VS雨傘のミイちゃん

 篠突く雨。

 人の少ない路地。

 舗装のない道路。


 どこか時代を誤ったかのような空間で、少女と黒が相対していた。黒はサムライソードを正眼に構え、少女は無表情に佇んでいた。


 しかし少女の風体は、あまりにも古めかしかった。


 黄色の帽子。

 赤いエプロンスカート。

 キャラクターの描かれた傘。


 わずかに見える髪はおかっぱで、赤いランドセルを背負っていた。エプロンスカートの先から、白い服が見える。どこからどう見ても、現代小学生の姿ではない。あえて言うなれば。古き良き、昭和の女子小学生である。


 それもそのはず。この少女の周囲には、靄が漂っている。深く、濃ゆい靄。大量の牛乳をぶちまけたような、白い煙。常人ならば困惑し、取り込まれていくのだろう。


 だが、黒は毅然としていた。動じることも、迷うこともない。力強く、そこに在った。それが、ブラックガイという戦士なのだ。


「覚悟せよ、パブリック・エネミー靄から出でしもの。俺が成敗する」

「あそぶの? ミイ、じょうずだよ?」


 少女から返ってくるのは、笑顔。されど、ブラックガイには分かっていた。この少女、目は笑っていない。陰のある笑顔。少女の皮に、凶悪な素顔。パブリック・エネミーたるものを隠している。


「いっしょにおままごと、しよ? それがすんだら……」

「断る」


 楽しげな少女の口上にかぶせて、ブラックガイが切りかかった。サムライソードによる、唐竹割り。傘ごと切り裂く気満々の、慈悲のない一撃。


 しかし。


「たたかいごっこ? わたし、にがてなんだけど……」

 傘の地が、弾むように一刀を跳ね返した。少女は何もしていない。傘が受け止めて、刀が跳ねた。


 跳ねた刀を、ブラックガイは握力でねじ伏せる。そのまま、八双に構えて下がる。どちらも、無言となった。


――少女などと、侮ってないだろうなァ?

 無言の最中、ブラックガイの右目。唯一の『灰色』が、意志を発した。


「侮る訳がない。既にカウンターパートが二人も、この靄に飲まれているんだ。一般人の犠牲者だって、恐らく出ている」

 ブラックガイが抗議する。しかし、迷いもあった。あの雨傘を、どう打ち破るか。


「あそばないの?」

 言葉には、言葉が返る。睨み合いは終わりを告げた。その一声で、ブラックガイは気付いた。靄が、蛇を描いて迫っている。


「あそんでくれないひと、わたしきらい。へびさん、たべちゃって」

 少女の号令。靄の蛇が、鎌首をもたげる。よく見れば、ブラックガイの周囲は蛇に埋め尽くされていて。四方八方から、牙が肌へと食い込んだ。


「なんの!」

 しかしブラックガイは動じない。黒き肌を削るには、その程度では足りない。サムライソードを握る手に、力を込めて。振るう。


「破ッ!」

 蛇が切り裂かれる。刀を振るう度に、落ちていく。運良く食いつけた蛇も、速度に振り回され、落ちていく。雨、泥濘にもかかわらず。足捌きに迷いがない。


 しかし。


「へびさん、よわいけど、ふえるよ?」

 少女がポツリと、不気味な一言。次の瞬間、ブラックガイは世にも奇妙な光景を目にすることになる。


 分かたれた靄蛇。その一つ一つから。足りない部分が生えたのだ。靄でなくば、さぞかしおぞましい光景だったろう。靄ゆえの特性か。少女に由来する能力か。いずれにせよ、切り裂くという行為は制限された。


