第15回 不安と不安


ついに、その日がやってきた。

 待ちに待った隣町の好敵手、『高塚ダイナマイトバロン』との強化試合の日。

 戦いの場となる西高岡の総合公園野球場に向かうため、監督の畑が運転するマイクロバスに補欠を含めたレギュラーメンバー総員が一斉に乗り込んだ。

 雄馬は進行方向から見て右側の二人用の席にと腰掛けていた。

 走行中の車内は、野球の話題から始まりカードゲーム・パワプロ・ドラえもんなどで小学生たちは大きく盛り上がっていた。

 試合前の緊張をほぐすためと、普段から厳しい態度をとる畑もこの時ばかりは後ろの喧騒には目も暮れず真っすぐ向こうを見据えてハンドルを捌いていた。

 しかし、雄馬だけは違った。

 特に喧騒に参加する訳でもなく、ただじっと流れ行く車窓の景色ばかりを眺めていた。

 三日前、雄馬は自らおっさんの元へ会いにわざわざ駅前の交番まで駆けつけたのだ。

 しかし、その肝心のおっさんの名前が分からず最後は守秘義務という真っ当な理由で突っぱねられ、交番を追い出されてしまう。

 あの後、畑におっさんの本名を聞きだせた(名前を知らなかった、と言った時はかなり吃驚された)のだが、いざ再び交番へ向かおうとすると交番で突っぱねられた時のイヤな記憶が蘇りとてもそこへ今一度行こうという気にもなれなかったのだ。

 結局、3日間のうちにおっさんに会う事はできず、とうとう試合の日が訪れてしまった。

 そういった背景もあるため、物憂げな様子で車窓の外へ物憂げに雄馬が眺めていると、隣で同席していた主将の織田が気に掛けてくれた。

「これから試合だってのに浮かない顔するのはよせ。そんなんじゃ満足に試合で活躍するなんざ難しいぞ?」

「あ、ああ。すみません主将、前日はぐっすり眠れたはずなんですが」

「要は気持ちの問題か。そういやめっきりおっさんが指導しに来なくなっちまったけど、もしかしてそれか?」

「……結局、おっさんに会えなくって、『試合見に来て』って言う間もありませんでした」

「そうか。まあ、それはそれ、これはこれだ。切り替えていこう、もしかしたらお前現地でおっさんが駆けつけてくれるかもしれないだろう」

 しょげてしまった雄馬の肩に手を回し、織田は限りなく励ましの言葉を贈って立ち直らせようとした。

 そんな主将に応えようと、雄馬はぎこちなさそうに笑みを一人浮かべていた。

 そうこうしているうちに、西高岡の球場へと到着しチームメイツはすぐさま降り立つや否や球場の着替え用ロッカールームへ足を運んだ。

 そして、全員ユニフォームに着替え準備万端となったところでいよいよ、宿敵である高塚ダイナマイトバロンの面々とともに球場のど真ん中で互いに向き合う。

 本塁の主審が、手を高らかに「プレイボール!」と叫び両者がそれぞれの持ち場に付く。

 一回の表、守備側になった定陵ゴールデンフェネクスは主将の織田を中心に見立て、放射状にそれぞれの、所定の守備位置についた。

 試合の始まりを告げる、凄まじい音量とともにサイレンが鳴り響いた。


☆☆☆☆☆☆


 雄馬たちが試合を丁度始めた頃。

 駅前の交番の警察官・元木が茶髪に、つばのついた警察帽を被った出で立ちで買い物から交番に戻ってきていた。

「先輩、買ってきました。はい頼まれてたスポーツ新聞」

「ご苦労。ああ、そう言えばお前が買い物行っている間に例の物が届いていたぞ?」

「マジっすか、ありがとうございます!」

 一礼した後、先輩から直接手渡された。

 それは、定陵町が月二回発行している町内機関紙の小冊子だった。

 カジュアルな彩りの表紙にはでかでかと、定陵だよりというポップな字体が踊っていた。

「さて、と!」

 鼻息を荒げ、気合いを入れてから元木は手に取った小冊子を開いた。

 スポーツ新聞を広げながら、元木の先輩警官がそんな彼を見て思わず声が出た。

「お前、それ読むの好きだなあ」

「なんたって、俺は地元を愛してますからね。生まれ育った地元でいったいどんなイベントがあるのか、それが逐一この町内だよりに目を通すことでひと読みで把握できる。これ以上に幸福なことはないでしょう? 中嶋先輩」

「確かにな。まあ俺は俺で、この紙面を通して世界情勢の動向を掴むのに多忙を極めてるわけだから、そう意味じゃ似たり寄ったりだよな」

「中嶋先輩のいう世界って、プロ野球界とかJリーグ界とかのスポーツ業界のことでしょ? いくら先輩でも、混同されると困ります。俺は至って真面目に取り組んでるつもりなんですから」

