第七話 Bruise
「ハルさん、おっさんじゃなかったんだなぁ」
「え……おっさん?」
どうしてそんな話になるのかまるで分らない様子で、
同級生兼フレンドのそんな姿がほんのり愉快で、ニヤけつつ西郷は応える。
「いや、俺の中だとハルさん=おっさんで固まってたからさ」
「私、おじさんっぽいですか? 振舞いとか……」
「趣味嗜好がね。こんな場所高校生は知らないでしょ?」
「そういうことですか……たしかに、言われてみると」
オートメーションの食販で注文したポップコーンとドリンクが届くまでの間、二人はそんなやりとりを交わしていた。
「でも水紀さんでよかったかも、同年代の方が話しやすいよ」
西郷の言葉に安心したのか、気持ち緊張がほぐれたように見える遥音。
「私も、です……西郷くんがアットさんだったのは驚きましたが」
「ほんとほんと、俺もまさか水紀さんが! って感じ」
やがて品が届き、それを持って二人は劇場へ向かう。
この映画館は、劇場入り口に据え付けられたリーダーに半券を通すことで入場が可能になる仕組みだ。
劇場に踏み込んだ彼らを、時代錯誤な大型スクリーンと多数の座席が迎える。
「従業員とか全然いないんだね」
「そこはコスト削減を意図したんじゃないかと……昔の映画館は違ったそうです」
「コンビニとかと同じわけね、ちょっと残念かも」
この時代、コンビニなどの商業施設はほとんど自動化されている。
これは技術的進歩と認証システムの採用、および人件費の削減といった諸々の事情が重なった結果である。
(時代の流れに逆らったこの映画館も、内情はシビアなんだなぁ)
「――過去体験は、昔の人の特権ですから」
どの座席で見ると快適だろうかと見比べている彼の隣で、遥音がつぶやく。
感慨をひめた、しっとりとした声音だった。
「それって?」
「……その、昔の生活や文化を体験できるのって、その時代を生きた人だけだなぁ、と……ごめんなさい、当然のことですよね」
「なるほどね……たしかに当たり前のことだけど、意識したことなかったな」
どれだけ古代や中世の時代に憧れても、現代人がその世界を生きることは叶わない。
裏返せば、過去・未来の人間が現代社会で人生を全うすることもまた叶わない。
「つまり、その時その時がそれぞれ特別ってこと?」
「は、はい、そうです」
「素敵だね、水紀さんの考え方」
そう言われた遥音は思わずうつむいてしまう。
シャイな級友に西郷は「ほんとハルさんなんだなぁ」と改めて思った。
他に観客もいないため、二人は中央の席に座る。
遥音曰く「中央周辺かつ足元が開放的な席がおすすめ」とのことで、西郷もそれにならった。
上映十分前に差しかかったあたりで証明が弱くなる。
暗く静かで広い場内にただよう独特の緊張感。
映画館で、映画を観る。
現代では廃れて久しいこの趣に、西郷は言葉にしづらい絶妙な興奮を抱いていた。
「……映画館では、ADDの電源を落とすのをおすすめします」
「わ」
不意に耳元でささやかれ、思わず身体を浮かしてしまう西郷。
「ごめんなさい、急に」
「大丈夫大丈夫」
指示通りADDの電源を落とす。
視界からインターフェースが消滅する。
彼の眼には今、前方のスクリーンだけが映っている。
時代を感じさせる上映中のマナー動画や昔の映画PVなどが流れたのち、ついに映画が始まった。
――それは、一人の男の再起の物語だった。
世界ボクシングミドル級チャンピオン、グレッグ・ベイス。
類まれな才能と飽くなき挑戦者精神、そしてトレーナーや家族の支えにより世界を掴んだ男だ。
フットワークに優れた彼を捉えることは困難であり、翼が生えてるかの如く軽い身のこなしから「
彼はまさにボクシングの寵児であった。
だが、チャンピオンとなって三年目、十度目の防衛戦でチャレンジャーであるリーダンに敗北。世界王者の座を明け渡すこととなる。
