第八話 『彼』

「今日も『俺』のままか」


 ヘルミの家の固い床の上で目覚め、溜息をついた。

 期待していた通りにはならなかったが、そんな気はしていたし、あまり精神的ダメージはない。

 ヘルミのお陰で衣食住は確保できているし、悪くない暮らしが出来ている。

 なるようにしかならないか、なんて考える余裕もある。


「さて、起きますか」


 そとはまだ仄暗く、感覚でいうと午前六時前くらいだろう。

 空気も澄んでいて気持ちが良い。


 ベッドを見ると、ヘルミの可愛い寝顔が見えた。

 まだ早いしそっとしておこう。


「薪でも割るか」


 この体なら薪割りくらい無限に出来るだろう。

 居候だから役に立たないとな。

 ヘルミを起こさないように気をつけながら服を着替えて外に出た。

 朝飯も作るかなな。




 ※※※




「……美味しい! 幸せぇ!」


 薪割りはすぐに終わったので、例の固いパンでフレンチトーストを作った。

 いや、トーストじゃないな。

 フレンチバターロールっぽい固いパン、か。


 普通に砂糖、牛乳、玉子、シロップを混ぜた液に浸し、バターで焼いただけだ。

 材料は『私』の時とほぼ同じ物があったから助かった。

 少し質が悪い気がするが気にならない程度だ。


 シロップは思っていたより高価だったようで使ってしまったことを謝った。

「今日はユリウスにご褒美貰ったってことで! ありがとぉ」と喜んでくれたが、これからは余計なことをしてしまわぬよう気をつけなければ。


 今日はヘルミのお仕事を手伝う予定だ。

 毒蜘蛛の森で薬草を集めるのである。

 朝食を取りつつヘルミ先生の講義を聞いている。


「毒蜘蛛の森は毒が蔓延しているから、普通の生物は入れないのよぉ」


 危険な動物もいないし、いるのは蜘蛛型の魔物『アラクネ』だけ。

 俺が遭遇したのはアラクネの幼体のようだ。

 幼体は日中でも動き回っているが、成体になると夜行性になり、昼間は姿を現すことはないらしい。


「だから毒さえ平気なら、誰にも邪魔されない薬草取り放題の楽園よぉ!」


 そんなこと思うのはヘルミだけだろう……逞しいな。

 ヘルミが平気なのは例のガスマスクに毒防御の効果がついているからだそうだ。

 服に続いてこれもお父さんの形見なんだとか。

「いいもの残してくれたわぁ」と微笑むヘルミはやっぱり逞しい。


 それでもガスマスクだけでは防御しきれず、苦しくなることが度々あったそうなのだが、繰り返していくと免疫が出来たのか今では平気らしい。

 毒に慣れるってあなた、何処の暗殺者なのですか!


 もしかして毒が平気な俺の体も、暗殺者か何かだったのだろうか?

 実は美形な暗殺者……?

 漫画的には需要がありそうだ。

 多分この体は違うと思うけど。


 そんな暗殺者もどきな二人で薬草をせっせと取るわだが、何かあった時のための準備をしておくことにした。

 雑貨屋の隣にある金物屋で装備を揃え、雑貨屋では薬を購入しておく。


 ――コンコン


 支度をしていると、家の扉を叩く音が聞こえた。


「誰か来たぁ?」

「あ、俺出るよ」


 ヘルミより扉の近くにいたので俺が対応しよう。

 扉を開けると、そこにはヘルミと同じくらいの若い女性が立っていた。

 綺麗な子だなあ。

 腰まである艶やかな菫色の髪は、緩やかに波をうっていて美しい。

 瞳は吸い込まれそうな翡翠色。

 修道女が着ているような紺色のワンピース姿だが、魅力的な体のラインが見てとれる。

 村の人達と雰囲気の違う蠱惑的な美しい女性だった。


「…………!」


 女性は俺を見ると目を見開き、固まっていた。

 いつものリアクションかと思ったが……少し様子が違う。


「あの、どちらさま?」

「…………」


 目で俺を捉えたまま、女性の体は震えている。

 どうしたのだろう……トイレか?


「……ユリウス様」

「はい? そうですが」


 名前を呼ばれたので返事をすると、女性は微かに微笑んだ。

 何か引っかかった。

 微笑む目に『含み』があったように感じたのだが……。

 というか、どうして俺の名前を知っているんだ?

 誰かから聞いたのだろうか。


「ユリウス様、覚えていらっしゃらない? 私のことを……」

「はい?」


 覚えているも何も、初対面ですが。

 こういう目立つ人が村に居たら覚えているはずだ。

 でも全く知らない。


「お会いしたかった! マリアです! あなたのマリアですわ!」

「……え?」


 誰だか心当たりがなくて首を傾げていた俺に、女性は突然飛びついてきた。

 咄嗟のことで対処出来なかった。 

 ぎゅうぎゅうと抱きつかれているが……これはどうしたらいいのだろう。


 それに「あなたのマリア」?

 どういう意味だ?

