第六話 オフ会


 まっさらな壁面が続く東京池袋の街道を、西郷は進む。


 ARデバイスの普及が日本社会にもたらした変化は大きい。

 たとえば、かつて街並みを彩った看板や広告は現実世界から一掃され、それらはAR情報――トランスへと姿を変えた。


 ADDアッドを介して見る景色には広告やパブリック属性のポップアップが浮かび、かつて以上の賑わいと混沌を感じさせる。

 そんなARによって構築されたトランス空間とは対照的に、現実の街並みは漂白されていた。


 ADDの運用が大前提となり、不要な装飾が取り払われたことであらゆるビルの壁面はガラス張りか、でなければ白く平坦に塗りつぶされている。


 実際の外観よりもトランスによる空間拡張が優先され、それらと被る要素は極力排除する。

それが二〇三五年の東京景色だった。


 ADDを起動させている西郷の視界は、宙に浮かぶ広告や空を飛ぶマスコットキャラクターなど見慣れたトランスであふれていたが、目的地に近づくにつれそういった装飾がまばらになっていく。


 西郷が案内マップに導かれ到着したのは、この時代でクラシック映画館と呼ばれる施設だった。


「映画館は初めてだな」


 映画を見るために映画館へ行くという習慣は過去のものだ。

 この時代映画鑑賞はADDまたはARDアルドを用いるのが一般的である。


 映画以外にもカラオケを始めとした各種娯楽、果ては勤め先のオフィスまでもがAR・VR情報で構築されたトランス空間にその場を移している。


 結果、かつてのように高い維持費を払って都市部に住居やオフィスを構える必要がなくなり、土地の価格も下落。

 現代ではトランス空間こそが経済活動の舞台と化しているのだった。


 だがそんな時代の流れに沿うことなく、今なお営業を続ける場所も存在する。

 西郷が訪ねたクラシック映画館『シネマ・ライム』もその一つだ。


 西郷は人生初の映画館に踏み込む。

 館内は薄暗く、照明は床に巡らされたLEDから発するブルーライトのみ。

 壁には過去の映画ポスターが掲示されており、それが通路中延々続く。


 西郷にとってなにより印象的だったのは、そこに「トランス情報が一切ない」ことだった。

 案内マップや広告など、施設固有のポップアップが表示されない。

 その代わり館内各所にレトロな案内板が設置されており、それを頼りにチケット売り場まで向かう。


「映画みたいだ」


 日常では味わえない独特の緊張と興奮から、西郷の鼓動は高まる。

 チケット売り場まで進み、そこに設置された端末から約束の映画チケットを購入する。手元の鑑賞半券を、彼はなぜか面白く感じる。


 上映まで時間があるため、西郷は館内を見て回る。

 ポップコーンやジュースの写真が貼られた食販コーナー、棚に収められた立ち読み可能な映画のパンフレット、過去の映画の宣伝PVを流し続けるモニター――。


 デッドメディアにあふれたその場所は、過去へタイムスリップした錯覚を西郷に覚えさせる。

 やがて一通り見物を終えた彼は、待ち人のことを思った。


「ハルさん、けっこう年上なんだなぁ……」


 ロボット好きで、ミリタリーやメカに対する知識と情熱を持ち、さらにこんなクラシック映画館に通う人物――。


 ハルというプレイヤーは中年男性で満場一致。

 むしろそれ以外ありえない、というのが西郷の結論だった。


「でもインステだと女性として振舞ってるみたいだし、こっちでもそうしたほうがいいのかな」


 このご時世、「現実と仮想現実で別の性別を生きる」というのは珍しいことではなく、むしろ積極的に許容されていた。


 あらかじめもって生まれる肉体と性別が決まっている現実と違って、仮想現実では自分の望んだ容姿・性別になれる。

 仮想現実ならば自分好みの身体アバターとジェンダーで第二の人生を歩める、むしろトランスだからこそ誰もが自由に生きるべき――。


 それが現代の常識であり守るべきモラルだ。


「まぁなんとかなる」


 どう接するかは会ってから決めればいい、ということで切り上げる西郷。

 人間関係はアドリブ命、というのが彼の持論だ。


 四面にポスターが貼られた柱に背を預けて待っていると、新しい客が姿を現す。

 ハルさんがきたか、と見やるがその人物は女性だった。

 年齢は西郷と同じ高校生くらいだろう、黒髪のボブカットに眼鏡をかけ、黒いフードパーカーを着た地味な少女だった。


