっ。」

「中学振りだな。無理して話さなくていいぞ。」

「ありがとう。」

「とりあえず休もう。舘に行くぞ。」

「え?舘を知ってるんだ?」

「うん。あ、立てる?おぶるよ。」

「え、いいよ。大丈夫。」

「無理すんな。」

「ありがとう。でも…。」

「いいから、いいから。」

「じゃあ。」

 自分よりも大きな背中。がっしりした肩。僕の身体は、文化部、そのものだ。

 なつきの背中に乗ると安定感があって、本当に安心する。しばらくの間黙ってたが、傷の痛みが和らいできた。

「いつ、こっちきたの?」

「今日の朝。で、はるやんち行ったら居ねーから探してた。」

「そうだったんだ!ごめんね。」

「いや、もしかして、化け物に追われてんじゃないかと思ったんだよ。」

「え?よくわかったね。ある女性にも言われた。」

「そっか。」

 ひゅーと風が一瞬僕らの言葉をさらった。

「実はさ、」

「うん。」

「俺、中学んとき、化け物に追いかけられていたんだ。」

「えっ?」

 そんな。知らなかった。

「だから勘で、はるや、追いかけられているんじゃないかと思って。」

「そうだったんだ。本当にその通りだよ。でも今人間みたいな姿になってる。」

「そっか。ありゃバカつえーかんな。舐めてたら俺、めっちゃボコボコにされた。」

「ねえ。聞いていい?」

「ああ。」

「どうやって戦って勝ったの?」

「俺はあの化けもんと話して和解した。」

「え!?」

「もちろん殺られるかもって恐怖もあったけど、ある日突然、ちゃんと向き合おうって思えたんだ。でさ、思い立ったその日に話に行ったんだ。そしたら俺が話し終わったら、なんか『ようやくか。』って笑って、昔みたいに小さな丸っこい姿に戻ったんだよ。色は前と変わったんだけど。で、今も一緒に生活してる。」

「戦ったわけじゃないんだ。話し合いか…。何を話したの。」

「うーんと…なんか言うの恥ずいな。」

「言いづらかったら、全然言わなくてもいいよ。」

「うーん。カッコつけて言うと、化け物の正体を当ててやったって感じかな。」

「えっ?本当に?すごい…。教えてくれない?」

「ダメだ。そこは自分自身の答えを出さなきゃな。ひとの答えが自分にあってるとは、限らないじゃねえか。」

「そっか…。」

「ごめん。キツい言い方になっちまった。」

「ううん。いいんだ。」

「ただ一つ忘れないで欲しいのは、いつでもひとに寄っかかっていいってこと。だから俺にいつでもなんでも言ってくれよ。はるやは我慢強くて弱音言わないからなあ。辛いときは言っていいんだからな。」

