第13話魚料理

「……取り逃がした、か」


 仮面男が消えた虚空。そこに伸ばされた、何も掴んでいない指先をぼんやりと見詰めながら、彼は呟いた。

 より正確には、


「初手は完封したが……惜しかったな」

 感触を確かめるように指を屈伸させると、手袋はぼろぼろと崩れ落ちた。「もっと本格的に作らせるか……そちらはどうだ?」

『反応なし、ロストしました』

「だろうな」


 耳に埋め込んだ小型の通信素子を弾くと、彼は首を振る。

 全方位からの観測とはいえ、特級調査員が相手では分が悪い。しかも狐面に羽織フォックスフェイスとなると、神秘殺しを二重三重と囲んでみても、果たしてどこまで通じるか。


『宿泊先のホテルも、捜索させましょうか?』

「必要ない」


 SDSの人員が所有するクレジットカードの情報くらいは、彼らはとっくに掴んでいる。少なくともアメリカ国内においてなら、奴等がどこで何を買おうとも即座に把握できるのだ。

 狐面は、宿泊費をカードで支払っている――奴がどのホテルの何号室に泊まっているのか、既に発見している。

 そして、。であるのなら、ホテルにのこのこと戻っては来ないだろう。


「……それに、行き先なら解っている」


 付け加えるのなら更に、時間も解っている。


BB。装備の確認を怠るなよ」


 その時までに、この手袋も完成させておかなくては。

 武器を揃えて、防具を整え。頭数を並べて罠を仕掛ける。万全に万全を重ねて、それでもなお際どい勝負になるだろう。だが――そうしなければ、勝ち目はない。

 あの狐面は、真正の魔術師だ。


 だが殺す。


「最早、この世界。この大陸に。神秘の出る幕は無いのだ、魔術師め」


 全ては、人類の進歩のために。

 古き者共よ、死にたまえ。









「……まあ、灯台下暗し、ってね」

 部屋を見渡して、レンは笑った。「居場所がバレている以上戻ってくるわけがない、だから確認する必要もない。ふん、この辺りが合理主義の限界よな」

「……こんな方法で戻ってくるとは、思ってなかったからでしょ」


 彼に続いて部屋に入った私は、勝ち誇る仮面男に低く毒づいた。


は閉めないでくれよな、ツキ。オートロックなんだ」

「そう言われても……」


 私は振り返る。


 開かれたドアの向こうには――

 安物の絨毯に、中古品のソファー。デジタルなんてどこの惑星言語ですか、と言いたげな年老いたテレビのくたびれた背中。

 間違うことなき、私の部屋だ。


 翻って、現実。


 ドアを抜けた先は、スイートルームだった。


 シルバーホーン・ロイヤルホテル。

 クラムボン市最高のホテル、その最上階。

 フロアーを贅沢にぶち抜いた、一泊だけで私の月収三ヶ月分くらいはありそうな部屋。

 多分だけど家具の一部、例えば、敷いてある絨毯を売れば、私の部屋の家賃は簡単に払えてしまうかもしれない。

 いや。

 払える。確実に。


 椅子の一つをとっても、私なんかじゃ名前も知らないデザイナーが作ったような、一点物のオーダーメイドだろう。

 まさか――カーテンでは無理だろうと思うけれど。それとももしかして、あの金色と青の縞模様が、果たして私以外の人類には高級に映るのだろうか?


 さて、そんな現実逃避はここまでにするとしても、流石に私も直視せざるを得ない。

 私の部屋とレンの部屋とを繋ぐ、扉。

 ドアを開けば地上35メートルのスイートルームと繋がるほど、私の部屋は好立地ではない。

 ドアの向こうがホテルというのが良い立地かは、まあ、ともかくとしても。


 つまりこれは――だ。


 事も無げに、レンは言った。「少々喉が乾くがね、難しい技じゃあない」

「流石に呆れるわね。【エニィウェア・ドア】発祥の国だけあるわ」

「せめて銀の鍵とでも言って欲しいね。その方が魔術師らしい」

「これなら、長旅もさぞかし快適でしょうね。遅延とは無縁でしょう?」

「銀の鍵とか言い出した手前恥ずかしいんだが、残念ながら、それほど便利な代物ではないんだ」

 ベッドの上にぶちまけられた荷物を吟味しながら、レンは首を振った。「寧ろ厄介でね、行ける場所には制限がある。【縁】ってやつさ、僕と縁のある、それも水辺にしか移動できない。例えば……」

