第11話 契約主

  *

剣の錆びを気にするようになったのはいつからだろう。

幼少の頃に与えられた重すぎる刀身は、今や手足も同然。

幼少の頃から着せられていた色気のない鎧は、今や血肉も同然。

私の名はサラ・フェルト。言うまでもなく、勇者―レヴン・フェルトを家系に持つ、成り上がりの貴族の娘だ。

残念ながらレヴン・フェルトは子を成す前に亡くなってしまったようだが、それでも残されたフェルト家が帝都で幅を利かすには十分すぎる栄誉を彼は残した。

その恩恵に授かり、私は齢20にしてこうして帝国騎士団の一部隊の長を務めるに至る。

無論、家柄だけで部隊長の座に腰をかけたわけではない。

ひたすらに鍛錬を重ねた。家の金を積み、最高の環境で最高の努力を続けたからこそ、ここにいるのだ。

よく、七光りがどうの、と口にする者が騎士団の中にもいる。

私はその者は運が無かったのだと思う。

彼らも騎士団の一員になれるほどの努力をしたのだ。もしもその努力が私のようにありったけの金と環境とコネの元に重ねられたとしたら、彼らは今の地位に甘んじてはいなかっただろう。

だが、一方で彼らを羨ましくも思う。

部隊長というのは退屈なもので、こうして騎士団寮の窓から稽古を重ねる彼らを見ているのも仕事だというのだ。

私もあの中に混じり、良き志を持つ同胞達と汗を流したいものなのだ。出世というのは責任を肩に載せていくものと分かってはいたが、かような柵まで得ようとは想像もしなかった。


「いけませんよ、隊長殿。あなたが出ていくと団員達が萎縮してしまう。ここは魔法の勉強にでも勤しんでみては?」

「ホーネスか。うむ、それもいいな…」


この尖った顎をもつひょろりとした長身の優男は、この部隊において副隊長を任せるホーネス・エインズという。私よりも10ばかり歳上でありながら、我が元へ下ることを厭わなかった、見上げた男だ。右目に掛けたモノクルは伊達ではなく、謀に優れ、そのオールバックの黒髪を櫛で整える姿も相まってインテリ臭さがある。


石造りの壁に背を預け、手渡された魔導書を開く。背中のひんやりとした感触が気持ち良い。たまに窓から吹き込む風も心地よい。事務室は剣も振れない窮屈な場所であるゆえに嫌いだが、居心地は今日のように悪くない日もある。


「ん?」


魔導書をめくっていると、何やら覚えのない四つ折りにされた紙が挟まっていた。何をするわけでもなく椅子に座り腕を組んでいるホーネスと目が合ったので、彼の仕業だと察し、片手で本の上にその紙を広げてみた。


手配書だった。

前にも見たことがある顔だ。40歳を迎えようとしているこの男。ボウズ頭が特徴的で、逆三角形の目の下にクマを作ってニタニタと笑っていたのを憶えている。

たしか、数年前に思想調査で引っ掛かり、騎士団を追放されて路頭に迷った男だったか。指名手配されるような悪事を、ついにやらかしたか。

思想調査を行うという騎士団の方針には懐疑的だった私だが、こういう手配書が回ってくることを見ると、思想調査はあながち的外れでもないと考えてしまう。


「ホーネス。こいつがどうかしたのか。」

「ウェスピンに潜伏していると情報がありましてね。上層からの指示は出ていませんが、他の隊に先を越される前にどうか、と。」

「話が見えない。ウェスピンにも自警団はいるだろう。騎士団の一部隊を動かすほどの手柄になるとは思えないが。」


ホーネスは右目のレンズをきらりと光らせてニヤリと笑う。これは彼が言いたかったことを言うときの癖だが、私はあまり好かない。


「この男には現在、とある村を魔物に襲わせた嫌疑がかかっております。して今回も、何やら同様のテロリズムを企てているようでして。」

「ウェスピンを魔物に襲わせる、と読んでいる、か。」

「左様で。」


帝都ほどではないが、外界からのウェスピンの護りはそれなりに堅牢だ。村程度ならば焚き付けた魔物を仕向けることはできそうだが、ウェスピンに被害を与えるほどの魔物を用意する手段など聞いたこともない。


「眉唾ものだな。当方の知見では、いくら仕向けられたとはいえウェスピンを魔物が蹂躙するなど、あり得ん。しかし、ホーネス。お前の考えではそれがあり得るというのか。」


その問いに、ホーネスは笑って返した。


「あり得ませんとも。そもそも大量の魔物を呼ぶなど、魔王やその幹部でもない限り無理です。大方魔物の住処でひと暴れし、魔物を猛らせて襲わせるのでしょう。その程度では、ウェスピン陥落など到底無理かと。ですが、被害が出るほどの魔物だったか、などという問いは、実際にウェスピンを襲わせなければ分からない答えでしょう。」