「ありがとう。」

 頼るなんてカッコ悪い。やっぱり頼れないよ。そんな気持ちがくすぶって離れない。弱音を言わないのは強い奴の象徴なんだ。

「なあ。」

「うん?」

「もう戦わなくていいんじゃないか。化け物と。」

「え、あ…うん。」

「はるや、怖くないのか。」

「うーん。怖くないかも?」

「すげえな。」

「そう?」

「うん。」

「どうしても何とかしたいから怖くないのかも。」

「なるほどな。でも、さ。人間の限界ってあんだよ。」

「そっか。」

 そこから逃げなければ必ず道は開ける。絶対。だから僕は逃げない。

「無理すんな。」

「サンキュ。とにかく奴と話してみるよ。」

「そっか。いつでも舘に戻ってこいよ。」

「うん。」

「お、着いた。」

 戻るとあの女性の姿は、なかった。

「て言うかごめん、はるや。傷あんのにベラベラ喋っちまって。」

「全然。むしろ気が紛れた。そうだ。あの女性はどこだろ?」

「どんな人だ?」

「髪は肩くらいの長さで白の長袖のワンピースを着てる。」

「おーけー。聞いてみっか。」

 近くの人に尋ねると、どうやら僕を探して外に行ったらしい。

「すれ違いか。申し訳ないことをしたな…。」

「そうだな。明日、二人で謝っか。」

「えっ。なつきは謝んなくていいよ。」

「いいーんだよ。俺も謝りたいんだよ。ここに連れて来たの俺だし。」

 本当に優しいなあ、なつきは。

「じゃあ俺、家に帰んなきゃ。」

「そっか。またね。」

「はるや、此処に泊まってくか?俺ん来るか?」

「此処に泊まってく。今日はありがとう。」

「気にしすんな。じゃ、またな。あ、そうだ。」

「ん?」

「ケー番、教えるわ。はるやも教えてくんない?LINEだと電波悪くて繋がりにくい場合もあっから。」

「わかった。あ、スマホ家に忘れた。」

「まだ渡してなかったな。これ。スマホと充電器。」

「ありがとう。じゃあ、教えてくれる?」

「サンキュ。これ。」

「おーけ。」

「じゃ、かけてくれっか?」

「うん。」

「お、きたきた。じゃこれでおーけーだな。」

「そうだね。」

 細い月が見える。なつきは、スマホのライトを頼りに帰って行く。冷たい風が痛い。


 眠れずに朝を迎えた。奴は一体何者なんだ?半日考えこんでいたが、何もわからなかった。

 日がほんの少し西に傾いた頃、

「よう。」

「なつき!」

「来ちゃった。」

「ぷっ。何その口調、面白い。」

「恋人の真似。似てんだろ。」

「なるほどね。」

 なつきと話すと時間があっという間に過ぎてしまう。アニメ談義、夏まつりの屋台について、筋肉はどうやってつければ良いか、最近ハマってるゲーム、最近聞いてる曲など、話したいことを話す。ふざけて声真似したり、真剣に話し合ったりした。

 烏が鳴き始めたが、女性がまだ帰って来ない。

「なんだろ。あの人大丈夫かな。」

「うーん。用事があんのかもな。」

「そっか。そうだね。」

「やべぇ。そろそろ帰んなきゃ。」

「あ。もう夕方か。」

「じゃ、なんかあったら連絡してくれ。またな。」

「うん。またね。」

 なつきを見送ると、あの女性を探すために外へ出た。

 段々と空が深海の色に染まっていく。

 そろそろ帰ろうかと思ったとき奴が現れた。

「あ。」

「よう。相変わらず弱っちい顔してんな。」

「待って。今日は戦わない。話し合いたいんだ。」

「な〜に、呑気なこと言ってんだバーカ。んなこと今する訳ねえだろ。」

「とにかく僕の話を聞いて・・・」

 言い終わらないうちに顔に強い衝撃が走った。

「甘ったれてんじゃねーよ。くそが。」

 奴の目には静かな青色の炎が浮かんでいるように見える。奴はじっと僕を見ていたが、ふと顔のこわばりを解いたその一瞬の隙をついて逃げ出した。足が千切れるくらい力の限り走る。後ろから来てないだろうか。急に‪前に現れはしないだろうか。

 目の前に影が伸びた。やばい!先を越されたか!

「はるやくん!」

「あっ。」

「良かった。」

 あの女性だ。女性はホッと息をついた。

「よく逃げたね。偉い。」

 は?逃げたのが偉いだと?

「なんでだよ。倒さなくちゃ意味ないんだよ!奴は話なんか聞いちゃくれないんだ!」

「何言ってるの!もう戦わなくていいの!」

 ふざけんじゃねぇ!

 僕は自分が来た方向に駆け出した。そうだ。戦うしかないんだ。自分しか信じられるものは無い。奴を倒すには武器を使わないとならない。そうなると拳銃、刀、くない…。どうやれば手に入れられるか。どれもこれも大人にならないと持てないものばかりだ。…待てよ。大人なら持てる?大人なら持てる。そうか。大人なら持ってる。それを拝借すればいいんだ。そうと決まれば行くしかない、うちへ。

 何とか家に辿たどり着くと、家の中の僅かな光を頼りに父さんの拳銃を探す。確かあの棚に

「誰かいるの?」

 びくっと震える。母さんの声だ。電気がつけられたらやばい。どこかに隠れなければ。近くのテーブルに潜り込む。

 パチッ。

「あら。誰もいないわね。気のせいかしら。」

 電気が消えた。これは早く見つけなければいけない。先ほどよりも足音を忍ばせ歩く。この棚だ。上から二番目、二番目、二番目…あっ。あった!よし、これで奴を。懐に忍ばせる。その時パっと周りが明るくなった。

