第9話 ちとせ戦う

(あなたは誰?)

 突然、頭の中に声が響いた。知らない女性の声。耳から入った声ではないのに、未知の相手だというのは、なぜかわかった。


 ……私は瀬切ちとせ。あなたこそ、誰なの?


 心のなかで問いかけると、その声は答えた。

(私はエレメンタル。エアリエルの妹)


 エレメンタル。海野くんに注射された白い液体。彼をキャリバンと戦える身体に作り替えるもの。そう、クリスティさんに説明された。あの大きな飛行機、ガルーダのキャビンで。

 説明を聞いた時は、「身体を作り替える」という言葉が不気味で、嫌悪感しか沸かなかった。

 見た感じ、意識を取り戻した海野くんに変わったところは無かった。けれど、自由に動けなくされたり、先生やクリスティさんが彼に向ける視線が急に厳しくなったのが見て取れた。


 それなのに、海野くんは頑張ったと思う。

 私はずっと、あの大きな飛行機の中でドローンからの映像を見ていた。キャバリエという大きなロボットと一緒に投下された、いくつもの小型の無人ヘリが、闘いの現場を撮影していたらしい。

 何度も、もう駄目かと目を覆ったけれど、彼はなんとか敵を……あのキャリバンと呼ばれる怪物を倒した。


 その海野くんの血液が左手に刺した針から流れ込み、私の身体を巡って、もう一本から流れ出していく。その血液の中に、あの白い液体、エレメンタルが溶け込んでいる。

 なら、この声はエレメンタルのもの。そうに違いない。


 ……エアリアルって誰? そもそも、あなたは何者なの? 


 小説「テンペスト」に登場するエアリエルは、風の精霊エレメンタル。プロスペローはエアリエルを使役することで魔法を操り、テンペストを起こした。


(エアリエルは、ちとせともう一人の子の姉)


 ……もう一人って、もしかして海野つよしくんのこと? 私と彼は姉弟じゃないし、第一、私に姉はいないわ。


 無意識のうちに「姉弟」という漢字を当てはめていた。彼を兄と見るのは違和感がありすぎた。なんとなく、自分が彼を庇護しなければいけないような感じがする。

 ……何をしてあげられる、というわけでもないけれど。


(ちとせも毅も、エアリエルと同じ所がある)

 脳内の声は戸惑っている感じがした。


 ……クリスティさんは、私の身体にはエレメンタルを鎮静化する力があると言ってたけど。


(そう。毅の中で私は目をさまし、……ちとせの中で私は眠りにつく)

 エレメンタルの声は、次第に弱まり、間延びしていく。


 ……待って! ねぇ、教えて! あなたは何なの? キャリバンとの関係は?

(……すべては……セティボスの……陽の下に……)


 エレメンタルの声が聞こえなくなると、耳元でパチンと機械の音がして眠りから覚めた。


 目を開くと、医務室のベッドの上。クリスティさんに言われて、血液交換のために横になった時のままだった。

 周囲はカーテンが引かれていて見えない。天井の照明は消されているので薄暗い。カーテン越しに染みこんで来る、周囲の灯りだけだ。

 左の手首につながれた血液交換のチューブは、色が透明になっていた。機械が停止し、循環も止まったらしい。


 体がじっとりと汗ばんでいる。エレメンタルの不活性化というものは、かなり身体に負担をかけたみたい。気だるくて、起き上がる気になれない。


 ……どうしよう。クリスティさんを呼んだ方がいいのかしら?


 その時、すぐ隣でつぶやく声が聞こえた。


「知ってる天井だ……」


 海野くんだ。カーテンの向こうで、どうやら意識が戻ったみたい。

 声をかけようかと思ったら、彼が声を上げた。


「あの……すみません、誰か」

 すると、私の右側から足音がして、足元の方を回って左に向かった。そしてクリスティさんらしい声が聞こえたが、彼女の声は低く、よく聞き取れなかった。

 多分、体調について問診したりしているんだと、思ったのだけど。

 何か、様子がおかしかった。


「あっ……ダメです、そんなとこ!」

 海野くんの上ずった声に、思わず左を見る。光の当たるカーテンに、ベッドに横たわる彼の影が映っていた。そこ腰のあたりに身をかがめる影が、クリスティさん?


