Another side:サーリィ

 私は奴隷になってしまいました。

 それも随分と前のことですが。

 人族が恐ろしいということは前々から聞いていました。

 ですが、まさか淫魔族の村まで侵入してくるとは聞いていません。

 一人でいるところを襲われて、気づいたら牢屋の中です。

 

 私は泣きました。

 体中の水分がなくなるぐらいに。

 するとやかましいと言われて水の中に顔を突っ込まれました。

 息ができずに苦しくてもがきますが、頭を押さえる手が緩められることはなかったです。

 そして気を失って目が覚めてみればまた次の日が始まります。


 そんな繰り返しを続けていると、横にいた獣族のお姉さんが私に話しかけてきました。


「あなたは馬鹿なのかしら。毎日毎日同じように泣いて。いい加減うるさくて迷惑なのだけれど」


「す、すみません……ぐすっ」


 とりあえず謝りましたが、お姉さんの視線は私を睨んだままです。

 ここに入れられているということはこの方も奴隷なのでしょう。

 なのになぜ泣いてないのでしょうか?

 もう枯れてしまったのでしょうか?


「どうしてお姉さんはそんなにも平然としてられるのですか? 奴隷として売られてしまうのですよ?」


「そんなの決まってるじゃない。騒いでも仕方ないからよ」


 返ってきた答えはとてもシンプルでした。

 恐らくですが、ここはもう人族の領域です。

 泣き喚いたところでその声が仲間に届くことは無いでしょう。

 

 もう私が助かることは、ないのです。


 そう考えるとやっぱり涙が出てきました。


「また泣いてるし……」


 お姉さんは呆れて寝てしまいました。


 その日以来、獣族のお姉さんとお話しする時間が増えていきました。

 私が涙を浮かべると呆れた顔になりますが、それでもまた話しかけてくれるのです。

 そんな中で、こんな話を聞きました。


「幸せになった奴隷だっているのよ」


「幸せに、ですか?」


「ええ、人族は確かにクズばっかりで反吐が出るほど嫌いで滅びればいいのにと思うけれど」


 言葉の節々から憎しみを感じます。

 しかし同感なので私は何も言いません。


「何事にも例外ってのがあるわ。人族の中にもまともな考えを持った人はいる。そういう人に買ってもらえれば、案外まともな人生を送れるらしいわよ? だからあなたも泣いてばっかりじゃなくてそろそろ前を向きなさい」


 幸せ。

 それはもう奴隷になって以来諦めてしまったものですが、まだ時期尚早だったのでしょうか。

 人族に買われて幸せになれるとは思えないのですが。

 まともな人生というだけでそれはもう幸福なのかもしれません。

 

 ですが、恐らくそんなことは奇跡のような確率でしか起こりえないのでしょう。

 泣いてばかりの私ですが、これでももう大人です。

 その話を聞いて浮かれるような気分になったりはしません。

 お姉さんも『まあ、あまり期待はしないほうがいいけれどね』と言っていました。

 ほら、やっぱり。

 ですが希望を持つのも悪いことでは無いのかもしれません。


 幸せの話を聞いて少しした時、お姉さんが買われていきました。

 綺麗な方だったので当然でしょう。

 買った人の顔を見ることはできませんでしたが、お姉さんは幸せになれたのでしょうか。

 そうであることを願います。


 そしてその時以来私は泣くことをやめました。

 あのお姉さんのように凛として生きていくと決めたのです。

 たとえ未来が暗くても。

 

 さらに、新しく入ってきた奴隷の子が泣いていたら声の届く範囲で話しかけてあげるようにしました。

 お姉さんから受けた少なく無い恩を返すようなつもりで。

 あの方のように厳しく優しくなんてことはできませんが、少しはお姉さんみたいになれたでしょうか?

 いつか自分が売れる日までは続けていこうと思います。


 しかし、どれだけ月日が流れても私が売れることはありませんでした。

 声をかけていた子達はどんどんと売れていくのにです。

 売れることが嬉しいことではないのですが、なぜか焦りを覚えてしまいます。

 

