さいわいなことり

相園 りゅー

暗闇、灯火、籠の鳥

【同題異話 さいわいなことり】参加作品




 橙色の灯火ともしびが、俺の歩みにあわせてリズミカルに揺れている。ガラス板で囲われた蝋燭は相当に質の悪い物らしく、炎が不安定な上に臭いが酷い。


 近道と教えられたトンネルは三方に岩肌を晒し、いかにも荒々しい壁は、独りで歩く俺を不安にさせる。


「チチッ」


 灯火と反対の手には鳥籠を提げている。中にいるのは黄緑色の小さな鳥で、これは最後に立ち寄った集落で“ガス検知”として借り受けたものだった。


 俺に鳥を持っていくことを勧めたジジイによれば、しばらく前に地震があったらしく、もしもトンネル内で落盤が起きていれば有毒ガスが出ている可能性もあるのだという。

 小さな鳥はガスの影響を受けやすく、人間よりも早く死に至る。

 つまり、鳥籠の中のコイツが苦しみ出したとき、急いで逃げれば俺は助かるだろう、ということだ。


「チチッ、チッ」


 しかし、五月蝿い。

 少しでも籠を揺らせば、文句を言うかのようにと喚く。


 本当にうっとうしい。

 俺はただ、一時いっときでも早くこの山を抜けたいだけなのに。


「チチチッ」


「……うるせぇンだよクソ鳥が……」


 ジジイは何と言っていただろうか。たしか、「トンネルの向こうに出たら鳥は放してもいい」だったか。

 早くトンネルを抜けたいのは確かだ。この鳥野郎も、さっさとこのトンネルを抜けて、籠ごと放り捨ててやろう。

 ――――とは思うのだが。


「しっかしこの道よぉ。出口なんかあるのかよ……」


 時折囀ずる小鳥の他、音を出すものは皆無だ。静寂の充ちた暗闇は海のように続いている。




 「チチッ」








               「チチッ」










      「チチチッ」












 歩く俺と、籠の小鳥と、揺れる灯火。

 それだけの世界。



「チチチッ」



 …………いったいどれ程歩いただろうか。

 爪先にゴツリ、と固いものが当たった。

 灯火を近づけると、大きな石が幾つも転がっている。よくよく辺りを見回せば、壁が崩れているようだ。


「クソッタレ! ここまで歩かせておいてこれかよ!」


 出口の明かりが見えないのも当然だ。崩れた壁が、完全に道を塞いでしまっているのだから。

 手近な石に手を掛けてみるが、とても動かせそうにない。梃子てこに使う棒やツルハシがあれば話は別だが、そんなものは持っているはずもない。

 加えて、どの程度の範囲で崩れているのかも分からないため、俺一人で掘るなんてのは無謀の極みだろう。クソッ。



「チチッ」



 近道だと言われたから来たのに、これではまるで意味がない。

 一度さっきの集落まで帰って、違う山越えのルートを尋ねなければならないだろう。なんて面倒な。


「チチチッ」


「うるせぇンだよ役立たずが」


 苛立ちながら踵を返し、入り口へと向かって早足で戻る。











 ――――そうしようとした、はずだった。



「ア……?」



 突然脚の力が抜け、俺は地面に膝をついた。手からすっぽ抜けた灯火がガラスの砕け散る音と共に消える。

 鳥籠も取り落とし、小鳥は横倒しになったことに文句を言うかのようにバタついた。


「な……んだ…………!?」


「チチッ」


 微かな灯りさえも無くして、闇の中で、俺は身体の異常を知覚した。

 全身に力が入らない。



「チチチッ」



 そうだ、この鳥。

 この鳥は“ガス検知”だ。

 あのジジイは何と言っていた?


『落盤が起きていれば、有毒ガスが出ている可能性もある』


 俺の目の前で、正にトンネルが崩れている。『落盤』だ。

 つまり『有毒ガス』が……出ているのではないか?


 いや、いやいやッ!

 それはオカしいはずだ!

 だってコイツは、この鳥は何事もなく生きている!



「チチッ」



 コイツが先に動かなくなるはずじゃなかったのか!?

 なんで、俺が、こんな。

 急速に身体は動かなくなっていく。意識は朦朧として死の恐怖だけが匂い立つ。


 暗闇の最中、光明を見いだそうとするかのように、俺は手探りで鳥籠を探す。思うように動かない手の、指先が、やがて触れた。


 蚯蚓のごとくにのたうちながら、鳥籠を引き寄せる。

 




――――カシャン


         バタッバタッバタバタ



 音がした。

 檻の扉が開くような。

 翼のあるものが羽ばたくような。



「チチチッ、チチッ」



 偶然だ。偶然だった。たまたま指に引っ掛かったのが、扉の金具だった。



――――チクショウ、置いていきやがって



 羽ばたく小鳥へひどい羨望を覚えながら、俺の意識は闇に溶けていった。







◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆







 橙色の灯火が、顔の横でリズミカルに揺れていました。質の悪い蝋の臭いが鼻をつきます。

 素掘りのトンネルは細長く続いていて、入り口も出口も、見える気配すらありません。


「チチッ」


 それでも、“さいわいなことり”だというこの道連れが居れば、恐ろしいことにはならないはずです。

 革靴の底が、ザリリと、何かの破片を踏みつけました。

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さいわいなことり 相園 りゅー @midorino-entotsu

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