「はるや?」

「母さん…。」

「帰って来てくれたのね。心配したのよ。」

 胸の中で何かが弾けた。

「…嘘つけ。」

「え?」

「だったら、なんで僕を探しに来なかったんだよ!」

「違うの!それは…!」

「ほら、どうせ僕のことなんかその程度なんだろ!?」

「止めて!」

 僕は、横の大きな窓をイスで叩き割る。悲鳴が聞こえた。割ったところから外に飛び出す。みんな、みんな敵だ。嘘つきだ。涙が流れていた。もうやるべきことは一つしかない。

「よう。」

 奴だ。いつの間にか知らない道にいた。

「なんか、今日は、また一段不細工なお顔で。」

「うるさい。」

 何かないかと懐を探ると拳銃がある。どうする。使ったことないのは使わない。ならば、体術か。迷ってる暇はない。奴に向かって走り出す。奴もゆっくりこちらに向かってくる。奴が先。殴りかかってくる。どっちに避ける?

「おせーよ。」

 お腹に強い力がズンっときた。

「くっ。」

 奴は殴ったその体勢から僕を蹴った。地面に倒れると馬乗りになって何度も殴られる。僕は奴の腹をあるだけの力で蹴り上げ、何とか逃げ出した。鼻から血が垂れてきた。ゲホゲホと咳がでる。意識が朦朧(もうろう)とする。近くの空き家に滑り込んだ。無理だ。もう動けない。とにかく隠れなければ。暗い中押し入れらしきところを見つけその中の物陰に隠れた。安心したのか疲れていたのか目を閉じていた。そこからの記憶はない。


 あまりの蒸し暑さに目が覚めた。押し入れの外にでる。さて、これからどうするか。とりあえず何か使えそうなのを探すか。何かないか。あ、弾丸とナイフがあった。弾丸がこれだけあれば何日間やっても戦えるし練習もできる。外は、炎天下だ。体力が奪われる。かといって家の中は冷房も何も電気が通っていないから、長居しても暑いし意味無い。近くに森か林のような場所があれば…。スマホを起動し、地図を開く。やばい、充電が少ない。今日で使えるの最後かも…。とりあえず探すか。あ!ある。徒歩20分。うーん、ギリギリ大丈夫かな。まあ行ってみるか。そういえば奴には夜しかあったことないが昼間も現れることがあるんだろうか。

 一応用心しながら行ったが会うことはなかった。森に着くと早速拳銃とナイフの練習を始めた。拳銃は撃って一発目で手が痛くなってしまった。歯を食いしばり意地で的を撃つ練習をする。逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ。くそっ!全然当たんない!コツも掴めたようで掴めない。

 辺りに紅い光が差してきた。手が痺れて血が滲んでいる。そろそろどこかに隠れるか。その時にゅっと長い影が現れた。

「よう。何やってんだ。」

「お前は・・・!」

 奴だ。いつの間にか日が落ち、辺りはすっかり闇に沈んでしまっていた。拳銃を素早く構えて撃つ。スレスレで避ける奴。その顔は驚きに満ちた顔だったが、ほんの一瞬だけ微笑んだ気がした。拳銃は血まみれで手は使い物にならなくなってしまった。拳銃を懐にしまうと、拳に変え奴に殴りかかる。僕の足を払らわれ僕の顔は押さえられ地面に叩きつけた。

「まだまだだな。」

 奴はそう言うと僕から離れ姿を消した。僕は立ち上がれず、その場に倒れたまま眠ってしまった。


 奴と毎晩戦うようになって10日か11日くらいたった。いつも通り朝から昼までずっと練習していた。血豆は相変わらずできたままだ。もっと強く、もっと強く。

「よう。」

 奴の声だ。振り向くと奴が段々近づいてきている。僕もゆっくりと歩みよっていく。辺りは月の光があるだけだ。左手にナイフを隠し持った。気合を発し奴に殴り掛かる。奴はそれを避けつつ僕の腹に一発入れようとするがその手をナイフで刺す。が、奴に反対の肘で腹に一発入れられた。少し後ろに下がったが何とか耐える。奴は血で染まった自分の手を見てニヤニヤと笑った。