 内心で「こんな子も来るんだ」と意外に思うと同時、彼女の風貌にどこか既視感を覚える。


「あれ、水紀みずきさん?」


 西郷の声にわずかにビクッとしつつも、少女が顔を向ける。

 眼鏡越しに臆病な目が覗く。


 西郷はその顔に見覚えがあった。

 彼は手を振って話しかける。


「ああやっぱり。西郷だよ、同じクラスの」


 水紀、彼女は高校で西郷と同じクラスに在籍している。

 ただクラスではほとんど口を開くことがなく、誰かと一緒にいる場面も西郷は見たことがない。

 おとなしい子、というのが彼の印象だった。


「あ……ど、どうも」


 ぎこちない喋りと動きで顔を伏せるように会釈する水紀。

 どうにも固くなっている級友に、西郷は笑顔で応える。

 しかし相手はそれを別の意味で受け取ったようだ。


「あの、ごめんなさい……」

「え、なんで?」

「あ、その……なんか、おかしかったですか、私……?」

「いや全然?」

「……そうですか」


 西郷は察した。


(このままだと絶対気まずい空気になる……!)


 経験に基づき、こういう場合は助け舟となる話題を提示して、会話の舵を切ってあげたほうが互いのためになると彼は判断する。


「水紀さん、こういうとこ来るんだね」

「えっと、はい……たまに」

「俺初めてきたんだけど、面白いね。トランスもないし、なんかタイムスリップしたみたい」

「その気持ち、わかります。いいですよね、独特の空間で」

「ね、趣味がいいよね。ちなみになに見るの?」

「あっ、一三時からの『Bruiseブルーズ』を……」

「ん、たぶん俺も同じやつだ」


 半券を確認すれば、たしかに同じ時間とタイトルが印字されている。


「え、そうなんですか……?」

「みたいだね」


 前髪の隙間から西郷をうかがう水紀。

 なにか計りかねている様子だったが、結局「チケット、買ってきます……」と言って離れてしまう。

 一人になったうちに、西郷はADDでフレンドにメッセージを送っておく。


〈アット:ハルさーん、もうつきました?〉


 返信はすぐこない。

 移動中かな、と西郷はあたりをつける。


 ふと自動チケット販売所を見ると、水紀は無事に購入を終えたようだ。その後は手近なベンチに腰掛けている。


 ADDに通知が届く。

 ハルからのメッセージだ。


〈HAL:はい、ついてますよ!〉

〈アット:あっほんと? 俺柱に寄りかかってるんだけど分かる? 映画のポスター貼られたやつなんだけど〉

〈HAL:え? あの、そのポスターのタイトル教えてもらっていいですか?〉


 西郷は振り返り、題名を確認する。


〈アット:『For your birth』ってやつ〉


 そこで一度会話が途切れる。

 それと前後して、ベンチに座る水紀がチラチラと西郷を見る。

 なにか用があるのかと彼が声をかけようとしたタイミングで、ハルから返信が届く。


〈HAL:えっと、なにか目印になるようなポーズとってもらっても……?〉

〈アット:じゃあ右手でピースするよ〉


 西郷は指示通りピースサインを作る。

 水紀がなんどもまばたきする。


〈HAL:今度はそのピースを頭の上でやってください!〉

〈アット:そのポーズアホっぽくない!? やってみるけど!〉


 ちょうど頭から生えるような形でピースする。

 そんな西郷を見た途端、こらえきれず口元をおさえる水紀。

 西郷は思わず「俺なにやってんだろ」と心でぼやく。


〈アット:女の子に笑われちゃったじゃん!〉

〈HAL:ごめんなさい、ごめんなさい〉

〈アット:ハルさん遊んでるな!? 隠れて見てるでしょ!〉

〈HAL:いえ、その……アットさん〉

〈アット:なんでしょ〉

〈HAL:私、目の前にいます〉


 そこにいたってようやく彼は気づく。

 前方のベンチに座るクラスメイトと視線が交差する。

 西郷はアホ面をさらしていたが、対する水紀は珍しく微笑を浮かべていた。


「ハルさん……?」

「初めまして……アットさん」


 アットこと西郷隆則。

 HALこと水紀遥音みずきはるね

 時代に取り残された映画館で、二人は出会った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る