「俺だって真面目なつもりなんだがなあ」

 まったく、と傲岸不遜極まりない先輩の態度にたいそう不満げな一言を吐き捨ててから元木は改めて小冊子に目を通す。

 その内、あるコラムに目が行き思わず、おっと声をあげた。

「へえ……そっか。もう、そんな時期か」

「何か地元のホットなニュースでも見つかったか?」

「ええ、まあ。実はうちの母校の定陵小学校のチームが隣町のチームと野球で鎬を削るんですって。それも、今日!」

「ふーん」

 あっさりした返しに、昂っていた気持ちがすっかりと冷めてしまい元木が思わず苦言を呈した。

「ふーん、て。軽いっすね先輩。興味ありませんか」

「いや別に。とりあえず、相槌打ってみただけだけど……お前こそ、なんでそんな盛りあがってんのひとりでさ」

 そんな先輩からの言葉によくぞ聞いてくださいましたと言わんばかりに、大きく胸を張りながら答えた。

「定陵ゴールデンフェネクスは俺が定陵に入学したと同じくらいのころに、創設されたんです。ウチらの間ではそこそこ有名だったもので、そのチームに入って練習に参加するのが当時一種のステータスだったんです」

「へえ、そうなんだ。強かったの?」

「いえそれが、コテンコテン! 他のチームと比べたら圧倒的に遅く生まれたってのもあって、全くノウハウが不足してるんです。毎回他の所のチームと戦ってはボロ負けしてましたよ。良くて、引き分けがいい所だったんじゃないんでしょうか」

「ああ……じゃあ、昔の楽天みたいなもんか」

「いや楽天も昔は他球団に比べればでしたが、前に日本一になったじゃないですか。定陵なんて日本一どころか市内でも一番になれてませんし」

 手で団扇をつくりそこはかとなく、先輩の言った例えを否定しつつ母校のチームも貶める。

 すると、ここへ来て元木が突然忘れ物がみつかったようなリアクションをとった。

「あっ!」

 どうした? と中嶋もその異様ぶりを、問いただした。

「野球と言えばこの間、ここに定陵の小学生がやってきたんです。そしたら、ですね。そいつが、ここに務めている警察官から野球を教わったって言ったんです。本当にウチのなのかどうか確かめたかったんで名前を尋ねたら、分からないって答えてきやがったんです。そいつ」

「……へえ、分からないのに聞いてきたのか」

「いやだから、本当に知り合いなのかって聞いたらきっぱりと知り合いですっていうもんだから俺も困っちゃいましたよ。ロクに名前も言えないくせに、知り合いだと言い張れるってそんなこと有り得ます?」

「まあ、俺も居酒屋とかで飲みに行った時脇で出来上がった親父に絡まれてダチ公呼ばわりされたことあるけど。小学生だもんなあ」

「そうなんです、小学生なんだからこっちも下手に言い訳することもできないし……そしたら、ご丁寧なことに外見的特徴をつらつら言ってこっちから名前を引き出そうとしたんですよ。確か『頭のてっぺんが禿げかかってて、そのくせ襟足はまあまあ伸びてて、痩せぎすの背が高いおっさん』って。もう構ってられないから、適当に守秘義務がこうのって追い返してやりましたよ! だって、いるわけないじゃないですかそんな警察官が。もしいるんだとしたら、明らかに不審者ですよ。それでもって即行職務質問やりますよ」

 そう思うでしょ、中嶋先輩! 

 元木は、未だ新聞を読みふけりながら聞いていた先輩の新聞を倒して直接その様子を窺った。

 すると、

「あっ……」

「なんだよう」

 ささやかな楽しみを邪魔された中嶋は眉を顰めて不満げに文句を垂れた。

 新聞という衝立の向こう側の中嶋の風貌は、先ほど元木が言った通り頭のてっぺんが禿げかかってて、そのくせ襟足はまあまあ伸びてて、痩せぎすの背が高いおっさんそのものだったので言い出しっぺの彼は唖然とした。

「は、はははは」

「何笑ってんだよ」

「す、すみませんつい。まさか、ねえそんな。あ、あはははは」

 もはや笑うしかなかった。

 困ったあまりふと、時計を見ると元木自身の巡回の時間に差し掛かろうとしていた。

 これ幸いと思い、足早に外へ出ようとした。

「あ、俺そろそろ巡回行かないと行けないんで。それじゃあ、これで……」

 しかし、まわりこまれてしまった!

「おい、待てよ」

「は、はい? なんでしょう」

腕を取られてどうすることもできなくなったため、さっきまでの威勢とは打って変わり腰砕けと化す元木。

中嶋は血走った目で、目の前で恐怖におののく後輩に次のように言った。

「その巡回俺に変わってくれないか?」

「な、なぜ」

「いいだろ別に。……なあ、変わってくれよ」

有無すら言わせてもらえなかった。

「で、でも……」

「頼む! この通りだ変わってくれないか!」

かと思いきや、物凄い勢いで土下座に移ってみせた。

全くもって意味不明な状況に晒され、そんな中嶋の背中に目を見張りながら問いただした。

「せ、先輩いきなりどうしたんですか!」

それがどうしたと尋ねられた中嶋は、焦るあまりあらゆる意味で破れかぶれだった。

「俺がやらなきゃ……定陵の、危険が危ない!」

「意味重複してませんかそれ⁉」

巡査長・中嶋一雄、49歳。

もといおっさんは、ひとりぼっちの野球少年・雄馬に自分を重ね合わせてしまっていた。

ゆえに、後悔したくなかったのだ。

自分でも知らぬ間に己の夢を託すこととなった彼の活躍をこの目に焼き付けるという目標が出来たことに、おっさんは改めて気づかされることとなった。


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