「やるじゃあねェか。」

 もっと鋭く強く拳を奴にお見舞いしないと勝てない。奴に向かって走り出す。右拳で勢いづけて奴の顔面を狙う。奴はそれをいなして僕の顔面を殴る。僕は倒れそうになりながらも奴の腹を狙って拳を放つ。奴は避けきれず横腹に拳が入る。あ、当たった!しかし、奴は平気な顔をしている。力が弱かったか。逃げるか?いや、戦おう。勝ち目ない、逃げよう。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。奴に腹部に蹴りをいれられた。僕は地面に倒れ込む。

「さてと、気分向かねえし帰るか。」

「は?」

「いいだろ別に。」

 奴はケラケラ笑った。

「どうせ、てめぇは相手になんねえしな。」

 あばよというと奴は闇夜に溶けた。


 17日いや22日か、奴と連続で戦い始めて・・・うーんわからない。血豆の跡が手に沢山残って、腕や足は擦り傷や痣がある。不思議と痛みはない。昼間の練習で拳銃で失敗したところとナイフで成功したところを振り返りつつ休憩していると日が沈み夜が始まろうとしていた。そろそろか。

「よう。」

「やあ。」

 奴は身軽に飛び蹴りをしてきた。僕は対応できず飛ばされる。僕は立ち上がり奴に向かって走り飛びながらその勢いで拳を振りかぶった。奴は避けようとするも往なそうとしたその手諸共殴った。奴は横に倒れかけたがその体制から僕の横腹に蹴りを入れてきた。僕はその勢いに負けて倒れ込むと奴は上から殴りかかってきた。やばい!避けなければ!横に転がりながら避け、立ち上がって奴の後ろにまわりこむ。振り向きざまをぶん殴る。奴はニヤっとこっちをみた。声には出さず、やンなぁと言ったようだ。イラついた僕はナイフで奴の目を狙って斬り掛かる。目が見えなくなればこっちのもんだ。しかし奴は僕のナイフを持つ手首をひねった。痛みのあまりナイフを落としてしまった。急いで手を振り払いナイフに手を伸ばすも奴にさっと取られる。奴は懐にしまうと、

「残念だな。ざまぁ。」

 と笑った。油断した隙に奴の頭を狙い拳銃を取り出し引き金を引いた。奴は避けきれず、耳を弾丸がかすった。それなのにニヤニヤと笑いながら耳を触るだけだ。何を考えてるんだ、奴は。

「やりやがったな。」

 くっくっくっと言いながら身体を震わせている。僕は眉を潜め、

「なんだ。」

「いや〜愉快愉快。」

 ほんとなんなんだ。何を企んでんだ。

「…このままがいい。戦ってた方がいいだろ、きっと。」

「は?」

 何言ってんだこいつ。

「その方がてめぇもいいだろ。」

「なんなんだよ!いいわけねえだろ!一体お前は何者なんだよ!」

「俺か?俺はてめぇの…。」

 奴は、バッと口を覆うと自分の身体をキョロキョロ見渡す。

「ん?もしや言ってはいけないことを言おうとした?」

「うん。まあな。」

「え?言っていいの、それ。」

「開き直りも大事だぜ。」

 奴は僕の何かなのか。ずっと傍に居てかつては、もふもふで小さかった。小学生くらいまで一緒に遊んでいた。それが今化け物となり人間のような姿になってしまった。どういうことなんだろう。

「まあまあ。いいじゃねえか。そんな深く考えんでも。」

「よくない。」

 僕はつっけんどんに返した。

 なんなんだよ!どいつもこいつもみんな・・・・・・大嫌いだ。僕しか僕を理解できないんだ。

「おい。」

 奴はじっとこっちを見てる。

「・・・なんだよ。」

「あのさ。」

「だから何!?」

「トイレ行ってくるわ。」


 1年たったくらいの感覚だ。実際はどれくらいの日が過ぎたのだろう。拳銃の弾丸は残り僅か。そんなことよりも今は休憩だ。拳銃をクルクル回してもてあそぶ。手は今朝走っているときに切った擦り傷がある。手は日焼けで大分黒くなった。あの足音がする。来たな。