「何が言いたい?」


私は話半分に、忘れかけるほどに使っていなかった、風の魔法のひとつを目でなぞる。


「襲わせる前に、仕留めてしまえば良いということですよ。ウェスピンに被害があったかどうかなど問題ではありません。ウェスピンを襲おうとした大量の魔物を騎士団が仕留めた、これが重要なのです。」


そう語るホーネスに、私は溜息をつく。

尊敬できる男だが、どうも彼とは価値観が違う。名誉など、私にとっては実力の足しにならないのであれば興味のないことだ。

むしろ、背伸びをした評価など毒に成りかねない。分不相応な作戦に駆り出され、無駄に命を散らすことだってあるのだ。


「…隊長殿が乗り気でないことは、いつもながらに承知しておりますとも。ですが、窓の外をご覧ください。」


頭上から穏やかに降り注ぐ陽の光を手で遮り、緑の芝が鮮やかな中庭を見下ろす。

先ほどまで剣の素振りをしていた騎士団の兵士達が、模擬刀を片手に組手を行っている。三階であるここまで、その必死な掛け声や気勢が聞こえていた。


「いかがですか?彼らはあろうことが日々対人戦の稽古をつけるだけの生活。一体何と戦おうというのです。外には魔物が蔓延り、今もそれらに苦しめられる民はいるでしょう。騎士団はもっと、魔物の相手をすべきではございませんか。」

「おい、この訓練を組んだのは貴様だろう。」

「ええ、ええ。そうですとも。あと一歩で大陸制覇を成し遂げる帝国が今見据えている敵は諸外国。ゆえにこの訓練です。ですが、目先の敵もそこにいるのは確かなのですよ。魔物という脅威がね。」


いつもながらの饒舌を宣う彼には賛同したくない気持ちもあったが、その論理は私にも理解できていた。むしろ、魔物との戦闘を避ける騎士団のやり方には疑問を抱いていた節もある。いつ帝都の近隣にダンジョンが口を開けるとも分からないのだから。


「わかった。隊員に魔物と戦う機会を与えられるということに魅力を感じた。それでは3日後、我が帝国騎士団第三部隊はウェスピンへ向かうこととする。移動は馬を使うぞ。歩いていては1日かかる。2日で準備だ。余裕だろう。」


「それは有り難い。ウェスピンに隊を動かす理由作りも楽ではございませんゆえ。このホーネス、2日で段取りを組んで見せましょう。」


そう言って椅子から立ち上がった彼は、畏まったふうに礼をすると上官事務室から出ていった。

魔物の相手か。遠征の時には道中で戦闘になることが多いものだが、大規模に、大量の魔物と一度に戦ったことはない。

これならば、私が出る幕もあるだろう。

腰に提げた研いだばかりの剣をすらりと抜く。これの肉を断つ切れ味を思い出したかったところだった。実に丁度良い。

ウェスピンの噴水を思い出しながら、私は手配書を再び折り直して団服の胸ポケットへしまった。



  *

「おやおやー。レインさんですかねー?昨日ぶりですかねー」


相変わらず上がった口角をぴたりと止めた表情のまま話すドリアだが、これにはもう慣れた。

僕は、アルマロン討伐のためにアッピラ荒野へ向かったロウと森の外で別れ、昨日訪れたウェスピンの冒険者ギルドを訪れていた。


「ダウラさんとシュドさん、いないんですね。」

「ええ。早朝から、ここの東にあるバミアス霊峰に出かけていますかねぇ。」


帝都周辺の地理についてあまり詳しくなかったが、バミアス霊峰は僕でも知っている山の名前だ。便宜上、山脈全体を指してそう呼ばれることが多い。

生息する魔物もそれなりに強く、昨日帝都からウェスピンへの移動中に通った、『初心の林』とは段違いだ。一方、『帰りの森』の北側にある『ボロス山』と比べると魔物の質は少々見劣りする。

というのも、バミアス霊峰には食物や動物が豊富に存在し、比較的緩やかな生態系が維持されているのである。

一方、ボロス山は酷い荒地や勾配といった生物の生息に適さない環境であるため、激しい生存競争により屈強な魔物が育ちやすいのだ。

このような実態がある他、大陸神話にも登場するバミアス霊峰は、嵐の神バミアスが眠る山とされており、人々との関わりは深い存在となっている。


「ところで、昨日の冒険者登録の件なのですがねー」


声を潜めて話し始めたドリアの様子に、僕はドキリとして口が勝手に動く。


「あ、えと、ロウ…じゃなくて、ランスロットが大変失礼しました!」

「い、いえいえ。ランスさんのことじゃなくって…」


耳を寄せるよう手招きをするドリアに、僕は顔を近づける。

それにしても、ロウのことをランスロットって呼ぶのは馴れないな。


「リリーシャさんの件。呪い、とあの場では言いましたが、あれは奴隷契約ですかね…?」


そのことか。

やはり、呪いは奴隷契約のことであったか―ドリアの表情は読めないが、これを相談してくるということは、直ちに表沙汰にするということではなさそうだ。

それとも、既に誰かに漏らした上での聴取か?どちらにせよ、ここはある程度嘘を交えてでも話しておく他ない。


「そうです。リリーと、奴隷契約を結んだ人間がいました。ですが、その人はつい先日、行方不明になりまして…」

「それは、嘘をついていませんかね?…ご存知ではなかったですかね。水晶においては、奴隷契約の相手の詳細まで知ることができるのですがね…」


何だと。

自然に奥歯へ力がこもる。奴隷契約は契約主が死んでもエラーにより契約の痕跡が残るケースは稀にあるというが、まさかそのようなケースに出くわそうなど、思いもよらなかった。

