第21話 週末を股にかける

 金曜夜、店のドアを開ける。いつも通り、大して流行っていないどころか閑古鳥が鳴いている店内。いずみくんは涼しい顔でグラスを拭いている。


「いらっしゃいませ」

「ジャスミンティー」


 苦笑いしたいずみくんが、ジャスミンティーを氷の入ったグラスにそそいでわたしの前に出す。


「どうせ、七緒さんの断酒なんてね、続きませんよ」

「別に、お酒が好きってわけでは……あるんだけど……」

「あるんですね」

「でも、ノンアルのカクテルでも酔える体質だから、つまり雰囲気に呑まれやすいわけで」


 それって、といずみくんが少し考えてから言う。


「それって、飲酒に関係なくやばくないですか?」

「え?」


 ドアが開いた。ぐったりとした様子の玲生くんがほうほうの体でわたしのとなりに座る。せっかくきれいな顔をしているのに、げっそりとやつれている。


「どしたの?」

「今日の営業先がクソで……」

「お坊ちゃんがクソとかいう言葉使うんじゃねーよ」


 けたけた笑いながら、いずみくんは玲生くんにお冷を出してあげている。ぐいとあおり、彼が一息ついたところで、そう、といずみくんは話を戻した。


「七緒さん、雰囲気に呑まれやすいってのは、あんまり口外しないほうがいいと思いますよ」

「なんで?」

「押せばイケるって、相手に思われるのも癪でしょ。危ないし」


 なるほど。たしかに。一理ある。


「まあたしかに、七緒さんは雰囲気っていうか、イケメンに呑まれやすいところはある……」

「大きなお世話」


 ジャスミンティーをひと口飲んで、ノンアルでも酔える、と言ったものの、やっぱり物足りないと思う。結局ノンアルはノンアルだ。うう、甘くて強いお酒が飲みたい……。

 手持ち無沙汰におしぼりを握ったり広げたりしていると、玲生くんがジンライムを頼んでこちらを見た。


「七緒ちゃんは? 今週お仕事どうだった?」

「営業が今更半年前の交通費精算書出してきてキレかけた」

「ごめんなさい……」

「玲生くんのことじゃないよ」


 玲生くんは、わたしとの偽装結婚の話で婚約を破談にしたあと、父親と話し合い(と言う名の実質殴り合いらしい。なかなかアグレッシブなご家族だ)を重ね、結局、仕事を死ぬほど頑張ることで結婚に関してある程度の自由を得た。

 お父さまいわく、俺が文句をつけられないくらい優秀になってみろ、とのことだそうだ。なるほど。

 親との距離の取り方は人それぞれだ。わたしが少し離れようと決めたのも、きっと間違いじゃない。だって親子はたくさんいるのに、みんながみんな同じように関係を築かなくてはならいわけはない。母親には母親の幸せ、わたしにはわたしの幸せがあるように、親子・家族にも、きっともっとも幸福になれる距離感がある。

 それを、母親に納得してもらえないのは、少しつらいけど。

 玲生くんの家の事情を深く知るわけではないけれど、やり合った結果そうして双方の主張の落としどころをうまく見つけられる関係は、素直にうらやましいと思う。

 ああして振り切ってきてしまったのを、わたしはやっぱり少しだけ後悔しているような気がするのだ。少しだけ。


「そうだ、七緒さん」

「ん」


 ほかに客がいないのをいいことに、いずみくんが自分のためにバーボンのロックをそそいで飲み始めた。いいのか?


「せっかくだし、今度昼にここに来てみません?」

「お昼に?」


 昼は喫茶店なんだっけ。伯父さんがコーヒーを淹れてくれるの、いいかもしれない。頷くと、身を乗り出してきたいずみくんが、嘘くさいくらいにっこり笑った。


「デートしましょ、たまにはゲロを吐かない健全なやつ」

「きみとデートした記憶がないし、わたしはデートでゲロを吐かない」

「で、行くの行かないの」

「行くけど」


 素直に、デートしよう、だけでいいのに、素直に誘えないものかな。唇を尖らせると、となりで玲生くんが何やらぶつぶつ言っている。


「俺とはデートしてくれないのにいずみさんとはデートするんだ……なんか七緒ちゃん、俺よりいずみさんと仲良しだよね……やっぱり俺みたいなガキは対象外かな……」

「…………分かったよ、今度ね」

「ほんとう?」


 どうにも玲生くんの泣きそうな顔に弱いのと、いずみくんの押しに弱いのを、どうにかしたいと思っていないのが問題だ。もういいや、なるようになれ、と思っている。

 母親という重しを外したわたしには、結婚という重責から逃れたわたしの背中には、羽が生えている。


「なんかさあ、いいかもね」

「何が?」


 頬杖をついて、右手の指でジャスミンティーのグラスのふちについた口紅を拭う。


「しばらくは、いずみくんと玲生くんを振り回すの、いいかもね」

「……」

「きっとこの機会を逃したら二度とあることじゃないんだから、楽しまなきゃね」

「……」


 おしぼりで指先を拭いて、にっこり笑ってふたりを見る。しばらく黙っていたいずみくんと玲生くんが、深々とため息を吐き出した。


「七緒ちゃんって……」

「クソ性悪女……」

「魔性って言うんだよ、いずみさん」

「えー、ひどい」


 覚悟を決めたので、わたしは痛くもかゆくもないのだ。好き放題する、覚悟を。世間に後ろ指を指されようと、わたしは法に触れない範囲で好き放題やってやる!

 ひどいと言いつつけたけた笑っていると、いずみくんが、あきれたように、今度は短いため息。


「まあ、そこに可能性が生まれるんなら、甘んじるしかねーか」


 玲生くんも眉を寄せたままそれに同調する。


「そのうち、振り回されてほしいな、俺に」


 もうじゅうぶん振り回されたあとなので、今度はわたしがふたりを振り回すつもりでいたのに、さっさと形勢逆転しそうな勢いである。なんせわたしはこのふたりの顔に弱い。イケメンはそこにいるだけで素晴らしい。国の宝。

 振り回されてほしい、と言いながら伏し目がちになった玲生くん、顔が良いにもほどがある。睫毛が長すぎる。

 両手を合わせて拝むと、いずみくんがこれ見よがしに胡散臭そうな顔になる。


「またババアみたいなこと考えてるでしょ」

「いいね~、三十になってこんなイケメンふたりに求愛されてるなんて、わたしも捨てたもんじゃないね~」

「七緒ちゃん……」

「よし! いずみくん、マティーニ!」

「断酒は?」

「明日から!」

「……」


 明日は明日の風が吹く、わたしはわたしの道をゆく。幸い貯金もあるし仕事も順調、人生を自分のペースで生きていく。

 私事ですが結婚しません!


 ◆了

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