「よう。」

「やあ。」

 いつも通り挨拶を交わすと歩数を自然と数えながら歩み寄る。この間合いだ。左拳で奴の顔を殴る。ように見せかけ、腹に右拳を入れる。しかし、同時に、奴に顔面を殴られる。顔面を殴られた衝撃をそのまま生かし回し蹴りを食らわせる。奴の身体は吹っ飛んだ。

「・・・やるなァ。」

 奴は例のニヤつきで余裕の笑みを作るが、目は鋭くこちらの様子を伺っている。僕は拳銃を取り出し構えると奴の足を狙って引き金を引く。狙い通り。奴の片足を撃ち抜く。奴の動きはここ何日かで予想できるようになった。それでも奴は表情一つ動かさずにニヤニヤしていた。ちっ。くそが。

「なぁ。」

「・・・なに。」

「どうせさ、手前は1回やられなきゃわかんねェだからよ。大人しくやられろ。」

 んだよその言い草は!?

「僕を殺すならお前も道連れだ!」

 僕は走る。奴の心臓を狙う。集中。引き金を引く。奴は上半身を逸らして避ける。起き上がる奴のみぞおちを殴る。奴は体液を吐き後退するが近づいた僕を蹴り上げた。が、僕はすっと身体を逸らし奴の足を掴んで投げ飛ばす。奴は頭から地面に叩きつけられ、そのまま動かない。死んだか。用心しながら手首を触ると脈がなかった。

「・・・勝った。」

 勝った・・・勝った・・・勝った!これで全て終わる!これで・・・。

「あは、あはははっ!」

 さて、帰ろう!もう何も恐れるものはない!

 ドンっ。

 鈍い音。背中に衝撃。じんわり痛みが広がる。

 なんだ?一体?

「終わりだ。」

 嫌な声が聞こえる。どうして。

「言っただろ。どうせ、やられんのは手前だってよ。」

「そ、んな、ばか、な。」

「脈なんて、ねェよ。」

 奴のじっとりした笑い声が何処どこか遠くに聞こえる。

 死ぬのか?嫌だ、嫌だ!誰か!誰か・・・


 *


 ふと温かさに目を覚ました。痛みはない。身体が動かない。きっと僕は・・・死んだのだ。自然と怖くなかった。

「君は死んでなんかいないよ。」

 え?どうして貴方が。

「なつき君が君を見つけてくれたんだよ。私は、なつき君に頼まれたの。『はるやを助けてくれ。』って。でもね・・・私、君を手助けすることしかできないの。」

「・・・怒んないの。」

「うん。」

「逃げなかったらこんなザマだ。早く!死が来ればいいのに・・・!」

「怒るわけないじゃん。」

 女性は、穏やかに春風のような声で言った。

「・・・何で?」

「だって、ちゃんと君の言う奴に向き合っていられなかったもん。私。だから、今も追われてる。」

「嘘だ!」

 女性はうーんと言うと、

「そうね、ある意味嘘ついてるね。」

 いたずらっぽく笑うと言った。

「上手い逃げ方を知ってるの。」

 彼女は右手を見せた。

「あっ。」

「あの子にやられたの。」

「あの子?」

「君の言う奴だよ。」

 右腕には、くっきりと赤黒いキズがあった。

「君はすごいよ。私も・・・」

 ピーンポーン。

「はーい。」

 女性は、ちょっと待っててと言うと玄関に向かった。しばらくすると、2つの足音がこちらに向かってきた。

「はるや!」

「なつき!」

 なつきは僕に駆け寄って、そっと手を取り、

「お前馬鹿か?すげえな!?よく戦ったな!?でも馬鹿だろ!逃げろよ!」

 と涙ながらそう言ってくれた。


 外傷はないらしい。命に別状はないが、身体が動かない原因はわからないらしい。なつきが言うには僕が倒れてた近辺に武器のようなものはなかったようだ。

 夜も更けてなつきが帰り、床に就く。深く深く沈むように眠った。


 蝉の鳴き声がどこからか聞こえてきた。あ、もう昼?