それでもグレッグの心は折れなかった。
また挑戦者に戻っただけだ、一から高みを目指せばいい。
しかし、グレッグはある日テロに巻き込まれてしまう。
乱射される小銃と爆ぜる爆弾。
多数の死傷者を出した悲惨なテロにより、グレッグは両脚を失う。
永遠に欠けたままの身体。
絶たれたロード。
ボクシングが人生のすべてであった彼にとって、これ以上ない絶望であった。
『グレッグ翼をもがれる』
新聞に取り上げられる自分のリタイア。
急速にグレッグを忘れていく世界。
追い詰められたグレッグは荒み、酒に溺れ妻に当たった。
訪れる家庭の崩壊。
たった一度の不幸が、グレッグを頂からどん底に落としたのだった。
だが、腐りかけの毎日を送る彼のもとに、とある青年が現れる。
青年はグレッグに告げる。
「あなたの翼を持ってきた」
『
これはとある男の再起の物語。
蝋の翼を失ったイカロスが、鉄の翼で太陽を目指す物語――――。
――映画が大団円を迎え、アコースティックギターの旋律と共にスタッフロールが流れる。
物語の結末を見届けた西郷は、号泣していた。
「グレッグ……ぐれっぐぅぅ……」
涙と共に垂れる鼻水を彼はティッシュで拭う。
「……あの、西郷くん大丈夫ですか?」
尋常じゃない感動っぷりを見せる彼に遥音は戸惑う。
「やばいって、熱すぎるって……」
「楽しめたみたいで、なによりです……」
「グレッグが義足を付けたあたりから盛り上がってさ、リハビリとトレーニングの成果でようやくボクシングできるまでなってさ、そのあたりで奥さんとビデオ見るとこがまず泣けて……!」
劇中、離婚の危機に瀕した夫婦を一本のビデオが繋ぎとめるシーンが存在する。
若いころ、グレッグがテレビで録画した古い映像だ。
当時の世界チャンピオンでありグレッグがもっとも憧れた伝説のボクサーの、最期の試合記録。
ビデオを見ながらグレッグはそのボクサーについて語る。
タフネス、ハート、テクニック……そして彼の生き様と死に様を。
やがて二人はビデオを通して半生を語り始める。
二人の男女の出会いと別れまでを。
過去を振り返るうち流れる涙。
ビデオの中では、伝説のボクサーが辛くも勝利する――その命と引き換えに。
涙声で語りながら、その死を看取るグレッグとその妻。
涙と言葉、そして二人が過ごした時間を思い出すことで、夫婦は再び互いの心を知る――というシーンである。
「そしてなによりラストバトルだよ! リーダンとのスペシャルマッチ! 翼を手に入れたグレッグのデンプシーロール、沸き起こる観客の『
「よかったらパンフレット、読みますか? ロビーで読めるので」
「読む読む読むっ」
遥音の提案に、西郷は猛烈な頷きで応える。
その姿がおかしかったのか、遥音は頬を緩ませていた。
パンフレットを読むべく二人はロビーに移動する。
ぎっしりと収められた本棚から、目当てのものを手に取り、夢中で読み始める西郷。
「あ、これ二〇一九年公開なんだ」
「同い年ですね、私たちと」
「うわ、まじか。最後の試合シーンは一発撮りのうえに、役者が本当に殴り合ってたんだ、すごいな」
「『真に迫ったアクションのために』……うわぁ」
「『結果的にグレッグが最後勝ったけれど、リーダンが勝つ可能性もあった。どっちが勝つかは監督にも分からなかった』――うそだろおい、イカれてるぜ」
一本の映画と一冊のパンフレットを通して、二人は語り合った。
物語を、役者を。
映画を、映画館を。
なにより当時を全力で駆け抜けていた人々を。
懐旧の箱たる映画館で、二〇三五年を生きる少年少女は当時を羨み、惜しみながらも「今現在」を夢中で過ごすのだった。
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