一昨年から待ちながら

丸助

トンネルと原理

「いい年した人が、不法侵入は良くないと思います」


「私まだ中三なんだけど」


「小学四年生の僕からすれば、あなたは『いい年した人』に該当します」


「…クソガキ」


私がこの生意気な少年と出会ってから、もう一週間になる。


この家に不法侵入した日以来、私は毎晩のように彼とこうして話しているのだ。


「そんなことよりお姉さん、僕の考えを聞いてください」


「何の話?」


「お姉さんの不思議な力のことです」


真剣な顔をして少年は言った。


不思議な力。そう、不思議な力。


私が今居るこの家は、私の家ではない。この生意気な少年の家だ。


ただの女子中学生である私が、こんな真夜中に他人の家を我が物顔で歩けるのは、その不思議な力とやらのおかげである。


「お姉さんは、壁を通り抜けることが出来ます。お化けみたいに…」


「うん」


「その力が使えるようになったのは先月の事ですね? それからその力を悪用し不法侵入を繰り返している所を、先週僕に見つかった」


「はい」


「つまり、お姉さんは先月死んでお化けになったんです」


「今日学校普通に行ったんだけど」


「じゃあ違います、忘れてください」


ムスっとした表情を少年は浮かべた。


「でもお姉さん、なんで不法侵入なんかしてたんですか?」


「いや、なんか超能力みたいで凄かったし、色々試したくなっちゃって…それに家に居ても受験のこととか思い出しちゃうし」


「受験ですか」


「そう〜、中三は大変なんだよ」


「でもそうやって逃げてても状況は変わりませんよ?」


「生意気」


わかったような口を聞く少年に、私は大人気ないとわかっていながらイラっときた為、身を乗り出してデコピンを放った。


「暴力なんて、哀れです」


するともっとムカつく答えが返ってきた。


私はそれからしばらく他愛も無い話をして「また来るよ」と言って少年の家を出た。


扉は使わず、壁をお化けのようにすり抜けて…自分でも仕組みは全く分からない。

不思議な話だ。


ーーーーーー


「新たな仮説を立てました、今回は自信があります」


「はい」


翌日深夜、また私は少年の家にやってきた。当然壁はすり抜けて。


「トンネル効果です」


「…なにそれ?」


「僕もよくわからんのですが、何億、何兆分の確率で、人間は壁をすり抜けられるんです」


「うそつけ」


「インターネットに書いてありました、昔読んだことがあります」


「小学生なのにネットなんか使ってんじゃないわよ」


「イマドキは普通ですよ」


トンネル効果、真偽はわからないが、もしそう言う事例が本当にあるのだとしても、何故その何億分の一もの確率が私に適応されているのだろう。

それを少年に問うと


「知りませんよそんなの」


と答えた。

やはり生意気だ。


「もしかしたら、お姉さんのそう言う目の前の壁を超えられない気持ちが、トンネルを作ってるのかも知れません」


「なにそれ…」


「気持ちの弱さが原因なんです」


「なんか、君大人だね」


「僕はまだまだ子供です」


「それを言えるのが大人でしょ」


少年は何が面白かったのかよくわからないが、クスリと笑った。


「僕なんかよりほら、この子の方が大人ですよ。僕より年下なのに、沢山お仕事をしています」


少年はダイニングテーブルを指差した。


そこには、テレビ雑誌が置かれており、表紙には最近話題の天才子役が写っていた。恐ろしく整った顔立ちをした少女だった。


子供らしい屈託のない笑みを浮かべている。まるで遊んでいる子供を隠し撮りしたように、どこまでも子供らしい笑顔。


作り物とは思えない程に、自然な表情。


「僕は彼女を尊敬しています、沢山努力をしたはずです、僕なんかよりきっと色んな事を知っています」


少年は真剣な顔でそんな事を言った。


「なんか腹黒そう」


対して私の頭に浮かぶのは、そんな低俗な感想だった。


少年が呆れたような顔で私を見た。

私は言葉を続ける。


「だってこの歳でこんなに沢山お仕事して…絶対女王様みたいな性格に育つでしょ。将来男を尻にしくタイプね」