ここで、リリーシャの奴隷契約の相手は父だ。ここでその父の名前が出ることは、不測の事態に繋がり兼ねない。

帝都からの出入りの誤魔化しに古代魔法を使ったとはいえ、デプリッチが事情聴取をされたりしたなら、厄介だ。

とにかく、その冒険者登録の情報を引き出さなくては手の内ようがない。

汗ばみ始めた手をカウンターの下へ隠し、ドリアの話に平常心を心掛けて合わせる。


「それはすごいですね。ちなみに、契約主の詳細とはどこまで知ることができるんですか?例えば…そうですね…」


 僕は考え込むフリをして、聞くべきことを迷わず尋ねた。


「契約主の、死亡日とかは?」


ドリアは表情をそのままにコクリと頷く。


「ええ。特定できますかね。奴隷契約を結んだ奴隷は、常時契約主から魔力を極僅かに受け取っているのですがね?それが途切れた日、という意味で特定できますかね。まあ契約主が死んでいた場合の話ですかねー」


事態は思ったよりも深刻ではないか。まずいぞ。奴隷魔法ついて研究していた僕にとってはそれくらい基礎中の基礎だ。そこに驚きも落胆もしない。

問題は、それを水晶が解析できるのかという点だが、彼女の口ぶりからすれば水晶はそれを朝飯前にこなすらしい。

そこまでの解析ができるなど聞いたことも無かった。部屋の中だけで研究をしていた自分に、遡って喝を入れてやりたくもなる。


これでは、ロウが父の魔力を使って帝都から出た日付と誤差が生じてしまうではないか―。つまり、父は死んだ翌日に帝都を出ていたことになる。

この記録の齟齬は、義父が帰って来ないとして失踪届を出した際に調べられたら確実に見つかってしまうものだ。


いや、それならば探りが入る前に帝都から遠く離れた地に逃げてしまえば良いか。

だがその前に、ここは何と言い逃れる?

いや、いっそ全てばらしてしまい、同情を誘うか。それがいい。むしろ、ドリアさえ味方につけてしまえばこの父の件を片付けるに決定的な協力者になる。

ひと芝居、打つか。

顎に力を込めて奥歯を滑らせる。ドリアの追及が始まった。


「それで、なぜさっきは嘘をついたのですかね?」

「お察しの通りだよ。リリーと奴隷契約を交わした人間は既に死んでいる。」

「??」

「でもそれには深いわけがあって…」

「いや。ちょっと。ちょっと待ってほしいですかね。」


なんだ。ここで止めるのか。

涙ぐむ演技に入ろうとした僕は仕方なく伏せていた顔を上げる。


ドリアはいつもの、不健康そうな力の無い目つきを丸眼鏡の奥からこちらへ向け、首を大きく傾げて言った。


「全然お察しの通りじゃないんですがね。じゃあ、あなたはいったい誰なんですかね?」

「は?」


いや。いやいやいや。待て。なぜそんな疑問が浮かぶのか。僕の話が理解できなかったのだろうか。確かに、僕は話上手ではなかった。


「契約主は既に死んでいると言いましたが、あなたは今そこにいるじゃないですかね。それならあなたは一体、誰なんですかね??」

「いや…レイン。だけど?」

「んん?でも今、あなた、こう言ったのではないですかね。」

「契約主は死んでいると。ということは。レイン・フォルディオは死んでいる。違いますかね?」


おい。なんだそのロジックは。

リリーシャと奴隷契約を結んでいる主人とは、僕の義理の父。そのドリアの言い回しだと、僕が奴隷契約を結んでいる主人のようではないか―いや。まさか。


「待て。教えてくれ。リリーの契約主は…」

「…?ああ、御自覚がなかった、というわけですかね?」


ドリアは納得のいったように頷いて、告げた。


「リリーシャの奴隷契約の相手は、あなた。レイン・フォルディオ。数十年前から、最初に奴隷契約を結んだ時からずっと、あなたという記録になってますかね。」


膝の関節が抜け落ちたかのような錯覚に、ガタン、とカウンターに肘をつく。

リリーシャの奴隷契約の相手は、父ではなく、僕?突拍子もない回答に、僕は思わず耳を疑った。


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