 自分が売れないことには心当たりがありました。

 淫魔族とは名前の通り魔族です。

 なので魔属性の才能を開花できることがあるのですが、私にはできませんでした。


 さらに淫魔族には隠蔽という種族特有の才能があります。

 様々な事実を捻じ曲げることのできる、使い勝手のいい才能です。

 これがあるので、魔族の中でも淫魔族はエリートとされていました。


 ですが、あくまで才能なので皆が開花できるわけではないのです。

 そして私は習得できませんでした。


 魔属性と隠蔽。

 このどちらもを開花できない淫魔族というのは少数です。

 十歳のときに、神の像の前で両親が見せた哀れみの目は今でも忘れられません。

 私は出来損ないだったのです。


 そして私がぽんこつなのは才能だけではありません。

 この体もそうです。


 淫魔族は名前の通り、少しエッチな種族です。

 今は夫婦の間以外では制限されていますが、相手の精気をにゃんにゃんな方法で吸い取って自分を強化することができます。

 ちなみに淫魔族同士の場合に得られる力は微々たるものだと聞きました。

 お互いに吸い合うからだそうです。

 昔にこの力で魔族の領域が随分と荒れたので、その罰を受けて今は制限されたのだとおばあちゃんが言っていました。


 そして私がぽんこつな理由、それは胸です。

 真っ平らです。

 淫魔族としてあるまじき真っ平らです。

 どこかに落としてきたのでしょうか。

 拾った方がいたら奴隷売りまで連絡してください。


 淫魔族は魅力的な体をさらに隠蔽で高みへと近づける種族、というのが世間の認識です。

 魅力的な体も隠蔽も持っていない私はどうしたらいいのでしょうか。

 売れ残っていくのも当然でしょう。

 私は欠陥品なのですから。


 そんなことを思っていたある日、奴隷売りに私は告げられました。


「いいか、今月もまた売れなかったらお前は廃棄場行きだ。最後のチャンスに個室へ移してやるから仕入れ値の半分でも取り返せるよう精一杯媚びろ!!」


 不機嫌そうにそう告げると奴隷売りは檻をガシャンと蹴ってから去って行きました。


「くそっ、淫魔族だからって高値で仕入れたのに……」


 吐き捨てるように言った言葉は私の耳にしっかりととどいて、胸を突き刺します。

 出来損ないをさらってきたのはあなたたちじゃないですか!

 どうして私がこんな思いをしないといけないのでしょう。


 廃棄場、そこは奴隷たちの終着点だと聞いています。

 人を人とも思わない頭のおかしなやつらの巣窟だと。

 そこにも幸せはあるのでしょうか?

 答えてくれるお姉さんはもういません。


 思わず涙がこぼれかけます。

 もう流さないと決めたのに。

 なんとかぐっと力をいれて堪えました。


 まだ今月は始まったばかりです。

 個室は見たことがありますが、皆さん綺麗に飾られていました。

 私も少しは見栄えが良くなるはずです。

 奴隷売りの言葉に従うのは癪ですが、精一杯あがいてみせましょう。


 そして私は頑張りました。

 見せたくも無い笑顔をみせて、ふるいたくもない愛想を振りまって。

 おかげで足を止める人もいました。


 ですが、奴隷売りから淫魔族と聞いて私の胸をまず見てため息を吐くのです。

 そして才能とスキルを聞いて去って行きます。


 なぜ私がそんな顔をされなければならないのか。

 好きでここにいるわけじゃないのに!!

 檻を破って喉元に噛み付いてやりたい気分でした。

 

 気づけば月が終わる三日前。

 もう笑顔も愛想も売り切れです。

 常に廃棄場のことを考えてしまい、ぶつぶつ言ってることが増えたように思います。


 奇跡は無い。

 わかってはいたのですが、どこかで期待していたようです。

 自分のどこが大人なのか。

 

 そんな風に自嘲していると、奴隷売りが新しいクズを連れてきました。

 クズも毎日くるわけではありません。

 これが最後のチャンスかもしれない。

 頭ではわかっても媚びを売る気にはなれませんでした。


 フードを被った珍しいクズで、奴隷売りがどこかへこへこしているので上客なのでしょう。

 私には関係ないことですね。

 こちらまで来ることも無いかもしれません。


 と、思っていたのですが、私の横にいる兎獣族の少女に興味を示したようですぐ近くまでやってきました。

 フードのせいでどんな表情をしているのかわかりませんが、どんな目的でこんな小さな子を買うのでしょうか。

 そんな風に見ていたことが幸いしたのか、もしくは災いしたのか。

 フードのクズと目が合ってしまいました。


 表情はよく見えませんが、クズの目が見開かれたのがわかりました。

 私の胸がないからでしょうか。

 ですが視線は胸ではなく、こちらの目をしっかりと見ています。

 と思ったら一度体を一周するように観察してきました。

 けれども私の平らな胸を見ても落胆しているようには見えません。


 あまりにも見てくるので、気まずくなり私は目をそらしました。

 その時に奴隷売りが悲鳴をあげていたのですが、何かあったのでしょうか。


「こいつにするから手続きを頼む」


 何かあったのは私の方でした。

 今このクズは、いやこの人は何て言ったのでしょうか。

 もしかして、私を選ぶと言ったのでしょうか。

 出来損ないで、何もできない、売れ残りの私を!!