「くっ!」

 徒手空拳に切り替える。蛇を振り払い、投げ飛ばす。ブラックガイが捌ける量には、必然として限界がある。


 一方、靄蛇は実質無限であった。殖えずとも、靄は未だに濃ゆい。靄ある限り、靄蛇は尽きない。


 少女はほくそ笑んでいた。最早本性を、隠そうともしていなかった。靄蛇は、黒肌の鎧を打ち破りつつあった。敵の命は、風前の灯だった。


「へびさん。いいよ。やっちゃって。ミイ、あきちゃった」

 遊び飽きたおもちゃを捨てるように、少女は命令した。雨傘は無邪気に回っている。幼さゆえの残酷さが、全てを制しようとしていた。


 はずだった。


――甘い。

「え」

 少女の耳に、意志が響く。ありえないはずの声。同じく靄より生まれた、同類の声。


――甘いと言っている。貴様もコイツも、等しく甘い。

 再び意志。問い返す前に、破裂音が響いた。轟く音に、雨音さえもが一瞬消えた。敵手の周囲が、弾け飛ぶ。次の瞬間。『灰色』が、蛇を食らい尽くした。


『灰色』は、敵の右目から伸びていた。黒の鎧を、白く侵食していた。血管と神経を描き、傷を補修するかのように。黒を圧して、白が脈動していた。


――気分悪りぃ。俺がこんな形で、表に出るなんざな。

 少女は悟る。何が起きたかは分からない。しかし、「遊び相手」が交代した。同類と思しき意志は、自分に敵対する気なのだ。


「なんで?」

 少女は問う。なぜ同類が牙を剥くのか。少女の知識には、答えがなかった。


――さあな。だが一つだけ言ってやる。

『灰色』が応える。その右目が、明滅していた。

 ――コイツに死なれると俺も死んじまうんだ。


「あああああ!」

 少女には、分からなかった。分からないから、滅ぼそうとした。癇癪のように声を上げ、怒れるままに靄蛇の大群を繰り出した。


 少女を避けて靄蛇は、うねるように鎧を目指す。牙は研がれ、鋭さを増していた。突き刺されば、ひとたまりもないが。


――能がねえな。さっきのように、手管を使う方が俺は好きだぜ?

 一閃。灰色の尾を引くサムライソードの一振りで。全ての蛇が霧散した。霧散故に、殖えることもない。ほんの一瞬の攻防で、『灰色』は少女を制した。


「うあ、あ……」

 少女は背を向けた。『灰色』への敵対心は、とうに失せていた。傘の防御力は残っているが、勝ち目がない。ならば、逃げる他に打つ手はなかった。


――遅え。

 だが。今度は右目が尾を引いて。『灰色』が瞬時に移動していた。少女の目の前。逃さぬように。立ちはだかる。


「――!」

 少女は傘を下ろして防御を試みる。『灰色』は刀を抜き、斬り上げる。そこに交わる音はない。なぜなら。


「あ」

 雨の中、傘が落ちる。傘持つ右手が、少女から失せていた。白く糸引くサムライソードが、少女の目の先。大上段に構えられていた。



 既に靄は晴れ、雨もいつの間にか上がっていた。道路の舗装も泥濘も。当代の姿に様変わりしていた。


「……全て、まやかしだったのかもね」

 鎧を解かぬまま、ブラックガイが呟いた。サムライソードは既に納められ、傷も白い筋も、消え失せていた。ただ一つ。古びた、骨だけの傘を持っていた。


――テメエ、なにしやがった。

 右目が、怒りを訴えた。ブラックガイは、覚悟していた。


「一瞬だけ、主導権を取り返した。傘だけは、届けなくちゃならないから」

――ニンゲン様の意地かよ。


 右目は納得しない。知っている。そういう奴だ。大食らいも果たして、気分が乗っているのだろう。


「意地だよ。俺も、人間だからね」

 呟き一つを残して、傘も黒も。全てがその場から消え失せた。やがては少女を作った伝説も、語られざるものとなるだろう。


 ~~~~~


 とある墓地。一家の墓に置かれた骨傘。その意味を悟った壮年の男は、ただただ泣き崩れた。言葉はいらなかった。傘を抱き、むせび泣いた。


 噂でしかなかった話。

 噂でしかなかった掲示板。


 数十年の願いを託した、男の賭け。

 正解は、そこにあった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

共生戦士ブラックガイ 南雲麗 @nagumo_rei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