 思考回路が追いつかず棒立ちだ。

 ただ、何となく嫌な予感がしている。


「え……!? ちょっとぉ! 何でユリウスに抱きついているのよぉ!」


 ヘルミが玄関で起こっている事態に気づき、怒鳴りながらこちらに来ているのが分かった。

 だが俺は停止したままだ。

 ゆっくりと回転し始めた脳は、今まで考え至らなかったのが不思議な可能性を見つけて混乱している。


 その可能性とは、『私』が誰か体を乗っ取っているのではないか、というものだ。

 異世界に来たことで体が変質したように思い込んでしまっていたけれど、そうではない。

 誰かの人生を奪っているかもしれない。

 そう思うと頭を鈍器で殴られたような衝撃が走り、眩暈がした。


 ――どうしよう、怖い。


 自分に起こっている事態を気楽に捕らえていたのかもしれない。

 何故こんなことになっている?

 この体は誰のもの?

 『私』の体はどうなっているの?


「ユリウス!?」

「ユリウス様!?」


 吐き気がして、思わずその場にしゃがみこんだ。

 頭が割れそうだ……視界が……世界がぐらぐら揺れる。


「ちょっと、あんた! ユリウスに何したのよぉ!」

「私は何も……!」


 二人は蹲る俺を挟んで口論を続けている。

 頭に響いて煩い。

 静かにして欲しい。

 立ち上がることも出来ず、喋ることも出来ず――。

 吐き気に耐えることしか出来ない。

 次第に目の前が白く霞んできた。

 

 ……あ、無理かも


 遠のく意識を必死に繋ぎとめていたが……駄目だった。




 ※※※




 ああ、頭が痛い。

 吐き気も取れない。

 最悪の気分で目が覚めた。……覚めた?


 どうして自分は眠っていたのか、記憶の最後を手繰り寄せる。

 思い出そうとすると、妨害するようにズキッと頭に痛みが走った。

 痛みを逃がしながらゆっくりと脳を動かす。

 ああ、そうか。

 俺はヘルミの家で気を失ったのだ。


「? ここは……」


 目に入ってきたのは辺り一面に広がる凹凸のある岩の壁。

 まるで洞窟の中にいるようだ。

 かなり広く、草野球が出来るくらいの空間がある。


「何だ?」


 重い体を起こすと、前方に眩しい光の線が見えた。

 その線は床の広範囲に広がっている。

 立ち上がって全体を見回していると、呪文のような文字がびっしりと書き込まれた多重円だった。

 ゲームなんかで見かける魔方陣のようだ。

 魔方陣の中心には人が立っていた。

 長い金髪で背が高くて、見覚えのある…………『俺』だ。


 じゃあ私は?

 元の姿に戻ったの?

 急いで自分の手を見てみた。


 『私』の手より指が長く、骨ばっているが綺麗な手。

 髪を掴んで見る。

 金髪で虹色の艶がある。

 『俺』だ。


「『俺』が二人?」


 どういうことだ?

 考えても分かるわけがないが……考える。

 答えが見つかる気はしないけれど。


『やあ』


 立ち尽くしていると、魔方陣の上に立っていた『彼』が声を掛けてきた。

 同じ顔、同じ声の人に話し掛けられるなんて不思議だ。

 『彼』は『俺』と違って、堂々とした佇まいだ。

 あれが本来の姿なのだろうか。

 見た目と比例していて格好良い。

 ……と見惚れていても仕方がない。

 『彼』に目を向け、呼び掛けに応えた。


「何?」

『どうだ? 俺の体の使い心地は。案外楽しそうに見えたが?』


 やっぱり、この体の持ち主らしい。

 楽しそうに見えた?

 どこからか観察していたということか?


「使い心地と言われても。分からない。楽しくは……あるかな?」

『そうか。それは良かった。じゃあ、君にやるよ』

「やるって……何を?」

『もちろんその体だ』

「へ?」


 「体をやる」って、そう言った……よな?

 「このボールペン、使い心地いいな」「じゃあ、あげるよ」くらいの気軽さだったが……。

 こいつは何を言っているのだろう。


『……いて貰わないと困る』

「はあ?」

『好きに使え。もう、お前がユリウスだ』


「ちょっと、意味が分からない! 説明してよ!」

『……すまない』


 そう言うと『彼』は俯き、口を閉ざした。

 もう何も話さないつもりなのだろうか。

 それでは困る。


 問い詰めようと『彼』を目指して駆け出した。

 わけが分からないが、何か知っていることは分かる。

 ぶん殴ってでも吐かせてやる!

 息巻いて走りだしたが……どれだけ走っても近づけない。

 どこからか立ちこめてきた白い霧で視界も悪くなってきた。

 『彼』の姿もどんどん見えなくなっていく――。


「ちょっと! 説明しなさいよ!」


 叫ぶが返事はない。

 声が届いているかも分からない。


「どうなってんのよ!!」


 とうとう視界は完全に白で覆われた。

 彼の姿も見えない。

 自分の姿さえ見えない。


 全てが霧に包まれ、意識が遠くなっていくのを感じた。

 ああ、また気を失う。

 そう思いながら再び意識は途切れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る