「人が入浴したばかりのバスタブとか?」

「逆に縁さえ結べば、僕が行ったことがない場所でも関係ない訳だね」

「私が、入浴したばかりの、風呂とかね?」

「……それはもう、水に流してもらえないかな?」

 私はニヤリと笑った。「アンタの今後の態度次第ね。精々、私の出世に貢献してちょうだい」

「がめついなぁ」

 レンの口振りに苦笑が混じる。「心配しなくても、今回の顛末次第では充分君は出世できるさ。何せ――

「それは凄いわ、サインの練習をしておかなくっちゃ」


 冗談めかしてはいるが、レンが本気だということは良く解っている。

 うっかり出会うだけで人が水死するような存在を、放っておくわけにはいかない。じゃないといつの日か全員が、海に顔を沈めることになってしまう。


「ところで、当てはあるの?」

 高価な家具を眺めるのにも飽きて、私はレンに目を戻す。「その……【人魚】の探す先については」

「……君は、日本の風習に詳しいようだが」

「父親が、日本びいきだったからね」


 娘に『ツキmoon』なんて名前を付けるような男だ。

 母が語ってくれた父親のエピソードからは、海の向こうの島国に対する並々ならぬ憧れが透けて見えた。文化風習から、些細な言い回しに至るまで。


「それがどうかしたの?」

「身構えるなよ。単に、いわゆる東洋の伝説に関してどの程度知っているのかな、と思っただけさ」

「別に。警察学校の試験勉強中に、片手間でちょっと調べたっていう程度よ」


 自分を捨てた父親の、好きだというものくらい知っておくべきだろうと思っただけ。

 ただ、それだけだ。


 私の表情をどのように曲解したのか、レンは数度頷いた。


「では、知らない方が良いかもしれないな」

「一つ覚えておいて、仮面男シャイガイ

 私はレンを睨み付ける。「『知るべきじゃない』とか、『知らない方が幸せ』なんていうのは、私の嫌いな言葉ランキングの二位三位なの。私の幸せを、アンタが決めないで」

「…………だが、君のためにも……」

は第一位よ」

「解ったよ、全く……だがまあ、文句は言わないでくれよ。それと、一つだけ質問させてくれ」

「……何よ」


 逡巡するような間をおいて、それから、まさしく渋々といった風体で、レンは口を開いた。


?」









 アジア、少なくとも西洋との接触以前において伝えられる外見は、人魚というよりは人面魚という方が性格と思われるようなものだ。

 人とも魚ともつかぬ生き物、前世で犯した罪により魚に変えられた男など、記録は数多い。中には、『日本の魚には人の顔が付いている』なんて記述さえ見受けられる。


 更に、サイズも恐ろしい。


 越中国の人々が450丁もの銃で撃退したのは、身の丈十一メートルほどの人魚であったという。彼または彼女には角さえ生えており、赤子のような声で耳障りに鳴いたそうだ。

 江戸時代の瓦版にも、人の顔がついたボラを釣り上げた、なんて事件が描かれている。その後どうしたのかは、流石に知らないが。


 この純和風人魚は、西洋からの文献に記載のあった【マーメイド】のイメージに、徐々にとって代わられることになるのだが、しかし重要なのは、それまでは人魚はイクォール人面魚というのが日本人のイメージであり、どちらかというなら顔以外は普通の魚であったという歴史的事実である。


 そう、

 さて。

 


「…………」

「日本において最も有名な人魚伝説といえば、やはり『八百比丘尼』だろうね」

 血の気が失せていくツキを見ながら、僕は淡々と話を続ける。聞きたいと言ったのは向こうだ、諦めてもらおう。「中国にも似たような話があるくらいだ、恐らくは童話寓話の元型アーキタイプの一つだろうね」


 話の大筋も似通っている。

 何らかのお祭りの日、男性は見知らぬ人物に誘われて『境界』に赴く。そこで様々なご馳走を振る舞われるが、あるのだ。

 

 調理行程を見ていたり、或いは単純に勘を働かせて、男性は肉を食べずに持ち帰ることになる。そして、娘がそれを食べてしまう。


 すると娘は不老長寿を得てしまう。あとまあ、ついでにとんでもない美女になる。


「家族、知り合い、そして愛する者。全てに先立たれては別な相手と出会い、そして先立たれ、その悲しみを癒そうと次の男が現れ、先立つ。喜びと悲しみとを何度も繰り返すわけだ――何度も、何度も」


 永遠ゆえに儚さを知ってしまった娘は、千年の寿命の内二百年を人に譲ると旅に出る。

 やがて、八百歳で彼女は漸く旅を終え、安らぎを得ることとなったのだが。


「詰まり、人魚伝説においてさえ、。不老不死をもたらす希少な魚でしかない」


 或いはそう、退治されるべき怪物の役か。

 いずれにせよ。彼女たちはけして、主役とはならないのだ。


「大切なのは人魚であり、人魚そのものじゃあない。

「…………うえ」

「気持ちは解るが、しかし当時の人の認識は先程説明しただろう? 。魚を食べるのは当たり前だ」

「……ちょっと、待って」


 何かに気付いた様子で、ツキが目を見開いた。


「アンタの話をまとめると、?」

「そうだね」

「……人魚を食べたせいで、人々は死んだ」

「そうだろうと、僕は予想しているよ」

「……アンタが今夜、調べようと言ったのは?」

「……そうだねぇ」

「もう一つ、聞いていい?」

 蝋人形より蒼白な顔で、震える声で、ツキが尋ねる。「人魚の調に制限は?」

「君のような顔と勘の良い娘は大好きだよ」


 面白かった漫画の一場面を思い出しながら、僕は答えた。

 吐き捨てたくなる不快感を、無理矢理に押さえ込みながら。


 そうでないと、不愉快さで死にたくなる。もしこの予想が正しかったなら、過去最悪のテロ行為だ。

 とはいえ、聞かれたのなら答えよう。その、胸くその悪い結論を。


。どんな形であれ、人魚の肉を体内に取り込めば異能を得てしまう――砕いて溶かして水に混ぜたとしても、ね」

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