 混乱している内に檻の鍵が開けられて奴隷売りに外へと出されました。

 立って並んだフードの方は思ったより背が高かったです。

 

 私を選んでくれた人。


 廃棄場送りから救ってくれた人。


 私にはフードの奥にある優しい顔が想像できました。

 きっとこの人はあのお姉さんが言っていたまともな人なんだと。

 都合の良い妄想かもしれません。

 でも今はそう思っていたいのです。


「この度は購入していただき、ありがとうございました。末長くお役に立てるよう全力を尽くします」


 久々に出したきちんとした声は、自分でもわかるほど浮かれていたと思います。

 絶望の手前から一気に戻ってこれたのだから、これぐらいは許してください。


 そして奴隷売りの先導で私たちは移動します。

 フードの方は私に先を譲ってくれました。

 やはり私の目に狂いは無いと思います。


 準備のため、部屋へ入ったのは私と奴隷売りだけでフードの方は外で待つことになりました。

 すると奴隷売りがどこからか高そうな服を持ってきて、私に着るよう指示してきます。

 こんな服を着せるということはやはり相当の上客なのでしょう。


 それが幸せに包まれた私が、最後に思ったことでした。


 神妙な顔をした奴隷売りが私を蹴落とすように言ったのです。


「お前を買ったあのフードの怪しい男。あれはルインフェルト=ラクアスだ」


 …………え?


 るいん、ふぇると?


 奴隷売りの言っている意味がわかりません。

 わかりたくありません。


「なんだ知らないのか? ならまあ良かったのかもな」


 知らないわけがない!!

 人族最悪の狂人。

 悪を具現化したような存在。

 奴隷という限られた情報しか得られないような場所でもその噂が入ってくるほどの有名人。


 それを聞かされて、私のちっぽけな信念などぽっきり折れてしまいました。

 涙が止めどなく溢れてきます。

 私は奴隷売りに泣きつきました。


「い、いやです! そんな人に売られるなんて! どうかお許しください!!」


「許すも何もご指名なんだからしょうがないだろ! ええい鬱陶しいまとわりつくな!」


 振り払われた私は地面に倒れます。

 それでも諦めずに嘆願しました。


「お願いです! 廃棄場送りでも構いませんから!!」


 頭のおかしなやつ揃いの廃棄場でも、ルインフェルトよりはましでしょう。

 なんといっても最悪の狂人なのですから。


「無理だ無理だ! 今更断ったら私が殺されるだろう!」


 殺されればいいのにと思いますが、口にはしません。

 今はとりあえずお願いするのです。 

 奴隷として縛られている今、逃げ出すこともできないのですから。


 けれど、私の思い虚しく、奴隷売りが撤回することはありませんでした。

 高級な服を着せられて、ルインフェルトの前に立たされます。


 一歩でも間違えば。

 いや、間違わなくとも死ぬのかもしれません。

 せめて五体満足で死ねるように全力で機嫌をとります。


「い、偉大なるルインフェルト様に購入していただき、感謝の気持ちしかありません。如何様にでもこの体を役に立ててください。そ、それが私の幸せでもございます」


 恐怖でうまくしゃべれません。

 先ほどまでの私はどうしてこの男が優しいなどと思ったのでしょうか。

 こんなにも恐ろしいのに。


 何故ルインフェルトなんていう狂人が私を買ったのか。

 考えるだけでも恐ろしいです。

 夢だったりしないか後ろ手で自分をつねってみますが、痛みを感じません。

 ただ恐怖で麻痺してるだけでした。


 全てが上の空で、目の前の現実を受け止めれずにいるといつの間にかルインフェルトが何やら黒い渦を呼び出していました。


「「ひっ!」」


 奴隷売りが何かをやらかしたのでしょうか。

 こちらまで巻き込まないで欲しいです!


 そして取り出したのは魔物の生首でした。


「「ひぃぃいいいい!」」


 もしやあれが私の前任だったりするのでしょうか。

 怪しい実験の成れの果てとか。

 絶対に嫌です!!

 今すぐにでも逃げ出したい!!


 生首をしまった後、次は貨幣を取り出し支払いを済ませるつもりみたいです。

 皮の袋から取り出したお金を奴隷売りの手に置きます。


「これで足りるか?」


「えっ!? あっ、こ、これは……?」


 置かれたお金は大金貨でした。

 ありえません!

 金貨百枚分ですよ!?

 私の売値はせいぜい金貨数十枚だったはず。

 奴隷売りが慌てるのも当たり前です。


 おそらく口止め料が入っているのでしょう。

 さらに追加しようとするルインフェルトを慌てて止めていました。

 きっとこれ以上を望もうとしていれば、首と体が離れ離れになっていたにちがいありません。


 そして大金貨は私をさらに怯えさせるのに十分でした。

 それほどの価値を私のどこに求めるのか。

 もしかして才能を持っていないことに気づいてないんじゃないでしょうか。


 それならばそれがバレた時、私は。


 ああ。

 

 やっぱり奇跡なんてありませんでしたよ、お姉さん。

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