「本当に性格が捻じ曲がってますね」


小学生に溜息を吐かれた。


「もしかしたらお姉さんは性格が捻じ曲がりすぎて、何億分、何兆分の一の確率も捻じ曲げてしまってるのかもしれませんね」


少年は仕方なそうに言った。

私は「生意気」と言ってまたデコピンを放った。


それからしばらく他愛のない話をして、私は壁をすり抜けて少年の家を出た。


ーーーーー


また別の日の深夜。


「なんで人生にはこんな辛い事が沢山あるんだろう」


「どうしたんですかまた?」


「私は思うの、受験だったり、就活だったり、人間関係だったり、色んな壁が目の前に現れるじゃん」


「まあ、そうですね」


「みんな必死にその壁を乗り越えようとしてる。でも、なんでこんな風に苦労しなきゃいけないんだろう」


「…なるほど」


少年は溜息も、呆れた顔もしなかった。

ただ真剣に私を見つめた。

それは意外な反応だったから、少し面食らってしまって、私はしばらく黙り込んだ。


私には沢山の悩みがあった。


全部投げ出してしまいたくなるほど面倒な悩みに満ちていた。


壁を通り抜けてしまうほど、目の前の困難に立ち尽くしていたのだ。


けれど、私はその全て少年に語ることはしなかった。


ただ、こうしていつも他愛ない話をしているのが楽しかったから、それを壊すつもりはなかった。


「私なんかが頑張ったところで、みんないい事あるのかなぁ」


「いい事、ですか?」


「そう。私って大した人間じゃないから。将来誰かの役に立てるかな、って最近思うの。自分なんて、もしかしたら必要ないんじゃないかって」


「僕は、そんな悩みを持ったことはありません。お姉さんはすごいです」


「なんじゃそりゃ」


少年が真面目な顔を浮かべるものだから、私はなんだかおかしくなって、彼の頭をワシャワシャと撫でた。


やめてください、と少年は言ったが、私はそれでも続けた。


撫でるのをやめると、少年は口を開く。


「昔インターネットで読みました」


「…何を?」


「人間真理…原理だったっけ、覚えてないけどそんな感じの奴です」


「なにそれ」


「世界から人間が消えたら、世界はどうなると思いますか?」


「え? どういう意味?」


「じゃあ人類が滅んだ後の地球はどうなると思いますか?」


「そりゃ動物たちが街にやってきて昔に逆戻り的な感じでしょ?」


「そうかもしれませんが、もしかしたら全部が無くなっちゃうかもしれません」


「え?」


「だって宇宙を宇宙だと思っているのは、人間だけなんです」


「どゆこと?」


「だから、宇宙は人間に見てもらって初めて存在出来るんです」


「…意味不明なんだけど」


「つまり、お姉さんが見てるから、この世界があるんです。だから、お姉さんが必要無いなんてことはないです…」


「……」


「そんな悲しい事、言っちゃダメです…人が一人いなくなったら、沢山の人が悲しみます」


少年はそう言って、私を見つめた。


「…!」


少年の目には、涙が溜まっていた。


「お姉さんが居るから、僕は今この世界に居られるんです…だから、自分なんていらないなんて、言わないでください」


少年はやがてワンワンと泣き叫んだ。


子供らしく無い所が多い少年だったが、この瞬間だけは年相応の男の子だった。


大声を上げて、泣き喚く少年に、私は「ごめんね」と何度も言うことしか出来なかった。


「お姉さんはいらなくなんてありません…」


少年の言葉に、私は何度も頷いた。


私は少年を抱きしめた。

とても小さな身体だった。


しばらくして少年が泣き止むのを待つと、私は壁を通り抜けて家から出た。


帰り際「受験が終わったら、また来るね」と私は言った。


「待っています」と少年は言った。


それから受験が終わるまで、私はその家に行くことは無かった。


ーーーーー


試験翌日の深夜。


私は少年の家に向かった。


壁をお化けのようにすり抜けて、家の中に入る。


そこではいつものように、少年がソファに座っていた。


「お疲れ様です、お姉さん」


「うん、久しぶり」


そこからしばらく、いつものように他愛のない話をした。