「朝だよー。8時くらい。」

 光が差し込み白いカーテンがふわふわ踊ってる。

「ごはん食べよー。」

 女性がベッドを操作すると徐々にベッドが起き上がった。

「はい。あーん。」

 ものすごく恥ずかしい。何歳児だ、僕は。

「無理なときは、自分に甘々でいいんだからね。」

 どうやっても全く動けない。女性がつけてくれたテレビをぼーっと観ていたが、あまりに時間が経つのが遅かった。なんとか12を時計の針が指すと、チャイムが鳴った。誰かな。なつきだといいな。

「よう。はるや。」

「なつき!」

「お昼一緒に食べに来た。」

 食べながら3人であれこれ話した。女性が作ってくれた麻婆豆腐ばっかり食べていたらなつきに怒られた。女性が意外にも僕より沢山食べていてびっくりした。


 ある日、突然動けるようになった。女性もなつきも大喜びして3人で赤飯を食べた。僕は、ふと外に出たい衝動に駆られた。

「外行ってもいいかな。」

「いいよー。全然自由でいいんだから。」

「ありがとう。」

「いってらー。」

「うん。行ってきます。」

 玄関へ行ったまでは良かった。しかし、なぜか外に行く前に身体が固まった。

「あれ?」

 声が震えていた。身体が言うことを聞かない。

「あれ?」

「はるや?」

 なつきがいつの間にか傍にいた。

「どうした?」

「ぼ、僕おかしいんだ。外行くのが恐いみたい。あはは・・・。」

「・・・そうか。無理だったらやめとけ。」

「でも外に行きたい。」

「俺も一緒に行ってみていいか?」

「えっ。いいの?」

「気にすんなって。なんか変わるかも。」

「じゃあ、お願い。」

「おう。」

 なつきと行くとなると自然と身体が言うことを聞いた。隣の市の美術館に行くことになった。

「ねぇねぇ、この絵さ。」

「うん。」

「この山の描き方が好きだな。」

「おーいいじゃん。俺はこの絵だな。」

「いいね〜。」

「そういや、はるやさ。」

「うん?何?」

「あの絵はあのこないだテレビでやってたやつじゃね!」

「ほんとだ!」

 夕食に美術館のカフェでハンバーガーを食べた。帰り道、今日やっていたニュースについて激論しながら歩いた。

 女性の家に着くとすぐ、

「じゃあ悪ぃけど俺、帰るわ。」

「今日はありがとう。またね。」

「うん。またな。」

 なつきを見送ってひと息ついていると、女性が傍に来た。

「今日、どうだった?」

「それがすごく楽しくて!」

 女性は微笑みながら2時間くらい話を聞いてくれた。


 真夜中。僕は一人で気晴らしに歩いていた。なぜ昼間はダメだったのに夜は大丈夫なのか。不思議だ。

「よう。」

 振り返ると奴がいた。ふとひらめいた。奴は一人ときに現れる。つまり・・・。

「誰かといるときは現れない。」

「まあな。ちょっと違うけど。」

 奴はふっと笑った。その顔は、いつものニヤニヤとは違った。

りしたか?」

「うーんわからない。」

「んだよ。じゃあ、またやっか?」

「かもね。今は、無理だけど。」

 あれ、奴と話してるじゃん、僕。

「あっそ、どうなっても知らねえぞ。」

「そういえば、なんで僕を狙って来るんだ?」

「そりゃあ、お前を止めるためだよ。」

「僕を?」

「ああ。また懲りなかったらやりに来てやるよ。それまでに俺が現れないようにするこったな。」

「考えておくよ。お前の正体。」

 奴は、モゴモゴ何か言いたげだ。

「どした?」

「・・・れよ。」

「は?」

「ちゃんと人を頼れよ!!バーカー!」

 お前もしかして・・・。

「・・・うん。」

 それを聞いた奴はニヤっと笑った。そして、次の瞬間奴の身体が白い光に包まれた。あまりの美しさに僕は瞬きを忘れた。光が収束し、そこには、小さなあの生き物がちょこなんといた。前とは違うさくら色になっていた。僕は、その生き物を肩に乗せ歩き始めた。

「ありがとう。」

 その言の葉は風に舞って空へ飛んだ。






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さくらの夜明け おきた狂 @Soms-05

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