「わ、わ、わ」

「僕は慣れてません!」

「じ……自分でヌキます! ヌケますから!」

「あっ! あああっ!」


 一体、何をしているのだろう?

 想像もできないが、想像したくない。

 そして、クリスティさんらしい人影は消えた。足音からして、医務室の奥の方へ行ったらしい。


「汚された……汚されちゃったよ……」

 そんな海野くんの嗚咽を聞きながらも、カーテンに映る彼のシルエット、特に腰のあたりにそそり立っている棒状の物から目が離せなかった。


「ハーイ、ちとせちゃん。目は醒めたかしら?」

 いきなり足元の側のカーテンをまくって、クリスティさんが入って来た。

 ビックリして、頭を起こしてそちらに顔を向ける。


「あ……はい、クリスティさん」

「それじゃ、針を抜いてしまうわね」


 そう言うと、私の左手から二本の針を抜いてくれた。


「これで良し。もう起き上がっても大丈夫よ」

「あの……海野くんは?」

 カーテンの左側を見る。こちらが明るくなったので、もう影は映っていない。


「彼は着替えないといけないから、もうちょっとかかるわ」

「そう……ですか」

 起き上がると、カーテンの向こうから小林先生が顔を出した。

「瀬霧、起きたか。こっちに来てくれ」

 先生の背後からは平野平さんも顔を覗かせ、軽くうなずいた。


 私は寝かされてた区画を出た。振り返ると、海野くんのいる方の区画はカーテンで覆われていた。中で着替えているのだろう。


「先……行くわね、海野くん」

「……うん」

 彼の返事は元気がなかった。


 小林先生は廊下でクリスティさんと何か話していた。英語だったけど、早口で聞き取れなかった。


「あの……小林先生」

 少しためらったけど、思い切って言った。

「酷すぎませんか? 海野くんの扱い!」

 一瞬、先生は目を見張ったが、すぐに真面目腐った顔になった。

「いきなり、あんな恐ろしい戦いに駆り出しておいて。ずっと、モノみたいに扱って。自由を奪って、おまけに……」

 さっきのカテーテルのことを言いそうになって、振り返った。ちょうど、カーテンをめくって出て来た海野くんと目が合ってしまった。

 ちゃんと学生服を着こんでいるけど、さっきまでは――。

 慌てて視線を逸らし、先生に食ってかかる。


「と、とにかく、少しは海野くんの気持ちも考えてください。せめて、よくやったとか、そのくらいは……」

「瀬霧さん、ありがとう」

 背後から、その海野くんに感謝されてしまった。

「僕なんかのために、そこまで言ってもらえるなんて……」

 振り返ると、彼は赤くなってモジモジしてた。

 その姿に、いたたまれなさを感じた。


「海野くん! あなたもよ!」

 思わず、口調がきつくなってしまった。

「こんな酷いことされて、悔しくはないの?」

 すると彼は、はっと目を見張ると、さらに真っ赤になった。

「あ……あの、さっき……」

 ちらり、と彼は背後を振り返った。

 そのせいで、カーテン越しに聴こえてしまったクリスティさんとのやり取りを思い出してしまった。こっちまで赤くなる。


「そ、だけじゃなくて、全部!」

 言ってしまってから、聴いていたとばらしてしまったことに気づいた。もう遅い。

 海野くんの顔が、みるみる青ざめていく。

 あーもう! こんなことになるなんて!


「わかった」

 背後で小林先生が声をかけてきた。

「二人ともついてきてくれ。会わせたい相手がいる」

 振り向くと、先生は肩を落とし、眼鏡の奥の目は細められていた。


 ……なぜか、神妙な雰囲気がするけど、気のせい?


「会うって、誰とですか?」

 私の問いかけに、先生は黙り込んだ。

 その時、背後から近づく足音が。振り向くと、医務室の奥からタブレットを手にしたクリスティさんが出て来たところだった。

 彼女は先生の所まで行くと、タブレットの画面を見せて言った。

「全ての数値は正常な範囲内です」

「そうか。なら、もう十分だな」

 そして、私たちに向き直って、先生は言った。


「来てくれ。エアリエルに会ってもらう」

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セティボスの陽の下に 原幌平晴 @harahoro-hirahare

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