話題が尽き始めた頃、少年はこう言った。


「引っ越すことが決まりました」


私はその言葉に、すぐ反応する事は出来なかった。


「…そうなんだ」


自分の中に、しっかりと落とし込んでから、言葉を放つ。


「はい。二年、待ちましたから」


「うん、よく頑張った」


私はそう言って、少年の頭を撫でた。


「お父さんお母さんは、もう大丈夫です。僕が見守る必要もありません」


「…うん」


ダイニングテーブルに置かれたテレビ雑誌に目を向ける。変わらず天才子役の少女が表紙だった。


「年下って言ってたけど、追い越されてたんだね」


「はい。今この子は五年生で、僕は四年生です」


少年は小さく笑って見せた。

私はどうしようもない気持ちになった。


「二年間、ずっとお母さん達を見守ってました。でも、ずっと一人だった。凄く寂しかったんです」


「……」


「けど、お姉さんが現れました。壁をお化けみたいにすり抜けて、まあ、僕がお化けなんですけど」


私は、溢れ出そうな感情を堪えるので精一杯だった。


「それから今日まで、とっても楽しかったです。僕とお話ししてくれて、ありがとうございました。お化けの僕に怖がらず、遊んでくれてありがとうございました」


「…お礼を言うのは私の方だよ。色んなことを教えてくれた…生意気だったし、言ってること難しすぎてよくわかんなかったけど、でも、」


喉につっかえて、言葉が出なかった。

初めての感覚だった。

今迄のどんな困難にも叶わないほど、辛い気持ちだった。


「お姉さんに、最後お願いがあります」


「ぇ?」


「僕のお父さんお母さんに、手紙を書きたいんです。手伝ってください。お化けは鉛筆まですり抜けてしまうので」


恥ずかしそうに少年は言った。


「…うん、わかった」


私はA4のコピー用紙を持ってきて、少年の言伝をそこに書き記した。


内容は両親への感謝だった。

本当によく出来た小学生だ。


「朝起きてこれがリビングに置いてあったらホラーですね」


「本当だね」


そんなことを言って、私と少年は笑った。


「人生の荒波に負けては行けませんよ。壁から逃げないでください。お姉さんは強い人です」


それから少年はそんなことを言った。


「生意気」


と私は返した。


少年は眠そうに欠伸をする。

深夜に何度も会っていたのに、少年がそうやっているのを私は初めて見た。


「そろそろお別れです」


「…うん」


「壁まで見送ります」


「…うん」


私は少しでも抵抗したかったのか、ゆっくりと歩いて壁に向かった。


右手を壁につけると、そこには何もなかったようにスルリと手がすり抜けた。


「さよならです。お姉さん」


「うん、ありがとね」


私は下唇を強く噛んで、壁を全身ですり抜ける。


冷たい夜の風が、頬を撫ぜた。


振り返って、私は家の壁に外から触れてみた。

そこにはコンクリートの質感があった。


こうして私のトンネルは、塞がったのだった。


ーーーーー


随分と時間が経った。


背丈も随分伸びたし、頭もなかなか良くなった。と思う。


私が出会った不思議な現象は、今や思春期症候群だなんて言われているらしい。

都市伝説的なものになっているのだ。


今でも私は少年の事を思い出す。


あの不思議な日々のことを。


そして私はふと、考えるのだ。


人間原理とやらの話ではないが、果たして「私が少年を観測した」のか「少年が私を観測した」のか。どちらが宇宙で、どちらが人間だったのか。


それはいくら考えても、答えの出ない問いだった。


それでも確かにわかるには、少年と出会った私は、決して自分のことを「いらない人間だ」なんて思う事はないと言う事だ。


私と少年は出会った。


互いに互いを見つけた。



それで、十分だったのだ。

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一昨年から待ちながら 丸助 @sakabayashi

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