ふたりのために笑えますか?

 雨音が窓ガラスをたたく梅雨の季節。

 今日も直樹は咲奈と楽しそうに話している。


 廊下で話す彼は、はにかむような幸せな笑顔を浮かべて。

 何を話せばそんなに直樹を楽しませることができるんだろうか。

 そんなことを教室から見守るわたしは考えてしまう。


 でも、違うんだ。その笑顔は決して私には向かないもの。


 わたしに気づいた咲奈がわたしを手招きしている。


 わたしという足枷幼馴染は二人の恋には必要ない。

 それを分かっていても、少しでも二人の間に。そんな弱い私が動いてしまう。


「奈々穂、大丈夫? 顔色悪いよ?」


 そんなに顔に出ていたのだろうか。


 何でもないよとわたしは笑う。



 ※※※



 夏休みも虫の息になった頃。着信に携帯が震えた。

 送信者の名前にわたしの心は弾む。



直樹『奈々穂。今晩の花火大会、一緒にいかないか?』



 毎年恒例の三人での花火のお誘い。

 受験も控えているのに馬鹿だなあと思う。そして、これだけの言葉に胸が躍って息切れしそうなわたしも大バカ者だ。

 だけど、今年の花火は決めていた。花火の季節がわたしに追いつく前に、送り返す文章は決めていた。



奈々穂『ごめんね。受験で忙しいから、咲奈と二人で行ってきなよ』



 受験なんてまっぴら嘘だ。今すぐにでも飛んでいきたい。

 でも、二人のためにわたしという障害ができることなんて決まってる。

 彼が今夜にでも咲奈に愛を叫んでくれれば、じりじりと心を焦がすこの熱にようやく向き合える気がする。

 中途半端な希望も、いつまでも居座る胸の痛みも、消えてくれる。

 

 二人から報告を聞いたときに、笑顔で祝福しよう。


『そうか、』とそっけない彼の返事をわたしはベッドの上で、何度も何度も読み返した。


 やがて気がつくと、花火の打ちあがる音がおなかに低く響いてくる。


――あの花の下で、ふたりは。

 

 改めて実感したとき、わたしの心は決壊した。

 目から溢れる涙が、ぐしゃぐしゃにわたしの顔を濡らす。


 今日にでも愛を叫んでくれればなんて、そんなわけがない。

 お願い。わたしを。

 

 ほころんだわたしの心は、いつまでも声を上げて泣くことしかできなくなっていた。



※※※



 卒業式前日。忘れ物を取りに教室に向かうと、男子の声がした。

 五、六人の声の中、その中の声がわたしは分かった。聞き覚えた声、いつまでも聞いていたい声。

 卒業式の前にわざわざ教室で何を話してるんだろうと気になって教室の扉の前にに座って、聞き耳を立ててしまう。


「直樹よぉー。今から緊張してどうすんだよ、最後の告白、ばしっと決めんだろ」

「分かってる、分かってるって」


 告白? 告白って確かに聞こえた。もしかして、春先のことを覚えていたのだろうか。本当にわたしの言葉を鵜呑みにして。


 ――ああ。ついに。


 ついに来てしまう。わたしの恋は、もうとっくの昔に失われるレールの上を歩み続けている。

 咲奈はどんな顔をするのだろう。

 顔を真っ赤にするのかな、それとも嬉しくて泣いちゃうかも。


――幸せになるんだね。


 いつか、いつか、と終わりを待っていた。はやく、この曖昧な恋を終わらせてくれればどれほどいいことか。

 いつまでもこの気持ちを引きずって。

 でも、やっぱりいつまでも終わってほしくなくて。


「よっし! それじゃあ、あしたの作戦だが……」


 わたしはそれ以上、直樹の声を聞いていられなかった。

 あふれ出す涙を必死に抑えて、なるべく教室から離れていく。


 いつからわたしは、こんなに泣き虫になっちゃったんだろう。


 がらんとした廊下にいつまでも響く男子の声が、透明な悪魔となって、わたしの心に深い亀裂を刻み続けていた。

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